シュレーゲルアオガエルの抱接

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~地中の儀式~

谷津田に響くシュレーゲルアオガエルの大合唱。春の風物詩に欠かせない1つである。
今年も桜の咲き誇る小路で、また、スミレの咲く斜面で、うららかな陽気に心地よく響くその美声を聞かせてもらった。

姿も声もアマガエルよりちょっと上品な感じのアオガエルたちは、繁殖のため、この季節には本拠である森から水田へとやってくるが、水辺の畦道の裂け目など、土の中に潜り込んでいるため、姿はなかなか見つけられない(→シュレーゲルアオガエル)。

カエルの繁殖活動はオスがメスの背に抱きついて行なう「抱接」が多く、土の中の穴に産卵するシュレーゲルアオガエルも、土の中に作られた穴蔵から美声を放って待つオスの下に、メスがやってきてめでたく抱接となる。

陽射しも暖かく風爽やかな日に畦を歩くと、いつものように田のあちらこちらから「コロロロ、コロロロ」という声が聞こえる。注意して他の穴や、畦の水辺を見て回ると、シュレーゲルアオガエルの卵のう(泡に包まれた卵)がたくさん見つかった。

さらに念入りに畦の様子を伺いながら歩くと、それらしい穴が目に付いたので、そっとのぞくとそこにアオガエルのつがいが一組よろしくやっていた。2匹で一緒にいるのを見ると、雌雄の大きさにはずいぶん違いがあるものだ。自分の二倍はあろうかというメスの背にオスがしっかり捕まっている。

ツボカビなどの病原や適合環境の縮小で、小さなカエルたちはいまや絶滅も危惧されるほどの受難のときを迎えている。けれども、今のところ、ここではこうして一つ一つの個体がりっぱに営みを繰り返し、この種も安泰に生きながらえているんだなあと、感慨深く様子を見守らせてもらった。

Fs5pro2009_0419_124341_2穴の中でメスを待つオス

Fs5pro2009_0419_123808地中の卵のう 

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相対速度

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~真の相対速度をみた~

乗り物の窓からの景色はいつまで眺めていても飽きない。
居ながらにして、次々と現われ流れてゆく風景は、長い旅程もあっという間に感じさせるほどの魅力がある。それは、列車で車窓にへばりつくように景色を見ていた小さな頃から今も変わらない。

飛行機の窓から眺める景色はことさらである。何しろ、空というこの足で立つことのない場所からの風景である。見える景色のすべてが既に非日常の中にある。

先日、八丈島へ小旅行をしたときのこと。搭乗機が羽田を発った後、見慣れた地形を目で追うコースで南下し、ちょうど房総半島の最南端を抜けようかというところで、おそらくは羽田へ向かうであろう、すれ違いの旅客機の姿が見えた。
そして、旅客機は、視界をぎょっとするような速さで過ぎ去って行く。

思い返してみれば、巡航状態の飛行機から、逆方向に飛んでゆく飛行機を見るというのは、それほど多くはないものだ。
もちろん、自身の搭乗機と同じ方向に飛ぶ機と、逆方向に飛ぶ機では、視界にとどまる時間がまったく違うのだから、見過ごす場合があることも含めれば、逆方向に飛ぶ飛行機を見る機会は少なくて当然かもしれない。

それはともかく、この日みた逆行飛行機はとにかく速かった。言葉で表すのはちょっと難しいのだけれども、普段、空に見上げる飛行機で身についた視界内の飛行機の動きの感触からすると、とんでもなく速い。まるでミサイルのようだった。

もちろん、速く見えるのは、すれ違いであるからだけれども、高速道での対向車の見え方とはちょっと違う。新幹線のすれ違いでも、長い16両編成が非常識なほどあっという間に走り抜けて行くのを感じはするが、新幹線の場合には、聴覚的驚きが主なもので、相手車両があまりに至近距離であるせいか視覚に訴えるものは多くない。

思うに、地上の乗り物同士の場合、自身の周囲の風景も目に入るため、自身が前方に走っているという体感が残ることから、人は、逆行する側に対して純粋な相対速度では見ておらず、絶対速度を意識し、やや差し引いて速度を感じているということではないだろうか。

地上の乗り物に比べ、自身についても、また、相手についても、その絶対速度を体感することが少ない巡航中の飛行機同士では、相手の速度に対し、純粋に自身との相対速度を体感し得るということなのかもしれない。

今回の飛行機でのすれ違いは、比較的、低空であったし、東京湾入り口という場所から考えると、飛行機双方が、比較的低速で巡航していたのではないかと思われる。
速度が、せいぜい600km/h程度(これは、まったくのあてずっぽうですが、この場合それはどうでもいいのです。また、対空速度でも、対地速度でもどちらでもよいです。)だったとすると、このすれ違いで、自身の搭乗機から見た相手機の相対速度は、その2倍で1,200km/hくらいということになる。

この日見た相手機の相対速度が、本当にその程度のものだったのか、それ以上だったかはよく分からない。けれども、自身の目が感じた速さはとにかく途方もなく速かった。普段、真の相対速度というものを体感する機会が少ないための新鮮さだったのだろうか。

空はよく晴れ、飛行機の小さな窓の外は、空と海の分かれ目がはっきりしないほどに真っ青であったが、春霞の向こうに白い富士がぽっかりと浮かび、天地の境をかろうじて示していた。平和そのものの風景を背に、旅客機は視界を一閃して飛び去った。

※上画像内の相手飛行機は見難いですが、画像中央やや下で、陸と海の境い目付近です。ちょうど千葉県館山市の洲崎灯台が飛行機のすぐ背後方向になります。また、下画像は、それから即ズームして、1秒もかからず撮影してますが、相手飛行機は、もうここまで移動してます。下画像では、上記の洲崎灯台が白く確認できますね。Nd30020090221110756

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アウトリガー付きの漁船

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~南の島の異形の船~

先月のことであるが、八丈島を訪れた。

島は例年あまり天候の良くない頃である。天気予報の動向を見ながら、足止め覚悟で訪れた島は、幸いにして訪問時に限っては、本当に穏かな天候に恵まれた。

とはいえ、到着時にはまだ前日までの荒れ模様の気配が残っていた。聞けば、前日の飛行機は全便が欠航で、船などはここ数日間というもの来ていないという。自分たちが乗った飛行機も、羽田を出る時点では、まだ、到着できるのか、羽田引き返しとなるのかが、正直なところおぼつかない様子の航空会社側の案内だった。

そんな状況の中で着いた八丈島だが、島に着いて向かった海は、確かにまだまだ荒れていた。この日も本土からの船は港に着けないようである。

人気がなく閑静な漁港へ足を止め、海の様子をうかがった。確かに押し寄せる波は大きいが、地元房総で育った身である。時化の海を知らないわけではない。ただ、その荒れた波の大きさは、「何か変わった漂流物でも落ちてないかなあ」と台風の直後に訪れる時の、最高潮に荒れた地元の海のそれ並のレベルであった。

そして何よりも、見渡す限りの波浪の海は、まるで、この島自体が大海原に漂流する小さな船であるかのように、ゆっくり大きくうねっているようにも感じられた。

ところで、そんな海の迫力をしばらく眺めた後で、漁港内に陸揚げされた漁船を見かけた。しかし、初めに視界に入ったとき、すぐさまそれが漁船とは気付かなかった。なにしろ、その船には南太平洋などで使われて発展したカヌーの一種、アウトリガー・カヌーよろしく、アウトリガーを備えていたのである。

大きなカヌーかと思ってよく見ると、紛れもなく小型の漁船であった。しかも、その場に居並んでいる他の小型漁船を良く見れば、みなアウトリガーが付いているではないか。
こんな漁船風景は見た記憶がなかった。

船の本体の片側に、浮力体を張り出したシングル・アウトリガーの船体は、本船がそちら側へ倒れる方向に力が加わったとき、その浮力で抵抗し、本船がその逆側へ倒れる方向に力が加わったときは、その重量で抵抗するという仕組みにより、巧みに船体全体を安定させる。

私も、湖の静水でほんの遊び程度にカナディアン・カヌーに乗るのだが、その実、水が苦手なので、内心、カヌーにアウトリガーを付けたいくらいに思っている。

見渡す限りの怒涛の海原を見た直後である。風が吹きぬけ波浪に洗われることの多いこの島の風土には、きっと漁船にも船体を制御する上でアウトリガーが必要なのだろう。特殊な形状の漁船を突然目の前にしたが、この島の風土を思えば、すんなりとそう理解するほかなかった。

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アオサギが泳ぐ

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~見たところかなり自然です~

家から出てすぐのところ池があり、水辺にはたくさんの鳥たちが集まってきて楽しませてくれる。きれいでかわいらしいカワセミが一番の楽しみではあるが、カワウやダイサギなどの大型のものもなかなか楽しい。

常時この池で陣取っているアオサギが一羽いる。アオサギは、とても大きなサギで、この池にくる鳥では多分最大で、とても風格があるが、結構警戒心も強く、あまり近くまで寄って観察することはできない。

アオサギの「アオ」は灰色を指すらしく、体の背面はやや青味がかった灰色。体長が首を伸ばすと90cmくらいもあり、翼を開ろげると1.8mほどにもなる。ちょっとツルっぽい感じもあるが、首を折り曲げて飛ぶ姿はまさしくサギそのものであり、日本にいるサギ類の中ではもちろん最大である。

先日、カワセミを観察していると、アオサギのいつも陣取っている場所の近くで、ダイサギが景気よく餌を摂っていた。この真冬に小魚がいるのか。それとも泥の中から小虫をつついているのか定かではないが、こごんで水辺をつついてはゴクリ、つついてはゴクリと、なかなか採取の確率はいいようだ。

アオサギには、これが面白くないらしく、翼を大きく広げて近寄づいては威嚇し、ダイサギを追い払おうとする。ダイサギもアオサギよりは少し小さいものの、白鷺の中では最大級。いったん逃げてはいくが、すぐちゃっかりと戻ってくる。互いにバタバタと翼を拡げあっての大物同士の争奪戦は、見ごたえもあった。

そうこうしているうち、なにかの音に驚いたか、それとも私の姿を悟られたのか、ふいにアオサギが池の中心方向へと真っ直ぐ飛び立った。いつもはこのまま、対岸の樹の中ほどの枝に止まるのが常であるが、この日はちょっと経路が違う気がした。そして、あらら・・・あまりに思わぬことだったので呆然と見ていたが、池の中心付近に、水鳥たちのように降りてしまった。

アオサギは水辺というものなしには存在しないものの、シラサギ同様に水を泳ぐことはしない。水かきのない足を見ればそういう鳥でないことは明らかである。しかし、目の前で悠然と、ぷかぷかと泳がれてしまうと唖然とするほかない。

超望遠レンズ装着でカメラを構えていたし、飛んでいる姿をファインダーで追ってさえいたのに、水に落ちそうなのにびっくりして裸眼になり、問題の着水シーンでは、既に目が点になっていて撮れずじまいである。

アオサギが泳ぐらしいことは、ネット上などでも、目撃が取りざたされているようである。ひょっとすると長い足で、比較的浅瀬を蹴って動いているのではないかともいわれるようだが、どうも、今回目撃した着水地点あたりが、それほど浅いとも思えないし、すぐ近くをカワウが泳ぎ、潜水を繰り返していたくらいである。

だいたい水上での動きがあまりにスムーズであり、少なくとも、体重は完全に水に任せていて、かろうじて足の先が推進力を与える程度だけ水底まで届いている可能性を残すくらいで、むしろ、自力で水をかいて泳いでいるといった方が自然に見えた。

それにしても、当たり前に見える自然風景も、こんな風に、たまに驚かせてくれるものである。アオサギは暫しの遊泳を楽しんだ後、驚いたことに水から直接飛び上がり、再び飛んでいつもの陣地に戻ってきた。

「カワウといっしょに泳ぐアオサギ」「ダイサギを追い回すアオサギ」→四季の扉、九色の窓(アオサギって泳ぐんですね)

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小春咲き

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~初冬の枯れ野に咲くスミレを見つけた~

小春日和というのは、晩秋から初冬、月でいったら11月ごろの、天候が暖かくて穏やかな日をいうが、11月というと暖かな日もあり、急に寒くなる日もありで、特に外で活動するときには、暖かな日のありがたみを本当に感じて「小春」という言葉を使うのもよく分かる。

11月の半ばごろに寒くなり始めたとき、我が家の庭のあちらこちらで何株も育っているタチツボスミレの中の1株に、小さな蕾を見つけた。

スミレは、春以外にも閉鎖花といって、自家受粉で種を作る白緑色の開かない花をたくさん付けるが(→「夏のスミレの花」参照)、今回見つけた蕾は、その閉鎖花というものではない。春同様に、開けば紫系の花びらを開く花の蕾であった。

ここで、すぐに思い立ち、春にはタチツボスミレがたくさん咲く、近くの湖畔の斜面へと向かってみた。

そして、そこでスミレの株を端から端までくまなく見て回ると、案の定、3株ほど、紫色の花の蕾をつけたスミレを見つけた。

その後、何度となく開花する状態を確認しようと思ったが、週末に時間が取れるときに限り、悪天候ばかりで、つぼんだ状態かせいぜい半開きという状態までしか確認できなかった。また、家の庭の蕾は、残念ながらそのまましぼんでしまった。

12月に入り、気温は少々低くとも、陽射しの暖かな朝に、そろそろ厳しいかなとも思ったが、いつもの斜面を探してみると、スミレが見事に咲いていた。

さすが春の花。花の周りには暖かな春のオーラが出ているように思われ、陽だまりが一層暖かに感じられた。

広い野原で、見つけたのはたった2つか3つだけなのだけれど、もともと好きな花であるだけに、この12月の空の下で開くスミレの花を見つけられたのはうれしかった。

このように咲いた花を何と呼ぶだろうか。普通に使いそうな言葉では、「寒咲き」「返り咲き」「迷い咲き」「狂い咲き」「忘れ咲き」なんていう言葉も浮かぶ。

それぞれ、いろいろなイメージが織り込まれた味わいのある言葉で尊重したいが、今回スミレを見つけたときの私の印象を言葉にしたら「小春咲き」という言葉が勝手に出てきた。

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ツマグロヒョウモン

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~以前は迷蝶だったのだが~

昨日の朝、アザミの花を眺めていると、ふわふわとやって来たツマグロヒョウモンの雌に出会った。珍しい蝶に出会ったものだと思ったが、その日のうちに、別の場所で2回見かけた。また、今日も2回見た。

ツマグロヒョウモンは、雌雄で翅の模様が大きく異なる蝶で、特に雌の色模様は素晴らしい。そして、本来は南方系の蝶であって、私の住む千葉県には、少し前までいなかった蝶である。

鮮やかな雌の色模様は、やはり南方系の蝶で毒をもつカバマダラに擬態しているとされているが、私の感想としては、カバマダラの毒による捕食防御効果さえ怪しいと感じている(→八重山を歩く(4) 八重山の蝶)のに、それに擬態する必要性となると、かなり怪しいような気もするのだがどうだろうか。

まあ、それはともかくとして、雌の翅のオレンジ~スミレ~白の地に黒紋の色模様は文句なく美しいと思う。なお、前記事のメスグロヒョウモンもそうだったが、このヒョウモンチョウも性的二形を示し、雄の翅は、オレンジ地と黒紋だけの典型的な豹柄である。ただ「褄黒豹紋」の和名が示すように、後翅の外縁に黒い縁取りがやや特徴となる。

さて、この蝶の分布域はかなり広く、アフリカ北東部から東南アジア、オーストラリア、そして日本など東アジアにまでというふうに熱帯から温帯域にかけてである。ヒョウモンチョウの仲間は比較的涼しい地方に分布するほうが多いと思うが、このような南方系の分布もこの蝶の大きな特徴だろう。

そして、日本では、南西諸島に多く分布し、九州、四国のほか、本州では紀伊半島あたりまでというふうに図鑑などでは記載されていて、稀に関東で見ても迷蝶という扱いだった。しかし、どうもこの20~30年くらいの間に急速に生息域を北上させ、ごく最近では栃木県など北関東でもほとんど定着してきているようなのだ。

北上の原因などは、そう簡単に判るものではないと思うけれども、一般には、幼虫がスミレ類を食草とし、園芸種のパンジーなどでもよく食べることから、こうした園芸植物の出荷によって分布を拡げたのか、又は、単純に地球温暖化の影響などという憶測がよく見られる。

私は、そうした人間の影響よりも、この美しい蝶が、主体的に勢力圏を広げ、自らやってきたんだと信じたいのだが。

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メスグロヒョウモン

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~蝶の中では際立った性的二形~

すっかり秋が深まって、朝夕にはほどほどの冷え込みが感じられるようになった。あたたかなこの地方だから、日が射してくれば、たちまち暑いもといえるほどになるので、まだ冬の気配というには遠いのだが、休日朝の林の散歩が気持ちいい。

散歩の帰り道を辿る頃、日も十分に高く昇って気温は上がり、赤トンボやシジミ蝶やアブも飛び始めた。
すると、茶色というのか暗褐色というのか、ともかく暗い背景にくっきりと白い条を浮かび上がらせたやや大きめの蝶が、ふわりと目の前を飛んでいった。

その姿に、すぐにオオイチモンジの名前が浮かんだ。しかし、このあたりにオオイチモンジがいるということは多分ないし、時期も違う。

直後、その蝶はふわりと近くのアザミに止まった。けっこうな大きさがあるので、動作も翅の文様もとても優雅なものに見える。

蝶の翅をよくみると、イチモンジ、フタスジ、ミスジといった暗褐色に白条の蝶のグループとは、スジの形がどうも違うことがわかる。この蝶はヒョウモンチョウの仲間なのである。

ヒョウモンチョウといえば、もちろんオレンジ色に黒い点の「豹紋」がトレードマークなのであるが、この蝶は、オスが普通のヒョウモンチョウの仲間らしい姿であるのに対し、雌はイチモンジチョウのような色模様をしているのである。

それにしても、この優雅な姿の蝶に、あまりにダイレクトな名前は、やや興ざめる気もするが、「メス黒」であるのは確かである。いわゆる「性的二形」というやつだ。

「性的二形」というのは、一般に雌雄の第二次性徴の差がはっきりしていることをいう。つまり生殖器以外の部分での雌雄差が大きいことである。

カブトムシや鹿などのような角を持った生物などが一番分かりやすいだろうか。
様々な生物に見られるものではあるが、蝶としてはメスグロヒョウモンはかなりはっきりしている方といえるだろう。

じっと見ているうちに、やがて蝶はふわりと舞い上がって、林の樹木の上のほうへと姿を消していった、あたりは光が消えたようにまた静かな林に戻る。10月も下旬に入り、こうして蝶を頻繁にみることのできる季節も終わろうとしている。しばらくは、林の散歩道も静かな道となるだろう。

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秋分の日

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~さすがヒガンバナ、彼岸の中日に満開~

彼岸の中日、秋分の日となって、歩く道々の風景がすっかり秋らしくなったと感じる。

秋分というのは、ご承知のように昼夜等分の日、太陽が天の赤道を北から南へ横切って行く日であって、暦の上で重要な日である。

しかし、暦といえば、みなさんはこうは思わないだろうか、秋分は秋のど真ん中というけれど、秋なんて始まったばかりじゃないかと。

日本の暦は、何ともせっかちすぎると思うのだ。
つい先日まで、ジリジリとアブラゼミが昼に大合唱し、真の盛りを過ぎたとはいえ、暑さは真夏とほとんど変わらなかったのだが、今はコオロギなどの虫たちの涼しげな声が聞こえる夜は、すっかり凌ぎやすくなった。
様々な部分で、ああ、秋が始まったなあというべき環境が整ったのはほんのこの数日だと言えるのではないか。

日本の暦は、春分、夏至、秋分、冬至という、太陽の位置の基準日を季節の真ん中におく。しかし、これが季節感と暦の不釣合いの元である。確かに、そのようにすれば、太陽の南中高度(お昼ごろの見た目の高さ)と、これにともなう日光の明るさは、これをグラフにでも描けば季節とキッチリマッチする関係になるだろう。

しかし、季節=自然環境は、主に気温に支配されて移ろうというべきであるし、その気温(一日の平均気温)というものは、太陽に温められて徐々に温まり、また、冷えて行くのも遅れてゆくのであって、結局、太陽の位置基準からみると、一月半くらいピークが遅れるのである。

このため、暦と実際の感覚との差異をみると、暑さの絶頂時にいきなり秋が始まってしまい(8月の立秋)、秋らしくなったなあと思ったら、それはもう秋の真ん中で(9月の秋分)、もう一月半すれば立冬だ。

俳句など、風情を求める世界では、少しづつ密かに始まる次の季節を探すことも、大きな楽しみの一つといえるだろうけれど、私の感覚としてはどうも馴染まない。

洋の東西の好き嫌いではなく、暦については、西洋暦のように、春分、夏至、秋分、冬至という、太陽の位置の基準日を、季節の真ん中ではなく、初めとし、秋分は秋の始まりとしてもらいたいものである。

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