シャボン玉の映り込み(その2)

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~合成された点対称~

シャボン玉に歪曲しながら凝縮された映り込みは、なぜ点対称の像となるのだろうか。
夕空に浮かぶシャボン玉の色の美しさに見とれながらも、その妖しく歪んだ不思議な映り込みの理由に頭をめぐらせてみたが、答えとまでいえそうな確かなものにはたどり着かなかった。

まず、考えられることは、シャボン玉の球体には上下ともに同じく空が映っているのだから、決して単一の面で反射された1つの像ではないといえるだろう。つまり、シャボン玉全体としては、同じものが2つ映っていて、その2つの像は、それぞれ別の場所で反射し又は別のルートを通ってきた光が合成されて見える像であるはずだということだ。

そして当然考えなくてはならないのは、その2つの像をなす光のルートはどのようなものだろうかということになる。この記事の(その1)で、シャボン玉の虹色迷彩の反射に簡単に触れたが、その説明からいうと、シャボン玉は膜の外面と内面でそれぞれ光を反射しているということになるから、この美しいシンメトリー風景は、それら2つの面で反射した像の合成ということになるだろうか。

いやいや、これでは、最後の詰めの点対称を説明できない。この場合にできる2つの像は、その位置がずれても上下左右が入れ替わるような関係にはないだろう。

では、どう考えたらよいか。
ヒントとなりそうなのことの一つは、「2つの像は一方が正立像で、もう一方は倒立像である」ということである。正確には、正立像の方の像の向きは普通の鏡と同様に上下は同じで、左右も自分に対して同じ(向かっての左右でいうと逆になる)像であるから、正立像だけなら、金属の球に写った像とだいたい同じものと考えてよさそうである。そして、倒立像の方は正立像に対して上下、左右とも倒立している点が見逃せない。

もう一つヒントとなりそうなのは、近くで観察すると分かるのだが「正立像はやや小さく、倒立像はやや大きい」ということである。そして、シャボン玉に寄って撮った写真を見ると、2つの像のピントには若干の差がある(これらは、上の写真でシャボン玉中央に写っている私の姿で確認できる。倒立像は小さくシャープだが、正立像はそれよりやや大きくて少しボケている)。

これらから考えると、写っている対象(自宅住居)から私の目までの光の経路中、光が反射した数は奇数と偶数の違いがあると思われる。そして、おそらく正立像のほうは、球体の自分に面した表面1回の反射だろう。また、倒立像の方はたぶん2回反射した光と思われ、光の経路を私の目から逆に辿ると、シャボン玉の球体の膜のうち、自分に近い表側の膜を通過し、球体の中に入った後に裏側の膜の内側を2回反射し、再度表側の膜を通過して自分の背後へと向かうということになるのではなかろうか。

しばらく考えて見たが、頭だけで思いつくのは、この辺が限界である。ちゃんと理詰めで考える力があれば、すぐ分かるような気もしてきたが、残念ながら今の私には、その理詰めをする力がない。しかし、もう少し自分だけの宿題として楽しんでみようと思う。

夕日が落ちて闇の迫る薄暮の時間、シャボン玉も次第にその色を失っていった。

前記事→シャボン玉の映り込み(その1)

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シャボン玉の映り込み(その1)

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~点対称の夕空の謎~

夕暮れ近く寂しい空気が漂う時間、サンダル履きで庭に降りてぼんやりとしていると、どこからともなく、浮遊物がやってきて目の前をゆっくり過ぎてゆく。シャボン玉だった。

シャボン玉のやって来た方を見れば、庭石の上に裸足で降り立った私の娘が、しみじみとシャボン玉を飛ばしている。幼少の時分からシャボン玉好きではあったが、いまやもう女子高生である。年月の流れは早いもの。私自身のことについては少々焦燥さえも覚えなくもないのだが、自らの口許から次々送り出される透明でいて迷彩色を放つ球体を追う彼女の瞳には、幼少の頃と何も変わっていない懐かしい光があった。

シャボン玉が妖しい虹色迷彩を放つことは、誰しもその目で見知っていることだと思う。虹色のできる理由は、別の角度で入ってきた光が球体をなす薄い膜(この厚さが光の波長程度のとき虹が見える)の外面と内面のそれぞれで反射されて、人の目には同じ方向で入ってくるとき、波にズレがあるために、相互の光の波が干渉を起こすということによると説明される。
もっと正確で詳しい話まで突き詰めたら、かなり難しい話でもあるが、大雑把になら全く理解できないということもない。

目の前を通りすぎてゆく大小の迷彩球を、私は左から右へと次々見送っていたが、やはり、光が横から射す朝夕の光というのはドラマチックである。それらの球体は、迷彩の向こうに夕暮れ迫る空のオレンジをも映し込んでいた。

そして、私に驚きと疑問を与えてくれたのは、そのオレンジの空にさらに黒く浮かび上がる我が家のシルエットだった。球体であるシャボン玉に魚眼レンズを覗いたように歪んだ景色が映り込むのは想像にかたくない。むしろ自然である。けれども、シャボン玉の下半球に映っているのは、暗い庭の景色ではなく上半球に映っているのと同様にオレンジの空と我が家のシルエットである。

しかも、その映り込みに浮かび上がる我が家のシルエットは、上半球と下半球では正反対の像であり、上下の像は点対称の関係にある。いったい、これはどういうことなのだろうか。

考えるのはともかく後にして、しばし私はこの美しい像をただ眺めていた。娘はあいかわらず次々と大小の美しい球体を送り出し、私は凝縮されたシンメトリーの夕空を追い続けた。(→つづく

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晴天の旅行者(ツチグリ-その2)

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~繁殖適地を求めて~

ちょっと変り種のきのこであるツチグリが、「晴天の旅行者」と洒落すぎた名前で呼ばれることを昨日書いたばかりである(→ツチグリ)。しかし、昨日の朝に見かけたツチグリのうち1つを庭に転がしておいたところ、今日になってそれを眺めていて、おや?と考えさせられたことがあったので、ちょっとだけ追加して続きを書いておく。

それは、このきのこが、このように乾湿によって丸くなったり開いたりして移動するのには、より主体性があるのではないだろうかということである。

昨日まで理解していたことは、このきのこは、胞子が風に乗りやすい晴れた日に自ら胞子を吐き出すという術を持ち、また、自らの本体さえもときおり移動して繁殖地を広げる能力も備えた、二重の繁殖システムを持っているということだった。

けれども、昨日、庭のやや日陰となる木の下に転がしておいたツチグリが、今日は小雨模様の湿った天候にもかかわらず、丸くなって転がりだしていた。おや、これは晴れ、雨というよりも、乾燥地での繁殖を嫌っているのか?という疑問が湧いた。

昨日ツチグリを転がしておいたところは、少し日陰になる所が無難かなという思いもあって木の下にしたのだが、確かにカラカラではないものの雨が降り込まない。そして、今日は小雨の天候であるのに、湿ることなく写真のように丸くなり始め転がりだそうとしている。

今日の様子を見て思うに、このきのこは、胞子を出す場所として、できるだけ湿り気を得やすい場所を選んで、より主体性をもって移動しているという可能性も十分あるなあということ(もちろん、結果的な話であって、意思でそうしているというのではないのだが。)。

つまり、上記の二重の繁殖システムは、単純な二重ではなく、湿り気のあるところへ自ら移動し、そこで胞子を出すというように、2つの能力が相関関係を持って機能するより完成されたシステムなのかもしれないなと、独りで感心してしまった次第である。

庭にはアミガサタケも顔を見せていた。

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ツチグリ

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~晴天の旅行者「毒ガスふぅふぅ」~

なたね梅雨ともいわれる春の長雨が続く。芽吹き始めた植物たちは、この雨の間にみるみる育っている。ほんの少しだけの日数目を離していただけであるのに、野に出てみると驚くほど様子が変わっていたりするものである。

さて、そんなこの時期であるが、今朝散策に出た野でツチグリの姿を見つけた。ツチグリは主に夏から秋に、山道や林道の際や崖などによく見られるきのこの一種であるが、この春に適当な気温があり長雨もあって環境が整っていたのだろう。

小さなうちは、黒っぽい球体であり、成熟してくると二重構造となっている外皮の部分が、上から放射状に裂けて星形に開かれ、中に薄皮に包まれた球状の袋が現れる。

球状の袋はてっぺんに穴があり、中には成熟するとこげ茶色になる胞子が出来るが、この状態での星形の外皮はなかなか機能的である。

この外皮は、湿っていると開き、乾くと閉じて球状となる。このため、ツチグリの英名は「星形の湿度計」という意味の「Astraeus hygrometricus」というくらいであるが、それだけでなく、閉じたときに球状の袋を押しつぶすために、袋の中の胞子を袋のてっぺんの穴から飛散させるという、能動的な仕組みになっているのである。

いたずらに指で球状の袋をつつくと、まるでガスでも吐き出すように胞子を吐き出すのが見ていて楽しく、我が家の子供たちが小さな頃には、ツチグリを見かけるたびにつんつんとつついて遊び、ツチグリのことを「毒ガスふぅふぅ」と呼んでいたのが思い出される。いや、我が家では、いまやそれが標準名となってしまったのであるが・・・

さらに面白いのは、晴れて乾いた時に外皮が閉じると、全体として球状となるため、強めに風が吹けば地上を転がって自身が移動するのである。そして移動先で湿気を帯びれば、またそこで根を下ろすかのように、星形に外皮を開いて安定する。

このように晴れた日になると移動する様子から、ツチグリのことを「晴天の旅行者」とも呼ぶようである。ロマンチックな名であるが、ちょっと洒落すぎな感もある。ほかには柿の実が地にあるようにも見えるためか、土柿(ツチガキ)の別名もある。

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畦塗りと蛙の声と

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~コロコロという声はどこから聞こえる?~

わが家の家のすぐ目の前から、道を少しだけ下ったところに田んぼがあり、普段から周辺で季節の写真を撮ることも多いので、田とのなじみは四季を通してとても深いものがある。

桜が散るころ、そろそろ晩春といえるこの季節になると、もう田には水が張られているが、その水を漏らさぬように、そして、通路としても使えるように、あぜ道は毎春きっちりと作り直されている。

畦はご存知のとおり、粘土質ぎみの田の土をコンクリートよろしく塗りつけ固めて作られるのだが、近年ではトラクターに装着して使用する畦塗機なるものがあって、旧来のように人の手による鍬での作業ということは少なくなったようである。

それでも、いつもの田を歩いていて、真新しくなった畦を見れば、春になったなあと強く感じさせられるし、それにもまして、畦が新しくなると、いよいよこの畦の周囲を中心に蛙たちの活動が急に著しくなってくるのが楽しみである。

「畦」と「蛙」の字は、つくりが同じく「圭」であり、この関係は、「圭」が土盛などを表す字であるようなので(昔の中国で「三角に盛る」ことを圭と表すらしい)、やはり、あぜとカエルが関係ありと考えるのが自然と思われるものの、はっきりはしない。しかし、少なくとも現実のあぜとカエルは大いに関係がある。

今年も、田んぼの土はひっくり返されて、畦塗りを終えたばかりの新しい畦の周辺からは「クワックワッ」というアマガエルと「コロロコロロ」というシュレーゲルアオガエルたちの声が、風に心地よく流れ始めた。

シュレーゲルアオガエル

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北斗七星

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~春の宵空高く輝く七つ星~

春、いまごろの宵空には、北斗七星が北の空高くよく目立つ。ちょうどひしゃくをひっくり返し、北極星に水をかける形だ。

北斗七星は、昔の中国の星宿(星座のようなもの)を形成する7つの星の一団であるのだが、非常に知名度が高い。

日本で一般には、占星に関わる12星座(天文的には黄道12星座という。)の名はよく知られるが、それ以外の星々のまとまりの名称の中では、最も広く知られた名称のひとつだといえるだろう。

もっとも、黄道12星座の場合、名称は知られていたとしても、実際の星空での姿となると、よく知られている星座ばかりともいえないので、実際の姿を知っているという意味でいったら、全天でも片手に入る認知度の高い星々の一団といえるだろう。おそらく、憶測ではあるが、北斗七星はさそり座、オリオン座あたりと並んでベスト3くらいなのかもしれない。

天文学上の「星座」の世界標準は、国際天文学連合定義の88星座であり、北斗七星は初めに書いたようにその星座ではない(北斗七星はおおぐま座の一部になる。また、中国の星宿には、ほかに「斗」(南斗)や五車などが有名どころ。)。にもかかわらず、北斗七星が人々によく親しまれているのは、7つの星がそろって明るく、形もよく整っていて見やすい上、文字の持つ響きやイメージも印象深いことが要因だろう。

古来の日本においても、北斗七星は、七つ星又は四三星などという名で呼ばれたとされており、やはり同じ7つの星で一団と捉えられていたようで、このあたりからも目立つ星の固まりであることが分かる。ちなみにさそり座、オリオン座なども、同様に釣り針星、鼓星というような名で現在の星座と同様に一団とされていたようである。

私も初めて星の並びを覚えたのは、初夏の宵に北西の空に下り始めたこの7つの星たちだった。また、それだけではなく、幼かったその当時に、その名を聞き、かつ、星空の中に直接に姿を見たことが、その後、星、天文という世界に非常に強い関心を持ってゆくことになるきっかけとなったのだろうなと思う。

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クロヤマアリとナナホシテントウ

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~相手を見るなりアリが襲い掛かった~

春の野は、いろいろな植物が次々と芽を出しては花開き、昆虫や小動物も姿を現わし始めるから、その変化からなかなか目が離せない。

目覚めの季節、野の草を観察していたら、暖かな陽射しに元気になったナナホシテントウが、あちらこちらのカラスノエンドウの上で活発に動き始めている。

早速カメラを構える。テントウムシの飛び立つ写真、結構見かけるものだが、いつも狙っていてもなかなか撮れないものだ。と、ふとすぐ手前に生えているヒメオドリコソウの花の上にクロヤマアリがいるのを見つけた。

クロヤマアリは、アブラムシの排泄物の甘露を餌にするため、飼育するように保護しているから、アブラムシを餌にしているナナホシテントウとは利益相反関係にあり、ここで何かが起きるだろうか?

そう思っている間もなく、クロヤマアリはスルスルっとヒメオドリコソウを降りて、隣のナナホシテントウがいる草に上りはじめた。そして真っ直ぐナナホシテントウに掴みかかって、あっと言う間に弾き飛ばしてしまった。

勝負は約1秒。これには、ちょっと驚いた。クロヤマアリは、サムライアリに奴隷にされたり、他のアリとの攻防をみても、それほど好戦的なアリとは思えないのだが、本能的な行動なのだろうか?

もっとも、不意の攻撃にあったナナホシテントウは、例によって手足を丸めて亀の子状態。応戦することもなかったのだが。

(戦い前の両者の姿→四季の扉)

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内惑星

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~水星と金星が並んだ明けの空~

いつものように朝の床から出てすぐ、部屋のベランダへ出てみると、東の空低く家並のすぐ上に仲良く2つの輝星が並んで見えた。まだ寝ぼけまなこではあるが、水星と金星の姿であることは間違いない。

少し前の月初めには、金星は明け方の空のもう少し高い位置にあった。そして、いまも東の空にある木星が当時はもっと低い位置にあって、その2つの惑星が並んで輝いていた。そのときは、少しして月もやってきたため、なかなか賑やかであった。

水星と金星は、地球より内側で太陽を回っていて、このことからこの2惑星を「内惑星」ともいうが、そのために火星や木星など地球の外側を回る他の惑星とは違って、見かけの位置が太陽からそれほど離れることはなく、いつも明けの東の空か宵の西の空にしかその姿を見ることはない。

それでも金星の方は、水星と比べ、地球のすぐ内側を回っているので、太陽から最も離れる時の角度(最大離角という)は水星の28°に対し、47°とずっと大きくて、日の出、日没のそれぞれ直前直後には、空の中空近いあたりまで太陽から離れるため、空に見えている時間も長いし、空が暗いうち又は暗くなってからも見えているので、我々が目にする機会はずっと多い。

まして金星は、通常において太陽、月に次いで、全天で3番目に明るくなる天体である。星状に見える天体としては全天一の輝きだからこそ、明けの明星、宵の明星といわれて親しまれていて、金星であるということを意識して見ているかいないかはともかくとすれば、金星を目にしたことがない人はおそらくいないに等しいと思う。

これに対して水星は、見た目の明るさが決して暗いわけではないのであるが、太陽から最も離れて見やすい時期であっても、朝夕いずれかのごく短い時間に低空でしか観察できないため、とにかく見る機会が少ない。

少し前、1月半ばごろだったか、NASAの水星探査機「メッセンジャー」から送られてきた、水星表面の近接画像をご覧になっただろうか。水星の新しい近接画像というのも、私が子供のころ以来であるから、ずいぶん久しい話である。

1974~75年に水星に近付いたマリナー10号が、その過去の水星接近探索で唯一の例であり、今回のメッセンジャーの探査はまだ2回目の水星探査機接近であって、今回の任務が遂行されても、まだ、撮影できていない表面部分は残るというのは意外ではないだろうか。水星の自転と公転の周期は3:2であり、太陽に照らされた明るい面をくるくると回って見せてはくれないのである。

月が替わる頃、この2つの内惑星はもっと接近するようなのでこれから数日は毎朝の起きる楽しみにしておきたい。また、今月初めと同様に、今回もまた、もう少し日が経つと月がやってくるから、明けの東の空は、月、水、木、金と賑やいだ空になるだろう。

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