ほんとの星空

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~安達太良山の星空~

凍てつく冬の星空は美しい、冬の夜空は、他の季節の空よりも明るい星が多くて賑やかでありながら、その突き抜けるような鋭い光は、放射冷却の空気を一層冷やすようにさえ感じる。

コートの襟を立てて歩く夜の街で、星空を見上げることなどあまりないのだけれど、ちょっと一杯飲んだ帰りなど、気まぐれにたまに見上げてみると、夏よりは星が幾分たくさん見えているような気もする。けれど、やっぱり街の空はほんとうの空ではない。2等星か3等星くらいまでしか見えないから、きれいに星座が結べない。やむなく、見えていない星まで星図の記憶をたどって頭で補正して見ているような気もする。もちろん星雲星団なんていうのはほとんど見えない。

季節は問わないが、山中で星空を見たことはおありだろうか。それは本当に降るような星の数であり、しばらく空を見上げていると、自分が星空の中に取り込まれてしまったような錯覚さえ起きる、圧倒されるほどの星の数である。むしろあまりにも星がたくさん見えすぎて、どこがどの星座か見失ってしまうくらいだといっても大げさではない。

もし、星座を結ぶだけが目的だったのなら、いつも見慣れているように、ほどほどに暗い郊外の空あたりで、ちょうどいいのかもしれない。いや、それは、夜空が人の放出する光で満たされ始めた以降に自分が育ったからなのだろう。本当の星空を知らずに育ったとまではいわないが、すっかり人里の夜空に慣れてしまっている。

本当の星空・・・空が明るくたって暗くたって、空そのものが偽物であるわけではないけれど、やっぱり澄んだ星空がいい。庭先で寒空を見上げながら、「やっぱり、冬の夜空は一つ一つの星の光に力があって、格別だなあ。」なんて感想をもらしながら、いつか磐梯の安達太良山で見た冬の星空を思い出した。

安達太良山には、「ほんとの空」があるという。その安達太良山を前にして頭上に見上げた満天の星たちは、やはり降るように瞬き、星座が結びきれないほどに数多く瞬いていて素晴らしかった。

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月食の色(ダンジョン・スケール)

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~茜色の皆既月食~

昨晩は、すばらしい皆既月食を眺めることができた。
東日本を中心に晴れ間に恵まれたようで、我が家の周辺でも低空には薄雲も見られたが、うまい具合に月のある天頂付近にほとんど雲がなく、高い位置で起きる好条件での皆既月食を堪能できた。

月食は日食と並んで注目度の高い天文現象ではあるが、皆既日食の地域限定性と視覚上のインパクトからすると、皆既月食といえども、やや地味ではある。
とはいえ、やはり、そうそう目にするものではないから、非日常的な感動があるし、まして、久しぶりの好条件。皆既前の欠け始めからじっくりと眺めさせてもらった。

本当に頭の真上のような高い位置にある月が、どんどん欠けて行き、明るい部分がなくなると、月は、極めて暗くなるものの、見えなくなるわけでなく、なんともいえない色合いを呈していた。
昨晩の皆既食中の月の色は、私には少し明るめの茜色に見えたが、同じ月を見た方はどう見えただろうか。

月食は日食と違い、観測地によって欠ける時間や見え方が大きく変わるようなことはない(もちろん、月が地平線近くに見える観測地では、暗く赤くなりやすいという違いはあるが)。上の写真は、我が家(千葉県)から見た皆既月食であるが、日本国内で雲がないところでは、同じ時、同じように見えたはずだ。

この赤っぽい色加減は、地球の大気状態が大きく影響を与えて変化するとされている。大気状態とはいっても、月の光が我々の眼に映るまでの間の大気の影響ではなく、月を照らす光源についての影響の方である。

仮に地球に大気がない場合、地球の影はただの真っ暗闇になるから、その影に入った月は、ほとんど見えないはずだ。しかし、実際には地球に大気があるため、そこを通過する太陽の光が少々内側にも曲がり込み月まで届く。地上でも大気があるから、日が沈んでもしばらく明るさが残るのと似ている。ただ、地上での夕日の色がそうであるように、大気を斜めに長く通過した光は、青い光が散乱で失われ、赤っぽくなるというわけである。

つまりは、この色の正体は、地球の夕焼け色が月に映ったものということになる。
そして、大気の状態によって変化するというのは、地上の火山噴火等の影響で、大気中の塵の量が変わると、通過光量や発色に影響するということである。

この色加減については、フランスの天文学者アンドレ・ダンジョン(1890-1967)が、独自に用いた尺度「ダンジョン・スケール」が、皆既月食の色を表すのによく使われている。

ダンジョン・スケールは、暗いほうから、黒、褐色か灰色、暗い赤、明るい赤、オレンジ、という5段階に、それぞれ0~4の尺度が割り振られるが、月の色や明るさは、目で見ても分かることである反面、数値化は個々人の感覚になるので、色見本でもみておいたほうがよさそうだ。

ところで、月食の赤っぽい色は、日没後の残照に少し照らされた顔と似たようなものということになるわけだが、ひとつ大きく違うのは、月は大気の中にはいないということである。
皆既月食のとき、月面で見る光景はどんなものなのだろうか。
月には大気がないから、地上で見上げる夕焼け空のような色付く空はない。真っ暗な空に地球が浮かび、その地球の周囲のごくわずかな薄い大気の領域が、リング状に赤々と結構な明るさで輝いてでもいるのだろうか。
その姿は、赤くて少し暗い金環食(日食)みたいな感じをイメージしているが、一度、画像でもいいから見てみたいものだ。

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落トンボ

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~11月の沈む夕陽に~

11月ともなると、野山はすっかり寂しげな色を呈し、草むらに踏み入ったときの枯れ草の匂いや、驚いて飛んでいくイナゴやバッタの姿、風もないはずの静かな林にカサカサと落ちる枯葉の音に、ああ秋も深まったなあと思わずにいられない。

そんな晩秋の野原にも、まだ、アカトンボの姿を見ることができる。赤とんぼと呼ばれるアカネ属のトンボたちは、思いのほか秋遅くまで、あるいは初冬までその姿を見ることができる。

秋真っ只中の10月には真っ赤に染まっていた身体も、秋が終わりを告げるころには、赤ワインのような深く沈んだ濃赤となり、翅もあちらこちらが破れている。

夏に羽化した頃は、まだ若く機敏で、少し近づいただけでも、さっと飛び立ち近寄りがたいが、このころになると、重ねた経験の余裕なのか、気温が下がって代謝が低下しているからか、事情はわからないが、かなり近づいても逃げたりせず、何だか歳で気力が低下してるようにも感じさせる。

繁殖期も終え、次世代へ命を繋ぐ役目を無事に果たした彼らには、残された日々をゆるりときままに過ごさせてあげたいが、さして遠からず冬が来る。

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霜凪

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~強風の夜に霜柱はできるだろうか~

朝、盛り上がった土を蹴飛ばすと、キラキラ光る銀の針がザラザラっと現れる。小学校のころの冬の朝には、いつもこうして、あちらこちらで枯れ草に霜の降った白い野原で、霜柱を蹴飛ばしながら登校したものだった。

霜も霜柱も、同じく氷であることに違いはない。しかし、霜柱は地中の水分が上ってきて凍り、霜は大気中の水蒸気が地表で氷結するものであるというように、同じ氷とはいえ、その生成に際して元の水の出所にはかなり違いもある。では、果たして、これらがそれぞれ生成される気象条件というのはどうだろう。一見すると、さほどの違いはないようにも思うのだが、どちらも一定の温度条件さえ整えばいいだろうか。

この点については、一方は空気、一方は土という違いが、何にどう影響されるかということになろうかと思うけれども、温度以外の条件では、経験的に風があるとたぶん霜は降らない。では、風があると、なぜ霜ができないか。また、土の中の霜柱もできないのだろうかというあたりがポイントになるかもしれない。

「霜降る夜に」などというが、霜がよくできるのは、放射冷却の強い夜である。放射冷却というのは、地表物の熱が赤外線として天空へと放出されていき失われることで冷えるものである。だからそれが起こり易い夜というのは、よく晴れていることはもちろん、風は穏やかで無風に近い必要がある。風が吹いて地表より少し上の冷却されていない空気が地表の空気に取って代わる、つまり、かくはんされると、地表が温められることになるからである。

このような放射冷却は、気象的にみると、広く高気圧に覆われた中心付近にあるときに起きやすい。高気圧の中心付近は、よく晴れるし、風もなく絶好の条件が整うことが多いからである。そして、このように高気圧に覆われて穏やかな冬の夜を「霜凪(しもなぎ)」という。まさに、霜のでき易い夜をよくあらわした美しい響きの言葉だと感心する。

とはいえ、これも一面であって、葉物を扱う農業では、霜凪は決して歓迎されるものではない、対処をしないと死活問題ともなる。東海道新幹線や東名高速を走る車の車窓から、静岡県内でよく目にする茶畑のファンをご存知だろうか。あれは、こうした霜凪に対処するために設置された畑の空気かくはん機であるわけだ。

結局、こうして考えてみると、気温がそれなりに低くても、風のある夜は地表の温度が下がらないため、霜ができにくいということだから、同じく風のある夜は、霜柱もまたできにくいように思われる。しかし、更にずっと寒い時、風が吹いて空気がかくはんされようがされまいが、空気全体が氷点下であるというような、厳しい寒さの中ではどうなのだろうか、厳冬の地に育っていないので、そのあたりは正直なところよく分からない。周辺の空気に対し、地表だけが冷えているのでないなら霜はできなそうだが、霜柱のできる地中は、少し違うような気もするのだが、このへんは、また、後の課題としておこう。

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夢のはなし

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~これはただのカラスウリ~

元旦の夜の夢は「初夢」、しかし、今年はどうも記憶に残っていない。

歳を重ねるごとに夢を見なくなったのか。そう感じるだけで、起床後まで覚えていられなくなったのか。どちらにしても、最近はあまり印象深い夢を見た覚えが少ない。若い頃は夢を映画のように楽しんでさえいたくらいだったのだが。

・・・落葉樹に囲まれつつ少し開けた山中の野原、一陣の風に落ち葉がにわかに舞い、どこからともなく朱色に色づいた、ラグビーボールのような見覚えのない「樹気の実」という名の木の実が、回転し浮遊しながら飛んできた・・・

少し前に見た夢の中の一場面である。私の脳が勝手に創出した夢の話などなんの意味もないが、久しぶりにとても鮮明で強いイメージを残す夢だった。夢というものに、外部から直接リアルタイムのデータが入り込む要素があるとは思えない。だから、見たことも経験したこともないような夢の場面であっても、それは意識の内外を問わず、自分の脳裏のどこかのメモリーに蓄積されたものが引きだされたり、紡ぎ合わされて創られたものと考えざるを得ない。

そうすると、私が見た「樹気の実」とは、今の自分に内在する、どのような意識・記憶が何を表現するために創りだしたものなのだろうか…などと考えてみたりもするが、もちろんそれが何であるのかは解らないし、分かったところでどうなるわけでもない。

けれど、いずれにせよ、人の脳の働きは、いろいろ不可解で面白いものである。

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初日の出と灯台

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~犬吠埼の灯台と初日の出~

元旦といえば初日の出。離島を除く平野部では日本一早いといわれる犬吠埼からの初日の出ならば、千葉に居住しているので、幸いなことにこれまで何度となく見てきた。

冬の関東はよく晴れるのだけれども、日が昇ってくる東の海上の水平線近くの空には、たいてい雲があるのが相場である。北西から山を越えて吹いてきてからからになった風が、平野部を抜け海上へ去った後、再び海から水蒸気を得て雲を発生させるのだろう。

だから、犬吠埼で初日の出を何度も見たといっても、正確な日の出(参照:日の出時刻と・・・)ではなく、ほとんどが水平線近くの雲の上に、最初に太陽が顔を出した「初御来光」といったところだろう。

犬吠埼など、初日の出の見所といわれる場所は、このときばかりは驚くほど人が集まりびっくりする。十数年前、私が犬吠埼燈台の近くに住んでいたときは、穴場の高台を見つけて家族だけで悠々日の出を見たものだが、そこから見下ろした海岸に沿ってびっしり人が連なっていたのには驚いた。

そこまで、たくさん集まらなくてもという気もしてくる。ドライに考えれば「初日の出」と特別な呼称をするけれども、日々の日の出と何も違いはない。日の出時間も、日の出位置も、日々わずかに変化してゆく中で、前日と翌日の差の間の値になるだけのことである。

けれども、日の出というのは、それだけでも見ていて気持ちが入るもの。何か心に沸き立つものを感じるもの。だから、気分が一新する新年最初の日の出ともなれば、重視されるのも無理からないことだろう。したがって、初日の出というのは、特に注視すべき現象という類ではなくても、宗教的意味も含めた人の心の中で、特別に意識される現象であるわけだ。

ところで、「犬吠埼」にも使われる「埼」の字が先般、常用漢字に採用されたらしいが、「埼」と「崎」の使い分けはちょっと難しい。海の突き出た陸の岬は、原則的にはみな「埼」らしく、「崎」のほうは、元来、平野部に突き出た山の地形を示すものだったようだけれども、実際には国土地理院の地図を含め、海の岬に「崎」と「埼」は混在している。

漢字の話題ついでに「犬吠埼燈台」の「燈」の字に触れるが、「燈」の字は常用漢字ではない。だから、1単語としての固有名詞なら「犬吠埼燈台」と「燈」で書くのが本来的となるが、固有名詞が「犬吠埼」という地名の方である場合は、「灯台」の方は普通名詞なので「灯」を使うことになるようだ。

この元旦、初日の出を見るために出かけることはなかったが、新年最初でなくても、日の出はいつも美しい。そのうち朝の海岸へ出てみよう。

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天使の梯子

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~神々しい光芒~

見上げる空の雲間から、放射状に降り注ぐ太陽の光。
その光が降り立つ地は、どことも知れない遠方なのだろうか、それとも、さして遠くはない見知った地なのだろうか。

光の道が雲の上から地にまで降りてきて、天上へのルートが開けたように見える通称「天使の梯子」。これは、特に珍しいものではなく、たいていの方が目にしたことのある現象なのではないかと思う。
気象の用語としては「薄明光線」といい、他の通称としては「天使の階段」や「ヤコブの梯子」などの名もある。

この現象の原理は、太陽を隠している雲の下の大気に、目に見えないような小さな水滴がたくさん浮遊しているようなとき、その水滴の大きさや量が程よく光を散乱し、光芒が見えるというもので、まあ単純なものではあるけれど、金色の朝日が雲間から漏れ出して、いく筋もの光線となって放射状に地上へ降り注いでいるような様など、本当に神々しく見えて、その名にふさわしいように思う。

天使の梯子は、どちらかといえば冬前後の朝夕に多く見られるのであるが(上の画像も冬の朝です)、必ずしも季節や時間を問わずに条件さえ合えば、いつでも現れるし、必ずしも下向きの光芒であるとも限らず、真横や上に向かう光芒もある。
真夏のまっ昼間でも、モクモクと湧き出して頭上近くまでせり出した入道雲から、上に向かって光芒を放つように現れることもある。

今年の夏の出だしは最高潮だ。太陽はジリジリと熱く肌を刺し、連日、温度計は恐ろしいほど数値を示す。今日も例外なく暑かった。
そして、そうこうしているうちに、先ほどから内臓に響くような低音が空に轟き始めている。まもなく夕立があるかもしれない。
見上げた入道雲の雲間から降りる「天子の梯子」も、冬のそれとはずいぶん様子が違うものだ。

(真夏の天使の梯子)
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越年(その2)

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~草の中に輝くブルー~

成虫の姿で越冬するトンボは、わずか3種ということを前回書き、アオイトトンボ科の「ホソミオツネントンボ」を紹介した。今回のトンボは、体の大きさの割りに、胴がやけに細長いイトトンボ科の「ホソミイトトンボ」である。

ちょっと見ただけでは、それほどの違いを感じないかもしれないが、両種はそれぞれ科も違うトンボであり、はっきりとした別種である。
体が細長いという以外では、翅の付け根の胸のブルーの部分に入る1本の黒ラインの形状が、見た目の上での特徴といえるだろう。

真冬をしのぎきったこれらのトンボは、まだ他のトンボがほとんど羽化していない春から、活発に活動し、こうして既に次の世代へ繋ぐ準備が始まる。

写真は、もうかなり気温の上がった5月になってからのものであるが、草の原の中で小さいけれどもひときわ目を引くブルーが、宝石のように美しくも生命の活力を感じざるを得ない。

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越年(オツネン)

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~冬を越すトンボ~

オツネンとは、文字どおり、古い年を送り新しい年を迎えることで、ふつう年越しともいう。最近は、「越」の字の一般的な音読み(当用漢字音訓表の読み方)に倣ってか「エツネン」と読む傾向にはあるが、伝統的には、「越」の呉音である「オチ」から「オツネン」と読んできた言葉である(ちなみに「エツ」は漢音である。)。

ところで、日本の生き物たちの生活は、移り行く四季に大きく支配され、特に年の変わり目となる冬を越す方法は、その種の繁栄のための戦略にも大きくかかわる。

昆虫たちは、基本的に冬は苦手であり、寒い冬を、卵、幼虫、蛹などの姿で越すものが多い。トンボや蝶のような昆虫が日本の冬に元気に飛んでいるということは、めったにあることではないのである。

写真の細いトンボは、「ホソミオツネントンボ」といい、成虫の姿で越冬する数少ないトンボである。蝶の仲間には、アカタテハの仲間など、成虫の姿で冬を越すものが案外いるのだが、日本のトンボの中で,ほかに成虫で越冬するのは,ホソミオツネントンボと同じアオイトトンボ科の「オツネントンボ」と、イトトンボ科の「ホソミイトトンボ」の3種だけとされる。

そうはいっても、真冬にこれらのトンボの姿を見ることは、そうはないだろう。彼らも冬は日当たりの良い斜面などで休眠しており、気温が上がったときだけ活動しているようである。

ホソミオツネントンボは、褐色の成虫の姿で越年し、早春、15~16度になると活動を再開する。そして気温が一定の温度になると全体に青色を呈するようになり、この青色は美しい。しかし、低温が戻ると、体色が褐色に戻ったりすることもあるらしいから面白い。

春先に、野山を歩き年を越してがんばってきた彼らに出会うのは、なんとなくうれしい気がするものである。

ほかに「越年」が名に付くところで「越年蝶」がいるが、これはモンキチョウの別名で、モンキチョウは幼虫で越年するところ、比較的早春のうちに成虫になるためか、成虫の姿で越年するように勘違いから呼ばれた名であるようである。また、アブラナやハハコグサなどのように、秋に発芽して越冬した春に開花する草を「越年草」という。

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モウセンゴケ(2)

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~湿原のレクイエム~

夏はやっぱり山で涼しく過ごすのがいい。この夏は、あまり夏らしい天候が少なかったが、それでもやはり、蒸し暑いことには変わらなかった。

この夏訪れた山の湿原は、既に次の季節へと変わろうとしている様相のなか、真っ赤に色付いたモウセンゴケの群落を見ることができた。モウセンゴケは、その葉に粘着性のある液を出して、そこにとまった昆虫を捕らえて消化し、栄養素としてしまう食虫植物の一種である。

モウセンゴケの群落を観察していて、ちょっとした悲哀を目にした。

湿原にはたくさんのイトトンボが飛交っていたが、モウセンゴケにこのイトトンボが捕らえられていたのである。イトトンボは、捕捉されてからそう時間がたっていないとみえて、まだまだ生きている。しかも、よくよく見ると、イトトンボは1匹ではなく、雌雄のペアだったのである。

産卵途上の事故であったのだろう。2匹はそれぞれまだ脚は十分に動くものの、表面積のある翅が粘液に捕らえられていて、それぞれ別の方向を向いたまま、どうしようも動けなくなっていた。感情を持っているとは思われないトンボのこととはいえ、ペアが、ほぼ同じところで捕まりながら、最後まで一緒になれないその姿を見ると、なんだか、とってもかわいそうなことに感じた。
次世代へ命を繋ぐ共同作業の途上での事態であることが、一層残念であったように感じさせた。

ドライに見れば、自然界の中の自然な摂理というものに過ぎないのであるが。

実はこのモウセンゴケ、ほぼ平地に位置する私の自宅近くでも、育成環境がないということはなく、山の湿原で見られるような大きな群生はなかなかないが、比較的身近な食虫植物である。

モウセンゴケの葉は、1cm前後の小さなものであるので、その様子を詳しく観察するには
、腰を落として間近でじっくり見る必要がある。
葉の周囲を粘液の滴玉が覆うが、そんなにたくさんの昆虫がついているということはない。モウセンゴケ自体は、根はあまり発達しないが、ちゃんと葉緑素を持っていて光合成を行うので、捕らえた昆虫から吸収する栄養素というのは、補助的なものと考えてもいいのだと思う。

鑑賞用に流通する多くの食虫植物も、室内などで育成する際に、あえて昆虫を与えたりすることをしなくても、十分に育つ。
それでも、湿原などの土地で、昆虫を捕らえて消化するという、極めて特徴的なシステムを持っていることには、それなりの意味はあるのだろう。
そして、そのシステムの網にイトトンボのペアが掛かってしまったということにも。

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シュレーゲルアオガエルの抱接

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~地中の儀式~

谷津田に響くシュレーゲルアオガエルの大合唱。春の風物詩に欠かせない1つである。
今年も桜の咲き誇る小路で、また、スミレの咲く斜面で、うららかな陽気に心地よく響くその美声を聞かせてもらった。

姿も声もアマガエルよりちょっと上品な感じのアオガエルたちは、繁殖のため、この季節には本拠である森から水田へとやってくるが、水辺の畦道の裂け目など、土の中に潜り込んでいるため、姿はなかなか見つけられない(→シュレーゲルアオガエル)。

カエルの繁殖活動はオスがメスの背に抱きついて行なう「抱接」が多く、土の中の穴に産卵するシュレーゲルアオガエルも、土の中に作られた穴蔵から美声を放って待つオスの下に、メスがやってきてめでたく抱接となる。

陽射しも暖かく風爽やかな日に畦を歩くと、いつものように田のあちらこちらから「コロロロ、コロロロ」という声が聞こえる。注意して他の穴や、畦の水辺を見て回ると、シュレーゲルアオガエルの卵のう(泡に包まれた卵)がたくさん見つかった。

さらに念入りに畦の様子を伺いながら歩くと、それらしい穴が目に付いたので、そっとのぞくとそこにアオガエルのつがいが一組よろしくやっていた。2匹で一緒にいるのを見ると、雌雄の大きさにはずいぶん違いがあるものだ。自分の二倍はあろうかというメスの背にオスがしっかり捕まっている。

ツボカビなどの病原や適合環境の縮小で、小さなカエルたちはいまや絶滅も危惧されるほどの受難のときを迎えている。けれども、今のところ、ここではこうして一つ一つの個体がりっぱに営みを繰り返し、この種も安泰に生きながらえているんだなあと、感慨深く様子を見守らせてもらった。

Fs5pro2009_0419_124341_2穴の中でメスを待つオス

Fs5pro2009_0419_123808地中の卵のう 

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相対速度

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~真の相対速度をみた~

乗り物の窓からの景色はいつまで眺めていても飽きない。
居ながらにして、次々と現われ流れてゆく風景は、長い旅程もあっという間に感じさせるほどの魅力がある。それは、列車で車窓にへばりつくように景色を見ていた小さな頃から今も変わらない。

飛行機の窓から眺める景色はことさらである。何しろ、空というこの足で立つことのない場所からの風景である。見える景色のすべてが既に非日常の中にある。

先日、八丈島へ小旅行をしたときのこと。搭乗機が羽田を発った後、見慣れた地形を目で追うコースで南下し、ちょうど房総半島の最南端を抜けようかというところで、おそらくは羽田へ向かうであろう、すれ違いの旅客機の姿が見えた。
そして、旅客機は、視界をぎょっとするような速さで過ぎ去って行く。

思い返してみれば、巡航状態の飛行機から、逆方向に飛んでゆく飛行機を見るというのは、それほど多くはないものだ。
もちろん、自身の搭乗機と同じ方向に飛ぶ機と、逆方向に飛ぶ機では、視界にとどまる時間がまったく違うのだから、見過ごす場合があることも含めれば、逆方向に飛ぶ飛行機を見る機会は少なくて当然かもしれない。

それはともかく、この日みた逆行飛行機はとにかく速かった。言葉で表すのはちょっと難しいのだけれども、普段、空に見上げる飛行機で身についた視界内の飛行機の動きの感触からすると、とんでもなく速い。まるでミサイルのようだった。

もちろん、速く見えるのは、すれ違いであるからだけれども、高速道での対向車の見え方とはちょっと違う。新幹線のすれ違いでも、長い16両編成が非常識なほどあっという間に走り抜けて行くのを感じはするが、新幹線の場合には、聴覚的驚きが主なもので、相手車両があまりに至近距離であるせいか視覚に訴えるものは多くない。

思うに、地上の乗り物同士の場合、自身の周囲の風景も目に入るため、自身が前方に走っているという体感が残ることから、人は、逆行する側に対して純粋な相対速度では見ておらず、絶対速度を意識し、やや差し引いて速度を感じているということではないだろうか。

地上の乗り物に比べ、自身についても、また、相手についても、その絶対速度を体感することが少ない巡航中の飛行機同士では、相手の速度に対し、純粋に自身との相対速度を体感し得るということなのかもしれない。

今回の飛行機でのすれ違いは、比較的、低空であったし、東京湾入り口という場所から考えると、飛行機双方が、比較的低速で巡航していたのではないかと思われる。
速度が、せいぜい600km/h程度(これは、まったくのあてずっぽうですが、この場合それはどうでもいいのです。また、対空速度でも、対地速度でもどちらでもよいです。)だったとすると、このすれ違いで、自身の搭乗機から見た相手機の相対速度は、その2倍で1,200km/hくらいということになる。

この日見た相手機の相対速度が、本当にその程度のものだったのか、それ以上だったかはよく分からない。けれども、自身の目が感じた速さはとにかく途方もなく速かった。普段、真の相対速度というものを体感する機会が少ないための新鮮さだったのだろうか。

空はよく晴れ、飛行機の小さな窓の外は、空と海の分かれ目がはっきりしないほどに真っ青であったが、春霞の向こうに白い富士がぽっかりと浮かび、天地の境をかろうじて示していた。平和そのものの風景を背に、旅客機は視界を一閃して飛び去った。

※上画像内の相手飛行機は見難いですが、画像中央やや下で、陸と海の境い目付近です。ちょうど千葉県館山市の洲崎灯台が飛行機のすぐ背後方向になります。また、下画像は、それから即ズームして、1秒もかからず撮影してますが、相手飛行機は、もうここまで移動してます。下画像では、上記の洲崎灯台が白く確認できますね。Nd30020090221110756

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