ダートと舗装
ダートの林道が舗装されるということ。
我々林道からの景観や周辺の自然を楽しもうという者(これを称するに「林道屋」と言うのでしょうか?)にとっては、非常に寂しい・残念なできごとである。
何が残念な気持ちにさせるのであろうか?そして何が舗装ではなくダートの林道へ足を向けるのか?
ダートを走ることそのものが、林道へ向かう目的である方ならば、その目的を失えば、「舗装が残念」は当然だけれど、景観や自然・・・これは舗装されていても、さして変らないのではないか?
車輌。それは2輪であっても4輪であっても、本来的目的が、移動・運搬にあることは分かりきっている。また、運転する者にとっては、それだけではなく、走るという行為そのものの楽しさが本来的目的と変らぬか、それ以上の存在である場合が往々にしてあることも言うまでもない。
そして道路、これは取りも直さず、車輌、人の運行を効率的たらしめんとする施設に他ならないけれども、そこになお精神的に快適な運行を求めたがるのが正直なところ。
であれば、ダートというのは、走る楽しさと精神的な快適さを備えているから、走ることそのものが、目的でない場合でも、なおかつ魅力を付加するものなのか?
それともダートというものが、少なくともアスファルトやコンクリートに比べれば、明らかに自然の土壌に近く、周囲の環境と馴染んで感じるという、近似的ナチュラリズムによるものか?
はたまた、道という道が舗装されるという方向にある中で、また、身の回りには舗装道ばかりしかない日常感にあって、非日常的憧憬というものが存在するのであろうか?
所詮、感情行動に理屈を見いだそうとしたところで、思い至るところは空虚になりがちではあるけれども、自己の行動に正統な理由を求め、自己を肯定しようとする性癖が、それをしないことを許さないところが自分らしく思われ苦笑を誘う。
※自らを取り囲む道路がみなダートであったなら、はたしてダートの林道にどんな感情を抱くだろう。しかし、得てしてこの現在においても、なおダートとして残るその環境は、それなりに、残存する自然の芳香も高いものであるということはできるのであろう。
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