« 2004年1月 | トップページ | 2004年3月 »

屋久杉と林道

屋久島といえば屋久杉。世界遺産に登録されてから逆に足が遠のいてしまった感があるが、その自然は確かに優れていた。いや、特徴が顕著であったというほうが正しいのか。

屋久杉とは、まあ、杉なのだが、恐ろしく寿命が長い。その樹齢は2000年とも5000年とも8000年ともはっきり言ってどのあたりが正確な数字か分からぬままにしてしまったが・・・
樹齢1000年以上を「屋久杉」、1000年未満を小杉というらしいが、普通なら1000年だって常識ハズレに長寿の杉である。ちなみに我が家の近所で市内随一といわれる杉は300~400年くらいである。
いずれにしても樹木の寿命は想像を絶する。

残念ながらデジタルな記憶媒体を手にしてから、屋久島は訪れていないので、貼り付け画像はなし。もう10年以上以前の話だから記憶は薄らぎ始めているが、その当時も相変わらず何本か林道を走った。西海岸沿いの原生林を走る西部林道もよかったが、南東部から山中に分け入る安房林道は、素晴らしかった。

林道に沿ったところに、「紀元杉」という宿木をたくさんつけた樹齢3000年と言われる巨木があった。いまでも、そこまで林道で入って行けるのだろうか。
何回でも行ってみたい島である。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

加波山・一本杉林道(現地より)

p504is02049.jpg
一本杉峠を挟み、西側でかなりのガレ、東側でみごとな眺望と楽しんでいます

※追記
林道レポートをUPしました

| | コメント (0) | トラックバック (0)

素掘りトンネルが多い房総の林道

030202K01.jpg
地底探検を楽しむような素掘りトンネル

房総の山々は、少々特殊な性質があり、そのために林道もほかで見られない特徴を少なからずもっている。
その最たるものは、素堀のトンネルの多さではないだろうか。
拙稿で前にも少しだけ触れたが、少しまとめておきたい。

房総の山は、水成の堆積砂岩質のものが主であり、一様に侵食風化が進みやすい地質である。
盆状(真中が低く周囲が高い)の関東平野の構造とその生成過程からいって、房総の山の地質が通常の硬質なものであったなら、関東平野を取り囲む関東山地など、他の山々と同様に、2000m級の山地がそこに存在したはずであるとも言われている。
(では、1500m以上も侵食されて流された土壌はどこへ行ったのか?東京湾に流れ込み、遠浅の海岸を作ったのだろうか・・・など、これは、にわかに信じがたい部分もある一説ではあるのだが)

しかし、実際には房総の山は300m程度の丘陵である。とはいっても、山域の奥まで河川が深くえぐったような谷が入り込み、しかも川は大きく蛇行を繰り返しているなど、案外複雑な地形が形成されている。

通常、道は沢沿いであることが多いので、すべて川に沿って道を通すとなると、かなり蛇行した遠回りな道になってしまう。これを回避するために、トンネルや切通しが必要になるが、トンネルなどはその施工にそこそこ手間と資金がかかるから、無理がある場合は作らないで、峰越えの道を作るわけである。

ここで、房総の地質がの風化しやすく穴も掘りやすいものであることが生きてくるのだろう。なにか、他の地方と違い、道の先に障害になるひと山があれば、迷いなくトンネルを施工しているようにも思える。

少し蛇足になるが、大きな蛇行に関連して、「川回し」という川の上流から下流へのトンネルによるバイパスもある(これも前に触れた。)。
この川回しというは、近時ではなく古くに行われたものであるから、むろんトンネルはコンクリートなどでなく素堀である。
場所によっては、この川回しのトンネルと林道のトンネルが上下ななめに並ぶように次々と現れるような場所もあり、見た目にも珍しく大変たのしい道である。

ここで具体的に林道を紹介しようと思ったのだが、前置きばかりで、いつもながらの駄文長文となってしまったので、またの機会に譲ることとしたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

プテラノドン

自然風景にある錯覚(番外)
0402260002.JPG
中生代に栄えた翼竜の主要種である

錯覚シリーズその4のカブトムシ拾いの妄想ばなしは、中身のないはなしだったのだが、これと似たような話しをもう1つ思い出してしまい、書かずにいられなくなった。
はなしは、カブトムシの一件より、もう少し若年時に遡り、私が小学校の2年生のときのことだった。

崩落の恐れから侵入を禁じられていた洞窟で、主に貝類の化石掘りをしていたときのこと。
私がふと見上げたその壁面に、なんとプテラノドンが張り付いていたではないか。あまりのことに、恐怖に洞窟を飛び出て逃げたことがあった。どうも、化石というより肉付きがあって今にも動きそうなイメージがあったのだ。

そこが、そんなに古い地層ではない(せいぜい百万年前)こともそうなのだが、そもそも、はなから、ありそうもない話である。小学校2年生とはいっても、そのくらいは了解していたつもりである。

ただ、その現場は数年後に埋められてしまい、今思えば、ばからしくもカワイイ妄想の検証とはいえども、現場の再確認ができなかったことと、その妄想は一人でなく、他に2人の同級生仲間が同行していて、その仲間2人もその翼竜を見たなどといっていたから始末が悪い。

3人も雁首そろえて、いったいどんなものを見誤ったのか、正体を知りたかった。
とまあ、そんな、ばからしくも心残りな一件である。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

カブトムシ拾い(下)

自然風景にある錯覚(その4-2)
07210017.jpg
夏らしい花「カンナ」

小学生当時の私が、カブトムシ拾いの穴場であった工場に、夜間侵入したまではよかったが、待ち構えていた作業員のおっちゃんに見つかって、脱兎のごとく逃げ帰った。そして、夜が明け、現場確認にもどった私がそこで見た驚きの光景とは・・・

おっちゃん達は、花だったのである。

カンナという花をご存知だろう。背が高く、人の背丈ほどは十分ある。深緑でばしょう状の幅広かつ長い葉をまっすぐと伸ばし、てっぺん付近にいくつか黄色や赤の大きめの花をつける。熱帯原産の園芸種の花で、よく何本もの株がひとかたまりに植えられていたが、最近は以前ほど見かけない気がする。

そう、深緑の作業服は茎・葉の部分、そして黄色いヘルメットは花の部分。この花が寄り添って咲いている姿は、無理すれば、何人もの現場姿のおっちゃんに見えなくもない。
そのカンナの花が、大外灯の下に植えられていたのだった。

しかし、私は、確かにそのおっちゃんたちに顔があり、こちらに気づいてニヤニヤ笑っていたのを見た。そればかりか、何人かの声まで聞こえたのだ。
けれど、確かに見たはずのその光景が現実だったとは思っていない。

思うにただでさえリスクのある無断侵入行為に重ねて、ちょっとした電撃を受け、その驚きが、緊張感を増大させたのだろう。
人というものは、精神状態次第で、なにやらとんでもないものを見てしまうこともあるのだと、肝に銘じさせた一件だった。

そのときは、あまりのことに、一人でその場で大声で笑うほかなかった。
花を見て、一人で勝手に怯えて逃げ帰った自分の姿を思い起こして・・・


今回の話しは、とうてい主題の「錯覚」などはなく、ただの「妄想」というものである。
つまらぬ話しを2話にも渡って引っ張り、恐縮する次第である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ひのき・・・樹の表情

N20040125_0033.JPG
立ち枯れも風情あり

林道は、その役割からして当然だが、植林の中を走ることが多い。整然と立ち並ぶ姿がある意味美しいのはヒノキ林だろう。全国で杉に次いで植林の多いヒノキは、東北南部以西の低地から高山まで広く植林が見られる。
日本建築の第一位の材として、その名は高級感漂うが、ヒノキの語源は、おそらくは「火の木」。
古来、火起しのための「キリ」はヒノキで作っていたことによるというのが有力説。

ヒノキを題材にした、何か心温まる雰囲気の絵が目にとまった。木を描いた絵には、どこか心安らぐものがある。静的でいて受容力をもっているからだろうか。
ヒノキは林道で良く見かけるが、みな一様にスクッと真っ直ぐな姿勢で、すまして立っているようなイメージがある。また、杉もそうだが、ともに生物相が少なめの林を形成しているためもあるのか、これまで少しばかり見過ごしがちだったかもしれない。しかし、個々の木には、いろいろな表情があったのだということを思い起こさせてもらった。

木々の表情は豊かである。年老いてなお悠々と枝を伸ばすクスの木、生き生きした新緑が黄緑色のトンネルになって出迎えるブナの木、夏の高原で朝霧の向こうに清廉にたたずむ白樺、秋にその身全体をまっ黄色に染め、ギンナンを実らせるイチョウの木、そして冬、全ての葉を落とし、日増しに芽を膨らませながら春を待つ様々な木々たち。

四季折々に、樹種それぞれに、そうして、山それぞれに、樹はその表情を変えて楽しませてくれる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

カブトムシ拾い(上)

自然風景にある錯覚(その4)

0108070028.JPG
カブトムシも実は錯覚で電灯に?

小学生の時分、夏休みの大きな楽しみのひとつに朝のカブトムシ捕りがあった。カブトムシ「捕り」というよりも「拾い」といったほうがよい。
当時、市内には、ガソリンスタンドなど、限られたところにちらほらとしかなかった明るい外灯の下を朝巡回し、夜中に飛来して落ちているカブトムシを拾い集めるのだ。
まあ、樹液に集まるのを捕獲するのと違って、少々さみしいはなしではあるけれども・・・

さて、さすがにカブトムシは当時でも子供に人気。見つけたもの勝ちだから、通常は最初に「その場所」へ行ったものが権利を手中に収めて捕獲する。少しでも早く、少しでも多くの場所を回ろうと、子供たちは走り回ったものだった。

穴場があった。高い外壁とバラ線付の門扉で閉ざされた工場の敷地内にある外灯。これは、相当悪ガキでないと進入することもないので、進入さえすれば、まんまと獲物を手中に収める確率が非常に高い。
しかし、それだけにリスクも高く、工場のおっちゃんに見つかったらどんなにしぼられるかは計り知れない。

その工場で、いまでも忘れられない事件が起こった。

いつものように、まんまと高い塀を乗り越え、周囲の様子を窺いつつ、そろり、そろりと、その目的地へ歩みを進めた。敷地内の最初に降り立った場所の正面に1棟の作業棟がある。その建物の角を右に折れれば、あともう数十メートルのところに大きな電灯が立っていた。

午前4時前、あたりはまだ暗い。作業棟の角からちょこんと首だけ出して様子を窺う。小さな古い外灯の支柱のようなものにつかまって顔だけ乗り出そうとしたとき、触れた支柱から鈍い電撃のような衝撃を覚えた。中の配線からの漏電によるものだったのかどうか、今となっては定かでないが、まあ、それ自体は少々驚いただけだった。

気を取り直し、支柱には触れずに目的の大外灯の方向へ顔を覗かせた。しかし、そこに私が見たのは、日も昇らないこの早朝、揃いの深緑の作業服に黄色いヘルメットをかぶった現場のおっちゃんたち5、6人が、ニヤニヤしながらこちらを見ているという度肝を抜く光景だった。

腰を抜かさんばかりに驚いた私は、あとはもう、何を見るでもなく、ただ一目散に外壁を乗り越えて脱出し、家にひた走るように逃げ帰ったのだった。

・・・当日、夜が明け昼前ごろだったか、その工場を再びそっと訪れた。誰一人入れるはずのなかったあの状況下、カブトムシが誰にも拾われることなく、まだいるかもしれないという一念で、懲りずにそこへ向かったのだった。昼間は夜間と違い、子供一人ごときが敷地内に紛れ込んだとて、目くじら立てることはなかったので、なんなく現場に到着した。

ところが、このときばかりは、ドラマやアニメではないが、本当に我が目を何度もこすった。そこに、信じがたい光景があったのだ
・・・(つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

裾野の平衡

自然風景にある錯覚(その3)

08110041.JPG
登り坂に見えませんか?

動力なしで車が動く

火山特有の広大な裾野を広げる群馬の名山、赤城山。
ここで不思議な感覚を覚えたことがあった。

裾野の一角、山方向からの下山途中。見晴らしのいい高原で一息入れようと、道がまっすぐに続いて平坦な路面に車を停車。ミッションをニュートラルに入れた。ここで通常ならハンドブレーキを引くわけだけれども、何か違和感。そのまま、そっとフットブレーキから足をはなしてみる。

おおっと、思いがけず車は動力もなく勢いよく前進してゆく。しかもどんどん加速していた。
そう、この錯覚シリーズその1の地層の話しと同様に、一見平坦に見えたその路面は、実は前方に向かって結構な傾斜のある坂道だったのだ。

こんどは、視界いっぱいに広々と展開する裾野が錯覚を生み出していた。
裾野のラインは、むろん山頂から麓に向かって、なだらかに傾斜しているが、スケールが大きく、視界全体がその裾野内という環境に入ってしまうと、人の目は平衡というものを簡単に誤ってしまうようだ。

そういえば、そうした錯覚を利用したブースが博物館や遊園地などにもあり、例えば、家全体が実は傾いて作ってあり、家具などもすべて傾けた家の水平・垂直方向にあわせて調度してあるために、中に入った人は平衡感覚を誤ってよろけるというようなタイプのものなど、楽しませてもらっている。

こうした錯覚は、赤城でなくても、関東近隣なら富士でも那須でも見られるだろうと思う。また、正面に大きな山を見上げながら道を進むとき、同じ山が上り坂では低く、下り坂では高く感じられることなども、同じ部類の感覚※といえようか。

※似たような状況下での感覚であるかどうか、本シリーズ(その2)に「しまさん」から興味深いコメントをいただいた。風景が作り出す視界形状による錯覚と併せて、人間の神経集中による認識視野の縮小と対象物の相対的拡大の話し。なかなか面白い。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ヒラタクワガタの交雑

季節がら、昆虫たちとはややご無沙汰で寂しいが、ミノムシの話を出したあと、ふとクワガタムシのことを思い出した。昨年に比較的話題になったかと思うが、ヒラタクワガタの外来種が帰化して、在来の日本固有種が危機に瀕しかねないという。

環境問題をあまり取り沙汰する気ではないのだが、いかんせん、この時代、こうした話ばかり目に付いてならないのは悲しいことだ。

日本のヒラタクワガタは、体長40~60mm程度(雄)と国内種としては大型のほうで、オオクワガタ・ミヤマクワガタ・ノコギリクワガタなどと比べると、一般的にはやや華々しくない。しかし、なかなか立派な体格をしていて、対馬産のものなどは70mmを越える体長があり、あのオオクワガタに勝るとも劣らないサイズのものもいて、なかなか魅力的。
なお、対馬ほか離島のものは、多様化し現在いくつかの亜種に分類されている。

外国種のヒラタクワガタの仲間では、南方に行くとかなり大型化し、スマトラオオヒラタなどは、110mmくらい(雄)にはなるだろうか、とにかく、国内種より断然大きくて気が荒い。
私たちが子供の頃は、こうした外国産のクワガタなど、図鑑の上か、博物館の標本でしかお目にかかったことはなかったが、近頃では、すぐそのへんのホームセンターなどで平気で売っている。しかも、たいした値段ではない。

しかし、爬虫類や鳥類がそうであるように、こうしたペットの一般普及があれば、必ずそれが故意や過失で外界に進出し、あたりまえのように帰化してしまったりする。
スマトラやタイ産の大型のヒラタクワガタの仲間も、既に国内種と交雑が起きており、昨年の夏ごろだったか、国内でサンプル採取したヒラタクワガタのうち、3%近い個体から外国産のもののDNAパターンが見つかったというような発表が、国立環境研究所からあって驚かされた。

生物は拡散・放散的に分化してゆく例が通常で、自然環境下では多様化の方向への一方通行ともいえるかもしれない。ヒラタクワガタもおそらく数十万・数百万年の単位で分化し、また、分化しつつあったのだろうが、人が介在してほんの数年程度で、まったく方向性を変え、すべての国内種が雑種となって行く将来もあり得るという可能性を考えると、少々恐ろしい気がしてくる。

※昆虫についてお気に入りのサイトを「関連サイト」に追加しておきたい

| | コメント (5) | トラックバック (3)

恐ろしい月

自然風景にある錯覚(その2)

03090811.jpg
赤く大きな月が・・・

特に満月は格別である。

日が落ちて、夕闇が訪れた東の空をふと見やったとき、そこに、まっ赤に充血した目玉のような、いや、もっと何かまがまがしく、強大なものをイメージする巨大な球体が浮遊していて、ぎょっとすることがある。私が幼少の頃など、泣くほど怖かった覚えもある。
もちろん、今は月と気付いてなお恐いなどということはまったくなく、むしろ、なんとなくワクワクとしてくるくらいではあるけれども。

さて、ここでの恐いという感覚は、「個人差ある意識」の産物。本題とはまったく別の分野の話。
また、「赤く見える」ことも、光の波長とその性質の話であって、錯覚の話ではない。
本題のほうは、「巨大な球体」の部分の方、つまり、大きく見える月のほう。これは自然風景の錯覚としては、とても有名な事象である。

からくりも、みなさんよく聴くと思うが、比較対象物(地上の風景)が周囲にある物(月)は、大きく見える錯覚・・・という説明。
しかしながら、この説明のしかたは少々引っかかる。ちょっと間違いがあるのでは?

思うにこれは、説明が逆なのではなかろうか。
より正しく思われる説明をさせてもらうと、比較対象物のない広いスペース(空)に置いたもの(月や太陽)は、実物より小さく認識される。
広いところにポツンと置いたものは、小さく見えがちということ。つまり、そこで錯覚を生じる。
そして、我々は、日常、中空にかかる月や太陽をこの錯覚で小さめに認識し、それを標準の大きさとして捉えてしまう。
ところが、そこに、比較対照物となる屋根や煙突が現れることで、認識と違い実はもう少し視角が大きい月や太陽の真の大きさを感じて驚くことになる。
と、そんな説明のほうがよろしくはないだろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

みのむしが絶滅?

minoga-mino.JPG
冬の風物詩

冬の景色によく似合うものの1つとして、ミノムシがあげられる、これは、ミノガという比較的小型の蛾なかまの幼虫が作るポータブルケース、いわゆる蓑であることはよく知られている。成虫になると、みな羽化して飛んでいってしまうかというとそうでもなく、このミノガの仲間のメスは羽化せずに、一生この蓑の中で幼虫と同様の姿で生活を続けている種が結構ある事は余り知られていないかもしれない。

ミノムシは何も林道など自然豊富なところにわざわざ行かずとも、家の周りでいくらでも見られる・・・と、思っていたが、そうとばかりも言えない事情らしい。

少しばかり前の話題になってしまうのだが、日本に生息する代表的なミノガの一種「オオミノガ」が、外来種のヤドリバエに寄生されて絶滅しかかっていた。この情報自体を私が耳にするのはかなり遅かったのだが、なんとなく最近ミノムシがいなくなったなあ・・・と感じてはいた。
しかし、絶滅が危惧されるほどであったとは驚いたものだ。

もう一種の代表種チャミノガなどは、茶の葉を荒らすので害虫とされているが、どういう種であっても、やはり、種が途絶えるということは、自然界ならあってはならないことではないものの、人間の活動を介して起きる絶滅(この場合は外来種の持込など)は、好ましいこととはいえないだろう。

最近では、その外来種のヤドリバエに寄生するハチが現れて、ミノガが徐々に数を回復し始めたようにも聞いている。なんとも因果な世界。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

林内作業車

0309130006.JPG
現役の三輪駆動車

林道というものは、いうまでもなく林業を営むために作業・運搬の用に供される道路というのが、目的の第一義である。副次的には、地元住民の生活の足としても利用されている。そして、多くの林道は、道路交通法が適用される一般の道路(定義は道路法や道路運送法に規定されている)とは違い、利用者各自の常識とマナー、ローカルルールによって通行秩序が成り立っている。

走行マナーについては、本稿のテーマではないので、あまり触れないが、とにかく、我々のようなただの道楽者は、実務・実生活に直結して林道を利用されている方々の障害とならないよう、くれぐれも十分な配慮を心がけたい。

さて、いつもながら前置きが長くなってしまった。林業の用務に供される道である林道に入れば、林業に従事する作業車と出会うことは少なくない。

最も多いのは、軽トラックである。
これがまた、小さな車体とそれなりのロードクリアランスがものをいって、かなり細くて急な作業道にも平気で入り込んでいる姿をよく見かける。
私などが、わざわざごついオフロード四輪駆動車に乗って入り込み、のん気に非日常感を味わっていることなど恥ずかしくなるくらいである。
その小さなトラックは、ほんとうに日常的に平然と仕事をこなしていて、懸命に登坂しているその姿などを目にすると、とてもほほえましく感じる。

実働している姿は、路上ではさほどお目にかかれないが、林業作業に特化した専用車両というものがある。いわゆる林内作業車というものだ。その容姿は、見た限りでも森林内で計り知れない力を発揮するであろうことが推察される。
タイプはいろいろとあるのだが、よく見かけるのは、丁度ひと昔、ふた昔前の耕運機が荷台を引いて一般路を走っていた姿と似たようなタイプのもの。
ほかに6輪、8輪と多数の車軸を持った軽車両たちもいるし、クローラーというのだろうか、キャタピラ仕様のものも多い。
これらの林内作業車のスペックというものを、興味半分で覗いてみると、これがなかなか面白い。4輪駆動にダブルタイヤからデフロックなど、なにかクロカン四駆を思わせるような言葉が並ぶ、けれどそれらは日常的に実働するべく、必要最低限たる性能として備えた能力であって、趣味のための特別なスペックではなく、真に必要性が先にたっているところが、トータルなデザインというのか、パッケージングとしてもより美しく感じさせる部分がある。

林内作業車で、ひとつ忘れてはならない車両がある。「デルピス号」これは逸品である。
かつて群馬県を中心に活躍した謎の林内作業車だが、もはやそうそうはお目にはかかれない。林道を随分走っているつもりだが、わりあい最近まで存在を知らなかったし、実物を見たことも数少ない。
そもそも3輪駆動というところからして、なにかやけに期待が膨らむ。
デルピス号については、詳しくないので、この存在を教えてくれたサイト、「駅前デルピス」をここでは紹介しておく。


土木重機というものも、なかなか興味を引くものが多いが、こうした林内作業車(農機にも似たようなところがある)というものにも、たまに首を突っ込んでみると、それなりの世界があって楽しいものだ。

(林内作業車:参考サイト)

デジタル親機館

ウインブルヤマグチ

駅前デルピス

| | コメント (0) | トラックバック (1)

水が這い上がる川

自然風景にある錯覚(その1)

N20031223_0058.JPG
この道は上りか下りか?

私の住む千葉・房総では、地層というものをよく目にする。
一足山に入ると、道路を通すために開かれた切り通しや、河川が長い年月をかけて削った断崖のなど、いたるところに地層が現れる。

おもしろいことに、よくみると房総の地層は、全般に東京湾に向かって傾斜している。これは、関東平野全体の地質の傾向に準じたもので、平野の外縁部(関東山地など)が同心円状に高く、平野の中心部(古河市あたりを指すのだろうか、詳しくは知らない)が低くて、そこに向かってどんどん落ち込んでいくような傾向にあるらしい。そして、房総では東京湾の方向に向かって一様に地層の傾きがあり、多く見られる地層の路頭は、その傾向にしたがっている。

さて、子供の頃、房総における一級の河川である養老川で水遊びをしたことが何回かあった。
房総には川回し※といって、うねうねと蛇行する川をトンネルでバイパスさせる習俗的な河川技術があるのだが、このトンネルの中を流れる川を見てはっと驚いたことがある。

自分の立っている足元の川床は、そのトンネル(とはいっても、ごく短いもの)の向こう側のそれよりも、明らかに高位置にある。そう、感覚として言えば1mは高く感じた。
ところが、私の足元は下流であって、水はトンネルの向こうの低いところから、私の足元の高いところへ這い上がるように登ってくるのである。

もちろん、現実には、低位置にある水が這い上がって、高位置に向かって登ってくるなどという話があろうはずはなく、それは明らかに目の錯覚であったし、これは、子供だった私にもすぐに分かることではあった。

冒頭にお話しした、房総独特の傾斜した地層のせいである。
実は地層はトンネルの向こう側からこちらに向かって落ち込んでいた。そして、私の立つ川床の周囲一面には無数の地層が傾いて走っていたのである。ところが、そのために、川床に立つ私の目は、そのラインこそが真の水平方向、重力の水平方向なのだという認識誤りを起していたのである。
実際には、真の水平に近いのは川の水面である。けれども、その水面がこちらに近づくにしたがい、一つ一つ地層の上位位置にくる様子は、さながら低位置から高位置に這い上がる水という錯覚を起させるに十分な環境条件にあったわけである。

しかし、みごとな錯覚というものは簡単には補正できない。地層と水流の織り成す錯覚。いくら理屈がわかっていても、何度も目をこらしてみても、水は相変わらず低位置から這い上がって流れていた。


※川回しは、水田を得るためなどの目的のため、蛇行河川の近いところ同士をトンネルでつないでバイパスさせ、干上がった旧河川床を利用するという、河川土木技術で房総には他に例がなく多くの「川回し」が見られる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

常陸の林道(続)

春が待ち遠しいこの時期、雪の残る北関東の山々などへ行くのは、いましばらく辛抱が必要だが、時には少々残った残雪などを見ながらも、冬~早春の林道を楽しめるのが常陸方面の林道。若芽の息吹など、十分に春の訪れを感じることもできるし、まだ、葉が出ていない木々の下を走る抜けるルートは、いつになく明るい。
同じコースを夏に辿ってみると、鬱蒼とした草木のあまりに深いことに驚くことも多い。
このシーズンは、どの道をたどってみようか、地図を眺めて楽しみな毎日である。

昨シーズン以来、しばらく、現地の情報はあまり収集していないが、先稿のとおり本日少々走ってみた。
しかし、今回は走ってみたというよりも、通行止めの確認に行ってしまった感もある。
以下、主なところを簡単に

【大久保林道】
市街から近いのが魅力。昨シーズンの情報では通行止めの恐れが
・・・いまだ通行止め変わらずでした。原因は「不法投棄」。嘆かわしい限りです。

【国見林道】
昨春は通行止め、夏に行ったときは、木々が多くて眺望がなかった・・・
全線通行可。夏より道は明るかったが、杉が多いので、眺望は変わらなかったですね。

【細崎入林道】
昨年の大祭以来、チェーン閉鎖の情報を聞いている。
・・・やはり、閉鎖でした。景色の良い道だけに残念です。ついでに隣りの鍋足線入口も閉。

詳しくはWOODLAND TRAILでレポートします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

常陸の林道

p504is01797.jpg
快晴の空に誘われ、常陸の山へやって来ました。 しかし、通行止多し。 あまり収穫ないまま、龍神の大吊橋を眺めた後、早々に引き上げます。
~つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「林道」というカテゴリー

Yahoo! JAPANのような、ディレクトリ検索サイト(Yahooでは「カテゴリー検索」)では、Googleに代表されるようなロボット検索エンジンと違い(Yahoo!のページ検索はGoogleのエンジンを使っている)、人の手で、サイトの内容に応じたカテゴリーに分類して登録することで、サイト単位の検索を行えるようにしている。

現状では、検索サイトのシェアーは、サイト単位の検索は「Yahoo」、ページ単位の検索では「Google」と2分して利用されているといってもいい状況にある。

さて、私が林道について検索サイトを利用するときといえば、次の2通りが通常だ
1つは、特定の林道についての事前確認。
もう1つは、林道について書かれたサイトをリサーチする場合。

1つ目は、当然ページ検索になるので、Googleサイト本体、Yahoo!サイトのどちらを使うにせよ、結局Googleの検索エンジンが拾い出してきたページを、「○○ 林道」とか「(地名) 林道」のキーワードで呼び出すことになる。

もう1つの、林道に関するサイトを捜そうというときは、あまり便がよくない。
それは、ひとえに「林道」などというカテゴリーが存在しないからにほかならず、カテゴリーがないから、結局はページ検索になってしまい、数あるページへ飛んでから、トップページへ進んで・・・そんな感じになる。

しかし、ここでひとつ感じるのは、現実社会では「林道」というのが特異であって趣味として確立しないものだとしても、「WEBサイト」の世界においては「林道」というカテゴリーは確かに存在するということ。たとえば私のサイト(ここではなく、「WOODLAND TRAIL」のこと)は、現況のカテゴリーで分類したら「自動車」の分類しかないわけだけれども、実際には、自動車のサイトという意識で運営しているわけではない。いうまでもなく林道を中心として、それを取り巻く環境でサイトを形作っているわけである。

取り巻くもののメインとしてディフェンダーが存在するが、ほかにも生物だったり、カヌーだったりと林道を中心にからんでくるわけで、どうみても「林道サイト」である。

ほかの皆さんのサイトを覗くと、林道が第1テーマの場合もあるし、第2テーマの場合もあるわけだけれども、とにかく、カテゴリーとしては確かに存在するはず。

ぜひとも、Yahoo! Japanカテゴリーを新設してもらいたいものだけれども、さて、では、そのディレクトリーはどういう位置付けかと考えると、行き詰まる。
「産業>林業>林道」でないことは確かだが、「2輪車」にも「4輪駆動」にも林道サイトはたくさんあるわけだし、「アウトドア」?「自然」?「山」?どれも、上位階層として相応しいと思えない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

関東周辺・風景を楽しむ10の林道

01010023.JPG
新緑の頃が好きです

このようなタイトルものは、注意は引きますが、明確な基準も客観的な判断もなくて自己満足になりがちです。
しかしながら、あえて、自己満足承知で、これから林道に出てみようかなという方への参考程度に、ちょっとリストしてみましょう。

一応、範囲は関東各都県とその都県境周辺とし、なるべくダート距離はそこそこある道を対象にしてみると・・・慣れた方には少々当たり前かもしれません。

【手軽に山岳の景観を・・・】
①川俣檜枝岐林道(栃木/福島)
帝釈山脈は栃木、福島県境の2000m前後の山々、この主峰クラスである帝釈山(2059.6m)の、山頂すぐ下の国境をまたいでゆく川俣檜枝岐林道は、その距離も高度もかなり一級品。ダートの距離は約25kmはあって、更にその手前の馬坂林道と繋ぐと、40km近くなる、関東屈指のロングダートです。峠周辺は、いかにも高山で、峠からは手軽に帝釈山頂まで登れてしまう登山道入口があります。

【山からの眺望に心安らぐ・・・】
②大名栗林道(埼玉) ③細崎入林道(茨城)
山から見降ろす下界は、いつの時ものどかで平和。やや山岳気味の大名栗林道は、都内からかなり至近距離にあるもの大変魅力的です。
細崎入林道からの眺望は、竜神大吊橋を遠く見るあたりがハイライト。

【新緑と紅葉の渓谷美・・・】
④泉水谷横手山林道(山梨) ⑤四時川林道(福島)
東京都の西奥、奥多摩湖をさらに奥まで分け入った丹波川沿いに始まる泉谷横手山林道は、路肩のすぐ先が断崖で、遥か下に沢を見下ろすような峡谷から、ザワザワと音を立てて流れる沢の水に手で触れることもできるところまで、親水度満点の道。
阿武隈の渓谷沿いにある四時川林道は、太陽の高度が増してくるころの明るい渓谷美が魅力。生物たちの活動が多いのも渓谷の道の特徴です。

【多彩な景色を1本で・・・】
⑥中津川林道(埼玉/長野) ⑦栗原川林道(群馬)
山あり、谷あり、その長いルートを通じて様々な自然の景観をこれ1本で楽しむことができる、お楽しみ景色のパッケージングコースです。

【滝に見とれて・・・】
⑧西荒川林道(栃木)
沢に滝はつき物。林道沿いの滝は、人の出入りも少ない場合が多いのも魅力。西荒川林道沿いにある大滝は、シルクのような真っ白な滝のしぶきが目に鮮やか。

【素掘りのトンネルを訪ねる・・・】
⑨上野大滝林道(埼玉/群馬) ⑩志駒林道(千葉)
基本的に石で出来た山を貫く上野大滝林道のトンネルは、大きくて立派なもの。それが2つ連発で現れるのは、なかなか感動的。
これに対して素掘りのトンネルといえば、千葉の房総の林道はその宝庫。地質の柔らかさと曲がりくねる川床の地形的な要素がそうさせているのか。
房総はどうしてもショート林道ばかりになってしまい、志駒林道もダートは2kmにも満たないピストンの林道ですが狭くて湿った素掘りのトンネルは他の地方でなかなか見られないものです。しかも、4連発。

(以上、林道名にはリンクを張っていますが、全部手前味噌ですみません)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ディフェンダーの「アバタもエクボ」

Daikango-040201-01.gif
長所ばかりが目立って・・・

隙間風
夏はさして気にならないけれど、冬は相当に寒い。風量はヒーターの弱よりは強力。眠くなる心配も無く、いつも爽快なドライビングが約束されているのがうれしいところ。

自動降下ウインドウ
近頃めずらしい、手動ハンドル開閉のノンパワー・ウインドウは、ある程度走ると自動で降りてきてくれることがあって、家族にもとても喜ばれています。

雨漏り
これは一番有名。かなり個体差があるものの、たいていのディフェンダーは多かれ少なかれ水が漏るんです。豪雨があれば、大雨警報を肌で味わうことができるし、ほのぼのした気持ちにさせられます。

リクライニング・レス
運転に最適なシート・ポジションを選ぶ範囲しかリクライニングはない。休むことが許されない男の仕事場といった信念に身ぶるいすら覚えます。

デフロック・インジケーター
デフロックがすぐ解除できないことがある。ロック中を示す黄色いインジケーターの点灯が消えない。シフトの位相が、解除の位置にあったとしても、点灯は絶対らしい。状況にかかわらず、常に真実を伝えてくれる計器が信頼感を深めてくれます。

加速
かなり強力なクラッチをガチッとミートさせると、あとはTdiエンジンがグイグイと重いボディを引っぱって・・・はくれない。S違反常習だった私も、いつもニコニコ安全速度のナイスガイに変身しました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ニホンイモリの腹はなぜ赤い?

0307130005.JPG
イモリって、案外長生きです

大好きなイモリの話。
林道には、イモリがつきもので、道の脇の水場をちょっと覗くと、カワイイ姿を見ることが少なくない。かつては、あちこちの池や田んぼに、うじゃうじゃと住んでいたらしいけれど、今では、ひらけた場所では、そうそう目に付く生き物ではなくなっている。

上から見ると、やけに地味な褐色で、小さめの手足を生やした胴は、ぽちゃっとしていて、オタマジャクシのような尾に続いている。目がつぶらで、本当に可愛らしいが、嫌う人もいるのには私は驚きだ。
イモリの形態というのは、四足脊椎動物として極めて基本型で、どこにも無理が感じられず、あくまでナチュラルな生体デザインだと思う。

さて、このイモリ、正式にはニホンイモリといって、日本固有種である(北海道には自然には生息しない)。一番顕著な特徴は、腹部の赤い斑模様で、そのためにア力ハライモリとか、単にア力ハラなどとも呼ばれる。漢字で書くと「井守」。
背中から見ると、やけに地味だとさっき言ったが、この赤い斑は、全体に地味な色づかいの多い日本の野生動物の中にあって、異例と言っていいほど目立つ赤である。
多くの個体は赤というより、「朱」という感じに近いが、いずれにしても色味、模様とも、人の指紋のように、個体ごとにみな違う。

我が家の水槽にも二十数匹のイモリが棲息中であるけれど、やはり、この模様で個体の区別をしている。主に喉から胸にかけての模様から連想して名前を付けている。いや、あんな小さな生き物に名前を付けて飼っていると聞くと、私が、やけにはまり込んだ人間と思われるかもしれないが、イモリというのは、おそらく大抵の方の想像以上に長生きで、あんなにナリは小さくても(全長70~130mm)、二十年以上は生きられるようで、今、我が家にいるイモリも古いものは12才程度を数えているが、まったく衰えを感じさせない。情も移ろうというものだ。
また、その上に、単に飼育するということでいえば、イモリの飼育は著しく簡単で、病死などは皆無に等しく、注意すベきは水槽からの逃亡のみと言っても過言でない。

まあ、いかんせん、両生類は水がないとそうそう生きられない。しかし、これまでに何回か水槽から逃亡したイモリを救出したが、これがまたスゴイのだ。
逃亡後、時間がたってしまうと、イモリの体は水分を失って、かなり早くミイラ状態になってしまう。そうなってしまうと、普通の動物の常識なら、どう見ても助かりっこない状態なのだが、救出後にミズゴケの上などの十分な水分があるところに置いておくと、それだけで、1、2時間もすると、水分を吸収して元の体に戻っている。

どうも話が逸れがちだが、このイモリの腹の赤いのはなぜだろうか?はっきり言うと、この表題には答えを用意していない。
赤や黄色のやけに目立った体色と言うのは、往々にして警戒色であることが多いが、イモリもこれに当てはまるのかもしれない。一応、毒をもっていることはもっている。
魚のフグと同じテトロドトキシンを皮膚から出すというのだが、今までに飼育下や自然のイモリで毒を感じたことはない(そうはいっても、さわったら手を洗うようにしたほうが無難でしょう)。実際、まったく頓着なく触っているのだが、あまり毒があるというイメージはぴんとこない。

いずれにしても、自然の作り出した生物の色や文様というものは、非常に多彩であって、その意味があって存在するのか、必ずしも意味はないのか、はっきり言って分かりかねる。生物が自らの意思で形質を獲得するということは今のところ否認されている。
しかし、こうした生物の多様性というものは、今の進化論の本流(総合説=ネオ・ダーウィニズム)で説明できるとはどうも考えづらく、私自身は、ほとんど信用していない。

・・・まあ、進化論のはなしは、また、別稿でといたしましょう。

| | コメント (10) | トラックバック (1)

« 2004年1月 | トップページ | 2004年3月 »