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食害防止

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白い六角柱群は少し奇異でもある

今朝、毎日新聞1面を見ていたら見覚えのある景観が目に入った。
林地に生える何本もの白い筒。
おお、これは、昨年6月に群馬の梨木楡沢林道を走ったときに見たものに違いない。あらためてそのときのレポ25(画像№14)を見直したが、やはりそのものだった。

そのときは、現物を観察した結論として苗木の育成を目的としたものと判断したが、これは鹿などの野生動物が育成中の苗木を食害することを防止することを目的とするもので、新聞の記事は、高知県の国有林でその導入をはじめたというものだった。

このポリプロピレン製の六角形の半透明筒状のカバー、少し調べてみたら「ヘキサチューブ」という名称も出てきた。

実際にこの白い筒が山の中に立ち並ぶ景観は、レポでの第一印象どおり西洋の墓場を連想してしまうのだけれど、もの自体はなかなか優れものらしい。
食害を防ぐ上に、温室効果も含め、苗木の育成促進に効果ありとのことで、今後、林道ではたくさん見かけるようになるかもしれない。

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トビ・鳶・とび

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青い空に円を描く

ワシ・タカやフクロウなどの猛禽類にはあこがれがある。
日夜の違いはあるが、いずれも精巧かつ俊敏な狩の姿が、餌食となる悲運な生き物のことは頭からはずして、素直にかっこよく思う。

ワシ・タカの類、特に大型の種が大空に円を描いて偵察する様は優雅でいい。関東外縁の山地やそれ以遠の山地へ足を伸ばせば、そう機会はないとしても、優雅な姿を遠く望むこともあろう。

しかし、通常この目にするのはトビの姿である。房総の山にもいたるところで見ることができるし、まれに自宅から目にすることもある。
このように、ありふれているとはいっても、トビは立派なワシ・タカの仲間であり、ハヤブサやオオタカのような高度な狩はしないにしても、この仲間特有の飛翔形態はなにも変わらない。

トビは、比較的水辺に多く、主に小動物の死体を食べている。全長が60cm前後、翼を広げた全幅は160~170cmもある。大空にあってはさほどでなくても、真近で見ると恐ろしく大きく感じるはずだ。他のワシ・タカの仲間とは見分けるまでもなく、ごく普通に見かけるのだが、ワシ・タカの仲間を見分けるときに注目される尾の形はバチ又はMの形。下から見ていると広げた翼に左右一対の白斑がある。

林道を走っていて、常にチャンスがあれば様々な生き物の姿をカメラに捉えるべくスタンバイしてはいるが、ワシ・タカの仲間はトビくらいしか捉えられない。じっくり撮影を目的に構えてやらなければ、そうそう幸運はやってこないのかもしれない。

逆に空から見下ろす彼等たちの視界は、また素晴らしいものがあるだろう。
一面の緑の中、一筋の地肌をみせる路面。そして、そこから見上げる人間が一人・・・

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房総、春爛漫(現地)

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素堀トンネルを楽しんでいます。
房総は既に春が満開です。

追記:今日は、しめて11本、20回(往復積算)素掘りトンネルをくぐりましたよ
近いうちにWOODLAND TRAILにレポUPします。
(通行可否情報)
×山中線=いまだがけ崩落通行止め
○志駒線=工事ほぼ終焉、一応通行可
(その他は特に変化なし、レポにてごらんください)

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山の灯台

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山頂の電波塔

灯台とは、暗闇に明かりを灯して自らの位置を示し、もって観測者の位置を指し示すための施設。海で航路を示す。
山にあって、事実上、位置を知るための目印となりえる建造物を通常は灯台とは言わない。明かりを灯さずして灯台の役割は果たさない。ランドマークというほかないか。
ただ、山頂の電波塔・・・そう考えると、これは灯台といえるかもしれない。

この塔は電波中継のために立っているわけで、設置目的こそまったく別のところにあるわけだけれども、日夜を通じて高度建造物を示すフラッシュの光が放たれていたりするというところなどは、灯台の資格ありか。

航空機に対しての危険回避を目的とした灯火にすぎないかもしれないけれど、電波塔自体は、主に日中は登山者などに目印とされることも少なくない。特に似たような山々が並ぶ山地の中では、それなりに目立つ。
ただし、景観上は興ざめするところも多分にあって、あまり肯定的にはなれないが、まあ、現在の社会を維持するためには致し方ないところかもしれない。

どう、思うかはともかく、函館山など、全国に名だたる山の頂にも、結構この電波塔というものが建っていて、TV何々などの表示が見られる。また、房総の山や阿武隈山地など、さして高度差がない山同士でも、きっちりと数値の高い方に電波塔が建っていることが多い。それらが個々になんの電波を中継しているのか逐一わからないが、できれば通信手段に変革のときが訪れて、こうした塔が撤去される時が来ることを実は願っている。

山とは関係のない話しだが、宇宙にも「灯台」と言われるパルサー(中性子星)というものが存在する。
高速で回転し、一定周期でX線又は電波のパルスを発している、ブラックホールの一歩手前みたいな星ある。

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温泉の入湯時間

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誰もいない風呂はのんびりできる

皆さんが、温泉に入るのに最も気持ちよい時間帯とはいつだろうか。

まあ、宿に泊まって入湯するとすれば、たいてい入湯時間は決まってくる。宿に到着してまず一風呂。お茶でも飲んでいっぷくしたところで一風呂。夕食後に酒も入っていい気分で一風呂。寝る前の一風呂。そして、早朝に目覚めの一風呂、出掛けの一風呂といったところだろう。連泊ならば、これに昼の静かな時間帯の一風呂と昼下がりの一風呂が加わる。
意味もなくだらだらと並べただけでも、それぞれにその情景は浮かんでくる。

私はお茶でも飲んでのいっぷく後かな。寝起きの一風呂も天気がよければ最高。

高い山の温泉の露天風呂は、早朝がやはりいい。

最も印象深かったのは、北アルプスの白馬鑓ヶ岳中腹にある白馬鑓温泉。ここでは、露天の直下からそのまま下界の山並みへと景観が続くのだが、幾谷かを隔てて見えた妙高方面の山々の景色が特に素晴らしかった。
この温泉は、まったくの山歩きをしなければ入れないが、登り片道が4時間程度だったろうか、その労もまったく吹き飛ぶ爽快な風呂だった。

那須連山の合間を登ってたどり着く三斗小屋温泉も気持ちが良かった。ここはそれほどの高山ではないが、相当の山奥であって、夜のランプもいいし、周囲の自然も非常に豊か。

森林の中の温泉は昼もいい。

会津の二股温泉や秋田の泥湯など、数え出したらきりはないが、明るく静かな環境で、一人湯に浸かり、野鳥の声や沢のせせらぎを耳にしながらというのも、たいへんにくつろげるもの。普段時間がなく動き回っている生活を一時でも忘れられるからだろう。透明な泉質の温泉では、日差しが湯を通して湯船の底でキラキラと、まるで小川の川底のように映し出されているのをみるのも心や安まる。

一日の疲れを癒す夕~夜の温泉はいずこであっても心地よい。
露天でも内風呂でも、街の夜景が遠く望める風呂は極上である。それだけに本当に綺麗な夜景を望める風呂はなかなか少ないけれども、飽きるほど湯に浸かってしまう。
なにも外の景色ばかりではなく、内湯のつくりというのもとても楽しめる。高価な質でなくとも、歴史を感じる様々な趣向の風呂があるものだ。

一軒の宿ながら、長年にわたって何棟もの建物を増築し、いくつもの階段や渡りでそれぞれを繋いでいる東北の湯治場の雰囲気は特別のものがある。廊下と部屋の仕切りは障子戸ひとつだったりと、セキュリティがどうたら言っている向きではとても楽しめるところではないのかもしれないが、赤いトタン屋根と木枠の窓には古びた木の手すり、そしてタオル干しの針金が張られ、各部屋から白タオルがぶら下がっている。また、自炊客のためにある食材などの販売所や炊事場の雰囲気など、どれひとつとっても「温泉」という文字から私が想像する映像そのものがそこにはある。
こういう宿に数日泊まり、朝・昼・晩と各様の温泉の一日を楽しむ余裕が最近はなくなった。

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スミレいろ

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人家周りでも普通に見られるタチツボスミレ

スミレは色がいい、白、濃紫、赤紫から空色まで多様な色があり、各々が感動を与え得る色を競う。
なかにあっても、陽の落ちた直後の空の中程あたりのような、薄っすらと赤が混じっていながら、全体には青味を呈した淡い空色が一番好きな色だ。

スミレの花はサクラなどのように、花びらが放射型(=放射相称という)ではなく、左右が線対称の形態(=左右相称という)である。
「スミレ」という名前は、「摘みれ」が変化したとも、下向きに垂れ下がる花びら(下弁という)の形状が、大工道具の墨壺に似ることに由来するともいうが、そういった由来とは切り離し、単純に「ス・ミ・レ」の音がまたとても心地よい響きと感じる。

我が家の周りでもたくさんのスミレが咲き出したが、これからの季節、しばらくは林道で様々なスミレ色を楽しめることと思う。

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山の名前

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現在、房総唯一の「岳」である伊予ヶ岳

この名前シリーズ、知る人ぞ知る順番で、次は山の名前についてということになるわけだが、これは既に「山名考」という記事名で少し書いている。
そこで、山の個有名でなく、「山」や「岳」についてふれてみよう。

それが山の名前であることを示す名称は、かなり多種ある。
「〇〇山」「〇〇岳」が特に一般的であるが、地図にざっと目を通しただけでも、他に「峰」「森」「峯」「嶺」などが目につくことと思う。
また、同じ「山」でも、「やま」、「さん」、「せん」など読みの区別もある。

これらの各種の山を表すことばは多種多様だが、呼ばれる山自体に、はっきりと違いがあるわけではない。例えば、高い山のない千葉に生まれ育った私など、「岳」というと、かなり高い山をイメージするが、全国的に見ると必ずしも「岳」のほうが「山」より高いというようなことはなく、いうまでもなく、日本一の富士は「山」である。

「岳」は低い山にはあまり見られないけれど、「急峻」「岩峰」などがそのキーワードになっているのかもしれない。いずれにしても、「岳」は個人的には憧れがある。
「森」というのは関東では馴染みは低いが、まったくないわけでもない。房総にも幾つかは数えることができる。しかし、東北や西日本ではかなり普通に見られるようだ。
「森」には地域性も強くあるようだが、その他の「岳」「峰」「嶺」などは、ある程度の全国共通のイメージがあるように感じる。

いっぽう、「山」の読み方。
「やま」と「さん」はごく普通だが、「せん」はとくに山陰特有といえる。「だいせん」と言われれば、すぐあの山陰の名山、伯耆富士が頭に浮かぶが、「大山」と書かれてはすぐに「だいせん」に繋がらない場合が多い。蒜山など他にも山陰の主に名山に「せん」は見られるようだが、その由来は思い当たらない。仏教の須弥山など、なにか関係あるのだろうか?

これは余談だが、わたしの地元は全国一に山のない千葉にあって、さらに特に「山」に縁が遠い地域である。はるか遠くの景色も含めて、そう、富士山や筑波山も含めて、100mを越える山というものが一切見えない。それが山に対する憧れに繋がっているのだとは思うが、この山がちな日本列島に住んでいて、家から山が見えないというのはなんとも寂しい。
このへんの事情もあってと思うのだが・・・平地の田んぼの真ん中に、その昔、海が少しずつ後退していったときに、残していった砂丘跡を由来とする地形がある。かつて海跡湖や干潟から沼になった一帯(現在はたいてい田んぼとなっている)に比べると、1~2mくらいは高いその地形は概ね農業集落となっているのだが、その一部は植林になっている。
したがって、まっ平らな平地に木が生えている分少し離れても見えるわけであるが、これを称して「やま」という。僅かな高低差でもそこに山を見出そうとする意識の表れであろうか。

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シダ、芽だしの頃

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ひと雨ごとに・・・

つくしの話を前掲し、シダ植物の仕組みというものはなかなか馴染みのないものだと書いた。
春も三寒四温を経て日増しに本番に向かっている様相である。けれど自宅の近隣を数時間散歩してみたが、まだ、コゴミやゼンマイやワラビなどは出ていないようであった。
もう半月ほどすれば、ほどよい季節になるのだろうか。

シダというのは元来はウラジロのことを意味する言葉であったらしい。「ウラジロ」というのは葉の裏が白くて正月飾などにも使われる常緑のシダである。その葉が垂れ下がる様を「しだる」といい、それが転化して「シダ」となったと言われている。一方の「ウラジロ」であるが、「しだる」が「齢足る」などの長寿に意味付けされて、注連飾り(シメカザリ)の縁起ものになったともいう。

山を歩いていても、林道を走っていても、このシダの仲間はいたる所でお目にかかるわけであるが、冒頭のとおり、その生態というものは、なにやらさっぱりつかめない。

シダというのは、2態様の世代を繰り返して繁殖している。
私たちが一般に「シダ」と言っているのは、その一方だけで、もう1つの世代の間は人目に触れることもほとんどない。
1つは無性世代の造胞体といって、これが普通に見るあの「シダ」である、しかし、そのシダから放出された胞子が、種子植物の種のように直ちにまた新しく同様の「シダ」の芽を出し、それを繰り返してシダが繁殖しているのではない。
胞子はそれ自体発芽するけれども、いわゆる「シダ」にはならず、前葉体という有性世代に入る。これは1cm程度の小さなゼニコケのような、ハート型の目に付きにくいものである。このもう一つの世代では受精を行い、その受精卵から私たちが一般にいうところの「シダ」が発芽する。

シダは、何か人知れずといった感じで、こういう世代交代を規則正しく繰り返して繁殖しているというわけであるが、あまり注目して観察したこともなく、どうもピンとこないところが多分にある。
この春は少しシダに着目してみようかという気になった。

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道端の空き缶

群馬の山中、季節は夏だったろうか、緑が深くて林道は暗かった。走りながらも、沢が見えればディフェンダーを止めて水辺へ下り、花を目にすればカメラを構えてと、いつものこととはいえ、なかなか先に進まない林道探索が続いていた。

ふと道の側面を見ると、崖の駆け上がりに少しだけ穴を掘って、小さな祠が納まっていた。そして、山奥にもかかわらず、その祠には花が生けられてもいた。花は菊だったか何であったか忘れたが、花を生ける器はただの空き缶である。

ただの空き缶ではあったが、その缶の柄をよく見ると最近のものではなかった。サイズは350mlでスチール缶、若干錆びている。
銘柄はファンタ・グレープと普通ながら、ベースカラーが現在のベタの紫色ではなく紫のメタリック。なかなか懐かしい色合いである。
ひょっとして、群馬では最近まで流通していたのかとも思ったが、そういうことでもないらしい。

こんな本来価値のないものでも、使おうと思えばずいぶん長きにわたって使えるものなのだなあと感心する。

それはそれとして、進路を先に進めた。
沢沿いの道はいっそう深い緑に覆われながらも続いていたが、一ヶ所だけ木々が途切れて空が覗ける明るい場所から沢に降りられるようになっていた。
狭い路肩に停車して、そこを降りてみる。

そう広くない沢に、狭い河原、それでも少々休むには丁度いい。小さな焚き火跡があり、その脇にひどく古びて破れたビニール袋があった。その袋の中に、先ほどと同じ意匠のファンタグレープ。こちらは潰れていて、錆びの出かたはよりひどい。

しかし、もう何年も前のものであろうに、続けて2つも同じデザインの缶がよくあったものだ。
だからなんだということは何もないが、林道ではこうしたものをよく見かける。

ちょっとノスタルジックな想いも沸かないではないのだが、ゴミとして捨てられていた方の空き缶については、時が経たとはいえ感心しない。
無神経に捨て去ったものが、時を経てもなお残存することを目の当たりにしたわけであるのだから。


(追記)空き缶ではないが、空き瓶の話し、世には、戦前などの古い時期の空き瓶が山に眠っているのを掘り当てることを趣味にする方もおられる。その深い意味はともかく、掘り出した瓶を綺麗に洗うと、それはみごとなものである。

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山菜採りと春の林道

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ふきのとう・・・ちょっと伸びすぎです

そろそろ早春の山菜の季節になる。
そうはいっても、自宅周辺の山ではワラビなどを採るが、林道ではまず採ることはない。
いや、特に何かの主義があって採らないわけではないのだけれど・・・

山菜の時期は結構長くて、春から夏にかけての新緑もの、秋はきのこ類と種類そのものも豊富で、好きな方にはいろいろ楽しめるようだ。
林道を走っていると、随分多くの山菜採りの方々と出会う。そういう方々は、きまって、「こんな山奥に車で入ってくる理由などただ一つ、山菜を採るためだ」とでもいいたげで、林道を走る私を見る目は、ライバルの様子を量り見るような視線か、同類の仲間を見る温かい目かのいずれかのように感じる。

気さくに話し掛けてくる方は、私が何をしているかには疑いも持たずに、
いきなり「何か採れた?」とくる。
「ええ、まあぼちぼちとれてますよ。」と応える。
中には「何が採れてる?」と獲物を確かめに車内を覗き見てくる
「いや~、同じトルでも『撮る』」「写真のほうですよ」

こちらは大真面目だか、半ば呆れ顔が返って来るのがなんともおもしろく、毎回楽しみにさえなってきた。

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ツーリングマップル'04年版

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左は03年版、右が04年版

いやはや、少々驚かされた。
先日、中味を見もしないで、「大きな変化はないらしい」とか書いてしまったが、大変失礼をしてしまった気がする。

ツーリング・マップル04年版のことだが、本日購入。ちゃんと見たら、かなり改良されているではないか。
例えば房総なら、金谷元名林道や竹岡林道とか、山中林道、はては三間林道や増間林道まで載っている。
先の日曜に様子を見てきた大名栗林道も掲載されていた(これは「ツーリング関東」のほうにもマーカーはないものの掲載されていた。)。

昨年の改訂のときは、地図のベースを02年版までの従来のものから、デジタルデータに置き換えたものだったが、今思えば、急な方針転換に「林道地図」としての役割を持たせるのに時間が足りなかったようなことがあったようにも思われる。年版が新しくなったのにもかかわらず、前年より掲載林道が減少したような状況にあった。
ただ、地図そのものは、ずっと情報も多く凝縮され、自分好みではあった。
いずれにしても、林道自体は自分なりに書き込みをして表示しているので、個人的には、デフォルトで情報量が多いほうが助かる

本年版は、まず、先に触れたように、03年版で失った林道掲載を極力復活させ、さらに、中にはかなりマイナーな林道も少なからずマーカー掲載されている。
そして、多分、03年版をみて上下左右に繋がる地図ページが見づらいと感じた方も多いと思うが、その点も通常のロードマップ風に改められた。
掲載ページは03/04年共通なので、林道位置を説明するためには助かる。
ほかには、これも、林道のマーカー表示と同じと思うが、おすすめルートの表示が02年版までのもの並に多くなったのが目に付く。勝手な言い分だが、これは個人的に林道マップとして使うには、いささか余計である。

そんなところで、全体としてはかなり満足するに近い状態になってきたといえる。

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大名栗林道近況

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大名栗林道は眺望抜群

昨日、多摩川の河原で遊んだあと、夕暮れ時ではありましたが、大名栗林道を走る時間がとれたので、すこし様子を
ご報告。WOODLAND TRAILの今月のおすすめにも選んでおいたので、やはり自ら見ておかねばなりません。

名栗温泉側から進入。走ったのは有間林道と出会う中間地点まで。ゴロゴロと相変わらずこの時期は、雪で流された瓦礫が道に少々崩れかかっておりました。
やや、鋭利な石もあるので、弱いタイヤはご用心。
それにしても、相変わらずの景色の良さでしたよ。

近日、WOODLAND TRAIL(110-clubのアルバム)へ画像掲載予定です。

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河原でDO

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本日、多摩川でまったりミーティング
お腹の方も減ってきて、出来上がりが待ちどおしいところ

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林道ロードマップ

ツーリングマップル2004年版など登場

ロードマップの更新時期が来た。
数日前に町の本屋でふと見ると、ユニオンマップの「ツーリング関東」が、白い背表紙で(従来は黄色)新しくなっていた。とくに買う気はなかったので、パラパラとめくっただけだが、少しだけ手は入っていたようだ。
昭文社のツーリングマップルの方は、いつもの場所からゴッソリなくなっていた。
まあ、それを見て、ああ、これは近々入荷されるのかと思って、上記マップも確認したのではあるけれど。
ツーリングマップルも昨年のような大きな変化はないらしい。
まあ、手持ちのマップが古くなった方には、地図の旬である今が買い頃かなといったところでしょうか。

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つくしの袴

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ここ最近の急激な春の訪れに、春関連記事が続く・・・

我が家の周辺で、最も身近に春の訪れを感じさせてくれるのは、昔も今も「つくし」。「つくしんぼう」とよばれている。

つくしは、「スギナ」であることは広く知られている。「スギナの子」などともよく言われるが、それはそうではない。
「スギナ」は種の名前。シダの仲間(トクサ科の夏緑性のシダ)で、地中を長々と走る根茎から地上に茎を出す。この茎に他のシダ植物にも見られるように、胞子茎と栄養茎の2態があって、胞子茎の方を「つくし」、栄養茎の方を「スギナ」と呼ぶのが通例だ。

ところで、この「つくし」には「はかま」と呼ばれる部分がある。「つくし」の節目、節目についている濃い褐色の部分である。
子供の頃などに、手折った「つくし」をさらにその「はかま」の部分で切り離したり、「はかま」で繋いだりした記憶があると思う。

あの「はかま」実は「葉」だというから、少々驚く。栄養茎の方の「スギナ」にも、少し小さいが同じ形の「はかま」がある。

種子植物に見慣れてしまい。それ以外の植物、例えばシダ植物のつくりなどは結構知られていない部分がたくさんあるものだ。

林道にも、ぼちぼちつくしが出はじめるころになった。

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ヒキガエルも始動

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林道でもよく会うヒキガエル

それにしても、今年の春は訪れが早い。桜が咲くのももはや時間の問題だ。

仕事帰りの道すがら、ヒキガエルに出会った。
それも、商店・住宅の混在する幹線国道のアスファルトの歩道。もちろんビッチリ舗装していてどこにも砂地は見当たらない。
既に日が落ちて小1時間、空は真っ暗だが、国道はひっきりなしに車が走り、街灯も十分な明かりを路面に落としていて、足元は明るい。
急ぎ早に家路を急ぐ私の足元を、そのヒキガエルはひたすらノソノソと歩いていた。

いったい、どこから出てきて、どこへ向かおうというのか。
よくよく周囲を見渡すと、一箇所だけそこそこの広さのある街路用の花壇がある。その土の中で冬を越したのだろうか。
花壇から落差があるので落ちたのかもしれない。ヒキガエルはジャンプは苦手なのでまず上がれまい。

私の勝手な思い込みで、カエルにとっては迷惑だったかもしれないが、そのぼってりした体をひとつかみ、花壇の中へ放しておいた。
どう考えても、アスファルトとコンクリートにきっちり囲まれた歩道をそのまま歩いていては、よほど運が良くなければ干からびてしまうか、その前に自転車に轢かれるか車道に出てペチャンコだろう。

ヒキガエル。俗にガマとも呼ばれる。関東に住むヒキガエルはすべてアズマヒキガエルという種だ。
西日本にはニホンヒキガエルがすむ。
大きさは成体で4cm程しかないものから、15cmを越えるものまで様々だが、概ね国内では大型のカエルである。
しかし、このヒキガエル、オタマジャクシの尾がなくなって上陸するときにはたった8mm程しかなくて、ひどく可愛らしい。雨の日に集団で移動したりする。

林道でもヒキガエルは良く見かける。WOODLAND TRAILの林道レポートでもたまに画像を載せているが、例によって路面をノソノソと歩いている。ジャンプせずに移動は専ら歩くのが特徴である。

それにしても、あんな市街地でどう繁殖し、ここまで生き延びたのか、これからどう生活して行くのか。なにか非常に切ない感覚に襲われた。

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カマキリのたまご

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林道脇の草に付着して春を待つカマキリの卵

発泡スチロールのように弾力を持ちながらも、カリカリと乾いた質感。
このカマキリの卵というもの、正確には卵を収めた卵のうという一種の保護室であるが、誰しも幼い頃には、幾度か採ったことがあるのではないだろうか。

冬枯れの草むらで遊ぶうち、目の前に現れたこの奇妙な形の塊に目が止まり、気づいたときにはポケットに。家に帰って適当な入れ物に納めておいておくうちに忘れてしまったりする。やる気があるときは透明ケースや虫かごに。虫かごなどの目の粗い入れ物に入れておくと・・・・

ある春の朝、虫かごの前で恍惚とする時が訪れる。
カマキリは不完全変態で、生まれたときから親そっくりな体つきを持っている。羽はなくとも小さなカマはしっかり持っていて、チマチマした動きはなんとも可愛らしい。

しかし、卵のうから次々と生まれ出で立つその数には圧倒される。
生意気な顔つきで、小さな戦士を気取ってでもいるかのような彼らは、同じ顔をして後からあとから止めどなく現れる。
どうも、地球征服の使命を帯びて派遣された宇宙生物かなにかが、シェルの中から続々と登場する姿をイメージしてしまうのだけれども、私だけの突飛なイメージだろうか、それとも自分の世代のなせる技だろうか

まもなく、彼らがカリカリの塊を次々と打ち破ってやってくる季節だ。

【カマキリの関連記事】
カマキリの幼虫(幼虫、卵を産む高さと積雪の関係)
3匹のカマキリ(オオカマキリ、コカマキリ、ハラビロカマキリ)
カマキリの産卵(メスは繰り返し卵を産むこと)
カマキリの共食い(オスはメスに食われないこと)

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雲の名前

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見上げれば、いろいろな雲

一番好きな雲はなにかと言われれば、積乱雲と答えるだろうか。
危険な落雷をもたらす雲ではあるけれども、そのスケールといい、ダイナミックな諸現象を伴うことが興味をそそるし、なにより見た目が美しい。

夏の日に、山の向こうに更に高くそびえる姿、また、夕日を浴びて巨大な山脈のようにいくつかの積乱雲が立ち並ぶ姿など、これまで見てきた積乱雲が、それぞれ一枚の絵となって、深く脳裏に焼きついている。

積乱雲は、いわゆる「にゅうどうぐも」と呼ばれる雲であるが、厳密には、そのてっぺんがどこまで到達しているかで種別が分かれる。

積乱雲は大気の対流圏の上限に達したもののみをいうので、その頭がつぶれている。あたかも線香の煙が天井に達して四方に広がるように、入道雲の頭から富士山を逆さにしたような形の「かなとこぐも」を生じているのが普通。

これに対して、まだその高さまで達しておらず、まあるい頭で、より入道っぽいうちは、いくら大きくても積乱雲ではなくて、積雲。いわゆる「わたぐも」のなかまであるけれど、あまりにスケールに違いがあるので、雄大積雲という名称が正式だ。

雲の種類は、現在採用されている基本形で10種ある。しかし、上記で「 」で書いたような俗称があるのが雲の名前の特徴で、むしろ、そちらのほうが愛着が湧きやすいかもしれない。
基本雲形10種とその俗称をちょっと並べてみると、こんな具合になるがどうだろうか。

積乱雲・・・・・「にゅうどうぐも」
積 雲・・・・・「わたぐも」
巻 雲・・・・・「すじぐも」
巻積雲・・・・・「うろこぐも」
巻層雲・・・・・「うすぐも」
高積雲・・・・・「ひつじぐも」
高層雲・・・・・「おぼろぐも」
層積雲・・・・・「うねぐも」
乱層雲・・・・・「あまぐも」
層 雲・・・・・「きりぐも」

雲については、好きな分野でもあり、書き出したら画像も含めて、これだけで1つのサイトを作りたくなってしまいそうなくらいだけれども、今回はとりあえずこのへんまで。
機会があれば、季節に合わせて1つ1つ紹介してゆくことにしましょう。

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虫たち現わる

5日が啓蟄だったそうですが、室内で、虫たちがぞろぞろ這い出してきました。
我が家で飼っているイモリくんたちのえさとして、ある程度ミミズをストックしているのですが、そのミミズたちの元の生息地から一緒に持ってきている土壌には、いろいろ、さなぎやら混ざっていた模様。
気がつくと、何種類もの虫たちが、成虫となって次々羽化しています。あまり、皆さんに好まれるような虫ではないけれども、いや、むしろ疎まれそうな虫かも!
しかしながら、やはり春は来たかと強く感じた一幕でした。

昨日(6日)は午前に南西の暴風、船を出していたら転覆する恐れもあるほどの、嵐のような風が吹いていました。春一番と同系列のこの風、漁師の方に聞いたなら、きっと素敵な名前があるのかもしれません。

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タイヤ交換

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XZL ・・・コイツは、かなりいけそうです

WOODLAND TRAIL関連記事

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炎の名前

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炎とは、本来、複数の気体の発光反応をいう

炎は通常は人の活動と共にある、しかし、自然現象でも炎と捉えて呼ばれてきたものがいくつかある。

狐火などはその代表だろうか。
蒸し暑い日などに、山ぎわ、川沿いなどに現れるというその火は、火の気のないところに、オレンジっぽい火の玉が一列に並んで明滅し、近づくと消えてしまうらしい。
これは錯覚や妄想ではなく、実際に何らかの現象が起こっているのは確からしいが、あまり明快な説明は聞いたことがない。ただ、ほぼ光の異常屈折が起きているものと説明されてはいる。

似たようなものに、「ヒトダマ」もあるが、そう呼ばれるものの実態が定かでなく、これまたなんともいえないが、同種のものである可能性もあるし、自然のリンなどの可能性もあるが、いずれにしても、これらは名前からしてなにやら怪しい現象ではある。

林道を夜間に一人で走っているようなとき、ちょっとした気持ちの切り替え違いで、なにか物凄く心寂しくなるときがあるが、そんな時にこれらを目にしたとすると、おそらくかなりの怖さを感じるような気はする。

セント・エルモの火というのも有名だ。こちらは、原因も原理もはっきりしている。
雷雲が近づき、大気中の電場が異常に強くなると、地表から突出したもの・・・例えば山の山頂や尾根伝いなどでは、電場の強さがより高められることで、放電をはじめる。いわゆる先端放電というもの。この発光を伴う放電は、その昔、地中海の船乗りたちが、船の帆の先などで起こるのを指して、船の守護者セント・エルモの出現に例えられたといい、それが名前の由来だという。

実際にはその付近は、今にも落雷が起こりそうな地帯であるわけだから、危険極まりないので注意が必要だ。明るい昼には放電光は見えないが、シュィー・・・といういかにも放電の音が小さく聞こえるらしい。
林道を横切る高圧電線の下で、その音と同じような音を耳にすることもあるが・・・・まあ、聞かなかったことにしている。

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植林の形成

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切り出される植林の杉

山地の奥まで入り込んだ林道ならば、落葉樹林の中を走ることが多くなる。落葉樹は季節感があって、生物相も豊かである。本来、たいていの山にはさまざまな木々が生きていたはずだけれども、残念ながら、私の家の周りの山には、ほとんど杉しか見かけない。いや、人里近い山は、全国、似たような傾向にあるといってもいいかもしれない。

杉の山に生物が住めないなどということはないけれども、その種類は著しく減少する。やはり、多様な植物あっての多様な動物相といったところ。ただ、そうは言っても、原始自然の保全が絶対的であると訴えるような趣旨はない。限度を超えない範囲において、ある程度の人工林を許すバランスはあるはずだ。人々もそれなりには生きるために活動している。

地球規模での全ての植林のはなしであるが、植林というものは、長い時間のなかで、少しずつ今のような範囲に拡大していったのだろうか。あるいは、ある一時期に急進的にそうなったのか。現況は見知ったつもりだが、巨木が生え競う原生林ばかりだったはずの森が、現在の姿に至った歴史・経緯はよくわからない。驚くべきは人類の力ばかりということなのか。

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房総の素掘りトンネル林道

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異郷への入口か?

房総には、素堀のトンネルのある林道が多いことを前回ご説明した。
では、具体的に代表的な道を紹介しておく。

①林道志駒線
富津市志駒から南方向へ入ってゆく行き止まりピストンの林道である。道程は短いが、沢に沿った道は、山の奥深い雰囲気も満点で、そこに素堀のトンネルが4本連続で現れる。ただ、残念ながら最近は治山工事のため通行止めとなっている可能性が高い。
林道志駒線の地図

②林道高宕線
君津市怒田沢から日笠へ抜ける林道。これまた、近年通行止めが多く、なかなか走ることが出来ないのだが、景観もよい沢沿いで、走れれば極上の気分になれる。なお、本線のダート部分が通行止めの場合でも、通常は通行可能な怒田沢側の舗装区間で、いくつかの素掘りトンネルを楽しめるので、ダメ元で訪れてみてもいいかもしれない。
林道高宕線のレポート
林道高宕線の地図

③林道竹岡線
富津市竹岡から林道金谷元名線へと通じる林道で、復員がかなり狭く、大型四駆車では、状況次第で断念も必要になるほどスリリングな走行となる。この道は金谷元名線から下ってきたほうが雰囲気はよく、その場合、林道の一番最後を素掘りトンネルで締めくくって終点となる。トンネルは、かなり小さく掘られていて、高さは最低部で220~230cmくらいなので、車高のある車はルーフキャリアなどを装着時には抜けられない場合もある。
林道竹岡線のレポート
林道竹岡線の地図

④林道六本木線
R465、君津市の房総スカイライン入口(北側)の500mくらい南から東方向へ入る道。ピストンコースで、道もトンネル内もかなりのマッド、その筋の方は楽しめるかもしれないが、路肩の弱いところも多いので少々注意が必要。素掘りとしては、かなり大きなトンネルがあって、知人からコウモリが生息しているとの楽しみな情報をいただいている。
六本木林道の地図

⑤林道保田見線
県道182号線、富津市田島から高塚へ至る林道。この道は残念ながらダートではなく、簡易舗装の細道である。林道からは民家がいくつか望めるが、落ち着いたたたずまいは、随分古くからこの地に居住しているのではないかと想像される。林道の最奥部に3つくらいだったか、素掘りトンネルが残っている。
林道保田見線のレポート

⑥宇藤木の道
富津市最奥部の戸面原ダムから宇藤木の集落を経て山間に消えるこの道は、林道ではなく市道だと思われる。ダートでもない。路面そのものは普通の細い山道だが、素掘りトンネルはすばらしい。一つは普通の素掘りトンネル、もう一つはもともとあった大きな洞窟をくぐるような、他にはちょっと見られない景観を呈し、一見の価値がある。
宇藤木の道のレポート

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風の名前

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風の足跡

千葉/我が家の住まいあたりは、風がめっぽう強い。そして、風の強い日数が多い。
少々鬱陶しく感じなくもないが、その風にも、全国各地には様々な固有名詞などを持つものがあって、なかなか味のある名も少なくない。

「あなじ」とか「ならい」などの冬の季節風名はご存知だろうか。どちらも冬の偏西風起源の風。「あなじ」は日本海沿岸、主に山陰地方で使われる呼称で、対して「ならい」は太平洋側。東北から紀伊にかけて使われるらしい。

「あなじ」は小説などでしか会話の中で使われることを聞いたことはないが、とても寂しいイメージを持つ。ひとつの言葉が生むイメージというのは、人それぞれの経験などに由来するものだろうが、私は「あなじ」と聞くと、暗くよどんだ雲の下、ひと一人いない砂丘に半分風紋で埋まった風除けの簀が、ヒュィーヒュィーと鳴っている映像が浮かんでくる。

「ならい」は近くでは「筑波ナライ」など山の名前に付いて聞くことがある。そもそも「ならい」とは、山の側面に沿って吹く風をいうらしい。
釣りにいそしんでいた頃、主に漁師の言葉として、北(ならい)、東(コチ)、南(ハエ)西(ニシ)が使われていると聞いた。

そういえば、九州などで、南(ハエ)の付いた地名、例えば南風原(ハエバル)などを聞くが、房総にも横尾林道の南方向、長狭地方に北風原(ナライハラ)という地名があって、気になっている。

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