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高宕林道の早朝散策(補足)

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好天もあって気分上々の林道志組線

高宕林道の散策のあと、早々に帰るつもりでしたが、WOODLAND TRAILのレポでこれまで漏らしている林道(※印)などを少々回ってきましたので速報しておきます。

●通行可
志組線※(高宕山自然動物園脇から入る)
松節線※ 
横尾線 
高山線
渕ヶ沢線
旅名線※(三島湖・豊英湖中間あたりから東へ)
▲通行不可
市ノ沢線※(志組線途中から/延伸工事中)
袖ノ木線(いまだ工事中)

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高宕林道の早朝散策(現地)

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早朝の高宕林道を訪れています。
鴬のさえずりに沢の滴り。千葉では有数の沢道です。
※ただし、日笠側(西側)はウマあり。

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御巣鷹山と鷹狩

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一般の人々にとって、心に暗い影をおとす名前ともなってしまった「御巣鷹山」。
航空機事故史上、最悪の墜落現場となってしまった群馬県の南西端の上野村の「御巣鷹山」のことである。
御巣鷹山の周辺は、陸路としては相当に奥まった地域で、山道ばかりの私にとっても、訪れる機会はそうそう多くはない。

ところで、この御巣鷹山という山名だが、実は本来、固有名詞ではない。

話は江戸の昔に遡り、将軍などの鷹狩りが名前の由来である。「御巣鷹山」は鷹狩のために必要な2つの場所の1つであった。鷹狩とは単純に鷹を狩るのではなく、鷹を使って主に鳥を捕らえる権力者の遊戯であるが、この鷹狩のためには、実際の狩りの場である「御鷹場」と、狩りの主たる道具となる鷹を供給する場所としての「御巣鷹山」が必要である。「御鷹場」は獲物となる水鳥などが多い低地の湿原など、「御巣鷹山」は鷹の繁殖地である山であり、それぞれ公に指定された特別な区域であった。

つまり鷹狩に使う鷹の繁殖=供給地を指す名称が「御巣鷹山」であって、御巣鷹山は各地にたくさんあったようで、当の群馬の上野村だけでも30近い「御巣鷹山」があったという。

鷹狩りについていえば、私の住まいの近くにも、当時、何度となく、徳川の将軍が鷹狩りのために来遊したと聞いており、そのための道路や休憩所跡があちこちに散見されるくらいで、昔の話とはいえ、案外身近な話としての意識がある。

しかし、今や鷹類はクマタカやイヌワシなど絶滅が危惧されるものが多く、その雄姿を見ることはなかなかかなわない。林道を走りながらも、よく空を見上げる。大きく、その翼をいっぱいに広げて宙を飛翔する姿を想像しながら。

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泉水谷林道(追記)

4/25の走行状況は、次のとおりです
林道泉水横手山線・・・可
林道大ダル線・・・・・・・ゲート閉
林道笠取線・・・・・・・・・可
土室日川林道・・・・・・・可
砥山林道・・・・・・・・・・・可
日川林道・・・・・・・・・・・可
焼山沢真木林道・・・・・可
※泉水谷沿いで新緑始まりました。他所はまだです。

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泉水谷林道(現地)

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素晴らしい新緑に包まれた、この季節最高の林道を楽しんでいます。
~全線通行可~

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渦巻と螺旋

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~りょうけん座のM51渦巻銀河~

渦巻と螺旋は何がどう違うのだろうか。

ふだん言葉として使うとき、私のイメージとしては、渦巻は平面的、螺旋は立体的、更に渦は中心に巻き込み、螺旋はコイルのようにあまり巻き込んでゆかずに平行的と感じていた。渦巻きの中心は点であり、螺旋の中心は線になるともいえる。「螺旋の断面が渦巻である」という言い方も聞いたことがあるが、あまり、共感しない。

以下に、自分のイメージで並べてみたが、みなさんは、どう感じるだろうか?
(渦巻のイメージ)
渦巻星雲・熱帯性低気圧・渦潮・蚊取線香
(螺旋のイメージ)
階段・コイル・植物の蔓・コルク抜き
(微妙なイメージ)
竜巻・巻貝

しかしながら、真意としてはそういう違いではないのかもしれない。
漢字の意味でみると、「渦」はまさしく水の渦であり、「螺」はカタツムリやニナのこと。
してみると、巻貝は本家の螺旋なのか・・・

言葉の持つ微妙な意味の違いに、とやかく言おうと思ったわけではないのだが、少々興味を持ってしまった。しかし、ここまで検証したところでは、渦と螺旋にはきっちりした区分はなさそう。

ひとつだけ、感じたことはある。
私が個人的に「渦」と思ったグループのほうは、人工物である蚊取線香を除き、共通事項がある。
みな、その「渦」自体には実体がないということ。なにか固形などものそのものを指しているのではなく、星・雲・水などの実体あるものの集合状態の形態を指して「渦」といっていること。対して「螺旋」は固形物の形状そのものを指している。

息子に意見を向けてみた。私の分類に近かったが、蚊取線香は螺旋だという。彼によれば、螺旋はそれが線形で描かれた形状であり、渦はより混沌とし広がりのある流れであるという。私より整理された意見かもしれない。


(うずまき・おまけ)
そういえば、長いこと謎に思っていたことがあった。渦巻星雲もしくは渦巻銀河のことである。
あの渦は無論、星や星間物質の集合で形作られているわけであるが、なぜ、あの渦が時間の経過と共にどんどん巻き込んでいかないのかということである。
物質が回転していれば、内側ほど早く、外側ほど遅いはずで、その結果、若い銀河ほど拡散していて、年老いた銀河ほど巻き込みが強いということになりそうだが、そうした事実はないようだ。
それは、あの渦の「腕」と呼ばれる部分が実体あるものではなく、星などの物質のよどみのパターンにすぎないからだと言う。
説明として、車の渋滞のよどみのように、渋滞を形作る車は次から次に供給されているが、渋滞箇所のよどみそのものは、個々の車の動きとは別にそこにとどまるのと似ているとされる。
ただ、星が銀河を巡る速度が車のように可変とも思えないから、山を越える水蒸気が、山の頂上を越えるときだけ、気温の低下で雲として姿をあらわし、越えた後はまた消えて行くが、見た目にはひとつの雲が、頂上付近にとどまっているように見えるのと同じということだろうか。

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鳥の巣フィギア

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~夫婦仲の良いルリビタキ~

またしても海洋堂、今度はバードテイルズである。
コンビニでふと飲料を見渡すと、いつも手を伸ばすことのない棚にあった透明なペットボトルに、ちょっと気を引く色彩の袋がぶら下がっている。
うっ!またですか。10種類とのことです。あまり加熱しないようボチボチと買ってみたいと思う次第。

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Newton

科学雑誌の草分け「Newton」の編集長、竹内均名誉教授の訃報に接した。
わかりやすい科学の普及に尽力された、その功績は計り知れない。思えば「Newton」も既に発刊から20年以上を経ていて、創刊0号から最新号までが、私の狭すぎる書斎を埋め尽くしている。
ご冥福をお祈りしたい。

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山吹色

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ヤマブキの花が盛りの頃

先の週末、八溝山の林道脇では、ヤマブキの黄色い花が、小枝をしならせるほどほどに咲いていた。
ヤマブキの花は、桜のような形状の5弁の花びらを持つ標準的なかたちの花で、季節感も伴って、山中で目立つその色が特にいい。

幼ない頃からクレヨンでなじみのある色。山吹色。
幼少期には、とかくありがちだが、幼稚園で絵を書きながら覚えた「山吹色」は、幼稚園児には「やまぶきいろ」という音しか判らないので、「やまぶ・黄色」なのかなあ、などというカワイイ認識だった。そして、「やまぶ」って何だろう?そんな疑問を抱いたりしていたところなども自分らしくて笑ってしまう。

私は、どちらかというと、くっきりとした色使いのコントラストが好みなので、WEB上でもこの山吹色から橙色にかけての色を良く多用する。
主に暗い背景色に山吹色のテキスト。
うす暗い山道に、ちりばめられた豆電球のように咲く山吹の花は、なんとなく、この暗背景色とテキストの組み合わせと似ているような、そんな手前勝手な連想をしたりしている。

「やまぶきいろ」といえば、もうひとつ。大判、小判の類を指すことがある。私にはあまり縁がないはずなのだけれど、どうも大判、小判に対して隠語を使うとなると「悪代官と越後屋」の怪しい関係を連想してしまうので、この話しはこの辺までにしたい・・・

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カワゲラが一斉に飛翔

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~陽気に誘われ~

昨日は八溝山を遊んできた。
春の山は様々な季節感を纏っていた。
道端に敷かれたカーペットのように黄色いタンポポが咲き。同じ黄色でも、少し暗い山道で山吹の花が彩りを添えていた。タテハチョウがせわしなく羽ばたいては止まり、ヤマメの若魚だろうか、小魚が温んだ水に踊っていた。

水辺の昆虫と言えば、トンボのほかにカゲロウやカワゲラの仲間である。昨日の八溝山麓ではカワゲラが目立っていた。

カワゲラの仲間は、両生類のように幼虫はみな水生である。1~3年程度を幼虫で過ごし、主に他の小さな水生昆虫を食す(小型種では雑食もある)。
春から夏にかけて脱皮して成虫になるが、成虫は食物摂取の術をほとんど持たず、生殖活動の役目を全うする。このあたりの生態は昆虫には珍しいことではないが、あまり知られている話でもない。
人間の一生などと比較してみるのは、あまり意味のないこと。ただ、文学的には、セミやカゲロウなどのように「短い夏」などとして引用される。実際には幼虫の期間とあわせた一生が、その体の大きさに対して短いということはないと思うが、それはそれで、いいのかもしれない。

カワゲラの成虫の体は、みるからに原始的に見える。バッタの仲間(直翅目)の原型となるのだろうか。左右2対の羽をぴたっと平らに重ねて背中に乗せて畳む姿は、とても特徴的だけれども、同じカワゲラの仲間の詳しい種名は、なかなか難しい。

このカワゲラが、暖かな陽気でいっせいに羽化したのだろう。昨夕、八溝山麓では、走る車にカワゲラが群がるほどの飛翔が見られた。

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八溝山

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~春の八溝山頂付近~山頂は高原状

八溝山、この山は、茨城・栃木・福島の3県にまたがる県境の山。久慈川の源流にして標高1,022mは茨城県の最高峰である。

茨城県も我が千葉ほどではないが、それほどの高山には恵まれていない。この八溝山のほかには筑波山・加波山が著名であるが、いずれにしてもどの山も標高1,000mに満たないものである。

それでも、平野にポツンとそびえる筑波山や加波山も、かなり目立つ存在であるし、お題の八溝山はかなり懐深い印象で、ブナやダケカンバの落葉広葉樹の自然林もある程度の広がりを見せてくれるし、動植物の相が豊かである。

やはり、千葉人としては羨ましいところ。

「八溝」の名前は読んで字のごとく、八方に刻まれた谷の地形を指したものと言われる。その谷に沿って幾つかの林道が走り、その幾つかは県道などに格上げされて舗装されたりもした。

しかし、まだまだ、心安らぐ自然が残っている。ムササビやヤマネも住むと言うし、トンボの仲間もいろいろ見られる。

明日はこの八溝山へのツーリングだ。どうやら好天に恵まれそうで、この山も春が始まったばかりというところだろうが、たっぷりと楽しんでくるつもりである。

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川遊び

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~爽やかな水を感じる季節~

沢沿いの林道が美しい季節となった。
前記事のように緑のトンネルが目にまぶしい。

紅葉の時期も、もちろん美しいと思うのだが、個人的な比較としては、どちらかというと、哀愁感があって陰の方向へ向かうような印象がある紅葉の時期よりも、眠っていた草木が一斉に芽吹き、魚が跳ね、昆虫が飛翔するというような生命の躍動を感じる新緑の時期の方により強い感動を持っている。

沢沿いの林道はたくさんある。それは、当然といえば当然で、道は、目的の地点同士をできる限り短距離で結ぼうとするものだが、途中に何らかの障害があれば、なるべく容易に、また、工費を掛けずに造ることになる。そうすると山間にあっては、沢に沿ってか、尾根伝いというのがもっとも都合が良いわけで、実際の道も尾根筋か沢筋という2種に大別される。

この新緑時に沢沿いを走るときは、場所を見計らい沢に下りてみることを是非おすすめしたい。

ここでよく見られるのは、カワゲラやカゲロウの幼虫。水の中にある中程度の石をそっと裏返してみよう。きっと、2~3mmから1cm程度の小虫が何匹か石を這って歩くのがみられるだろう。
よくみれば、それらが、みなさんがよく知っているトンボの幼虫であるヤゴなどと似通った体型をしていることや、沢の水に流されにくいように、やや平たい形状であることもわかるだろう。

また、カワトンボもなどもぼちぼち姿を見せる頃で、秋のアカネ類とは違う、どちらかというと繊細で、ヒラヒラと飛ぶさまを見ることができる。

このほかにも、活動を始める生き物たちのことは、挙げだしたらきりがないので、そのへんは、また今後の記事に機会を譲りたい。

こうした生き物の観察は、とにかく楽しいのだが、もう一つ好きなのは、子供のころと変わらぬまさに川遊び。
水に入って、石を積んでダムを作ったり、そこに魚を追い込んだり、作った小さな川を大河に見立てて、箱庭的な遊びを楽しんだりと。
いったい子供の心がいくつになるまで抜けないのだろうか。

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ブナの林

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~若葉のトンネルを逝く~

いよいよ新緑の季節がやってくる。
山で一番好きな季節。特にブナの林道はたまらない。

新緑の季節のブナ林を走り抜けるとき、まさしく緑のトンネルをくぐるごとく、右も左も黄緑色。まだ柔らかい葉が陽光を透かして、また、隙間からちらりと光のスポットを道に落とす。

一度だけ見たことがある忘れられない光景。
部分日食の時をブナの林で迎えことがある。ブナと日食?まったく関係はないようだが、確かに直接関係はなく偶然だった。
ブナの若葉の隙間からこぼれた光のスポットは、普段なら地に丸い模様を描くけれども、そのときは、無数の月を映し出した。そう、ピンホールカメラの原理、欠けた太陽の姿そのままを地に映し出した。
幻想的な地に散りばめられた月模様。

ブナの森は北は北海道南部が北限で、南は鹿児島まで分布している純粋な日本の温帯の森である。
特に雪の多い東北や日本海側では、他の木々に比べて生存環境に適合していて競争に優ってブナ帯を形成している。

高さは20mより高くなり、直径は太いもので1mにもなることがある。むろん、そういう元気なブナは近年の環境ではあまりお目にかからないが、林道で奥地を走ると、たまにあの灰白色で滑らかな独特の幹をもった素晴らしい大きさのブナに出会うこともある。

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下館オフロード・コース

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~安全なコース設定~
午後は、コースで遊びます ・・・ううむ、私は辞退しとくか

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ツーリング(現地)

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~加波山で昼食~
本日はクラブツーリング、汗ばむほどの陽気の中で、春の加波山を遊びつくし

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アミガサタケ

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~林道からのお土産~

今日は絶好の行楽日和、今週末は人出も好調なことだろう。
行楽日和ではあったのだが、不本意ながらそれは明日に回して、今日は先週の群馬の山での車の汚れを落とさなければならない。
いつも、林道をタップリと走った後の洗車では、車の下回りからバケツ半分近い泥が出る。泥と言っても汚れ物ではなく、砂のようなきれいなものだ。

いつも自宅前の道路で洗車するので、その砂をそのまま放置するわけにはいかない。バケツに拾い集めて自宅内に捨てる。砂の質は走ってきた林道によってかなり違いがあり、つまらぬことながら、最近は少々目が肥えてきた。

さて、その砂だが、きまって自宅倉庫の裏手の庭に撒くのだが、今日も洗車後に砂を撒きに行くと、おや?
スモールサイズのつくしのようなものが地面から生えているではないか。近づいてよくよく見ると、キノコの「アミガサタケ」

このキノコは、春に顕著で雑木林や庭木の下などに生え、欧米では食用にするが、毒がないわけではなく、生で食べてはいけないらしい。しかし、フランスでは「モリーユ」という一級の食材に数えられると聞く。かごの目のような頭部の中は空洞で特徴的ですぐ見分けられる。

このキノコ、決して都市部や人家で見られないものではなく、むしろ身近なものではあるのだけれども、我が家の庭では今までまったく見たことはなかった。

思うに、毎週のごとく林道から運んでくる砂の中に、このキノコの胞子が混ざっていたものではなかろうか。そう、あの位置は、たぶん房総の林道を走った砂を捨てた場所・・・

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水族館限定フィギア

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なかなか精巧なイセエビ

江ノ島水族館が4月16日に新江ノ島水族館としてリニューアルするらしい。
水族館は大好きで一端入るとなかなか出られないが、それはともかく、過日、某コンビニで飲料水を購入しようとふと見ると・・・この新江ノ島水族館オープンのプロモーション企画として、1本に1体水族館オリジナル・フィギア(荒俣宏監修・海洋堂製作)が目隠し袋に入って付いている。
これはやられた、こういうフィギアを出されるとどうにも買わないわけにはいかなくなる。まあ、プレミアをつけてまで集めようとは思わないが、多分、何体もダブリ(同じ種類を出してしまって悔しいという業界用語・・・ウソ)を出して、在庫があるうちは買いまくってしまうだろう。

※ちなみに、イセエビの水揚げ県別日本一は、伊勢の三重県ではなく、千葉県です。

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海の名前

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~水のない晴れた海~

昨晩はひどく明るい夜だった。
見上げれば、その青白く冷たい光が、網膜を射られたかと錯覚するほどの鋭角かつ圧倒的な光量をもって、中天から熱を持たない光線を地上に照射していた。
まぶしいほどの満月は、ときとして狂気を感じさせる。また、なぜか、満開の桜にも似たような狂気を感じることがある。どこかでそんなイメージの刷り込みを受けたのかもしれない。

昨晩の月は満月、今晩は十六夜月となる。まぶしい月も、真っ白な円盤ではなくて、明暗の模様がある。特に白く光り輝く部分は、地上の地形に例えれば山地や高原。それに比べてみると暗く、青黒くも感じられる部分は海洋底。よく知られるように「うみ」と呼ばれている部分である。

地質成分による反射率の違いで、明暗が分かれているが、その各々の地形が形成された年代も、山は古くて海はそれより新しい。どうやってこれらの地形が形成されたのかは興味もあり、諸説乱立するところでもあるが、海はほぼ溶岩が噴出した物とされている。また、不思議なことに、いつも地球に同じ側を向けている月にあって、その裏側は地上から見ることはないわけだが、そこにはほとんど海がないのである(外縁部を除き小さめの海が1つのみ)。

月の海は、その形状が、明暗によりはっきりと裸眼でも見て取れるため、世界中の国や民族によって、古くから様々なものに例えられてきた。
日本なら餅を搗くウサギがもっとも一般だが、「カニ」や「女性の横顔」などという例えも、そう思いながら眺めると、なるほどと頷けるところがあって、感心することもある。

さて、この月の「海」と称される地形部分は、水がなく晴れた海・・・乾いた海である。けれども、なんとはなしにイメージはぴったりである。そして、その個々の名前そのものもなかなか悪くない。
アポロ11号により人類が初めて月面に降り立ったのが「静かの海」、ほかに「豊かの海」や「晴の海」「雨の海」「危難の海」そして「嵐の大洋」などなどである。
ほかにも、海の一部分の名前として「虹の入江」であったり「霧の浅瀬」であったりと、総じていずれもロマンチックな名前が付けられているといえる。このあたり、やはり月というものに対する、古来からの人々が持つイメージから来るものなのだろうと思われる。

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上野大滝林道(現地)

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~春の雪~
ねらいどおり、春の淡雪を楽しんでいます(全線通行可)。

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モデルカー

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ひとつ、ひとつに想い出がある

幼少の頃は、作業車が好きだった。自分自身が自動車というものを運転するようになってからというもの、その興味はすっかりスポーティな乗用車に向けられていたが、やがて、四輪駆動車にも幾分かの興味が分散し、今、実際に所持する車については、すっかり四輪駆動車オンリーになってしまっている。

現在乗っているディフェンダーは、本来的には生粋の作業車である。乗用車的な匂いの薄いところも気に入っている要因だが、そうなってくると、再び作業車や土木重機などにも自然と目が行きがちになり、ふと、幼少の頃集めたミニカーのことも想い出す。

幼少のころから自動車には興味があった。だから、当然のようにミニカーへ興味は向かった。
国産ミニカーの草分けであるトミカなどは、その発売開始からすでに30年以上を経たし、マジョレットなどは、私が生まれた年からモデルカーを世に出し始めたらしい。そんなミニカーの歴史と世代が重なることも手伝って、ほかにもマッチボックス、ヨネザワ、ダイヤペットやブラーゴなど和洋区別なく手の届くものには、いろいろ手を出していたが、幼少の頃は、車に対する興味のほとんど全ては、土木重機などの作業車に向けられていた。

当時の物価・生活水準では、そう安くはなかったモデルカーを親にせがんで買ってもらうが、その選定は2000GT、Z432などごく一部の乗用を除き(いわゆるスーパーカーブームはまだ来ていなかった)、専ら作業車ばかりであったといっても過言でない。

トミカで言えば、川崎重工のロードローラーやコマツのパワーショベルやブルドーザー、日野のミキサーやハシゴ消防車あたりを気に入っていた。その他でも、ダンプやクレーン車など、ともかく作業車ばかりだったのである。

そのなかで一番のお気に入りは、雪上車だった。
あれはどこのメーカー製のものだったろうか。マッチボックスあたりだったのか。2000GTなどの初期トミカの一部などはいまだ手元に残っているが、この最も気に入っていた雪上車は見当たらない。
とにかくキャタピラ駆動ものには心引かれていた。クリムゾンレッドのボディにガンメタの足回り、ダークグリーンのスモークガラスが新鮮で、見たこともないその実車に心馳せていたものだった。

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損益分岐点

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経済分野は苦手である。自分の仕事柄からいえば関心事であるベきだろうが、どうも性に合わない。

「損益」とはいっても、金の話ではない。
自分を取り巻く環境に対して、社会に対して、或いは地球規模での環境に対して、その行為がもつ目的や効果が、互いに背反する私的損益と全体損益との間において、どこでバランスするかということである。
この「損益」のバランスを正しく見切り、常にをそれを意識した行動を為すことは非常に重要と思う。
いわゆる公共心や道徳心というものだろう。

個人の利益と社会全体の利益というものは、得てして相反するものである。
人はそれぞれ、自己の目的があって、個々の判断で行動することが許されるが、当然それは無制限に自由ではない。

そうは言っても、何から何まで社会のために行動することを強要するのはいかにもバランスが悪い。社会にもある程度の許容力があり、無視できる損失も存在する。
しかし、その程度、損益の分岐点・バランスを見極めることがうまく出来ていない。

このような考え方は、私個人の価値観であって、人に押し付けるものではないけれども、一部の方々に同様なに考え方を少し持っていただけたなら、世の中もう少々は住みやすくなるだろうと思う。
それが自然保護の分野でも、或いは人間関係でも、その他すべての分野において、人が社会生活を営む上で最重要と考えている。

具体的な例をあげると分かりやすいが、各々の利害に複雑に絡み、問題が別の方向へ向かうことが危惧されるのでこれ以上は触れないが・・・

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イモリのいる部屋

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飼育は容易

イモリ、それもアカハラのニホンイモリは非常に無頓着に飼育することができる。
これ以上手を抜いても勝手に育つものといったら、おそらくは植物のサボテンくらいしかないのではなかろうか。

1、2匹で広い水槽で飼育すると、慣れるまで少々は時間も必要だが、数匹がいっしょにいると、もうどんなものでも口に入れて、餌に困ることもなし、その回数を少々おろそかにしたとしても(イモリにはかわいそうだが)、よほどの長期間でなければ、なにか問題がおきることもない。

このあたり、生餌が不可欠なカエルやトカゲなどとは大きな違いで、熱帯魚用などの乾燥餌で食事を賄えるのは本当に楽なところ。

そして、水質管理も見た目は別だが、相当に悪くさえならなければ、えら呼吸している魚類などとは違って、健康を損なうことも少ない。また、水槽に植物をふんだんに入れて、自浄作用を持たせれば、より一層に水のもちは長くなる。

温度管理などは、むろん日本の野生動物だから、熱くなり過ぎないように、普通の注意さえ払えば良いし、音や振動でどうこう反応する彼らではない。
また、イモリはあの体の大きさに似合わず、20年以上も生きるなど、思いのほか長生きである。

こんな感じで、それなりに繁殖させつつ飼育しようとすれば、また少々違ってくるが、単に飼育するとなると、ほんとうに楽に飼育できる生き物である。
そうは言っても、生き物を飼うということは、それなりの責任感を持って、また、愛情を持って欲しいと願うが、そういった心がけさえあれば、低負担で長年飼育できるイモリを部屋の住人に迎え入れるのも悪くないのではなかろうか。

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