« 2004年5月 | トップページ | 2004年7月 »

モウセンゴケ

06270040.JPG
湿原に潜む奇異な植物

食虫植物という名の持つ響きは、なにか怪しさとともに、心のどこかを騒がすものがある。
昆虫を捕らえ、それを消化して栄養素を吸収する姿は、実際のものを見たら、それほど綺麗なものではないが、静的であり、通常は動物の栄養源となるはずの植物が、逆に能動的な動きをして動物を捕獲するという意外性が心を沸き立たせるのだろうか。

先日、会津の大窪林道をを経由して駒止湿原を訪れた。この湿原に訪れたのは6年ぶりくらいだっただろうか、高原に広がる清楚で大きな湿原は、そこに立ち景色を眺めているだけでも心休まるし、また、高山湿原に分布する様々な植物の姿を見せてくれて、それらの観察も非常に楽しみだ。
この時期、ニッコウキスゲなどの目立った花も見られたが、背が低く、よく見ないと、ともすれば見過ごしがちなモウセンゴケが最も印象に残った。

モウセンゴケはロゼット状に葉を広げているが、その葉に真っ赤な線毛が密生し、集まって生えそろったところなどは、その名のとおり毛氈を敷いたようだ。
高原の日当たりがよい湿原に分布し、葉から生えた線毛の先から粘液を出して待ち受け、小虫がこれに止まると粘液の働きで動きが取れなくなる。
捕らえられた虫は線毛と葉に包み込まれ、やがて分泌される消化酵素によって消化されてしまうというわけだ。

湿原の木道に寝そべって、間近でモウセンゴケを観察した。線毛の先に出された粘液の一つ一つが、丸く光る球体となって、まるで朝露をまとった葉のように、透明感を伴いキラキラと輝いていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

甲子探検隊

040626131646.jpg
甲子林道(福島県)
名高いガレ道、甲子林道に2台でやってきました。四駆でもかなり手強い道、無事走破できました。

※追記:当林道の走行には相当の危険が伴います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ベニシジミ

N20040321_0012.JPG
~馴染み深い蝶も傍で見ると~

里山や田のあぜ道などを歩いているとき、足元をせわしなく逃げては止まるこの蝶が目にとまる。
目にはよくとまるが、小さい蝶であまり気にも留めていなかった。
しかし、カメラ、それも何でもどんどん撮るようになったデジカメのおかげで随分印象が変わった。手軽にマクロな画像を映すことのできるデジカメでこの蝶を撮影したとき、驚くほどこの蝶の色彩が素晴らしいことに気がついた。

もっともっと傍に寄って、この蝶を画像一杯に撮影したら、また、さらに違う世界が見えてくるかもしれない。
マクロ撮影を目的に野を歩くと、小さな野原のほんの一角が物凄く広い世界に感じる。自宅の花壇でさえ一つ一つの植物がそれぞれ小さな世界であり、その世界が無限に続いているような印象さえ感じることがある。まるで、自分が昆虫の世界に入ったかのようだ。

このベニシジミは、春も早いうちから現れて、10月くらいまでは見られるとても馴染みの深い蝶だ。人家の周辺でもいくらでも見られる。けれども、傍によって、じっとその深いオレンジ色を目に焼き付けると、どこにでもいるこの蝶が、とても高貴で希少な蝶にさえ感じてくる。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

6月の随想~雨の小武川林道

06200003.JPG
~19年前の6月の日記~

梅雨空の下、もとより雨は覚悟の上だが、いつ降ってきても良さそうな重い曇天の土曜日、半日出勤を終えたその足で温泉に向かう。彼女は、私の勤務先にほど近い駅前で、いつものように片手にした本を読みながら待っていた。雑踏の向こう、赤いクーペがロータリーへ滑り込んできたのに気がついて、静かに本を閉じ、しかし、にこりともせずに、それでいてどこか嬉しそうに歩み寄ってきて、黙ったまま私の右側の席に落ち着く。

・・・(中略)・・・

その温泉は、青木鉱泉といった。南アルプスの傍系となる白鳳三山の直下にひっそり湧く、沸かし湯の鉱泉で、周囲には木々の緑と沢のせせらぎ、そして野鳥たちのさえずりのほか、何もない心休まる環境にある。
いつからか、ルールのようになった毎月1回の温泉宿泊。雨に濡れてもあたりの美しさが変わらず、ゆったり湯に浸かっては、軒下で夕涼み、そして散策へと、静けささえ得られればそれで満足という要求を十分に充足した。

・・・(中略)・・・

彼女とこうして未舗装路に揺られるのも、近時はさして珍しいことではなくなった。山奥にある一軒宿の温泉へ続く道は、たいていスマートな舗装路などではなかった。今日も小武川林道なる道を車の腹を擦りながら走っている。
大きな石があらわになった河原に出た。道はまるで仮設のような木組の橋であちら側に渡されている。こんな道ならどこまで続いても・・・・

・・・(以下省略)

昨日、部屋の片隅から出てきた、懐かしい1枚の写真。
記憶は著しく曖昧でいて、ときに鮮明だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ディフェンダーは特別か?

N20040606_0046.JPG

私の結論は
ディフェンダーという車は、特別である。

あくまでメカニカルな面をみたとき、そして、自動車という機械としてみたとき、ディフェンダーという車は、なんら特別なものではないという。
もちろん、そのとおりだと思う。普通の車だ。
その希少性からの一部部品の調達性が、まったく問題とならないこともないけれども、それとて、たいした問題ではない。シンプルで、忠実なつくりは安心感もあるし、なにより、スカスカしたボンネットというのは親しみやすい。
ディフェンダーなのだからといって、特別な乗り方や、姿勢というものなど、勝手に決められては困る。私は当たり前の車として乗っている。

では、なにが特別か。
簡単な話である。私が特別に気に入っているからにほかならない。
どんな車種より気に入っていて、どんな車が隣りに並んでも羨ましくない。そういう車に乗ることをずっと望んできたけれども、いまは、それがある。

こうしたものの見方では、車という機械に対して、機械としてのみ見るのか、趣向も求めるかが大きな違いだし、その見方は人それぞれ。
ローレックスより、10万円前後の日本の時計のほうがはるかに機械として高性能である(ローレックスは個人的に興味がないので、いささか、自分の例えに辟易してしまったが・・・)けれど、性能だけで語る話でないことはいうまでもないだろう。

これに対して、電子製品は、いささか事情が変わってくる。
例えば携帯電話。あんな短期間で次々代替わりしてゆく機械に、ほとんど趣向を注ぐ期間などないに等しい。
私のモノに対する姿勢を改めなければならないモノが最近目に見えて増えてきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

梅雨の晴れ間

N20040605_0006.JPG
~照りつける太陽と爽やかな風と~

このところ、関東地方は梅雨の晴れ間が続いている。特に昨日などは、気持ち良く晴れた1日だった。梅雨前線が南海上に下がり、大陸から移動して来た乾いた高気圧に覆われたためだろうか。それとも東関東に特有の冷たい海から東風が吹いたためだろうか。いずれにしても、日差しは真夏並みだが、風は爽やかという、夏休みにちょっとした高原に出かけたのと似たような、気持ちのよい空気だった。

夏と冬、いや、単純に暑いのと寒いのとどちらがマシかと聞くと、私の周りのサラリーマンたちからは、大抵は「そりゃぁ寒いほうだな、寒いのは着込めば我慢もできるが、暑いのばかりは、どうしようもないよ」という答えが戻ってくる。

「ふうん、そうかなぁ?」と私は思う。
日本での常識的な暑さの範囲なら、汗をざんざんかいたとしても、寒くて身動きもできないより、ずっとましだと思うのだけれど。
特に汚しては困る服でも着ていれば別だが、汗をかくのはそれ程にいやなことではない。自然な発汗なら、むしろ気持ちよいと感じることも多い。

夏の盛りに生まれたせいなのだろうか。子供の頃から暑いのは好きだった。就学前の幼少時、みな、暑くて家から出てこない中、ひとり玉網を持って、エビガニ(地元でアメリカ・ザリガニのこと)捕りに明け暮れていた夏を思い出す。日射病になるからと、麦わら帽子をかぶれと言う母親のいいつけはまったく聞かず、汗をジュウジュウと流して、田んぼのあぜ道を歩いていた。母親は、この炎天下に、小さな子供を帽子もかぶさずに出歩かせているなんて、どこのバカ親だか顔を見たいなどとと、近所のいい笑いものだと嘆いていたが、当の本人としては、麦わら帽子のあのチクチク感はどうにも我慢がならなかった。近所の水場で充分水分は補給していたと自分では思っている。

今はどこにでもエアコンのある時代。スポーツや山登りでもしないと、全身びっしょりに汗をかくほどのことは滅多にない。
車に乗っても、町で行き交う車に窓を開けて走る姿は少ない。爽やかな高原や清流の流れる沢沿いに行っても、窓を締め切った車の割合はさして違いがないほどである。
暑い街中の車内で、わざわざ汗をかく必用もないが、爽やかな空気のある場所を訪れたときくらいは、少々気温が高くても、新鮮な空気を車内いっぱいに取り入れたい。もちろん、汗をかくためではなく自然により親しむためだ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

カマキリの幼虫

N20040613_0001.JPG
~アジサイの花の上で獲物を待つおチビさん~

カマキリの卵」の記事への自己トラックバックになる。
あのカマキリの卵から出てきた、おびただしい数の幼虫たちの中の一匹の今の姿。
もはや、羽がない他は親とまったく変わらない。物を近づければ、前肢を振り上げ、身を乗り出して威嚇してくる。なんとも非力なはずの小虫が、せいいっぱいの虚勢を張っている姿がとてもほほえましい。
そうはいっても、一緒にあの卵のうから這い出してきた兄弟たちのうち、今もこうしてがんばっているのは何パーセントくらいになるのだろうか。

カマキリの仲間は強い肉食性を示し、このような小さなうちも完全な肉食性は変わらないはずなので、この小さなカマを振りかざして果たしてどんな獲物を捕らえるのかも気になるところだ。想像するには、小さな羽虫などが考え付くところだけれども、飼育外で実際にカマキリの幼虫が捕食しているシーンを見たことはない。

ところで、カマキリは秋に卵を生み、卵は冬を越して春に孵化することをタマゴの時に書いたのだが、そのとき書き忘れたことがあった。
カマキリは、その年に雪が積る高さよりも高いところに卵のうを産み付けるというのだ。いや、この話は間違いない事実なのか、そういう傾向も見られる程度の話なのか、それとも、まったくのガセネタなのかはここで白黒はつけない。
しかし、積雪のある地方の方が、その年の積雪量を事前に知る手段として、その秋にカマキリが生みつけた卵のうの位置をみて量るという話は、真偽は別にしてとても興味深い話である。

あいにく積雪のまったくないに等しいわが住まいの周辺では、これは検証できない事実なので、積雪のある林道へ出向いた時には、機会あるごとにカマキリの卵を捜すが、これを検証するには到っていない。

深く降り積もった雪の上に、埋もれずに残ったカマキリの卵を見た方はおられないだろうか。

【カマキリの関連記事】
カマキリのたまご (卵、幼虫について)
3匹のカマキリ(オオカマキリ、コカマキリ、ハラビロカマキリ)
カマキリの産卵(メスは繰り返し卵を産むこと)
カマキリの共食い(オスはメスに食われないこと)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

アサギマダラ

asagimadaraWR100.JPG
~渡る蝶~

林道で、アサギマダラをよく見掛ける季節になった。
アサギマダラは、中サイズの蝶で夏季に標高のある林道では比較的よく目にすることができる。このシーズンでは静岡の林道(智者山林道)と群馬の林道(御荷鉾林道)でお目にかかっている。

この蝶の渡りは有名で、識別票を付けて調査される、その調査によると、たしか3,000Kmくらいは渡るらしい。それも渡るときは、何千匹もの大群をなして渡るらしく、その光景を見ることができたなら、さぞかし素晴らしいことだろう。
林道で見掛けるときは、いつもふわふわと、ゆっくりと軽く優雅に、まるで夢の楽園を飛ぶ蝶のように飛んでいる。

このアサギマダラは、オスに固有の匂いがあり、まあ、それはあまり好ましい匂いではない。そして、屋久島や南九州などでは、その大群を実際にみることができるらしいが、大群の中では、確かに見た目は優雅で夢の中のようであるものの、その特有の匂いのために夢破れるというのが現実らしい。

それでも、こうした優雅な生き物には、匂いなどつき物であり、鼻の感覚を止めてでも、その大群の姿を見てみたいものだ。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

続・梅雨入り

degi-came.jpg
~デジカメを見ていて、ふと思う~

前記事で自然がそう簡単に割り切れないと言いはしたが・・・

自然の現象には、単純明快な法則、数式で簡単に表わせるものから、大まかな規則性はあっても、はたして数値化が可能な法則があるのかどうかわからないものまである。

そのままでもいい気もするのだが、人は、そうした不可解と思われる現象の基礎となる、微小で繊細で気が遠くなるほどの数量のデータの一つ一つを解き明かし、その一つ一つのすべてをいつしか紡ぎ合わせて、デジタルによる擬似アナログを完成させてしまうのかもしれない。

自然の現象と言うものは、そう簡単にはデジタル化できないが、デジタル力メラの高画質化を見ていて、「梅雨入り」という話題からは、ちょっと飛躍しすぎたけれど、そんなことを感じてしまった。そういえば、CDというメディアの登場時にも似たようなことを感じた気もする。

微小擬似の圧倒的数量の積み重ねによる近似は、人の感覚は充足させてしまいつつあるが、はたして、自然のシステムの中でも、本物と同じ役割をまっとうしてゆくことができるのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

梅雨入り

ajisai.JPG
~梅雨といえば~

関東地方も本格的に雨季に入ってきたようだ。
梅雨入りという気象用語はあまり好まない。いや、文学的に使うことには何ら抵抗ないのだが。

梅雨入宣言というのが好ましく感じない。この時期、はっきりした雨季があるのは間違いないけれど、そもそも混沌とした気象現象の中でも、かなり曖昧さのある雨季に「始めの日」も「終りの日」もないだろう。春と言われて、いつから春で、いつまで春なのかがないように。
もちろん、気象関係者は、そんなことは百も承知で、単に一般的生活を送る人の利便を図る目的と、気象データの集積のために設定したものと思う。
しかし、現実にはかなり一人歩きしてしまって、まるで今日から夏休みとかいうごとくに、きっちりしたものと思い込んだ人もいるくらいだ。
あげくは、気象関係者に真面目に文句を言うほど。

気象ついでに思うことだが、天気予報についても、あくまで自己判断の一つの材料どまりと考えてもらえればと感じる。
混沌とした自然現象は、そう簡単には答えにたどり着かないと考えるベきだろう。

自然はどこまでもおおらかだし、それに接する我々も、常に寛容にゆったりと構えて受け入れる余裕が欲しい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

林道で星を見る

sco.gif
~夏といえば、やはりさそり座~

暗い空は極めて少ない

星を見るのは大好きだ。ただ漠然と何も考えず眺めてもよし、あの星は赤色巨星特有の脈動変光星で今夜あたりはやけに暗く見えるなど、まっとうに見るのもまた楽しい。

残念ながら、我々の世代では、子供の頃からもう既に空はさして暗くはなかった。小学生の時分にも光害という言葉が叫ばれていた。

山の一軒屋の温泉に泊まり、夜の散歩をしてみる。少し夜露が落ちかけた草の上に腰を下ろして見上げる先には、しばし息が止まってしまうほどの無数の星が降ってくる。光の束を投げかけられて目が廻ってしまうような感覚に陥る。

それほどの星天井は、ごくたまに好機に恵まれれて見ることがある程度だけれど、あれが本来の夜の宙。

昨年だったか、山梨の大ダル林道を巡っていたとき、その一角にいかにも星の観察に適した広場があった。初夏だったか、まだまだ日の入りまで相当の時間はあった。
それでも2組くらいか、既に望遠鏡・カメラのセッティングを終えて一息入れている姿が目にとまった。

そこで一緒に、いや、その方々と交友を持ちたいと思ったわけではない。同じように望遠鏡を構えて、夜の訪れをただ待ちたいと思ったのだった。

それにしても、自宅から手軽なところにこのような環境があったらどんなにいいかしれない。少々距離があっても、望遠鏡の光軸がずれないよう十分に処置して出かけてみたいものだ。

今夕は、望遠鏡こそ持っていかないが、群馬の林道で降るような星空を楽しむことができそうだ。

世界中の星空
ここの、プラネタリウム・ソフト「Stella Theater Pro 」(シェア・ウエア)はオススメです。愛用してます。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

潰瘍

06030001.JPG
~お世話さまです~

胃の痛み。
これは車の運転にはかなり堪える。正確には十二指腸潰瘍
せこせことしたドライバーの身勝手な本性が、あからさまに見えてしまう多車線道路は特に辛い。タクシー運転手の方に潰瘍が多いのもうなずける。
緑に包まれた林道では、そんな痛みは覚えないし、あっても忘れてしまえるのに。

毎年やってくるバリウムのシーズン。
不思議なことに、検査が終ったら胃部の痛みが収まった。
バリウムを飲むこと自体がストレスだったのだろうか。
カメラを再び飲む日が来ませんように・・・

とりあえず、今年の検査を無事クリアーした+15pt

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2004年5月 | トップページ | 2004年7月 »