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蝶の道2

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あのアゲハの道での儀式

台風が遠のいてまた暑い日ざしがやってきた。
真っ青に突き抜けた空を足早に流れて行くわた雲を眺めながら、あのアゲハ蝶の道を辿ってみた。今日もいつものアゲハの雄がやってくるだろうか。アゲハ蝶の仲間の雄が、「蝶道」という決まった飛翔コースを周遊していることを前回お話したが、そのロマンチック街道をまた歩いてみたのである。

はたして、いつものアゲハの雄が翔んできた。いや、必ずしもいつもの雄なのかどうか、確固とした自信があるわけではないけれども、そう思うのが自然の思い入れというものだろう。
アゲハはせわしく羽ばたきながら、花にいったり地上スレスレを飛んだりしていたが、ふと椿の葉に止まった。アゲハとはあまり関係のなさそうな椿だが、どうしたものかと思って更に眺めていると、なんとすぐそこに雌が飛んで来ていたのだ。

アゲハの雄は、このときとばかりに雌にスクランブル。
どうやら運良くこの雌は未婚の雌であったようだ。雄のスクランブルに雌はすぐ下のピンクの花をつけた草に舞い降りた。一生に交尾は一度きり、二度とは受け入れないというアゲハ蝶の雌と、これをうまく見つけた雄がやがて重なり一つになった。

思いがけないところに出くわした幸運に、少々気は引けたけれども、結局、彼らの気持ちにおかまいなく、傍で時おりカメラを構えては、じっと待たせてもらった。しかし、その儀式の時間たるや延々70分の大事業だった。

・・・すべてを終えた雄と雌は、ツガイとなって翔んでゆくでもなく、何もなかったように、右に左にとまた翔び去ってゆくあたりは、やはり微塵も無駄のない種保存のメカニズムにほかならなかったことを思い知らされるところだ。

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アブラゼミの季節

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~じりじりと汗がにじむような鳴声~

いよいよ、夏の鳴声の本命が騒ぎ出した。
夏を彩る虫たちの声で最も耳に馴染みあるのがこのアブラゼミ。御世辞にも美声ではないが、なんとも暑苦しい夏を象徴するかのようなこのセミの声は、逆に聞こえなかったら寂しい気がする。

アブラゼミは、全国で最も普通のセミで、まあ、知らない人もないと思われる。セミというと、夏の間の短命を象徴することが多いが、実は7年も生きる長生きなほうの昆虫である。まあ、そうはいっても、一生のほとんどは地中で過ごすのではあるけれども。

初秋に産み付けられた卵は、すぐに孵ることはなく、実に10ヶ月後の翌年の梅雨時に孵化することはあまり知られていないかもしれない。木のささくれの中のようなところに産み付けられた卵は、梅雨時の木が湿気を帯びて柔らかくなった頃を選んで孵化して、幼虫の脱出には都合がいい。そのためだけに10ヶ月の時が必要なのかは解らないが、そういうところも自然の驚くべき部分である。

幼虫は以降、長い年月をずっと地中に過ごして、7年目にはじめて地上に顔を出す。
これからの季節、夕方から宵に幼虫の這い出す姿を見るのも楽しみの一つである。幼虫は地面から這い出して、羽化の場所を探して歩き回る。これを観察するには、昼間のうちに、幼虫の抜け出てきそうな場所を探しておくのがいい。よく幼虫の抜け殻が集中しているところがある。その近辺で幼虫が既に抜け出したまん丸な穴が空いた出口をまず見つける。そして、その周辺に小さなまん丸でない穴を捜すのである。これは桜の木の根元あたりが一番有望かもしれない。
出てくる幼虫は可愛らしいけれども、これは、もうその晩のうちに羽化してしまうから、そっと見守って観察するか、確実に羽化の場所を確保できるところに置いてやらなければ可愛そうだ。

特定の場所でジッと静止して体が硬直したら、そこで昆虫図鑑でよくみられる、あの真っ白なセミの誕生を見ることが出来るわけだ。

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ウグイ

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~房総の林道で見かけたウグイたち~

房総の山は低山で、山奥の沢は清流には違いないが、高山のそれとは異なってもうすこし土の匂いがする。
林道脇で綺麗な沢を見つけると、車を止めて沢の脇を歩いてみるが、房総の沢で覗き込んだ水の中の住人で、一番目立っているのがこのウグイである。

つい先日も房総の林道を走っていて、脇を流れる沢をふと覗き込むと、腹部にややオレンジ色をにじませたウグイの群れが目にとまった。産卵期である春~初夏には腹部が強い朱色、併せて背部に黒いラインも現れて、アカハラなどとも呼ばれることがある。
ウグイは日本全国たいていのところに住んでいて馴染み深い魚だと思う。私が子供の頃は、周辺ではハヤと呼ばれて親しまれていた。さして大きくはならず、20~30cmもあればかなりの大物だ。

しかし、以前の「ヤマメ(山女魚)」の記事で書いたような、サケの仲間の魚とも似たところがあり、コイの仲間であるウグイにも海を回遊するものと、一生川を出ないものとがいるのは案外知られていない。普通に知れているのは海に出ない20cmくらいの個体で、どんなに大きくても30cm~35cmどまりであるが、海に出る仲間・・・正確には普段海にいて、産卵期に川を遡上する仲間は、50cmを越えるというから、ウグイのイメージとは随分異なるだろう。

いつも車に竿を積んでいるので、うき釣りを試してみることもあるが、竿が短くてまったく警戒されてしまい糸に反応がない。かなり、臆病な性格の魚なのである。

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ハスの花・夢

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吸い込まれてしまいそうな花

地元である房総の海からの帰り道、いつものように林道を走った折に、その入口に蓮田があって足を止めた。
丸い葉を一面に拡げ、その上に大きな花を開くハス。
あのピンクの大きな花は一瞬息が止まるような美しさと、なにか得体の知れない空間に繋がっているような不思議な存在感を持っている。

花の後に残される、あのジョウロやシャワーの先のような、見方によれば蜂の巣のような花床も顕著な形で面白いし、中に空洞のある根茎、すなわちレンコンを持つ根も相当に特殊なものだと思う。

あのレンコンの空洞は、地中の大量のバクテリアの呼吸によって被る酸素不足を補うために、葉から空中の酸素を取り込んで溜め込み、そこから酸素を体全体に送るための通気孔だという。そういえば、丸い葉も一面が細かい毛で覆われていて、たとえ水を被ってもそれを水滴にして転がり落としてしまうことなど、その吸気孔を水で塞がせないためのものといえるのだろうか。

真夏の真昼。太陽が容赦なく照りつけ、それこそ陽炎の中で微動だにしないような空間にぼんやりとしたオーラに包まれて咲き誇っていたハスの花。じっと見ていると、フッと吸い込まれて意識さえも吸い込まれてしまうような感覚に襲われた。
一度吸い込まれたら、百年も千年も目覚めることがないような、甘美な夢の世界の向こう側へ行ってしまいそうな・・・

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蝶の道

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同じ花にいつもやってくるアゲハ

暑い日ざしに眩しいばかりの羽を拡げたアゲハ蝶が、庭の花壇に時おりやって来る。
注意して見ていると、まったく同じ蝶が定期的にとは言わないが、何度も同じ場所にやってくることに気付くはずだ。キアゲハやクロアゲハなど、アゲハ蝶の仲間の雄は、たいていは決まった飛翔コースを持っていて、そのコースを何度も周遊するように飛んでいる。

その飛翔コースのことを「蝶道」という。何を基準に道筋を決めるのかは解らないが、名前といい、なんともロマンチックな道である。

アゲハチョウの雄は、そのコース内の花を巡回しては時おり蜜を吸っているのだが、途中で雌に出会うと追いかけて、雌の周りを廻るように飛んで、雌が着地するようにする。着地した雌と交尾するための行動であるのだけれど、このコースを巡回する行動自体が子孫繁栄のためのプログラムなのだろうか。

もうひとつ、ちょっと意外なことがある。雌の蝶は雄が着地を求めると着地する場合と飛び去ってしまう場合がある。それが相性とかいうものでなく、既に交尾の経験のある雌は二度と交尾を受け入れずに飛び去ってしまい、未経験の雌のみが交尾を受け入れるのである。

実は、雌が交尾を受けるための腹端は、交尾中に雄が出した分泌物で塞がれる。そして、やがてそれが乾いて固まり、栓になってしまうのだ。つまり、アゲハ蝶の雌は、一度交尾をすると貞操帯をつけられてしまうというわけである。

ただ、雌は雌で、その栓があるなしに関わらず交尾を拒否するらしい。蝶の仲間はアゲハ以外はこのような詮をしないが、それでも同様に交尾経験のある雌は再び交尾をしないという。「花から花へ」とか「夜の蝶」など、浮気性なイメージがある「蝶」であるけれども、実際にはおどろくほど貞淑な昆虫なのである。
ちなみに、雄はというと、交尾後2~3日もすると回復して、また元気に雌を追いかける。

軽く流して考えればちょっと笑える話でもあるし、深く考えると、まったく無駄のない種保存のメカニズムに驚かされるばかりである。

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東北の夏

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山には既に赤とんぼが

関東はまさに真夏、記録的な暑さが続いている。みなさんは夏といえば海だろうか。海も好きなのだが、四季を問わず、やはり山に傾倒してしまうのは、単なる山に対する憧れとしか説明できない。

さて、夏の休みといえば東北地方の山というのが、我が家の定番になっている。人混みが苦手というのも大きな理由だが、やはり、自然の保存度合いが格段高く、自宅から比較的便利というのがいい。

ひとつ欠点もある。年によって天候が著しく不良な場合のあることだ。
一週間滞在して、一日も晴れなかった年もあった。そういうときは、概して気温も低くて夏らしさが微塵もなかったりする。

先週末は蔵王の山麓を訪れた。
いまだ雨季の続く不順な気象ではあったが、おびただしい数の赤トンボが出迎えてくれた高原はやはり空気が爽やかだった。
今年の夏は運悪く、いい時期にまとまった休暇が取れそうではないが、それなりに楽しもうと計画を練っている。

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ニイニイゼミ・真夏の訪れ

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~真夏の到来を告げてくれる~

ニイニイゼミの声が盛んになってきた。関東の一般的平地では、梅雨明けにニイニイゼミ、盛夏に入るとアブラゼミ、残暑にツクツクホウシという順に、時節の流れと共にセミの声の主体が移り変わってゆく。

チィーーイーーというニイニイゼミの声、好んで付く桜の木が集まる林などで数匹が幾重にも重なって鳴く中にずっといると、頭の中味がセミの声に共鳴し始めて麻痺してしまったかのような感覚に陥る。よく頭の中に入り込んでくる音である。元々自分は、耳鳴りがいつもしているようなところがあるが、耳鳴りとセミの声がいつしか区別できなくなってしまう。そんな感じだ。

そうはいっても、セミの声が嫌いだったりするわけではなく、これ以上なく夏らしいこの音声がある環境は好きである。

ニイニイゼミの姿は、羽が不透明のマダラ模様、小ぶりで幅広という、日本の他のセミと見比べて一目でわかる形であるが、背中の文様に2通りの色があるのが、子供の頃から不思議だった。すなわち、薄緑の彩色とオレンジの彩色だ。雌雄の別ではなく地域性でもなく、色分けの明確な理由が解らない。

家の近くに桜の木があるので、自宅からもよく声が聞こえる。先日も都内居住の知人が来宅した際、「もうセミですか」と言っていた。自分としては早くもなく遅くもなく、いつも通りの夏の訪れと感じているが、人により感じるところ様々というところなのだろう。
しょっちゅう林道を出歩いているので、セミの声は既に相当早い季節から聞いている。山では、ハルゼミ、エゾハルゼミが5月から鳴き始める。とくにエゾハルゼミの声は特徴があって、一度聞くと忘れられない。鳥の声かキリギリスの仲間などの声のような、「ミョ~~キッ・ミョ~~キッ」という声に続き、「ケケケケケ」というヒグラシの声。始めてこの声を聴いた時は2種の別の生き物の声と思ったが、これが、あの有名な(その筋では)「ミョーキンミョーキンケケケケ」というエゾハルゼミの声と解ったときは、なんだかとても嬉しい気分だったことを思い起こす。
エゾハルゼミの声、今年は御荷鉾林道、甲子林道などで聞かせてもらった。

深夜になったが、自宅の前の桜の木では、いまだにニイニイゼミの声がやまずに聴こえる。日中のセミの声は季節感に溢れて心地よいが、この時間のセミの声は不自然で愉快な気持ちにはなれない。原因は木の傍にある防犯灯の影響に他ならない。防犯という、悪意ある人間さえ存在しなければ、本来必要のない行為をなさなければならないという不合理が非常に腹立たしく感じられる。

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グリーンアノール

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~実は脱皮するところなのです~

帰化生物の繁殖規模の増大については、あらためて言うまでもないが、林道で分け入った山の奥地においても、そうした帰化由来の動植物に出会うことが、あたりまえのようになっている現実を目の当たりにしていると、楽天傾向の私といえども、少々心配にはなってくる。

生物はもともと棲息域の移動、拡大を繰り返して繁殖してきたものではあるのだけれども、何の脈略もなく、突然そこに放たれた生物は、その生物には都合の悪い敵対生物(いわゆる天敵)との縁を断ち切った繁殖を手にするため、比較的多くの場合において、競合する他の在来生物に対して優位である。

ある地域に新たな種が単純に加わるだけならば、生物層が多様化するのみであって、それほど深刻なことではないのかもしれないが、その環境が支えることのできる生物数には限度があって、競合ということが起きるから、帰化生物というものが、上記の優位性から、在来種を駆逐していってしまうところに問題が付きまとうわけである。

我が家にグリーン・アノールという帰化種のトカゲがいる。北米原産イグアナ科のこのトカゲは、1960年代の後半に小笠原に移入されて、現在では定着繁殖して在来のト力ゲに悪影響が出てしまっている。我が家のものは、その小笠原からとある経路でやってきたのだが、なかなか食欲旺盛で、動きも活発で愛嬌があり、緑から茶への色の変化なども見ていて楽しく、なんといっても姿が可愛いが、やはり、日本に定着している生物としては、なにか違和感もある。

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恐竜フィギア

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~ティラノサウルス~

近頃、ドリンクのオマケでフィギアがあたりまえのように付くようになってきた。商策にいとも簡単に乗ってしまうのも非常にしゃくだが、なかなか痛いところを突いてくる。
どうしても、理科系の生物ものを出されると、飛びつかざるを得ないのだ。

今回飛びついたのは、恐竜フィギアで10種×塗装各2色種とのこと。
例によって、実物に忠実で精巧な海洋堂のフィギア。型としては10種で同型フィギアが2色パターンあるというのも、なかなかに玄人だ。実物に忠実というならば、同じ生物の色は通常1種だろうにと思われるかもしれないが、恐竜の本当の色などというものは今のところ判らないのである。なにせ、恐竜は化石でしか存在しないのだから、その色というのは、現生の近縁の生物。まあ、爬虫類ということになるが、そのあたりの色合いから想像して図鑑や博物館のモデルは着色されているわけだ。つまり、いろいろな色のパターンが考えうるのであり、そのあたりの想像力を掻きたてることまで意識したフィギアのつくりということなのだろう。

では、恐竜の色は実際にどうだったろうか。
我々が古くから見てきた図鑑などでは、ワニなどの色合いからあてられたと思われるかなり地味な色彩で描かれているが、生物の多様性というものは、ときに非常に驚くべき形状や色彩を見せてくれる。比較的地味な日本の爬虫類でもニホントカゲの幼生が鮮やかなスカイブルーを呈しているように、赤も青も黄も緑も白もどんな色があっても不思議ではない。そんなところから、最近の恐竜の図鑑などでは、かなりカラフルな色彩に彩られた彼らの姿を見かけることも多くなったと思う。

こういうところにまで思いを馳せて、眺められることを意識したフィギアのつくりだとすれば、その繊細な姿勢に脱帽せざるを得ない。

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真夏到来!?

最近、多忙にて、天気図も見ていないが、目に映った様子を見ただけの限りでは、真夏を思わせる天気である。好きなシーズンが来たなあと、通勤途上のヒマワリが、少し嬉しい気持にさせてくれた。040702125922.jpg

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