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台風シーズン

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宇宙から見下ろす台風は、地球という星に特徴的な紋様といえる

台風がやって来る季節になってきた
世間知らずの子供の頃は、日常と違う気象というものに喜びを感じたものだが、いい歳をして、そうとばかりは言っていられない。

林道は、急峻な山間部を走り、雨による影響が特に大きい。舗装道では、周囲の影響は別として道路自体は確保されてやすいが、ダートでは路面が沢そのものになる。本当に激しい雨が降る中の林道走行は、それは恐ろしいもので、茶色の濁流がドウドウと流れ落ちる中を、激流下りのように車を運ばなければならなくなる。安全そうな一箇所に止まって避難していたほうが安全な気もするが、路線がいつ途中分断され、取り残されるかも判らないという心配もあって、どちらがいいのかは結論を見ないとわからない。ともかく、そういう天候となることが判っていれば、極力踏み入れるべき所ではないのは確かだ。

台風後の林道へ入ってみると、その想像以上の影響に驚かされることが多い。自分の知っていたまっ平らにならされていたダート道が、深い溝を縦横にめぐらせたようになり、とても道とはいえないものになっていたり、もっとひどければ、上からの土砂に路面が完全に埋まり、又は路面が崖下に崩れ去ってしまい、道自体がなくなっていることでさえ珍しいことでないかもしれない。

舗装の路面というのは、一見よさげに見えるが、道自体が沢となったり、雨水を路面の土が吸水したりしない分、ダート道が豪雨から受けるエネルギーと同等の物を、周囲の環境へパスしてしまうのであるから、山全体の環境を考えれば、いうまでもなく好ましいものではない。

台風のもう一つの顔、風であるが、山ではこれがまた、我々平地に住み慣れたものには見慣れない、聞きなれない恐ろしい状況をもたらす。一本の木でも風がをそれを鞭打って吹き抜ける時の音というのは相当のものであるが、山全体がこれを揺るがすかのような台風に晒されたとき、その姿・その音は恐ろしいばかりである。

さて、このシーズン、台風がどのくらい襲ってくるのだろうか。熱帯の西太平洋上で生まれる強い熱帯性低気圧である台風は、多量の海水を真水に蒸留して雨として再び地に降り注ぎ、国土に豊かさも運びこんでくれるという点で被害ばかりではない面があるにせよ、その被害は極力、少ないものにとどめたいものだ。

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秋の足音は山の上から

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~ススキの花~

数日前、信州の林道を走った。ゆく夏を惜しみながらも、残暑を避けて涼を得るために。
山々は、いまだ草木が隆盛を極めて、昆虫は飛び交い、日差しは相変わらず鮮烈な熱を帯びて肌を照らす。
それでも、どこか違う。
これから、頂点に向かって上昇してゆく快活な躍動感はない。静寂を終点にした季節の移ろいがはじまる足音が聞こえてきた。

山の夏の訪れは遅い、平地で2ヶ月も前に咲いていたアジサイの花が、いまどき咲き始めたりしている。
しかし、それと同時に、既に秋が忍び寄ってきているのである。道端にコスモスの花が咲き、見晴らしのよい尾根にススキの穂が花をつけていた。
赤トンボは、夏の間に山で涼をとって、秋に平地へ下ってゆくが、今のこの時期は、最も山で数多くの赤トンボを見ることのできる季節である。林道沿いに歩を進めるとき、右を見ても、左を見ても、赤とんぼが視界からその姿を隠すことがなかった。

特別に高い山でなくてもよい。数百メートルの標高を持つ山でいい。そこに立ち、ちょっとだけでも感性を外界の空気に向けるだけで、容易に移り変わる季節の変化を生身で感じ取ることができるだろう。

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飛行機雲

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~ひこうきぐも・白い一筋~

林道が峠に差し掛かり、木々に覆われていた空がぱっと開け、青い空が頭上に広がるとき、そこに一筋の飛行機雲が望まれた。
飛行機という極めて象徴的な人工物も、ときに自然の中で自然の造形を為しているという姿に、少しほっとする思いを感じる。

雲というのは、簡単に言うと、冷えた飲料の入ったコップに付く水滴のように、暖かい空気に含まれていた水蒸気(透明)が、冷やされて水または氷となって姿を現すものである。
ある温度の空気が、その中に保持できる水蒸気量(飽和水蒸気量といいます)というのは、温度が高いほうが多く、逆に冷たい空気には、少ししか水蒸気を保持できないわけだから、水蒸気をたっぷり含んだ空気が冷やされると、水滴・氷粒として姿を現してしまうわけで、これが雲となるわけである。
地面で温められた湿度の高い空気が、風で山を登ってゆくとそういう理由で雲になるし、水蒸気をたっぷり含んだ息を冬の朝に吐き出すと真っ白になるのも同じである。

高い空を切り裂くように、青空に白線が引かれてゆく飛行機雲は、飛行機が気温の低い高い空度を飛ぶとき、ジェットエンジンから燃焼ガスと共に吐き出される水蒸気が、周りの冷たい空気に冷やされて雲になる場合や、飛行機の機体が生む空気の渦などが原因になる場合が通常である。
実際に飛行機が飛んでいる位置の温度が-29℃以下でなければ(夏でも可)、飛行機雲は出来ないということで、実際、飛行機雲のよく現れるときというのは、どちらかというと冷たい空気が上空に流れ込んだときが多く、長くてよく発達した飛行機雲がたくさん現れるのを見ると、ああ、寒気が来ているんだなあと感じることも多い。

飛行機雲は、現れてすぐ蒸発するように消えていってしまう場合と、どんどん太く発達して行く場合があるが、雲が出来る条件が揃いかけているところに、飛行機によるきっかけが与えられた場合には、どんどん発達してゆくというようなところなのだろうか。空一面が飛行雲を作りやすい環境のとき、あちらにもこちらにも出来る飛行機雲とその成長を見上げるのは楽しい。

なお、飛行機雲は前に書いた雲の分類方法の十種雲形では扱われない変種・現象である。

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入道雲~積乱雲

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~夏の象徴~

夏の空といえば、この雲を思い浮かべずして、他に何を思い浮かべるだろうかというほど、象徴的な入道雲の存在である。

照りつける夏の太陽によって、どんどん上昇する水蒸気によって形作られる積雲が成長し、遂にはその頂きが成層圏にまで達するとともに、強い雨と雷をもたらすのが積乱雲。

積乱雲は、ときに河原などでのアウトドアの楽しみに災害をもたらすこともある危険を伴う。また、山間部においては、積乱雲の危険性は平野部に比べて更に増す。積乱雲がもたらす大雨と共に、落雷の危険性がずっと大きくなるのだ。

しかし、この雲の姿はいかにも夏らしいものだし、この雲が上空を走り抜けてゆくときの突然の雨-夕立は、夏の風物詩として欠かすことが出来ないものである。

青い空に入道雲を見上げるとき、神々しい偉容を誇る山岳を見上げるときに感じるものに似た感覚を受けることはないだろうか。

毎度、繰り返すように述べているが、私が生まれ育ち今も住む地域は、周りを隅から隈まで眺め回しても、一つとして山らしい山を見ることが出来ないところである。そして、そのことが、山に対する憧れを生んでいると共に、高さへの憧れとして入道雲に対する一種の畏敬のような気持ちを生むのかもしれない。


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ツクツクボウシ

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~そろそろ夏もピークを過ぎる~

季節がら、セミのはなしが続く。

夏はいま、盛りを極めているようではあるけれども、季節は密かに移り行くもの。1、2週間前から、このセミが、鳴きだした。
いまは、まだ、あちらこちらでパラパラと声が聞こえる程度だが、8月終り~9月あたりになると、ツクツクボウシの声ばかりが目立つようになる。夏の虫には違いないが、夏好きとしてはこの声を聞くと、どことなく寂しい印象を拭えない。

このセミが単独ではなく、集団で鳴くときは面白い。鳴き声をよく聴いていると、誰でも知っているあの「オーシンツクツク・・・」の主旋律に合わせて、近くの個体が「ジー」という音で合いの手を入れていることに気づくと思う。
セミの発音というのは、ごく普通に考えて雄が雌を獲得するための手段であって、種の繁殖を目的としたものにほかならないと考えるが、他の個体の鳴き声にコーラスを付けるというのは、どういう意味を持つのだろうか。
主従関係のある生物なら、理屈ある行動であるわけだけれども、そういうわけではない。全体として、雌を引きつける効果を得られれば、目的に合致すると考えるのか。それにしても、他の雄はライバルなのであって、そのアピールとしての鳴き声に、彩りを添えるというのはちよっと意外に思える。
まあ、よく考えれば、他種のセミでも主従にはならないものの、一匹が鳴きだすと他の周囲のセミが一斉に鳴き出すといった牽引性は見られるわけだから、とりたてて不思議はないのかもしれない。
ただ単純に、鳴くことを楽しんでいるのだと理解してしまうのが、一番解りやすくて情緒もあるといったところだろうか。

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昆虫の惑星

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~この星で最も繁栄するもの~

昆虫の顔は工芸品のように精巧だ。
とりわけ、甲虫など、拡大して見てみると、ソリッドなその顔は見方によっては、少し恐ろしげではあるけれども、そういう感情抜きで、メカニカルな観点だけで眺めたならば、きっと、その完成度の高いデザインに感心せずにはいられないだろう。

それにしても、数ある生物の種のなかにあって、昆虫の繁栄ぶりには舌を巻かざるを得ない。
およそ、地上のあらゆるところへ進出し、それぞれに適合した生活力、繁殖力を身につけ、他の生物群とは比較にならない個体数を維持している。

この地球上では、個体数だけでいったら、人類や哺乳類などとはは比べ物にならない桁違いの生命数を維持しているのだ。地球を「昆虫の星」と称してもおかしくないとも言われるが、まさに、地球が我が物であるかのような錯覚は捨てなければならないだろう。

映画などの影響が多分にあるかもしれないが、我々とは似ても似つかぬ昆虫たちの顔つきを眺めていると、昆虫のことを、他の生物の進化系統とは別個発展したものだとし、その起源を他の天体からやって来た異星生命に求める仮説も、あながちありえない話ではないような気まで起きてしまう。

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夏の林道

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~爽やかな高原の風~

真夏の林道、正直言って低地の狭い道は敬遠気味だ。
なにしろ、草木が高く生い茂り、ちょっとした探検気分はあるにせよ、おちおち車から降りてゆっくり散歩するような気分でないことが普通だ。
それが本来の山の姿かとも思うが、既にそういう場からまったく離れた生活に親しみきってしまった体にはどうしても抵抗がある。

そういうわけで、真夏はなるべく標高の高い林道へ足が向く。高所の林道となると、冬やその前後には雪で立ち入ることも出来ないのだから、最適シーズンである夏を逃す手はないわけだし、それに、なにより涼しいし景色も良い。

今年は残念ながらあまり長い休みは取れなさそうだが、涼しい風の渡る高原でのんびりしたいものだ。

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アブラゼミの季節2

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~神秘的な白い羽を伸ばす~

夕方、日が落ちて涼しくなった頃を見計らって娘と散歩してみた。セミの幼虫が、ポツリポツリと這い出てくる時間だ。

つい先日に記事に書いたけれども、出てくる穴を前もって捜してはおかなかったので、桜の根元など幼虫のいそうなところを覗いて廻った。すると案の定、1匹可愛いやつが地面から木に登りかけていたが、よく見ると、周りにうるさそうな蟻が集まり始めている。

セミの羽化時は、かなり危険が伴う。地中にいてもモグラなどに捕食される危険はあるし、羽化後も鳥やカマキリに捕食されるが、非常に体の不安定なこのひとときに様々な危険が集中している。

穴から出て、のこのこ地上を歩いていると、蟻に襲われるし、よく気候を確かめずに羽化を決行すると、風に揺すられた木の枝から、羽化の途中で落ちてしまう。最近は、地面にあるコンクリートの建造物にも邪魔されて、羽化の場所と機会を失ってしまうものも見かける。そうなったセミは憐れだが、背中が割れて、中味が出かかったようなままの状態で死に到ってしまうことになる。

蟻に襲われかけていたアブラゼミの幼虫は、幸いにも娘の手に拾われて、我が家の網戸に放たれ、そこで立派な成虫になり翌朝飛び立っていった。

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