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府馬の大クス

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~1500年を生きてなお盛ん~ 巨樹・老木02

茨城経由で一般道を栃木・東北方面に出かけるときは、いつも筑波を通ってゆく。その手前の千葉県内で山田町を抜けるのだが、そこに府馬という古い街並みがある。そして、そこには、ずっと気になっていながら今まで立ち寄ったことのなかった、「府馬の大クス」という巨樹がある。

樹齢1500年の国指定・天然記念物というその「大クス」は楠ではなく、タブの木だった。なんでも、地元ではタブノキをイヌグスと呼んでいたらしいが、大正15年に国が天然記念物指定をする際、これを誤って楠と樹種公告してしまったようである。
直すのはたやすい気もするが、名前はそれで馴染んでいるので、いまさら直さなくともいいだろうということだろうか。

秋雨前線が停滞しはじめて、どんよりと湿りがちの曇り空の下、こんもりとした小高い丘の上にたどり着くと、そこには巨大であって、しかし、木の勢いにまだまだ活力を感じるこの木があった。

根元にあった300年も前の石の祠は、既に幹が懐深く抱え込まれていたし、元禄年間に北に伸ばした枝の先が地に付き根を張って、今では子グスと呼ばれて、別の木のように勢いよく自立していた。
幹周りが8.5mもあるというこの巨樹は、まだ衰えがないようだ。

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彩雲~秋の林道

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~色づいた「かなとこぐも」一つの季節の終焉~

異例に暑かった今年の夏もすっかり過去のものになりつつある。残暑ももうほとんどないだろう。
数日前の残暑の夕方、南東の遠い空に「かなとこぐも」がかかっていた。積乱雲の頭の部分である。立ち上った煙が天井に突き当たって四方に拡散してゆくように、著しい上昇気流をもつ積乱雲のてっぺんが、対流圏の境界まで達した状態である。

見かけた時間にもよるだろう。けれども真夏のそれと違って、西日に彩られたその雲は、もはや真夏のものとは違う雲に見えた。


これから季節は一気に冬に向かい、また1つのサイクルを終えてゆく。
見上げる雲は涼しげに、空は抜けて深く青い。特に夕空が美しい季節ではあるけれども、どこか寂しくせきたてられるものを感じる。

そしてまた、秋の林道も、美しくもあり、寂しくもある。少しづつ木の葉は色を増し、やがて山全体が燃えるように染まってゆくが、一方で色づいた葉は、カサカサと侘しい音を立て、確実に一枚づつ地に落ちてゆき、やがて最後は、幹と枝のみ残した姿で雪を待つ。

新緑の季節と共に、林道が最も素晴らしい景観を呈する頃となるけれど、夕日の残照に一瞬の彩りを添えられた「かなとこぐも」のように、美しくあっても、力強さは感じられない。

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椎の実・しいのみ

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~馴染み深いスダジイの実~

秋といえば、シイの実拾いが一番の楽しみだった。栗より椎だった。

理由はと問われても、よくわからないが、採ったシイの実を炒った香りや美味しさもさることながら、生のままポケットに何粒か忍ばせて、時折「ポリポリ」とやっていたのが子供の頃の秋の常だった。

シイの実というのは、ドングリの仲間の中の1グループの通称であって、他のドングリとは明確な区分けのない、観念的な分類であろうと思うが(蛾と蝶、クジラとイルカのように)、通常、タン二ンが少なくて渋味のないものを指して呼ばれている。

関東で一番、馴染みがあるのは、スダジイの実になるだろうか。スダジイは、ひび割れた樹皮が特徴で、冬も緑の葉を残す常緑樹である。公園や学校から家の庭木としてもよく植樹されている。
特に神社に植えられたものなどは大樹が多く、よく枝を拡げていてシイの実も多い。もちろん房総などの低山には、その姿も多く、ときには大群生して生えている。

このスダジイは春にささやかな花をつけ、新緑の時期は少々寂しい常緑樹林を白っぽく染めるが、花の蜜は匂いが悪いといい、養蜂家からは嫌われるらしい。

肝心の実の方であるが、これは花の咲いた年に熟すのではなく、開花から1年半かけて、翌年の秋に約1.5cmくらいの、長めの黒っぽい実となる。
実は、外皮に守られて育つが、熟すと外皮が先から裂けて、ポロポロと地に落ちる。

もうすぐシーズンが来る。拾ったシイの実を入れた袋のザクザクとした感触と重さが今から楽しみだ。

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浅間山

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~横尾林道から房総の「浅間」嶺岡浅間を望む~

最近になって、浅間山が久しぶりに火山活動を活発化させて世間を騒がせている。
いうまでもなく、長野・群馬県境にある日本有数の活火山である浅間山のことであるが、「浅間山」の名を持つ山は各地、特に南関東には少なくない。

「浅間」は元々、山岳信仰に根ざした名前であり、富士信仰のひとつである仙元講を由来とする。そして、「仙元」は、いつしか「浅間」となり「せんげん」とも「あさま」とも読まれるようになった。山の名前のときには、どちらかといえば「あさま」が多く、神社の名前は、ほぼ「せんげん」と読まれているのではないだろうか。

私の地元でも、毎年6月30日には「せんげんさま」の祭礼があり、子供の頃など楽しみにしていたものである。
元が仙元講であり、それは、江戸期以前に富士山の火山灰による農作物の被害を、祈願によって静めようとする講であったのであるから、浅間様はどうしても富士の風下の南関東に集中する。
千葉県には「浅間様」が多くある、その数200ともいわれるが、「浅間山」は「山」なので、南の房総地域に限定される。

冒頭の活火山たる浅間山と富士信仰との関係は、同じ火山という以外よく分からないが、あれほど高い「浅間山」は他にないので、関係が薄いのかもしれない。または、これも想像の域を出ないが、富士山の活動が休止して、「御神火」の名が富士山から伊豆大島の三原山に移ったように、浅間も富士から上信国境の浅間山に移ったのかもしれない。

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日吉神社の杉参道

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~清々しい静寂の道/巨樹・老木-01~

近所の巨木群、日吉神社の杉参道。
子供の頃から親しんでいる神社の参道の杉並木は、みな樹齢200~300年の杉の巨木である。今日も小学生の頃に見上げた姿と変わらぬ姿を見せてくれた。

前記事の画像もこの参道の大杉の一つであるが、樹齢約300年の杉が立ち並ぶ姿は、なんとも心静まる場所である。参道の入口には、右に大杉、左に大銀杏が並んで立っている。この大銀杏ももうすぐ実りの頃、毎年御世話になる木である。この2本の巨樹の間の鳥居を抜けて、苔むした石畳を緩やかに上ってゆくと、約300mほど先の社殿まで真っ直ぐ見通せる清々しい道が続く。そして、その左右には、ずらりと大杉が立ち並んでいる。

全国的に見たら、とりたてて言うほどのものではないかもしれないが、家から数分のところにあるこの杉並木は、その大きさも、一本一本の表情も、子供の頃から何一つ変わっていないかのような安心感がある。

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巨樹・老木

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~近所の大杉~

林道と言わず、あちこちの地方に行くと「○○の△△桜」とか「◇◇大銀杏」など、いわくつきや、純粋に大きい木々の存在を示しているらしい標識を見かける。

これを追ってみると、行き着いたところには、なかなか心揺さぶる巨木があったりするのだが、結構、いつも時間に追われていて、そういった機会もあまり取れないでいる。

近頃、こういう木々の存在を、これまでより少し気をつけて見て廻ってみたいと思っている。
なかには国指定だったり、そこまでではなくても、町を上げて保護しているような有名な巨樹から、林道の脇にひっそりと、それでいてずっしりと根を張り枝を広げた木まで、心に残る木々は様々であるが、あらためて、どんな出会いが待っているか楽しみだ。

それほど多くの出会いはないかもしれないが、これから機会をみては「巨樹・老木」に積極的に出会ってみたいと思う。

なお、「樹木」のカテゴリーを新設し、木についてはそこで扱うこととしたい。

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野分

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~風の名前シリーズ~

「のわき」、「のわけ」ともいう。
主に秋に稲刈の時期に吹く外洋からの強風をこう呼ぶ。つまりは台風に関連した風のことになるわけで、古来の文学、文献にもしばしば登場する「風の名前」である。

名前の由来は読んで字のごとく、野の草木を吹き分けてゆく強い風というような意味であろう。
同じ草原を渡る風でも、特に秋の色がついた草木が、強風に押し倒されんばかりになびいてそよぐ様は、野分という名前にぴったりな気がする。
台風の通り過ぎた後に、倒れかかった稲穂の様も野分という名がなるほどといわしめる。
もっとも、稲作農家の方には、そんな悠長な話をしていたら怒られてしまうが。

台風は熱帯域の海洋で生まれるが、台風によってもたらされる野分は、少し違ったイメージ、海よりは山の景色を思い起こす。

秋の寂しさもひとしきりな山肌の道を行くとき、山の草木も野分に吹かれ、草という草がすべて同じ方向になびき、倒れこんでいる様を見るにつけ、南洋で発生したエネルギーが、遠くこの山奥へと作用をもたらすという力の循環に不思議を感じる。地球規模の大気循環に畏怖の念を抱くといっては少し大げさであるが。

今夜は台風18号の影響で、台風の中心からかなり離れた南関東も、すこぶる風が強くて寝苦しい夜を迎えている。
ついでながら、少し以外かもしれないが、南関東では、年間を通じると、梅雨の雨量よりこの台風と秋雨全線がもたらす秋の雨量のほうが多い。

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コスモス

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~秋桜という和名をもつ異国の花~

コスモスという花は、秋の訪れを最も感じさせてくれる花といってもいいほどに、この日本の山野に行き渡り、根付いている。
まだ真夏のような日差しが残るなかにも、どこか涼しげな風が吹き始めたころ、その風に揺られてそよぐコスモスのある風景。それは、まさしく日本の秋というに相応しい風景である。

コスモスはメキシコの高原地帯に自生していた植物で、18世紀後半にスペインの植物調査隊から本国の神父の元に種子が送られたのを始めに、日本には江戸末期に持ち込まれたという。今では、欧州や日本のほか、世界中の様々な地方で親しまれているワールドワイドな花である。

そして、このコスモスという名前。先の種子を送られたスペインの神父が栽培してつけた名であるようだが、「宇宙」を現す「コスモス」であるのか。この花から何を連想し、どんな想いでそう呼んだのか私は知らないが、伸び伸びと広大で爽快な草原と、そこ一面に個々の花が色を添え、吹き渡る風に揺れ動くこの花を現す名として選ばれたもの、そう言ってもおかしくはないだろう。

日本では、秋桜(アキザクラ)、大春車菊(オオハルシャギク)とも呼ばれていて、日本古来の花同様に親しまれているが、今のように全国に広がったのは、明治後期に全国の小学校へ文部省から配付されたことによるという。

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南のひとつ星

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~寂しい輝きの孤星~

台風の特異日として、古くからいい慣らされた二百十日を過ぎて、いよいよ、季節は秋へと向かってゆく。
秋は、冬から夏への上り調子の季節と違って、どうしてもマイナス方向の何かと寂しい印象が付きまとうが、星空のほうもその例にもれない。

秋の空を見上げれば分かると思うが、他の季節に比べて、やけに目立って明るい星に乏しいのである。ベガ(織姫星)、アルタイル(彦星)、デネブ(はくちょう座α星)の形作る夏の大三角形は西に傾き、さそり座のアンタレスは、ますます赤味を帯びて、南西の地平に今にも沈みかけようとしている。一年で最も賑やかな、あの冬の明るい星たちは、東の空からまだ顔を覗かせる前である。

秋の星座と区分けされる星々のなかで、唯一の一等星が、南の空に孤独に光るフォーマルハウト。
この星は南のうお座のα星であるが(星は固有名詞のほかに何座のα、β、γ・・・という呼び名で概ね明るい順に呼称される)、周囲にはほとんど明るい星も無く、また、この星自体も、一等星とはいっても最も暗いほうのグループの一等星で特別明るくもないし、赤くもなく、青くもなく、あまり特徴のない星なのである。

それでも、全体におとなしい秋の星座の中にあって、ポツンと南の空に孤独に輝いているこの星は、寂しさ漂う秋の夜空を象徴する星として印象深い。

この星の名前「フォーマルハウト」はアラビア語の「フム・アル・フート」のなまりだという、魚の口という意味のはずである。

中国名は非常によい名が与えられている。
「北落師門」
その名前は中国の長安の都の門の名前であるらしいが、それがどんな意味だったかはちょっと記憶に残っていない。

日本では、残念ながら目立った名前は付いていないらしい。先に述べたように、秋には唯一の印象を残す星であるのに・・・
少し前に、女性がカラオケでよく歌うのをよく聴いた「あの」歌には、「みなみのひとつぼし」という歌詞があった。
あまり気に留めてもいなかったが、この星のことをいっていたのだろうか。いや、この星以外に、そう呼ばれる星はない。

※ちなみに、言うまでもないことかもしれないが、「北の一つ星」は北極星のこと。

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