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特定外来生物被害防止

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~オオサマオオツノハナムグリ~

特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律(「特定外来生物被害防止法」と略称される)が6月に公布され、10月には基本方針が示されて、来春に施行となるようだ。

この法律は、生態系の被害を防止することで、①生物の多様性の確保、②人身の安全、③農林水産業の健全な発展を目的としていて、そのために「指定した外来生物」について、育成や運搬などの扱いを規制し、防除措置も講ずるというものである。

これを受けて、主管庁である環境省が指定生物の選定に着手したが、ここで以前に取り上げたオオヒラタクワガタやブラックバスのような外来生物がその対象となってくるものと思われる。

しかし、例えば、オオヒラタクワガタなら、こうした昆虫飼育の愛好家やペットハウスは指定に反対するだろう。適正な飼育下なら何も問題がないはずだと。また、ブラックバスなら、フィッシング愛好家や釣り関連業者から、生態系への影響は実証されていない。いまさら駆除は困難。およそ、そうした反対があるだろう。

現実問題を離れて、生物の多様性を大命題として据えるのなら、すべての外来種の意識的移動はするべきではない。そのなかで、この種は可、この種は不可とする意味はないはずだけれども、現実社会ではなかなかそうもいかない。人が経済活動を行なう上で利害に関することがらであり、白か黒かは彼らにとって重要であるし、法令的な手法として列挙明文化するのが最も明確な定義の仕方でもあるわけだから。

「法律」というのは、人の健全な生活を主軸とするのであるから、こうした法律も実際には①生物の多様性の確保よりも②や③の方へシフトしがちなことは容易に想像できるし、それも、やむなきこととは思う。
けれども、「人の経済活動」と「自然維持」を同時にバランスすることは難しい。しかも、「人の経済活動」のほうは、禁じられても制止できない影の部分があり、一方、「自然維持」のほうは、一片の破綻から簡単に大崩壊もありうるという脆さがある。

この法律は、実はこの法律内で、①対②③の競合を調整することが本命になってしまうことにはならないか。

「人の経済活動」と「自然維持」、私個人は、この経済社会で現実問題を見据えて相対するとき、少なくとも「経済利益のために自然を揺るがすことは許さない」ことを大命題として、「適正に扱えば・・・」などのような日和見レベルでなく、生態系への影響がすこしでも懸念される・・・つまりは、指定でなくすべての外来種を規制すべきではないかなと感じる。
ここでは詳細は書かないが、例えばある農業手法に外来生物を利用したものがあり、規制があると大きなダメージを受けるが、その経済的ダメージ
は、私が思うには人の贅沢部分(効率追求)であって、それがないと、生計には大ダメージはあるだろうが、残念ながら人が直接に命を落とすほどでないならば保護する気になれない。


~特定外来生物被害防止法(冒頭条項抜粋)~

(目的)
第一条 この法律は、特定外来生物の飼養、栽培、保管又は運搬(以下「飼養等」という。)、輸入その他の取扱いを規制するとともに、国等による特定外来生物の防除等の措置を講ずることにより、特定外来生物による生態系等に係る被害を防止し、もって生物の多様性の確保、人の生命及び身体の保護並びに農林水産業の健全な発展に寄与することを通じて、国民生活の安定向上に資することを目的とする。
(定義等)
第二条 この法律において「特定外来生物」とは、海外から我が国に導入されることによりその本来の生息地又は生育地の外に存することとなる生物(以下「外来生物」という。)であって、我が国にその本来の生息地又は生育地を有する生物(以下「在来生物」という。)とその性質が異なることにより生態系等に係る被害を及ぼし、又は及ぼすおそれがあるものとして政令で定めるものの個体(卵、種子その他政令で定めるものを含み、生きているものに限る。)及びその器官(飼養等に係る規制等のこの法律に基づく生態系等に係る被害を防止するための措置を講ずる必要があるものであって、政令で定めるもの(生きているものに限る。)に限る。)をいう。
2 この法律において「生態系等に係る被害」とは、生態系、人の生命若しくは身体又は農林水産業に係る被害をいう。
3 主務大臣は、第一項の政令の制定又は改廃に当たってその立案をするときは、生物の性質に関し専門の学識経験を有する者の意見を聴かなければならない。

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ドングリの仲間の分類

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~クリもドングリの仲間~

シイの実というのは、ドングリの仲間の中の1グループの通称であって、他のドングリとは明確な区分けのない、観念的な分類というふうに椎の実・しいのみの項に書いたが、詳しく見ていけば、ある程度の分類はある。
(今回はちょっと補足的な説明です)

まずその前に、ドングリ(広義)というグループは、何かというと、ブナ科の植物で、堅い実(堅果「けんか」という)と、それを包むやや堅いカラ(殻斗「かくと」という)をもったグループを広くさす。

ではその分類だが、クリ・ブナ・シイ・ドングリ(狭義)と一般には呼ばれていることと思う。

まず、殻斗の中に堅果が複数入っているものと、単独のものに分ける。

堅果が複数のなかまのうち、2~4個入っているのがクリ(まあ、クリの場合は、そう細かい話をしなくても、誰でもそれ判ると思うけれども)。
いつも2個なのはブナ

単独の仲間のうち、殻斗が堅果を全部包むのがシイ
堅果の基部のみを包むのがドングリ

こんな分類は口で言うと単純そうだけれど、案外見た目だけではわかりづらいのかもしれない。
イガイガはクリ。帽子を被っているのはドングリ、殻が全部に被っているのはシイだけれど、その中味が2つなのはブナ。こう言った方が、本当はわかりやすいだろうか。

さて、こうして分類した4グループを更に細かくみてゆくと、よく見かけるものは次のとおりで、ここでは簡単な説明だけつけておく。
クリ:クリ
ブナ:ブナ(殻斗が堅果より長い)、イヌブナ(殻斗が堅果より短い)
シイ:スダジイ(樹皮が滑らかで実は細い)、ツブラジイ(樹皮がひび割れ実は丸い)
ドングリ:殻斗の模様が輪の様な仲間と鱗状の仲間に分けられる。
     →輪:イチイガシ、シラカシ、アラカシ、アカガシ、ツクバネガシ(一般にカシといわれる仲間)
     →鱗:常緑樹はウバメガシ
        落葉樹のうち殻斗の鱗が長いものと短いものがある。
        →長い:カシワ、クヌギ、アベマキ
        →短い:コナラ、ミズナラ
たぶん、クヌギの仲間を除いたカシやコナラの仲間を一般にはドングリと言うのではないだろうか。

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落葉と常緑

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~冬と対峙する樹木の選択~

1年で生命活動を輪廻させる一年草。多くを切り捨て、必要最低限の生体を残して冬を越す多年草。植物は様々な戦略を巡らせて冬を越す。

我が家の周囲の森林は、植林された杉ばかりの無味な林で、残念ながら、原生の姿は一切とどめていないに等しい環境と言わざるを得ない。ほぼ積雪がないこの地方においては、本来の自然な状態ならば、おそらくはシイやタブノキなどの、常緑の照葉樹林が広く形成されていたことだろう(詳細にみると、照葉樹林帯としては北限か、それよりやや北寄りで、落葉する広葉樹林帯に重なるのだが)。


冬、樹木にとって、水分を多量に消費してしまう葉の負担は大きい。

それでも、とくに温暖な地方では、常緑の照葉樹が育ち、年間通して葉全体を落すことなく、緑の葉を拡げて、夏とほとんど同じ姿のままで冬を越している。

全ての葉を落したからには、春にはまた全ての葉を再生しなければならないのだが、その再生の負担よりも冬を越す負担の方が小さいという選択だろう。
常緑の照葉樹は、一気に葉を更新することはせず、少しずつ葉を更新している。


しかし、よほど暖かくないと、やはり冬に葉を残す負担は大きい。繁殖、生育に非効率な冬の生産活動は切り捨て、活動そのものを最低限にして、しっかり休み、来たるべき春を待つ落葉樹

日本の広い地域で普通に見られる落葉樹の戦略は、彼らの意図や思惑にかかわらず、期せずして、新緑、紅葉という林道におけるハイライトを演出してくれる。いや、日本の四季そのものを彩る最も重要な景観の一つということができるだろう。


さらに寒い高山帯などに行くと、今度は葉を残す負担も担うのは困難だし、春に葉を再生するエネルギー消費も難しいとして、冬の厳しさを、雪の下でじっと耐えるほかないという選択も現れる。
ハイマツやシラビソのような常緑の針葉樹である。


このような変化に富んだ樹木の生態を、これに彩られる風景として捉えるのも楽しみの一つだし、生きる戦略として眺めるのも、また面白い。
まもなくそのキーワードとなった冬が来る。

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朝露

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~枯れ枝と朝のひとしずく~

日増しに秋が深まっていく。
昼が短くなって日射しは弱まり、影が長くなるとともに、目に映る風景から少しずつ色の数が減っていく。
朝の散策に霜を見るのも間もないことだろう。

朝露は霜とほぼ同類で、そこに水分が集まる理屈としては基本的に同じものであり、あとは気温の違いだけ。冷えた飲料をたたえたコップに着く水滴のように、放射冷却によって、周囲の空気より温度の下がった木の葉などに、空気中の水蒸気が凝結するものが「露」であって、春でも夏でも見られる現象である。

その「露」が冬の寒気でその後に凍ったものは、実は厳密には「霜」ではない。これは「凍露」と言い、いったん水蒸気が凝結してから凍結するというように、気体~液体~固体の段階を経る。これに対して、「霜」の場合は、水蒸気が木の葉などの表面に直接昇華して生じる。つまり、液体の段階を経ずに、気体から個体になるわけである。
「露」も「霜」も、空から降るわけではなく、その場で生じている。

さて、露といったら、夏の朝だろうか。
そう、それも、わるくはない、しんみりと青草を濡らす朝露は、夏の暑さにいっときの安らぎのときを演出している。
けれども、秋の朝露はより叙情的な色合いを持っていまいか。
枯れ枝を伝う露のしたたりを、やわらかな朝日にかざしみたとき、その小さなプリズムが放つ七色のきらめきは、深け行く秋にこそ、宙に消えゆきそうな儚さをもっていて美しい気がするのである。

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月、金星、木星の接近

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~暁の競演~

今朝は、東の空を期待をもって見上げた。既に空の白み加減は、ほとんどの星々の姿を消し去っていた。
ひんやりした朝の空気に、きりっとした細い月。そして、そのすぐ下にやや鋭角的な光の点。目が慣れると月を挟んで反対になる上方に少し優しい光の点。

今日は月を挟んで金星(前文の前者)と木星(後者)が近接する現象を仰ぐことが出来た。現象といっても、実体は何もない。およそ天文ショーといわれる中には、物理的に現象が起きている場合と、そうではなく、光や影のなす見た目だけの現象が含まれている。
今日の接近も、本当に3つの天体が接近したわけでもなんでもなく、たまたま地球、月、金星、木星がほとんど同軸上に並んだだけの状態を、地球から見ただけに過ぎないことはいうまでもない。

天文現象の中でも最大級に話題になる皆既日食も、物理的に見た現象としては、月の本影(月の影の中で月の一部分も見えない部分~宇宙空間では円錐形の範囲になる~)が地球を通過するとき、その通過地点でのみ見られる現象。もっと簡単に言ってしまえば、月の影が頭上を通ったときの光景に過ぎないわけだ。

けれども、それを生み出す天体というものは、通常の景色を生み出す物体とあまりにスケールが違う。その大スケールのものが生み出す光景は、ただの「光景」とは言っても、ときにはまさに圧倒的であるし、また、非常に繊細で儚げなイメージをもたらすこともある。

今朝の3天体競演は、秋の朝がもつ独特の翳りを纏いつつ、暁の空をバックに地味な光景を楽しませてくれた。

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カラマツの黄葉

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~見渡す限りの黄褐色~

紅葉といえば、紅色、黄色の色とりどりの葉が折りなす色彩美を楽しむのが普通である。完全な一色というのはなかなかお目にかかれない。それも、一つの山のみならず、高所から見渡す限りの山という山が、てっペんから麓まで全て、まっ黄色というのは、そうそうない。

昨日、そんな豪華な風景を望むことができた。
場所は埼玉~長野県境の三国峠。埼玉から長野へ抜ける唯一の車道である中津川林道で越える峠だ。

山を黄一色に染めるのはカラマツの葉。そう、ここを訪れたことのある方はご存知だろう。樹木の植生がこの三国峠を境に一変することを。そして、埼玉側が多様な落葉する広葉樹林であるのに対して、長野側はカラマツ一極相の針葉樹林を形成しているのを。

カラマツは別名、落葉松(ラクヨウシュウ)とも呼ばれる落葉針葉樹である。樹高が50mにも達する高木もあり宮城県から中部地方の亜高山帯に自生分布している日本特産の木である。
耐久性の強い材であることから、寒冷地や高地では広く植林されている。

そんなカラマツの葉が色づいて、単独ないし数本が、空に向かってまっすぐに立ち並らんでいる姿も美しいのだが、青空をバックに、見渡す限りの視界の全てを埋め尽くす、黄一色の山並みには圧倒された。

また、この小さな針のような葉が風に吹かれ、一斉に落ちてくる様は、思わず息を飲む。
横倒しになって落下する葉は、高原の乾いた秋の空気の中を、日差しを浴びてキラキラ光リながら、まるでカラカラと坂道を転がるようにして風に乗って流れ落ちてくるのである。

そうして、葉が降り積もると、林道はすっかりオレンジ色の絨毯敷きに変わる。
この、ふかふかのオレンジロードを走る贅沢は、この上ないひとときである。

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