
つめたい雨~心傷
降る雨が次第に冷たくなってきた。北国では、とっくに雪の便りが聞こえている。行きなれた関東周辺の林道が雪に閉ざされる日も近い。
それでも、今年の冬の便りは例年になく異常に遅い。
「つめたい雨」。
歌の題名や歌詞にも良く使われる慣用語だが、文字どおりの「温度の低い雨」の意味以外に、雨の生成に関する用語の一つで、ちょっと聞き慣れないかもしれないが、「つめたい雨」というのがある。
雨滴のでき方など、普段はなにげなく暖かい空気と冷たい空気がぶつかって…程度しか考えていないけれども(それだけでは雲は出来ても雨は降らない)、真面目にその過程を説明しようとすると、案外ややこしい。
ややこしいので、その話は後回しだ。
この時期になると雨が降るか雪が降るかは、いまだに私の冬の関心事だ。なにも、科学的にどうこういうのではない。ただ、子供のように雪が見たいだけだ。
雪国の方には想像もつかないだろうが、自宅にいたのでは、年に雪が降るのを見るだけでも片手で数えられるくらいしかない。積るなんていうと1回か2回である。
冬特有の西高東低の気圧配置では、まあ、絶対に雪は降らない。仮にそれでも降るとすれば、猛烈に強力な西高東低型のとき夕方に脊髄山脈からこぼれでた雪雲が通り過ぎるときに、チラチラ程度なのである。温暖な千葉に雪が本格的に降るのは、厳冬の寒さゆえではなく、南海上の特定の緯度を低気圧が通り過ぎるときに、雪か雨かの微妙な状態に限られる。だから、決して冬で最も寒いようなときに降るのではなく、からからの晴天の朝よりずっと温度は高い。
そんなわけで、わが郷土では、冬に降水があるとき、心待ちにしている雪にはなかなかならず、決まったように「つめたい雨」が降る。今日も、関東はしっとり雨模様。けれど雪など降る様子は微塵もない。つめたい雨は、どう見ても寂しい。
~雨の生成、降雨に関する「つめたい雨」のこと~
雨を降らす元である雲は、ごく小さな水滴でできていることは、みなさんご承知のとおりであるが。この水滴は、あまりに微小であって、これを衝突により普通に集めて雨滴の大きさにするには、とてつもない数量を要するし、衝突の頻度は著しく低いので、単に雲粒の偶然の衝突により成長すると説明するのは無理がある。
雨滴のでき方は、大きく分けて二通りある。
ひとつは、上昇した湿度ある空気がその高度ゆえの低温で、0℃以下の状態となり、そこに存在する雲粒から形成が始まる。雲粒のごとく微小な水滴は、0℃以下の過冷却の状態でも存在することができ、雲粒のこの状態を「過冷却」と言うが、これが一気に昇華して氷晶を形成する(そのためには核となる物体が必要となるが、それをどこから得てくるのかはかなり理解困難であるのだが。)。この氷晶さえできれば、あっという間に雨粒の元となる大きな氷結晶が成長する。
こうして出来て降る雨を「氷晶過程に始まる降雨」別名で「つめたい雨」という。日本で降る多くの雨はこのつめたい雨になる。
もう一つは熱帯から中緯度地方までにみられる。「あたたかい雨」。これは、著しく強い上昇気流があると、その中に、なんらかの原因で出来たやや大きな雲粒を元に、通常より衝突頻度の高い雨粒形成をもたらすというものだが、これまた、なんらかの原因でという不明瞭な部分がある。
こんな風にややこしい。あまり単純な説明が出来ないことは自然界には多くある。ほんとうは、きっと、その原理はかなり単純な場合が多いのではないかと思うが、それを完全に解き明かすまで、謎のベールに包まれてしまう。
たかだか、雨がどう降るかも簡単には説明できない。
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