« 2004年12月 | トップページ | 2005年2月 »

つららと氷筍

N20050109_043
~朝日の透ける剣~

朝の登校時、軒下からポキッと折ったつららを、剣として手に持ち、仲間と互いにぶつけ合って遊んだものだった。最近では近所の家の軒下にはもうつららが出来ることはなくなった。

「つらら」は氷柱とも書くが、平仮名で書く場合と漢字の場合を区別すると、下に向けて尖がって、途中でぶら下がっているのが「つらら」で、それがずっと成長して落下点まで繋がったのを「氷柱」と考えたらよいのか。その場合「氷柱」は”つらら”ではなく”ひょうちゅう”とか読んで区別すべきだろうか・・・

「氷筍」というのは、ぽたぽたと垂れ落ちる水滴が、落ちる直前に凍ってゆく「つらら」とは違って、滴り落ちた直後のところから上向きに成長してゆく。

地中の水分が這い上がって出来る「霜柱」について、寒すぎると地中の水が凍ってしまうので生成できないということを「しもばしら/霜柱」の頁に書いたが、「氷筍」も寒すぎると、液体の水が、全部「つらら」に供給されてしまうから、特定の気温域でしか出来ないと思われる。

地下水が洞窟などで作る「氷筍」は、時間をかけて少しずつ純度の高い水が結晶してゆき、真に透明な出来上がることが多いのを何かで見聞きした覚えがある。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

波の音 ~風の音色3~

DSCN0079
~白波が砕ける音~

波音は、チャプチャプとした、さざ波がたてる心地よい音色から、遠く離れた地にまで不気味に響く暴風波浪のうねりの音までさまざまの音を聞かせる。
もともとは、風が起こした波による音であって、風の音のひとつとも思っている。

遠浅の砂浜海岸が延々と続く地に育った私には、白波の砕ける音は、よく耳になじんだ故郷の音ということになるが、この音にも、よく聞くといろいろな変化がある。

強弱の変化はもちろんだが、一番印象的なのは、波が砕けるとき、チューブ状に空気を巻き込むときの音。それが、なお海底地形の加減で左右場所によって音の発生が微妙にずれると、「シュコァッ」という稲妻の音にも似た、空気が裂けるような鋭い音が、左から右へ、もしくは右から左へと、鮮やかに流れてゆくサラウンドな状態を大海原を前に体感できる。

ふと、かつてのチューブラーベルズ(マイク・オールドフィールド/原音のコンセプトとはまるで違う世界感の、恐怖映画”エクソシスト”のテーマに使われて有名になった)の音の世界を思い起こさせる音だった。

砂浜に立ってこの音を聞きながらも、耳元では耳たぶを撫でる風が乾いたノイズを立ててながら、砂を運んでゆく。


| | コメント (2) | トラックバック (0)

霜柱 / しもばしら

N20050110_030
~霜の柱と書くが、霜とは由来が違う~

時代が移り変わり、日常に歩く道はアスファルトばかりになった。長靴は要らなくなったが、季節感は著しく損なわれた。
土の道を歩けば、春には道端の草が花をつけ、夏にはアリがせわしく働いていた。秋には、いつの間にやらズボンの裾に草の種がつき、冬には水溜りの氷をわざと踏んでパリパリとさせたものだった。

冬の朝は、決まって霜柱を蹴って歩いた。土の中に隠れている結晶を次々と掘り起こすと、それはサクサク、さらさら、と音を立て、朝日を浴びて水晶のようにきらめいた。


我が家のある地方、スイカや落花生の産地である下総台地は、表土の大半が関東ローム層の赤土で覆われている。いや、実際には純粋な自然の表土なら、その上に植物由来の黒土が乗っているはずだが、宅地造成や畑の整備、道路の土など、後から入れた土には、赤土を入れることが多かったからだろう。

この地質には霜柱が出来やすい。粘土層には霜柱は、まず立たないし、海岸の砂浜のような粗い砂にもほとんど出来ない。

霜柱は、霜のように空気中の水分が凍ったものではなく、見てのように、土の粒子の隙間を通って上がってくる水が凍って出来る。そこにあった水分が凍ってしまうと、それを補うように、次々と下から水が上がってくる。雑巾にしみわたる水と同じだ。土なら土の粒子の隙間、雑巾なら繊維の隙間を水が満たそうとする、いわゆる毛管作用というやつである。
赤土は、この毛管作用にほどよく適した粗さ加減だということなのだろう。

霜柱は、このように毛管作用で生成されるから、次々と下のほうから出来ては、既に凍った部分を押し上げてゆく。この力は結構なもので、手で持てる程度の石は簡単に浮く。また、柱の長さは、長いものだと10cmを超えるものも見かけることが少なくなかった。

考えてみると、我が地方は、霜柱を作りやすい赤土が多いというほかにも、霜柱を良く見かける土地柄なのではないだろうかと思う。
霜柱は上に雪が積もっていたのでは、目にすることもない。
また、発生する地表の温度は、氷を生成するために0℃以下でなければならないのは当然として、水が絶えずに供給されなくてはならないのであるから、すぐ下の地中は、水が液体でいられる0℃以上でなければならないはずだ。

雪は元々滅多に見ることがない地方だが、多量に発生する霜柱に、せいぜい冬をを楽しんだものだった。いまはそれも生活の場からは少々遠ざかった感がある。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

山の湯宿を守ってゆくということ

N20050110_001
~湯を沸かす蒔が青煙を上げる~

一週間ほど前、とある1軒宿の鉱泉を訪ねた。温泉ホテルや湯治場でもない、いたって質素な宿であり、私の旅にはよく登場するタイプの温泉宿であった。

宿を守るのは老夫婦。先代の宿主が亡くなり存続の危機にあったところを、この宿とその周辺の自然に魅せられていたいまの宿主が引き継いだのだという。

老齢のおかみさんの話を聞いた。若いころは今の私たち夫婦のように、しょっちゅう2人で車で出歩いていたようである。海岸や峠道、都心から全くの田舎まで。私たちと違ったのは、夫婦は山ではなく、海の見えるところに老後の居を構えたいと常々思っていたということと、私のような給与所得者ではなかったということだった。

山のない千葉に生まれ育った私には、かなり意外だったことがある。それは「房総に住みたかった。あそこには山も海もあるからねえ・・・」というおかみさんの言葉。こんな素晴らしい山々に囲まれた自然あふれる土地に住みながら、房総の低い山を「山」として見るのだ。私にとっては、房総の山もりっぱな「山」ではあるが、他県の山がちの地方の方が、家の裏山とさして変わらない房総の山を「山」と見るのだろうかと思っていたが、案外そうでもないのだと力づけられた気もする。

また、私は給与所得者で生活の場がある程度限定されているわけだが、将来そのしがらみが断ち切れたとき、このような環境に身を置くことが出来るだろうかという思いも生まれた。宿を守るということは、生活の場が「ある程度の限定」ではなく、その一箇所に静的に絞られることになるのだから。

宿主の夫婦は、老いてなお、本当に自然を慈しむ気概にあふれていた。宿の周辺を含む一帯の山々は、街からさほど離れたところではないが、すばらしく自然が残されている。
老齢のおかみさんとは、たいていは他愛ない昔話や世間話を交わしていたのだが、私が自分の趣味趣向もあって、蝶の話を切り出した。そのときのおかみさんの目の色の変化と、口調の高まり力強さには、一瞬ぎくっとしたし、真の心中を垣間見た気がした。

ともあれ、かつて、全国あちこちを飛び回り、いわば「積極的な動」的なライフワークスタイルを持っていた夫婦が、この宿を引継いで以来、日々欠かすことなくこの宿を守ってきたということ。それだけにとどまらず、この地の自然を心底守ろうという姿勢を貫いて、地域で行政にも強く働きかけるなど精力的に活動されたこと。いうなれば「積極的な静」的なライフワークスタイルに切り替えて、これまで充実した日々を積み重ねてきたことに、様々な思いを抱かさせられた。

老夫婦には、大変に失礼な話だが、2人は見たところ既に身体的には労務がつらい年齢と見受けた。いつまでも健康で宿を守っていってもらいたいという思いとともに、この夫婦が宿を維持できなくなったとき、それを引き継ぎ守っていける者が現れてくれることを願いたいと思った。
温泉宿を守るということは、宿とともに、湯も守っていかなければならない。まして、この宿は、自然との調和も守っていかなければならない重荷も背負うのだろうか。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

彗星のもたらしたもの

1n20050110_017_j800
~ぼんやりとした姿を追う~

この1月上旬、昨夏に発見されたマックホルツ彗星が接近し、双眼鏡や肉眼でも良く見えるまでに明るくなって、冬の空をにぎわせた。私自身、2桁もの単位の年数で、久しぶりに熱の入った天体撮影にも興じて楽しむことができた。

絵などに描かれる彗星の一般的なイメージと、現実の普通の彗星とでは、その明るさなどにずいぶん隔たりがある。
天体を見慣れていない方が見て、「えっ、あれ?」というくらいのなんとなく見える程度に過ぎないものでも、天体に親しんだ方には、「おお~よく見える」という感じに、ありがたいものだ。

肉眼でくっきり見える彗星などというのは、そうそう現れるものではない。まして、誇張した絵や時間をかけて露出した写真画像を、目で見えるものとしてイメージとして描いていたら、かなりガッカリしたものになってしまうだろう。

「すばる」の和名が有名なプレアデス星団のすぐ近くを、肉眼や双眼鏡などでみると、何となくぼんやりしたモノとしてみえたマックホルツ彗星だったが、私にとっては、ちょっと楽しいものになった。

デジカメを日常のカメラとして使い出してから、天体撮影というデジカメにはあまり得意とはいえないものに、じっくり取り組む機会などほとんどなかったのだが、今回は、古い望遠鏡を引っ張り出しての手動ガイド撮影(※注)までする気を起こさせるなど、これまでになかった、楽しみの時間を与えてくれた。


古来、不吉の前兆ともされてきた「ほうきぼし」。ひと目でそれと判るような明るい彗星を「箒星」とすれば、それは数年、数十年にも稀にしか姿を見せない珍しいものであったし、また、その特異な容姿からのイメージもあって、そのように言われたのであろう。

天体の運行に吉凶を求める気にはならないが、彗星がもたらすもの、又はもたらした可能性があるとされるものは、決して少なくない。

顕著に見られるものは流星群か。
彗星が、その軌道上にまき散らしていったちりの中を、地球が横切るときに、地上から観測すると、天空の一点から放射状に流星が生じるように見えるものである。

この地上に、最も大きな影響を与えるものとしては、彗星の衝突というものがある。中生代白亜紀後期の恐竜等の絶滅も、現在では、巨大彗星の衝突に起因するとされる説明がかなり有力になってきている。

もっと仮説に近いもので、原始生命の源は彗星に乗ってやってきたとするような説もある。

この地球上とのかかわりが案外多い彗星。私にとっても年の初めのいい贈り物だったのではと思っている。


(※注)手動ガイド撮影2n20050108_025
望遠鏡を覗き、天体の運行(地球の自転による日周運動)を目で追いながら、手動でその天体(撮影する天体である必要はなく、見やすい天体を選ぶ)を望遠鏡の視野に入れ続ける。
それにより、同じ台に乗った他の望遠鏡で撮影するようにセットしたカメラ、又は望遠鏡の上などに乗せたカメラ単体などを、天体の日周運動に合わせて撮影する方法。
シャッターを長時間開いて撮影しても、カメラに対して撮影する天体が動かないので、僅かな光も蓄えて明るく写すことができる。
最近では、手動で星を追う代わりに、電子制御のモータードライブ装置を使用するのが当たり前のようになった。この場合は自動ガイド撮影という。
また、このように天体の日周運動を追わず、三脚などで固定して天体を撮影する方法は、固定撮影といい、撮影された天体の像は線状に流れる(右画像は固定撮影のプレアデス星団)。


| | コメント (3) | トラックバック (0)

虎落笛・もがり笛 ~風の音色2~

01020044
~暗い音色を呼ぶ風景~

電線や垣根などに強風が当たるとき、「ヒュー」というあの高い音、笛のような音を虎落笛という。特に冬の季節風による、暗く悲しげな風景がもっともイメージに合うし、冬の季語にもなっている。

映像として頭に浮かぶのは、鳥取のような砂丘地域で見られる、砂防のヨシズが立てる悲しい音。
砂丘の良く発達した九十九里近隣に住み、砂丘景色も良く目にしているが、なぜか、私の頭には冬の日本海の荒涼とした悲しい景色、そして重く暗い陰鬱な空のイメージが、原風景として染み付いてしまっている。

虎落笛とは、おもしろい字を書く。敵対者や獣の侵入を阻む竹矢来などを古来、虎落と言ったらしく、こうしたものの立てる笛の音に似た音というのが、名前の由来なのであろうか、文字の形、読んだ音の響きとも、非常に寂しさ、悲しさを感じさせる名前である。

虎落笛も空気の作る渦の音。季節風が何かに当たって、その後ろにできる空気の渦が出す音である。
季節風が強ければ強いほど、空気の裂け目は大きく、悲鳴に似た笛の音は大きく泣き叫ぶようになる。

まだまだ、この悲しい音色が似合う季節がしばらく続く。


| | コメント (2) | トラックバック (0)

風の音色

N20050102_014
~風の力をエネルギーに~

冬の季節風が強い日が続く。太平洋側は晴れて乾燥してきた。
千葉の東端部、もともと常時風の強い地域だが、今日も強い北西風に、風力発電の巨大な風車は勢いよく廻っていた。

風は大気の呼吸。ときにはかすかに、ときには強く音を呼ぶ。
音は空気の振動。あるものは低く、あるものは高く、固有の音色を奏でる。
「風」も「音」も空気の現象であるのだから、そういう意味で、風と音が同類でもあるのだなぁと思い当たる。

風が立てる音は、空気の流れが作る渦の音。
風が吹き抜けるとき、突き当たったものの後ろにできる空気の渦が風の音。大気の傷の立てる音。
また、その風そのものの音のほかにも、風につき動かされる物が立てる「風が呼ぶ音」もある。
雨戸のカタカタとなる音、旗がパタパタと翻る音、樹木の軋む音。
風が作る浪。その浪が立てる音。

思い返してみれば、地上は風の作り出す音色で溢れている。


※「風の名前」については、以前、ここで書いた。


| | コメント (2) | トラックバック (1)

« 2004年12月 | トップページ | 2005年2月 »