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ツバメ帰る

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~今年もツバメがやってきた~

朝の扉を開いたとき、す~っと横一線、私の目に一筋の残像を映していくものがあった。
若葉の香りも漂い始める季節となり、南方からツバメが帰ってきた。我が家の周辺では一週間ほど前からツバメが帰ってきているようだ。

子供の頃には、ツバメといえば、南の国が本拠地であって、「夏だけやってくる」という印象で捉えていた。けれど、暖かい時期を日本で過ごすことは同じでも、夏に卵を産みヒナを育てる繁殖地であるのだから、「夏に帰ってくる」日本を本拠地にした鳥と言っても悪くないのではなかろうか。

ツバメは、目が大きくて足の小さい鳥であり、更に風切羽根の長いことも含め飛翔環境に特に適応している。また、小さな口は大きく開くのだが、これは空中で昆虫を捕食するのに適応している。ツバメの描く飛翔は本当に美しいと思う。

特筆したいのは、ツバメという鳥は(ここではツバメ科ツバメ属のツバメという種を言っている。イワツバメや)、人工の建造物にしか巣を掛けないことである。
元々から、そんな習性だったはずはないので、本来はどこか岩場や大木にでも巣をかけていたのだろうが、いまやそういう自然環境において巣を掛けることが、ほぼ皆無なのが不思議でならない。そういった例を見た方はおられるだろうか?

人工物に営巣するのは、外敵からの保護を人に託した結果と理解しているが、そういう関係がどうやって出来上がってきたかも興味があるし、他国においてもツバメの営巣は同様なのだろうか。

季節は、若葉がまぶしく、風爽やかな頃を迎える。

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花散らしの雨

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~風に散った花びらを雨が打つ~

昨日までの予報どおり、雨となった。
昨日の大風。そして、今日の本降りの雨と冷気。ここ数日の桜の「夢幻のひととき」は吹き飛び、意識が現実に戻るとともに、また、日常の仕事の渦中に身を置いている自分に気がつく。

春の天気は、変わりやすく寒暖が激しいのも常である。そのまま、サクラ色の夢をむさぼっていたい気もするが、二度と社会復帰できなくなるような恐れも十分にある。

気持ちの切り替えにはもってこいの雨といえるのかもしれないが、白い花びらが、無残にも風に散り、雨に打たれてうなだれた姿は痛々しい。

この花散らしの雨で、半分以上の花びらが落ちるのだろうが、一雨ごとに季節は確実に歩を進める。


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桜・サクラ

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~淡紅白色のひとひらから~

桜が満開の季節になった。
言うまでもなく、桜の開花は秋の紅葉と並んで、日本の四季を彩る最有力のイベントである。
ただ、数の多いソメイヨシノなどの里のサクラは特にそうだが、桜の大多数は、自然の繁殖ではないから、その生息域は人の意思によるところとなり、人の活動範囲に集中し、山中では少数のヤマザクラなどの自生種を見かける以外は、紅葉のように全山的なイベントではない。

染井吉野は、江戸末期~明治初期にオオシマザグラとエドヒガンの2種の桜の雑種として、染井村(現在の東京都豊島区巣鴨)で生み出され、そこから今見るように全国に広がったとされることはよく知られる。数ある桜の種、品種の中にあっても代表的な種で、「桜前線」もこの桜の開花期を示すものである。

冒頭のとおり、ソメイヨシノが四季を彩るのは、主に人里であり、純粋な自然の姿ではない。しかし、それゆえに、集中した植え込みにより、開花時には圧倒的な数量、ボリュ-ム感をもって人の目を圧倒する。

桜の花、いや満開の桜の木をみると、なにか見てはならないものを見てしまったときに似た観念が沸いてくる。どこか人の世の狂気がそこに凝縮されて咲き漂っているような感覚といえばいいのか。なにかよく分からないが、人とのつながりが極めて大きいサクラであるからこそ感じる感覚なのだろうか。それとも数少ない私の文学体験によるものだろうか、白昼のまどろみを誘う並木道や風に舞い散る花吹雪にしろ、宵闇に浮かび上がるボヤッとした仄かな姿にしろ、そこには一歩踏み入れると抜け出せなくなるような結界のような「気」の存在を感じることがある。

今日は、日本海を通過中の低気圧に向けて南風が強まった。
やっと咲き揃った桜の花だが、もうサラサラと散りはじめている。明日にかけては天気も崩れそうだから、見頃のピークも今日までになったのかもしれない。

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モクレン

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~春全開のハクモクレンの花~

すっかり春になった。ハクモクレンが花期を過ぎようとしている。高さのある立派な樹形に、あれだけの大きな花をつけるから、人目をひきつける。
白い9枚の花びらが開いているようにも見えるが、実はそのうちの3枚は、形は他の6枚と似ているけれども、花弁ではなく萼である。

この白いハクモクレンは、紫のモクレンより少し前に花をつける。色だけ違うようにも感じているが、よくよく見れば、細部では違うところはいくつかあるようだ。
春、雪解けの林道で目を楽しませてくれるコブシやホオノキもモクレンの仲間。

さて、ハクモクレンやモクレンは普通中国原産とされている。そういわれれば、あの形、あの色は、そんな気もしないではないが、ここで、植物の世界を「原産」というものに注視してみてみると、では仮に、この地に初めから生まれ育っていた植物だけを残したとしたならば、いったい、どれだけの植物が残るのかという思いがある。

園芸・農業と縁のある植物の相当の割合が、遠い原産地を持っている。色、形、季節季節に人の目を引く植物は、それだけ人との関連が深く、長い歴史の中でこの地に持ち込まれたものの割合が圧倒的に高い。

それが、いいとも、悪いともいいがたいが、外来生物の被害防止などが社会問題として浮上しているなか、個体自らが積極的に動き回れる動物よりも、個体限りでは能動的には動き回れない植物のほうが、世界規模での拡散の歴史を辿ってきたように感じられることはなんとも不思議に思われる。

モクレンと関係ない方向へ行ってしまったが、そろそろ、山々の雪も少しずつ解け始め、林道で白い大きな花を楽しめる季節も間近である。

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貝殻の記憶~風の音色4~

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~ころりと丸いツメタガイの貝殻~

貝殻を耳にあてると聞こえてくるかすかな音。貝が昔、海の底に住んでいたときの波の音が、この中にずっと残っている・・・
誰に教わったか、子供の時分にこんな風に聞いたことがなかろうか。

貝殻に音が記録され、常に再生されているはずもないだろうが、耳にあてれば確かに波の音はする。巻貝の妖しい螺旋の不思議もあって、本当にそうだとは思えないまでも、ちょっとそう信じたくなったものだった。

地元の海岸でよく転がっているこのツメタガイ。二枚貝のあの堅い殻を溶かして突き破り、中身を頂いてしまうという、ちょっと怖いところもある巻貝だけれど、貝殻と成り果てて、浜辺にコロリと転がった姿は可愛らしいものだ。
よく耳にあてたのは、この貝殻だった。かすかに波の打ち寄せる音がした。

また、サザエの貝殻を耳にあてたとき、これは、さすがに岩と波のぶつかり合う激しい海に育った貝だな、そう思わせる音に感動し、まぶたの裏には、荒磯の情景が浮かんだものだ。

けれど、貝殻に記憶された遠い昔の波の音は、風の音。
今、その時、自分の肌をの周りを通り抜けていく空気の流れを貝殻が拾う音。

山から掘り出した貝の化石に耳をあて、数千年、数万年の昔の海の音が聞いてみたかった。

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