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アオスジアゲハを追って

N20050521_017
~身軽で素早いアゲハ~

このアゲハ、特別な蝶ではないのだけれど、とても気になる存在だった。
確かに、黒い基調にエメラルド・グリーン気味のスカイブルーの紋一筋は、とても目立って綺麗ではあるのだけれども、外を歩いていれば毎日でも目に付く蝶ではあるし、とくに幼虫が食する楠の木の周りでは多く見られる。

ただし、特徴は非常に飛ぶのが早くて落ち着かない。他のアゲハの仲間と比べて2倍は早く飛んでいるイメージだ。思えば本気になって捕獲を試みたことはなかった気もするが、子供の頃には捕まえた記憶もないし、取り逃がした記憶は結構残っている。

この画像を撮るのに、特に苦労もなかったが、ひとたび、驚かせて上空に舞い上がると、向こうの家の屋根のあちら側まで、あっという間に飛んでいってしまった。

空の濃いブルーをバックにして翔んでいったのだけれども、その青は空のブルーより、この目に強く焼きついて残っていた。

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ベニカミキリ

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~竹に育って花につく~

散歩の途中、目の前をふ~っと赤っぽいモノが通り過ぎて、近くの小枝の葉にとまった。はて、と、そちらへ歩み寄ってみると、その葉の上にとまっていたのはベニカミキリだった。

いつみても紅色の体色をもったこの虫は、綺麗だしよく目立つ。決して珍しい昆虫ではなく、むしろ普通に見られるが、気に入っている虫のひとつ。

ベニカミキリは、成虫は他の小型のカミキリムシ同様に花に集まる。4月あたりから出てきて、クリやカエデ、ナシなど、この季節にカミキリムシがよく来そうな木の花を捜してみれば、その中にこの紅色の虫がいるのが見られるだろう。

しかし、こんな小さな虫でも、卵から親になって表に出てくるのは3年かかる。カミキリムシの幼虫というのは、たいてい害虫の汚名を持つが、このベニカミキリも例外ではなく、幼虫はモウソウタケを食料にしていて、やはり害虫とされている。
モウソウタケは食害や病気の少ない強い竹といわれるが、このベニカミキリには弱いようで、それなりに食害は問題らしい。

竹の裂け目などに生みつけられた卵から孵化した幼虫は、まず1年目の冬を越す。そしてじっくり時間をかけて、翌年竹の内部をたっぷり食べてさなぎになるが、やがて竹の材中で成虫になって、次の冬も越す。

最終的に、成虫の姿で竹から出てくるわけだが、出てくる前の冬の時期に竹を割って調べてみると、その食材からは、およそ想像もつかないような、この鮮やかな紅色が姿を現すことに、ちょっと感動するかもしれない。

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天測点

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~そのことばの響きが、とても想像力を広げる~

先日、山頂の天文台に泊まる機会があった。
残念ながら一晩通じて雲が切れずに、星空を仰ぐことは出来なかったが、口径91cmの反射望遠鏡を見学し、その望遠鏡が収まった天文ドームの建物で、更ける夜を惜しみつつ、友人達と語り合って明かした一晩は、とても楽しく有意義なものだった。

さて、朝目覚め、霧の残る天文台の周辺を散策した。そこは、堂平山頂(標高876m・埼玉県都幾川村)をとりまく敷地であって、ひんやりとした空気に包まれていた。天文ドームのすぐ前にある小高い丘の部分が山頂で、これを登ってみると、1等三角点を示す石柱が、半ば地面に埋もれるように立てられていた。
そして、その隣に、少し大きめの石碑のようなものが立っている。はて、これはなんだろうかと覗き込むと、そのコンクリート製の石柱には、銅版のようなものが埋め込まれ、「天測点」の文字が刻まれていた。

天測点とは、かつて天文測量に使われた遺産のようなものである。
「天文測量」といっても天体の観測が目的なのではなく、地理観測のために星を観測して正確な経度や緯度を求めるのである。
天測点は、この天文測量を行うために使われた子午儀という測量器を載せる台のようなもので、国土地理院が、昭和26年から33年に全国で48箇所設置したものだという。

見た目は、ただのコンクリート石碑のようだが、そうではない。当時の観測機器である子午儀は、とても重くて観測台を必要としたので、観測の都度、いちいち観測台を山頂に持ち運ぶ手間をなくすため、あらかじめ観測点に固定して、コンクリート製の決まった大きさの台を置いたのである。

なお、昭和34年以降は、軽量の機器が開発され、三角点に運び入れた測量機器単独で、天文測量ができるようになったために不要となり、また、現在は、ご承知のとおりGPSによる測量で手軽な測地が出来るようにもなったことから、天測点は、すっかり遺物としてその姿を残しているにすぎないものになった。

この天測点は、全国48箇所に設置されたと書いたが、関東では、この「堂平山」のほかに、茨城県日立市の「高鈴山」、栃木県宇都宮市の「八幡山」、千葉県君津市の「鹿野山」に設置されているようだ。

堂平山の天測点を示す金属の表示板には、「第17号 天測点 地理調査所」と刻まれていた(地理調査所とは、国土地理院の旧称である)。地理測量の施設であることは間違いないが、「天測点」という言葉の響き、なにか想像を描きたてる。
ちょっとファンタジーじみていて変かもしれないが、私の頭に浮かんだのは、毎日決まった時間になると、眼鏡をかけた老キツネの観測者がここにやってきて、望遠鏡をのぞきながらメモを取っている。そんな光景だった。


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林道を記す (その2)

navigation
~林道屋的カーナビの理想~

カーナビの進化は著しくはあるが、私個人は、その方向性にあまり好感を持っていない。
そもそも、ナビというシステムは、これに全て任せて、ただ走れば目的地に着くということを志向したものだから、これとは別の部分、いわゆる付加機能の趣向が自分とは合わないといっても、いたしかたないことは分かっている。

端的に自分の希望を言うと、自分が必要と思うデータをもっと蓄積していける方向を望みたいのである。

ナビ単体だけでもいいが、できればパソコンとフル連携で、路線・図形オブジェクト・テキスト等を自在に書きこみ蓄積できる機能を充実させてほしいと思っている。

路線データは、ナビの基本的データではあるが、これも既成のデータでは限界がある。いつまで待っても求めるレベルまでは無理だろう。私が頭に描いているのは、一般路線ではなく林道がメインなのだから。

軌跡をそのまま路線データとして取り込む、又はパソコンからの座標取り込みや手動描き込みで林道やそのアプローチ路線のデータを蓄積し、視認ナビゲーションに生かすとともにパソコン上の電子地図ソフト、データへ還元する。

「そんなオタク趣味の面倒なものを作っても、売れるわけがなかろう」ということに間違いなくなるのだが、望んでいること自体は、どこも斬新な機能ではないのだから、特注でもいいから欲しいものだ。

林道上では、ルート案内のナビゲーションなどは、もちろん不要なのであるから、滅多に走ることのない路線、再び訪れるのがいつになるやら分からない路線のデータや、その沿線のオブジェクトなどを、ただひたすらコレクションのように増やしたところで、それがいったい何になるのかという批判も分かる。

けれども、地図好きとしては、元々、現在地を画面の地図上で随時確認できること自体が、非常に楽しいのであるし、それに加えて、地図にない道を辿りながら、同時に自分の地図に新しい道を描き込んでいくことができるのであれば、それは、とても充実感を覚えるものとなる。

まあ、その先にまで話しを進めると、通常のユーザーとの意識乖離があまりに大きくなってしまうかもしれないのでやめておくが、ともかく、例えば3D表示などは私にはまったく無駄で膨大な不要データであって、できれば排除したいし、渋滞情報や、都市図なども、使いどころがほとんどないのである。

自分勝手にそうは言っても、世の中、ライトなユーザーに支えられていて、個々のコア・ユーザーの欲望を満たすことは難しいものだし、ましてや、賛同者もめったにいなそうな、こんな変な希少趣味になど付き合う気などさらさらないだろう。

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林道を記す (その1)

N20050511_001
~走り書きのメモの山~

ここに厚く積もった汚いメモの束がある。
山々を走って、その経過を後でレポートにするための覚え書きだ。
数にすれば、随分なものだが、それがどれだけ頭に入っているかというと、そこに記された情報の一割も残っていればいいほうだ。いや、実際にはその半分も残ってはいまい。

記録しておく主な情報は、林道路線の図形的な繋がりや大まかな相対位置、区間距離、舗装の有無や路面状況、それに目標物や見どころといったところである。
メモは、半ば走行しながらの、文字どおりの走り書きである。元々字は上手くないとはいえ、さすがに自分で自分の書いた字を後で読めなくなるのはみっともない。しかし、それも、決して稀なことではない。

さて、記録がそっくり頭に入れば申し分ないのだが、人間の能力には限界もあるし、得手不得手もある。私は特に数字の暗記が極めて苦手である。心して掛からねば、たかだか3~4桁の数字を5分間憶えていることもおぼつかない。まあ、程度の差はあれ、誰だって経験したことをみな憶えられるなら世話がいらないというものだ。

もちろん、それを補うためにメモが登場するのであるが、このメモというものも整理して保存しないと意味がない。
必要なときに、引きだす場所が分からなければ、どんなに情報を集めても、なんの役にも立ちはしない。

林道で収集した情報の山も、その一部は林道地図に転記して、保存、公開してはいる。ただ、転記できるのは根幹をなす情報であり、もっと繊細な部分や公開に馴染まないところのほとんどは、相変わらずメモの山の中である。

このまま、落葉樹林に降り積もった木の葉のように、朽ちていくのを待つばかりということにならないよう、整理しなければなるまい。

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カジカガエル

05100022
~いい石をめぐって~

過日、清流に沿った林道で、今年最初のカジカガエルの美声を楽しませてもらった。
透明な水が、白い飛まつを上げながら流れ落ちてゆく清流で、その清流より、もっと澄んだ。もっと涼しげな声が流れる。

カジカガエルの声を聞いたことがあるだろうか。初めて聞くならば、およそカエルの声とは思えないだろう。おそらく、その声から想像する姿は、青鮮やかな野鳥の姿とか、たいてい、そういったものになるのではなかろうか。

音を字で表すのは難しいけれど、あえて文字にすれば、「ふぃりりりり~」そんな透き通った文字になる。

カジカガエルは、アオガエルの仲間だが、体色に青いところは一切なく、茶から白っぽい褐色の沢の石と変わらない色をしている。いわば保護色の体色は、やはりそれゆえこのカエルの姿を見つけづらくし、鳴いているところでもないと、この小さめのカエルの姿はなかなか見られない。

さて、カジカガエルには少し興味深い習性というか、特徴がある。
美しい声で鳴く雄は、その美声を発するために乗る石を競って選ぶのだ。まあ、美声は繁殖につながる行動であるのだろうから、雄同士は初めからライバルではあるのだが、石をめぐって相撲を取る。ひらたく言ってしまえば、縄張り争いということか。

しかし、この場合の「いい石」とは何だろうか。選ばれる石は、どこがどういいのであろう。水流に対する位置?声のとおり易さ?雌との位置関係?
その答えは知らないが、小さな目立たないカエルが、相撲を取って勝ち得た場所で、うっとりするほどの美しい声でまた競って鳴く。

たとえ彼らにとっては、それが必死の行動なのだとしても、ただ眺めて聞くだけの勝手な人間にとってみれば、なんとも風流を楽しませてくれる愛らしいカエルではないだろうか。

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