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ホタル・近場のヘイケボタル

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~静かな光の出会い~

我が家のすぐ近くの水田まわりで見られるヘイケボタルを、少しじっくりと観察してみた。

ヘイケボタルの活動開始時間は、先日見学に行ったヒメボタルよりずっと早い。
日が落ちてから、さほど時間も経っていない19:30頃に水田へ降りてみると、まだ、空はうっすらと僅かな残照が残るのに、既にいくつかの光の粒が行き交っていた。

光はゆっくり点滅しながら、草地からフワリと舞い上がり、水路に沿って左から右へ一定の方向へ流れてゆくように見えた。だからといって、右方向へみな光が滞留してしまっているわけではないのだが、右から戻ってくる光はあまり目に付かない。

私はしばらく、そこで固まってしまったように見入っていたが、そのうち、草にとまっていた一匹の光の強さが増したような気がして、おやっ?と、そちらへ視線を移した。すると、近くの宙を舞うもう一匹のホタルが同じように光を増したかと思うと、草の葉の上にとまっているもう一方のホタルのところへふわりと近寄り、すぐに2つの光は1つ明るいの光となって、きらめきくようにそのまま瞬き続けた。

ホタルの光の交信と出会い、そして結ばれるひとこまは、一瞬の間の出来事ではあったが、ほほえましくも羨ましいような印象深いシーンであり、その映像は頭の中に深く刻まれた。

この近場のヘイケボタルの光、毎年絶やすことなく、ずっと残したいものだが、残念ながら、どうも少しずつ確実に減ってきているようにみえる。

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ホタル・房総のヒメボタル

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~房総のヒメボタルを見てきた~

梅雨もなかば、蛍の季節である。
家の近くでも、ヘイケボタルが舞う季節となった。

蛍にも国内で30あまりの種があるそうだが、そのうち夜行性で、目だった光を放つ種類となると、それほど多いわけではなく、広く知られるゲンジボタルとヘイケボタルは、なかでも際立った存在なのである。また、この2種は、幼虫が水中で生活し、カワニナなどを食していることもよく知られているが、他のほとんどの蛍では、幼虫が陸生であり、枯れた木の葉の下などに住んでいる陸生のキセルガイ貝などを食している。

蛍の光りかたは各種様々で、成虫では(幼虫も光る)繁殖期の雌雄の交信に使われるのであるが、ゲンジボタルでは、雄は明滅を同期させ、同期しないものを雌と認識。ヘイケボタルは、明滅パターンを雌雄で変えてそれぞれ相手を認識するものと聞く。また、ゲンジボタルは特に明るい光を放つ蛍だが、西日本と東日本ではかなり明滅間隔に違いがあり、西日本のゲンジボタルが2秒程度で明滅するのに対して、東日本のものは4秒くらいで明滅する違いがあるらしい。

もう一種、よく光る蛍に、ヒメボタルが挙げられる。この蛍は、幼虫は陸生で、比較的高地に住み、その光はゲンジボタルやヘイケボタルのゆったりした明滅と違い、フラッシュのように鋭く瞬くという。そして、雄の光に雌が応答して交信するらしい。

さて、房総のヒメボタルであるが、知人から、房総の内浦山県民の森でヒメボタル観察会があるという耳寄りな話をいただき、昨晩のことであるが、それに早速参加してきた。

まず、ゲンジボタルやヘイケボタルが宵闇のころから飛び始めるのに対して、ヒメボタルは、真の夜の闇が訪れる21:00ごろにならないと光りださないようであり、観察会も本番はその時間からの行動となった。また、わずかな光も嫌うようで、外灯など人工光の届くところや、月の明るい晩などには現れることはないとのことであった。

房総のヒメボタルの特殊性は、その生息地の標高にあるようだ。ヒメボタルは元来、概ね500~1000mを越えるような比較的高地に生息し、その観察も容易とはいえないということであるが、房総にはそのような高地自体が存在しないし、まして、今回の観察地である林道奥谷線などは、せいぜい標高100~150mほどしかない土地柄である。

確かにこの、清澄山周辺は、他県の地域であれば、本来ずっと標高の高いところにしかない植生や生息地が、やけに低いところに見られることが少なくない不思議な地域ではある。氷河期や寒冷期からの残存種であろうという説明がされていると思うが、このヒメボタルの特殊性も同様なのかもしれない。

さらに、この房総の地でのヒメボタルについては、わずかに昭和30年代の高校の生物部の記録に残っていたという以外には、標本もなく、長くヒメボタルの生息は否定的に考えられてきたのである。ところが、昨年6月に生息が明らかにされ、これを調査してみると、東日本では最大級の生息地なのではないかというのである。

昨日は、21:00を時計が回るころ、団体行動で林道を歩いた。普段走りなれた林道とはいえ、初めは目が暗闇に慣れなかったが、しだいにわずかな光でも足元が分かりかけてくるころ、これまでに見たこともないような光りかた、ほのかな光を閃光のように放つ蛍を見ることが出来た。
確かに、ゲンジボタルやヘイケボタルとは、光り方が明らかに違う。光る間隔が極めて短く、パッパッパと瞬くように光るのである。何十、何百匹と多量の個体を見られたわけではないが、ヒメボタルは房総に確かに生息していたのだということを目の当たりにし、大きな満足を持ち帰ることが出来た。

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アマガエルの雨鳴き

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~身近にいて楽しませてくれる~

雨季となった。
毎日のように続くじめじめした気候に辟易し、たまに顔を覗かせる太陽の光が待ち遠しい。
しかし、雨を待っている連中もちゃんといる。

田んぼを歩くと、いっせいにアマガエルが合唱するのをよく聞くだろう。一匹が鳴くと、それを契機にあちらでも、こちらでも。
合唱の始めの合図は、気まぐれに始まる。いや、そう聞える。ひょっとすると、風の流れか、気圧の変化か、はたまた日光の翳りどきに合わせてなのか、何か因果があるのかもしれないけれど、とりあえずは、彼らの合唱に聞き入ってしまう。

雨の前に鳴くから「アマガエル」とはよく聞くと思うが、これを雨鳴き(あまなき)という。とくに繁殖期でなくとも頻繁に鳴くカエルである。

今日は昨日から続いて雨のない空模様。庭を歩いてみると、絵に描いたようにアジサイの葉の上で若いアマガエルがかわいらしく鳴いていた。
そのとき、スーっと涼しげな風が吹いてきたような気もするし、そうではなかったのかもしれない。

空を自由に往来する野鳥はともかく、こんな身近にいながら、愛らしい姿を頻繁に見せてくれる野生の小動物も珍しい。
子供の頃は、よく捕まえて遊んだものが、アマガエルも皮膚から出す粘液上の液体に毒性があるという。けれども部屋で飼っているイモリと同様に、毒の存在を知っている今でも、ほとんど気にすることがない。

この週末は天気がなんとかもったので、いろいろ予定も遊びもこなせたが、庭で鳴いていたアマガエルにしてみれば、梅雨時にしては、雨が少ないのではないかと不満を謡っていたに違いない。


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鎮守の杜

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~初夏に沸き立つ鎮守の杜の木々~

「鎮守の森」、一般には神社のある森、神の住む森をおしなべてこう呼ぶ。
神が住むとはいっても、子供たちにとって、そこは神聖で踏み入れ難い場所ではなく、むしろ格好の遊び場であって、最もなじみ深い場所であった。
カカシ(注1)やカクジュウ(注2)はたまた缶蹴り(注3)に陣取り(注4)といった遊びに毎日のように明け暮れ、夕方は日も落ちて、兄や母親が呼びに来るまで遊び興じたものだった。誰彼となく、子供が寄り合う場所が鎮守の杜であった。

あの人気アニメでドングリがあっという間に育って出来上がった杜のように、この時期の鎮守の杜は、生き生きとしている。強い日差しに、木々の葉は色を微妙に変化させ、上に横にと伸びてゆく。小鳥たちがこずえの高いところでさえずり、時折やってくるカラスもてっぺんで滑稽な声をたてる。少々の雨が降っても雨だれは根元に達っすることはなく、外周の土にぽたぽた音を立てて落ち、そこに小穴をしるす。再び日差しが帰ってくると、森は一息だけ白い靄を吐き、そして、また木々の葉が一層みずみずしさを際立たせる。

生命力に溢れる鎮守の森は、周囲の住宅や道路に関わらず、そこだけ切り取ったように古来からの森の姿を残している。かつては、周囲一帯がそのような森であった信じるには、今の姿はあまりに変わってしまったけれども、ひとたび杜の中に足を踏み入れて、ひんやりした空間の風の流れ、こぼれ落ちる光、木々の息づかいを感じるにつけ、誰しもひと時の安らぎを覚えるところである。


~地元で人気のあった遊びの一例~

注1)カカシ
2人~5人くらい
地面にカカシの絵を書く。上から、三角2等分の笠、下半円の顔、横長方形2等分の手、縦長方形3等分の足。これを片足で跳んで往復。戻ってきたら石を投げる。入ったマスはその者の陣地。再び片足とびで往復して、石を投げるが、石が新しいマスに入らないと、そこで順番交代。次の者は先の者の陣地は踏めないという制約の下で、同様に繰り返して遊びが続く。かなり全国的な遊びだろう。

注2)カクジュウ
3人~10人くらい
鬼が1人で、残りは子という
地面に一辺5m程度の正方形を描き、これを4等分にするように、30cm幅くらいの直線の小道を十字に配する。鬼は十字の小道しか歩けない制約で子をタッチして捕まえる。まず初めに子全員で「ナス、キュウリ、カボチャ、何周り?」と鬼に尋ねる。鬼は10周なり20周なり適当な数を決めて「12周り、用意、すた~と」。子は正方形の四等分部分のほうを歩き、初めに踏み出した方向廻りに鬼の宣言した周回を廻りきるのが目的。ただし、正方形の外にも3歩に限って歩くことが出来る。鬼が宣言の周回をさせずに、子を捕まえきれれば、鬼の勝ちで最初に捕まった子が次の鬼。周回を完成させてしまったら、鬼をもう一度繰り返す。

注3)缶蹴り
4人~15人くらい
「かくれんぼ」のバリエーション。鬼はただ隠れた子を捜すだけでなく、隠れている子に陣に置いた缶を蹴られないように気を配りながら、捜さなければならない。鬼は自分の陣近くの木に顔を向けて目をつぶり、大きな声で100を数えた後、子を捜しに行く。見つけたら、大きな声で子の名前を宣告するが、その直後、必ず缶をひと踏みする。見つかった子は、捕虜になって陣近くの木にタッチしながら救援を待つ。鬼に見つかっていない子は、ただ隠れているのでなく、積極的に缶を蹴りにいく。子が缶を蹴ると、捕虜の子は全員解放されて鬼は初めからやり直し。なお、鬼に見つかった場合でも、鬼が缶をひと踏みする前に蹴ってしまえば捕まらない。

注4)陣取り
6人~20人くらい、半数に分けたチーム戦
数十メートル隔てて対局する大きな木2本を各陣とする。自陣へのタッチを手離してから時間が経つだけ自分の力が弱くなり、より後に自陣をタッチした敵に触られると負けるのが基本のルール。この強弱のルールのもとで、相互の鬼ごっことなる。最終目標は、この鬼ごっこ状態を掻い潜って、相手の陣にタッチすること。それで勝敗が決する。鬼ごっこに負けたものは捕虜となって、相手の陣から手を繋ぎ一列に並ぶ。最終目的の相手の陣を触れないときでも、この捕虜の手を切れば、それより手前の捕虜を逃がすことが出来る。強弱ルールは一見いい加減だが、そこは子供ならではの信義則で成り立っている。

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