« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »

カワウ

N20051225-114224
Photo:Nikon D200/ BORG 500mm F6.6
~さすがにディスプレイすると、大きく立派に見える~

近隣ではあまり見かけたことのなかったカワウが、この年末になって家の前の池でよく2~3羽休んでいるのを見かけるようになった。

もともと、海に近い河口周辺に生息していた鳥のようであるが、いまは結構内陸までその姿を見せるようだ。

鵜というと、ほとんど全身黒ぽいイメージだけれども、最初に見たときオヤっと思うほど頭が白く(画像の個体はそうでもない)、喉の黄色と相まって派手な色の鳥に見えた。
これは婚姻色のようで、それならば繁殖期ということで、この周辺、又はそう遠くないところで繁殖地があるのだろうか。鵜は集団でコロニーを作って繁殖する鳥である。まあ、繁殖期といってもカワウの繁殖期は11月くらいから7月くらいまでと長いものであるようだ。

盛んにディスプレイして見せる姿は、比較的近い仲間のペリカンのようでもあったし、歩いている姿はペンギンのようでもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スズカケの木

N20051228-142502
Photo:Nikon D200/AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm/合成
~北風に鈴が揺れる~

冬の公園は、枯れた芝生とプラタナス。そんなイメージが自分の中にはある。
近くの公園を歩いてみたが、やはり、この地の公園は芝生にプラタナスが冬の標準的な景色なのかもしれない。

凧上げをする親子に、ふと手を貸したくもなるが、それは大きなお世話というもの。なかなかうまくは上がらないのだが、それでも走り回ってはしゃぐ母と子は楽しそうである。ベンチに座ってただ黙って眺めていたが、ちょっとこちらが楽しい気分にもなってきた。そういえば、凧上げもずいぶん久しくしていない。

公園を囲むように立ち並ぶプラタナスは、春4月ごろに開花して、種と毛状ものが丸い玉のように集まった実が秋出来る。この実を集合果というようであるが、この実が木にぶら下がる様が鈴を架けているように見えるので「すずかけ」ともよばれる。

この樹は最もよく見る街路樹であるかもしれない。
白と緑のまだら模様がある幹と、大きな楓のような葉、そしてすずかけの実、きっと誰でもそれとすぐ解る。大きくなれば20m以上にもなる高木である。
ちなみに通常知られているのは3種くらいで、「スズカケ」と「アメリカスズカケ」そして、公園や街路樹として普通に見かけるのが、それらの雑種の「モミジバスズカケ」であるという。

北風が吹きぬける公園には、葉を全て落とし無数の鈴をぶら下げたズスカケの樹がよく似合う。走り回る親子、鈴と一緒に凧が引っかからないといいのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

朝の名前

N20050821_001
Photo:Nikon E5700
~窓を開けば朝の色~

前項で枕草子「春は曙・・・」がでたので、ついでに朝の話。
だいたい「曙」などというが、ちなみにそれがどんな状態、又は具体的な時間帯なのか分かりますか?

少し前、家内に「朝が明けてゆく順番に答えてごらん」と出題された。「曙」「暁」「朝ぼらけ」「東雲」そして「朝」なるそれぞれの朝。正直まるで分からなかった。

朝の態様は、日の出より40分くらいは前の空はほとんど暗い「暁」、明るさをやや実感する日の出前30分頃の「東雲」、空はすっかり白んで日の出15分前頃の「曙」、 日が出る寸前・・・およそ5分前くらいの「朝ぼらけ」、そして「朝」。
なんとなく経験から言うと、明け方の白み始めというのは、もう少し早く始まるように思えるが、まあ、少なくとも順番はそんな感じであるようだ。

人の生活も、もとは太陽の昇降とともにあったのだろうが、いつしか夕方から夜の方向にずっとシフトしてしまい、朝は日が昇ってから活動、寝るのは日が落ちて6時間以上。そんな生活形態が普通になってしまったから、朝の微妙な差なんて感じる前に、触れる機会さえも減ってしまったのかもしれない。

しかし、そうは言っても朝とは逆の夕方についてであっても、薄暮や黄昏などという言葉の元来の意味など、あまり明確に知らないでいる。

【画像:Nikon E5700】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

冬も夕暮れ

N20051227-162614
Photo:Nikon D200/AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm
~夕日が落ちた西の空に枯れススキが揺れていた~

寒い冬だが、空はまるで澄みきって、原色に染まる夕暮れなどは特にいいものである。

夕暮れといえば「秋は夕暮れ」か。確かにそれはそれでいいけれども、弱々しくも頼るほかない冬の陽が、西の空から山の向こうへ没してゆき、オレンジに染まる地平近く、そして頭上にかけて続く黄色から藍へのグラデュエーションは、寒さも忘れてずっと見ていたくなる美しさがある。

四季それぞれの美しい時間。枕草子でいえば、春は曙なのだろうか。夏は夜、秋が・・・いや、やはり必ずしもみながみなそうではないのだろう。そろぞれ色々な想いがあって季節ごとに好きな時間帯というものがあるのではないかと思う。

おそらく、それを思うとき、それぞれの情景が浮かんでくるのではないだろうか。私なら、春は昼前の陽だまりでこごんで見るタンポポを、夏ならば日の出前に川面の上に漂いだす朝靄を、秋は日暮れ前の長い自分の影を落とした田畑を、そして冬は日暮直後の西の空に千切れ雲が染まって浮かぶのを目に浮かべる。きっと過去に見た実際の情景に重ねて見ているのではないかと思う。

生まれ育った土地を遠く離れて、季節や気象条件が変わってくると、きっとそれらは故郷の情景になるのではないかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

星のカケラ

N20050108_002
~冷え切った空に地に星が瞬く~
(画像は、この時期、深夜になって昇ってくるしし座)

夜空を眺めに外に出た、今年の12月は寒い。
凍てつく寒さに身を丸めながら、空を眺めるが、乾いて透き通った空に星はあまり見えない。空があまりに明るすぎるからである。

今晩の月齢は14、もうほとんど満月。地面にはクッキリと自分の影が映し出されている。誰かにその影を縫われてしまって、身動きができなくなってしまうような・・・そんなはずもないが、月の明かりはときにそんな怪しい想いを起こさせるものである。

空の星があまり見えずに少々気を落として、ちょっとあたりを歩いていると、思わぬところにキラキラと無数の星が瞬いていたことに気が付いた。足元の自分の影の周りにそれはあったのだ。

目の焦点がなかなか合わずにいたが、よくよく目を凝らしてみると、地面の上で小さな小さな星のカケラが、無数にきらめき、瞬いているのであった。
星のカケラは、雲母なのか石英なのか、よく見えないが、これに月の明かりが反射して、歩きながらこれを眺めていると、あたかも星のように瞬く。

ひととき我を忘れ、地に散らばった、星カケラたちを眺めていた。体はすっかり冷え切ってしまったのだが、とても得をしたような、うれしい思いが残った。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

カラマツ

N20041103_0048
~明るく真っ直ぐな樹~

庭にカラマツの苗を植えてみた。不得意な温暖地に果たしてうまく育ってくれるかがとても心配だ。

カラマツは、わが国の自生種では唯一の落葉針葉樹であり、また他国に無い固有種でもある(もちろんヨーロッパなどにもカラマツ属の他種は存在する)。
木材としても優秀であって、各地で広く植栽されているが、近年は需要が減少したようである。自生ということで見ると、かなり生育息は限られていて、東北・関東・中部地方の山地にしかない。中心は信州などを中心とした中部山岳地域。
イメージ的にはマッチしても、北海道のカラマツはみな植林ということになる。

漢字では「唐松」と書くが、唐の時代の中国の絵に描かれた松に似るという説明はあまりピンとは来ない。針葉樹であるのに珍しく落葉するという意味で「落葉松」の名は悪くない。

日当たりを好む樹の性格上か、夏であれ冬であれ、四季を問わずに、なにかいつも日差しの下で健康そうに真っ直ぐ伸びている印象の強い樹である。秋の紅葉した山の木々の中でも、イチョウのように白を含む黄でなく、もっとずっとオレンジに近い濃い黄色を呈するカラマツの黄葉は格別だ。離れてみるのもいいし、見上げるもいいし、シルエットもまたいい。

最も印象深いのは、中津川林道の三国峠で見る黄葉。
ここから見渡す信州側の景色は、山また山まさに黄一色。これは是非見ていただきたい景色である。

こんなカラマツを身近で育ててみようと思ったのだが、そういうものは、「見に行くから価値がある」などとも言われそうではある。しかし、人がどう思っても、また、健康な育成はなかなか難しいのかもしれないけれども。やはり、あんな黄葉が、雪も滅多に降らない身近な我が家の庭で見れたら最高だとの思いは強いのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

11030014
~落ち葉に霜・秋から冬へ~

先週末に山を散策した。
我が家の周辺は、温暖な地であるから、まだ冬は気配しか見えないが、既に山は一足早く冬に領域に入っている。

この時期になると、林道に展開する景色は明るくなる。繊細な小枝が目立ってくる。そして、その先に普段見えない景色が見えてくる。

霜は降るのか生じるか。
言葉としては、霜が「降る」とはいう。また多量の霜が降ったのを見ると、それは本当に空から降ったのではないかと思うほど厚く、まるで積もったようにも見える。今はまだ暖かいが、本格的な冬が来れば、我が家の周辺も霜は降る。子供の頃など、朝、雪のように降った霜をかき集め、雪ダルマを作ったことさえあった。
霜は降る。
見た目はそう見える。けれど、そうではないことも、みな知っている。

霜はそこに生じる。冷えたビールジョッキに付く露のごとく、空気中の水分がそこに昇華してゆくのである。
様々な形をした木の葉や草の葉に、白い結晶をちりばめて、寒い冬の朝を、また一層寒く冷たくそして美しく彩る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »