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流星

N20060128-214509
Photo:Nikon D200/AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm
(18mm 0'04" F3.5 ISO400)
~願いより感動が先に~

流れ星というものが、夜空の星が落ちるのではないということに気づいた頃は、世の中の色々な仕組みが次々とわかり始めて本当に楽しい頃だった。

星が落ちるという見方は、大地の上の天蓋のような天とそこに張り付いた星というものの存在を前提とした発想だったから、今も昔も合理主義な自分にとっては、そのように信じたのはかなり幼い頃までのはなしで、そんなロマンチックな見方は、もうできなくなってしまったのだけれど、それでも、一つ一つ違う明るさ、違う長さ、ちがう速さ、違う色、そして明るさが著しく変わったり、空に跡を残したり・・・と、そんな流れ星に憧れみたいなものはある。

流星群のような、方向の定まったものではなく、散発の大きな流星に出会ったときはひときわうれしく感じる。「寿星・カノープス」の項に書いたけれども、たまたま夜の街を1枚だけ撮影したとき、その時間・その視界にピッタリはまって、レンズに映ってくれたこの流星は、途中で一瞬の大きな煌きと揺らぎを見せて地平方向へ消えていった。

こちらから願い事を発するよりも、いつもこちらが受ける感銘のほうが大きいような気がする。

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寿星・カノープス

N20060128-220304
Photo:Nikon D200/Tokina AT-X M100mm F2.8(1'58"F2.8)
~南極老人星が南天をゆく~

先週の大雪でまだ地元の山には雪が残り、車とはいえ夜間に登るのは少々気が引けたが、観望の好機を逃さぬよう長寿星を撮影に行ってきた。

長寿星・・・りゅうこつ座のカノープスのことである。見た目も画像でも、一見では赤っぽくて、ちょっとぱっとしない星にも見えてしまうが、実はカノープスは-0.7等という素晴らしい明るさをもつ白い星で、それはシリウスに次いで全天で二番目に明るい恒星なのである。

ただ、南半球ならその明るさを存分に見ることも出来るのだが、北半球の日本にあって関東あたりでは、南の地平線すれすれのところでやっと見えるため、明るさも大きく減じ、また、太陽や月が昇ったり沈んだりするときに赤く見えるのと同じ理由で、やや不気味に赤い色を呈している。

いや、実際には本当に現れる位置が低空であって、南の空が大きく開けていなければならない上に、街明かりの影響などもあり、見るだけでも案外簡単ではなく、星空にさほど興味のない方には、ほとんど知られていないのかもしれない。この星が見られる北限は、計算上福島県のいわきあたりとなるようだが、実際には大気中での光の屈折や、山から見る場合などもあり、阿武隈山地北部でも見れるようである。

そんな、見えずらさもあってか、その昔、中国ではこの星のことを「南極老人星」とか「寿星」と呼び、この星を見るのは縁起がよいとか一目見ると寿命がのびるとまで言われていた。「南極老人」というのは、あの七福神の寿老人とか福禄寿のような神様のようで、長寿をつかさどる神様であるらしい。

こんな真冬でも、星を眺めている時間だけはついつい寒さを忘れてしまい、あとで風邪をひいたりすることが多い。けれど、今日は、吉兆が南極老人星だけではなかった。
星を写したついでに、街の夜景でも撮っていこうかと、レンズを下に向け街の明かるさに合わせ、夜にしては短めの4秒ほどのシャッターを切ったのだが、その短い時間にピッタリ合わせて、かなり明るい火球といってもいいほどの流星が、画面真ん中に出現してくれたのだった。これはラッキー。しっかり写ったのを確認して満足し、最後まで寒さを忘れたまま帰宅した。(このとき見た流星へ

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食と掩蔽(2)

N20041014_0007
Photo:Nikon E5700
~日食も掩蔽~

前回は主に月が他の星を隠すことを「掩蔽」(えんぺい)というとしたが、「主に」と書いたように、もっと詳しく見れば、必ずしも他の星を隠す母体が月でなくても「掩蔽」はある。
定義的に書くと、「ある観測地から見て、ある天体が他の天体を隠す」ものはみな掩蔽という。例えば木星の本体がその衛星を隠す場合も掩蔽の一種であるし、木星がより遠方にある恒星を隠すこともある。
かなり、特殊なものでは、光度の変わる星である変光星。この変光星の中で「食変光星」というものがあるが、これは、1つに見えても実は2つの星が互いに回る連星系であるもので、片方の星がもう片方の星を隠すとき、その分、光度の減光を生じるものであり、これも「掩蔽」になるだろう。

おや、そうすると、天文現象の中で「食」と言われるものはいろいろあるのだが、きっちり区分すると、日食は掩蔽であり、地球の影に月が入ってほとんど見えなくなる月食は、掩蔽ではないことになる。また、先に木星の話しを出したが、木星本体の影にその衛星が入って見えなくなる「衛星食」も、掩蔽ではないということになる。

このように、広い意味での「食」には、「掩蔽」と影が原因となる「食」があることがわかる。掩蔽の定義のように、狭い意味の「食」をいうと「恒星の光が届かない区域に自ら光を出さない天体が入ってあたかも隠れたように見えなくなる」状態が「食」となるだろうか。

そういえば、人工衛星、特に馴染みのある放送衛星や気象観測衛星も地球の影に入って太陽光発電が出来ないため、一時機能を停止するときも「衛星食」という語を使っていたと思う。
(画像は04.10.14自宅からの部分日食)

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食と掩蔽(1)

D2H_0027
Photo:Nikon D200/BORG 500mm(月と背景を別個にレベル補正)
~真珠星は月に沈むか~

今朝方、西日本ではおとめ座のα星「スピカ」の食が見られたはずである。残念ながら、南関東の我が家からでは月のスレスレを通過してしまった。もっとも、食の開始が7時台後半と日の出後であるので、西日本であっても、月は見えるが、スピカの方は1等星とはいえ、昼光の中で条件と環境が整っていないとこれを見ることはできないし、我が家からのスレスレ通過も実は確認できていない。
画像のほうは、自宅で撮影した、まだ食の2時間近く前になる5:55の接近画像である。

星を食う?日食や月食は、その現象面を眺めたとき、「食」というイメージには合うといえるが、星は「星食」というのより掩蔽(えんぺい)といったほうが合うような気がする・・・
掩蔽というのは、主に月に星が隠されることをいい、先にも使ったように「星食」又は単に「食」とも言われる。これは、地球から見た月の通り道の上にある恒星や惑星の前を月が通り過ぎる状態※であって、文字通り星が月に覆い隠されるように見えるのだが、月は満月以外のとき、明るい部分と暗い部分があるので、食の始まりや終わりが明るい月面である場合もあり、暗い部分(見た目では空のように見える)であることもあるところが面白い。

おとめ座のスピカは青白い星である。星の色は表面温度で決まり、赤黄白青という感じに高温になる(実際にはスペクトルどおり赤橙黄緑青紫となるのだろうが、人の目にはそう映らない)のであるが、太陽の約6000度に対して、スピカは2万度前後といわれる。
その青さから清純なイメージに繋がっておとめ座が出来たようにもいわれるが、真偽はともかく、春の南天に一つ青く輝くこの星は、確かに清らかなイメージがある。日本では「真珠星」と呼ばれたとか。

上記では、食も掩蔽もごちゃ混ぜに使ったが、実は、正確に言うと「食」と「掩蔽」は別物である(食と掩蔽(2)へつづく)。

※月はみなさんご存知の通り、毎日天球上の位置を少しずつ東に移動し、約一月かけて一周している。この月が天球上を移動する経路を「白道」ということは、前にも1項目設けて簡単に触れた。白道の上に星があれば、月がそこを通過するときに掩蔽が起きる。月は天球上に一定の画角(面積のようなもの)があるので、正確には、月の中心が通る線である白道の月の半径分の幅をもった帯になる。また、白道は天球に固定された線ではなく、一周ごとにずれがあるので(このあたりも「白道」の項を参照されたい)、かなりたくさんの星に掩蔽の可能性はある。しかし、実際の観測には、月の明るさと星の明るさに相当開きがあることや、月が太陽周辺でなく、また基本的には空の暗い夜間に起きることなどの条件が重なるので、1等星の食のような楽しんで見られるようなものは、それほど多いわけではない。

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うろこぐも/巻積雲

D2H_0161
Photo:Nikon D200/AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm
~明日は雨?空にうろこが現われた~

私は寒がりではある。けれども昨夏の猛暑といい、この冬の厳冬といい、なにか気象がハッキリしていて、夏は夏らしく、冬は冬らしく、メリハリがあってよろしいなどと感じてしまう。みなさんはいかがだろう。
そんな寒さ厳しい冬に久しぶりの穏やかな一日が訪れた。

所用を済ませ、午後は飼いウサギを庭に放って、のんびりとした時間を楽しんでいると、西に傾き始めたものの、まだ暖かな太陽の光がふと翳を落としたので、おやっと空を見上げた。

西の空いっぱいに広がったうろこ雲、鰯雲とも鯖雲ともいう。いずれも群れや同じものの連続を表すような名前である。正式な雲の名前(=基本雲形10種)でいうと、「巻積雲」という。同じく群れを連想させる名前でひつじ雲というのもあるが、これは「巻積雲」より雲の出来る高さが少し低い「高積雲」に区分される。

この雲は、天気の下り坂の前兆で現われることが多いとされる。実際、今日のようにここ数日のうちでも特に穏やかで過ごしやすい日などに現われることが多く、翌日には雨や雪が来る。

また、空の片隅にさっと現われたかと思うと、気が付けば見る見るうちに空一面に広がり、そして、さほど長い時間この美しい縞々模様はとどまらることなく、いつしかそれまで晴れていた空を曇り空に変えてしまう。

「巻積雲」は、「巻雲」「巻層雲」とともに、雲の中でも一番高いところに出来るグループで、たいてい氷の小さな粒で出来ている。多くは地上にある寒冷前線などに関連し、その上層部に広がった不連続面に沿って出来たりするので、昔からの言い伝えどおり天候の下り坂に出現することが多いようだ。

また、連続して見られるさざなみや砂の風紋にも似た雲の波のような模様が、ときには空一面に広がることから、古くから最も美しい雲とも言われている。

暖かな休日も終わってしまった。明日はぐずついた空模様の下で出勤だろうか?

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長い影

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Photo:Nikon D200/AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm
~昼でも樹形を長々地に映す~

冬、日の影が長く伸びるのは朝夕だけではない。正午前後であっても夏の夕方のような長い影を落としている。
なんとも、ますます寒さを感じるものだが、その一面で、影も斜めなら陽射しも斜め、家の中には光がたっぷり差し込んで、窓を閉め切った南向きの部屋には、暖房がなくてもぽかぽかの温もりを与えてくれる。

ところで長く伸びた樹形の影は、冬にしか見ることが出来ない風物詩である。夏には、どんなに陽射しが傾いた朝夕でも見れない。影は長くとも、木が青々と葉をつけているのだから樹形が現われないのは当然である。

長く伸びる冬の影は、自分の影も例外なく長く見せる。しかも特に足ばかりが長く伸びたように見える。ちょっと自分の足が身軽に長く感じるのが楽しい。もちろんそれは、目線の関係であって、本当に足が伸びたのではないのは言われなくても分かっているが・・・

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カワセミ

N20060107-085257
Photo:Nikon D200/AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm
~冬の湖水に飛び込む~

家から出て1分も歩かないところにカワセミが収穫に来る水場がある。年中いる鳥だが、どうも他の野鳥同様に、冬のほうが何かと目に付く。生き物が少ないせいか、木の葉がなく視界が良いせいなのか。

カワセミの住む場所は、一般的には自然が豊かだといえる。確かに我が家の周辺の自然も、例えば夏には蛍も見られるなど、かなり豊かなほうではある。
ただ最近は、都内の公園などにもカワセミはいる。意外にも、カワセミに限らず、そうした人の多いところにすむ野鳥などのほうが、観察はずっと楽である。そもそも観察すべき場所が限定されていて捜しやすいし、もともと人があちこちにいる環境に住んでいるため、警戒心がないわけではないが、人の程々の接近には慣れてもいる。
しかし、そこそこ田舎の我が家の辺りでは、カワセミもかなり警戒心が強く、30m以内へはまず近づけない。

カワセミは、「宝石」のように言われるが、実際に地味な鳥の多い日本の鳥の中でもひときわ美しい、体は18cm程度の大きさで、鳥としては頭がやけに大きく口ばしも長い。その独特のディフォルメ調のフォルムも、一般の小鳥たちのかわいらしい姿とはまた違う意味でかわいらしい。

橙色の腹部と青緑の背部からきたものか、赤い羽根を「翡」、青の羽を「翠」として合わせてカワセミを「翡翠」と書く(昔アカショウビンとカワセミは同じ鳥のオス(アカショウビン)とメス(カワセミ)と思われていて、オスを「翡」、メスを「翠」とし、あわせて翡翠と言ったという説もおもしろい)。もちろんあの鉱物のヒスイ=翡翠と同じ字であるが、もともと「翡翠」は、このカワセミからきている文字であるという(「翡」「翠」共に「羽」の部首が付くことからもカワセミが元であると考えるのは自然だろう。)

美しくかわいらしいだけでなく、その行動も特徴が強い。
水にダイビングして小魚などを捕らえる姿。また、それを狙うため時に空中にホバリングする姿。どれもとても魅力的な姿である。

我が家の近くにすむこのカワセミはつがいであり、たまに2羽で揃って姿を見せる(「カワセミのつがい」)。ちなみに雌雄の別は嘴で見分ける。嘴が全部黒なのは雄、下の嘴の元が赤いのが雌である。この2羽のカワセミがどこに巣を持っているのかは分からないし、カワセミは、縄張りを持つ性格があるので、一つの谷に一つがいしか見られないとも聞くが、なんにせよ、順調に繁殖を続けていって欲しいものだと願いたい。

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氷の花の紋2

N20060108-141416
Photo:Nikon D200/AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm
~近隣のこの池にも同じ模様が~

前投稿後すぐに近隣の他の池をいくつか見て回った。幸い家の周辺には湖沼は数多い。
すると、他の池にも規模の大小はあるが、やはり同様の文様が湖面の氷に浮き出ていた。

そうしてみると、

①このあたりでは池に氷が張ること自体が最近少なく、その上に雪が積もることはなお珍しいことで、いつもの冬季の条件では見かけたことがないこと、
②文様の丸い部分は、雪がいったん水を含み再度凍ったときのような色合いで、やや厚みがあること、
③周辺の池に一様に文様は見られたこと、
④文様のまん中には穴が見られ、文様はその穴を中心としたほぼ真円状であること、
⑤あまり意識はしていなかったが、全く初めてみたのではなく、どこか(おそらくスキーの行き返りでの景色)では見た覚えがある現象であること

などから考えて、やはり一昨日の朝凍った湖面の薄氷の上に、夜になって雪がうっすらと積もり、そこに何らかの穴や亀裂を通して毛細管現象のごとく染み出した水が描いた円状の模様であって、この地域に限らなければ、特別珍しいものではないのではないかと結論したがどうだろう。

やはり、これは氷紋の一種なのだろうか

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氷の花の紋

N20060107-113526
Photo:Nikon E5700
~湖面の氷に花開く~

一昨日の晩にほんの少し雪が降った。積もったいうほどにはやや足りないのかもしれないが、それでも1cm足らずの雪で近隣の景色はうっすらと雪化粧して一変した。
昨朝、このあたりでは稀な雪景色を楽しむために、近所一帯を散策していると、家からそう遠くないところにある池で、見慣れぬ斑紋が見られた。

これはどうやって出来たのか、よく判らない。
「氷紋」といって、氷上の積雪に氷にあいた穴から出た水が染み出し、再び結氷して出来た模様とされるものがあるが、これも湖面の氷上に咲いた花のようなものも「凍紋」だろうか。「氷の花」や「霜の花」などというのとは違う。
近所の池で見られたこともあるし、特に珍しいものではないだろうと思うのだが、調べてみても同じようなものが見当たらなかった。

そもそもこの模様の成因が頭を使わせてくれる。やはり湖面の氷上に雪が少しでもあったから出来たのか。中央の穴から水が出たのだとすれば、その穴はなぜ出来たか。降った雪は氷に影響を与えるほど多くはなかったはずだが、氷もこの温暖な地では微妙に薄い。

自然の作り出す色、模様、形はいつも目を楽しませてくれるとともに、想像も広げてくれる。

※投稿後、すぐに調査した結果を「氷の花の紋2」に追記

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鳥啼歌

N20051230-065835
Photo:Nikon D200/AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm
~とりなくうた~

鳥啼く声す 夢覚ませ
見よ明け渡る 東を
空色栄えて 沖つ辺に
帆船群れゐぬ 靄の中

以前の項で、自然を形作る数々の天地のことばに、全ての仮名をもれなく1回ずつ歌いこんだ平安時代からの手習い歌「天地の歌」を紹介したが、こちらは明治36年に万朝報 という新聞の募集で1位に選定された坂本百次郎という方の作。通常のいろはに、「ん」を含んだ48文字になっている。通称「とりな順」として、戦前に「いろは順」のように広くしれわっていたらしい。

とりなくこゑす ゆめさませ
みよあけわたる ひんかしを
そらいろはえて おきつへに
ほふねむれゐぬ もやのうち

この歌も、一仮名1回全仮名使用という厳しい制約にありながら、明けの時、空と海の情景を見事に歌い込んでいる

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アカタテハとヒメアカタテハ

N20051229-134413
Photo:Nikon D200/Tokina AT-X M100mm F2.8
~冬の陽だまりにやってきたヒメアカタテハ~

冬を成虫で越す蝶にアカタテハの仲間がいる。暖かな日にはどこからともなく現われて、昆虫の姿をほとんど見かけない冬に彩を添えてくれることがある。

先日も、寒いこのシーズンの冬にはめずらしい暖かな日、庭で草木をいじっていると、その小さな影が横切ってゆくのが目に入った。影の方向を追ってみると、ヒメアカタテハが花をつけたサザンカの木にとまっているのを見つけた。

同じように、アカタテハ(画像はこちら)も冬に目にすることができる蝶で、ヒメアカタテハとアカタテハは、ほとんど一年中の間通して見ることが出来る蝶なのである。
特にヒメアカタテハは、世界中に分布が広いというが、かといって、しょっちゅう見かけるというわけでもない。

一見、見分けがつきづらいこの2種の蝶であるが、外見上では大きな違いが2つ見つかる。
まず、大きさ。その名の通り、ヒメアカタテハのほうが一回り小さい。もっとも、これでは相対的なはなしなので、片方を知らなければ、大きいのか小さいのか判らない。
そこで、より判りやすい違いは、後ろ羽の模様である。
アカタテハの後ろ羽は、広げたときの背面に扇形の灰褐色の部分が広く占め、赤と黒の模様が尾端に少ししかないが、ヒメアカタテハの後ろ羽は、ほとんど全体にわたって赤と黒の模様が広がっている。

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朝の予感

N20051230-074331
Photo:Nikon D200/AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm
~朝の海に鳥が翔る~

日の昇る朝は、感覚が澄まされている気がする。
光に敏感で音にも敏感。少しの動きに神経が反応する。

これに対して日が沈む夕方は、あたりが真っ暗になったと感じていても、実際には、まだ空はかなり明るいということが、昨夏に房総の蛍を見に行ったときに実感としてよく分かったように、特に明かりについては、あまり敏感ではない。明るい昼を過ごした後なのだから、ある程度当たり前なのかもしれないが。

同じ明るさの天文薄明(太陽の中心が水平線下の角度でおよそ18°までのときいう)でも、朝の薄明ならば、夕方の薄明かりを敏感に感じる蛍でなくとも、もっと敏感に感じると思う。車で早朝に遠方へ出かけることは多いが、朝の明るさの予感のようなものは、かなり早い時間に感じられる。

朝に鳴く鳥が、一見真っ暗なうちからその鳴き声を上げるとき、空をよくよく見てみれば、うっすら朝の予感を感じ取ることが出来ると思う。

冬の海。白々と明けた朝の空へ、数え切れないほどの海鳥が渡っていた。

新しい年が明けました
やはり0:00に日付が変わることよりも
朝の明け行くさまにこそ新年の訪れを感じますね
本年もよろしくお願いします

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