« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

カマキリの産卵

N20061228133449
~これが最後の産卵になるだろうか~

我が家の庭で、初冬となってもときおり姿をみせ、活動を続けていたオオカマキリのメスが、今日はヤツデの樹上に産卵していた。何回目の産卵になるのか、季節から見て、おそらくこれが最後になるのではなかろうかと思われる。

カマキリは一度卵を産んでも、餌をとって栄養を蓄えれば、また産卵を繰り返すことができる。カマキリの産卵方法であるふかふかの卵の入った塊のようなものを「卵のう」(※注)というが、カマキリは生涯にその卵のうを3、4回形成して産卵をするようである。

メスの卵巣にはかなりの数の卵があるらしく、卵のうには200個くらいの卵が入っているようであるが、その卵のうを20個ほどつくれるくらいの卵が卵巣に保存されているともいう。

そして、実際にどれだけ卵のうを残せるかというのは、産卵の間に摂れる餌の量で決まるようであり、卵のうの大きさも栄養や、また産卵回数によっても変わってくる。

そういう要素もあってか、冬になってから今日産んでいた卵のうはちょっと小さめのものに感じられた。

※注:両生類(モリアオガエルやサンショウウオ)やクモの仲間には卵のうを産むものが多い

【カマキリの関連記事】
カマキリのたまご (卵、幼虫について)
カマキリの幼虫(幼虫、卵を産む高さと積雪の関係)
3匹のカマキリ(オオカマキリ、コカマキリ、ハラビロカマキリ)
カマキリの共食い(オスはメスに食われないこと)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

スキャナー画像

2006122417
~直SCANは写真より有利な部分もある~

スキャナーで庭の落ち葉をスキャンしてみた。最近のフラットヘッドのスキャナーは、実に安価で解像も高い。パソコンを所持する多くの方が、プリンターとの併用機種も含めてスキャナーを所持している。

スキャナーで、よりうまく撮影するには、技やコツもあるのかもしれないが、とりあえずそういうものなしで、ただスキャナーのガラス原稿台の上に葉をぱらぱらと乗せただけで撮影してみたが、それでも、このように十分きれいに図鑑的マクロ撮影ができるので、植物や鉱物などの静物を撮影するにはかなり有力な手段の一つとも思われる。

カメラ(デジタル・フィルム共通)に比べて優れた点は、同じことをやろうとするなら撮影がずっと容易であることだろう。一眼レフカメラの場合、このようなマクロ撮影には、マクロレンズが必要だし、もっと特殊な光学装置(注1)も必要になりそうだ。また、マクロ撮影が得意なコンパクトカメラも含め、平準的に光を当てた撮影をするには、それなりのライティングシステムが必要になり、カメラにさほど入れ込みのない大多数の方には機材の面で無理がある。また、撮影技術も結構必要である。

もう一つ、本質的にはより重要な事であるが、おそらくは、うまく使いこなすと、カメラ以上の精密な記録が出来るのではなかろうか。微小な植物の構造などがかなり精細に記録できるものと期待でき、スキャナーの解像度を上げてやれば、相当の高画質(わかりやすくデジカメの画素数にして3000万画素(注2)くらいに相当するようなイメージ)が期待でき、これから私も機会を見て少しいじってみたいと思う。

一方、難点もある。
まず第一に、自然のフィールドで生物などのそのままの姿を撮影できないことである。これをこなすのは、はやはりカメラならではのことであろう。

そして、もうひとつはフォーカスだろうか。
当然のことながら、スキャナーの焦点は原稿台に固定してセットされているので、紙のような平面的なものを撮影するのは問題ないが、厚みのあるものは台から離れれば離れるだけボケてしまう。被写界深度自体は案外深いのだが(注3)カメラのように、被写体の奥に焦点を当てて撮影することはできず、常に一番前面に焦点が来る。

そういうわけで、最近購入したわけでもないのに、ちょっとした気まぐれでいじってみたスキャナーが、結構遊べそうでちょっと楽しみになってきた。

(注1:マクロレンズだけでは、「等倍撮影」といって、実物とフィルム上に記録されるサイズが同じくらいの倍率の撮影がせいぜい)
(注2:これはまったくの適当な表現に使ったもので、3000万画素という数字には何の意味もない。見出しの画像の原画はPC画面で新聞紙大だが、まだまだスキャナーの性能上では中画質である)
(注3:被写界深度とは、簡単に言うと焦点前後の、焦点がだいたい合っているように見える範囲の奥行の長さ)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

反射炉

N20061216131604
~耐火煉瓦の色が目をひきつける~

常に「目的に沿って効率よく」が行動規範になっている合理主義者の私には、何気なく、どこかにぶらりと立ち寄るということは、イレギュラーなことであるのだけれども、それだけにいつものことではないので、それはそれで基本姿勢と違っても楽しいひと時である。

先週末に伊豆に向かう途上、「反射炉」という文字が目に入った。はて、「反射炉」とはなんだろうか?

まず頭に浮かんだのは、磨き上げられた金属板、そしてギリシャのコロシアムのような古風な石造りか、はたまた、まったく現代風な直線基調の施設内に、その金属の反射鏡が太陽の光を集めるべく並んだ風景だった。

すぐにワクワクした気持ちで案内に沿ってハンドルを切り現地に向かってみたのであるが、そこにあったものは、想像とはまったく違う国指定史跡の韮山反射炉という遺物だった。

なんでも、幕末期の伊豆代官(江川太郎左衛門英龍)が、黒船時代、国防のため幕府の許可をとって大砲鋳造のために築造した金属溶解炉がこの反射炉であるといい、構造を簡単にいうと、中の空間を人の胃袋のような形にした大きな暖炉のようなものであり、その中ほどにうまく熱が集まって金属を融解させるだけの高温を作り出す設備ということになる。
そして、この韮山反射炉は、1854年に起工、1857年に完成して、1864年までに大砲数百門が鋳造され、それらは主に江戸防備のため造られた品川のお台場で使われたということである。

この反射炉は国内で完全な形で現存するものとしては唯一のものだという。確かに耐火レンガの色合いといい、精巧さな積み上がりの造形はすばらしく、また、反射炉というもの自体は西洋の技術を拝借して築造されたものではあるが、西洋ではすぐにより効率の良い溶鉱炉が開発されたため、あまり広まることはなかったといい、幕末の産物によくみられる和洋が混沌とした何かを引き付けるものをもっていた。

N20061216131716 鋳造された24ポンド・カノン砲

| | コメント (0) | トラックバック (1)

気嵐(けあらし)・蒸気霧

N20061125081822
~渦を巻き立ち上る朝靄~

朝、訪れた湖からは、渦を巻いて立ち上るように朝靄又は朝霧が湧き出していた。
それは、まるでより集めた糸が天にまで繋がっているようだった。

霧(きり)、靄(もや)、霞(かすみ)と、みな似たような小さな水滴が宙を漂う現象があって、微妙な違いがありそうではあるが、実際には、これらには、どれもさほどの違いはないのだと思う。一応、霧と靄には気象用語の定義がされていて、視界距離の数値で区分(1km未満が霧、1kmから10kmは靄)されてはいるが、一般的には、濃いものが霧、薄いものは、春なら霞でその他は靄といった程度の使い分けをしている程度ではないだろうか。

さて、霧や靄などというものは、既に発生した雲のようなものの状態を指しているが、その成因にはいくつかのシステムがあって、その成因によってそれぞれ名前がある(※注)。

そして「蒸気霧」である。蒸気霧というのは、朝など、冷やされた空気の塊が暖かな水をたたえた海や湖や川の水面上に流れ込んできたとき、水蒸気の急激な蒸発によって霧が発生する状態であり、気象用語でこのように呼ばれている。

水の温度の違いはあるものの、湯船から立ち上る湯気とだいたい同じようなものである。ただ、湖沼や川では稀というほどではないにせよ、いつでも見られるものではなく、寒い日の朝ということもあって、目の前で、水面や地面などから湧くように発生しているのを見るとなかなか感動する。

一般用語としては、「気嵐」(けあらし)とも言われ、英語では「frost smoke」又は「ice fog」などと言うらしい。

無風状態でのみごとな気嵐では、湧き上がる水蒸気の作る小さな上昇気流が渦を巻き、細長く数メートルの高さまで立ち上る様子が見られて、大変に興味深いものである。

(※注) 冷たい海面を山から暖かい風が吹き渡って生じる「移流霧」、 晴れた日の放射冷却によって生じる「放射霧」、温暖前線によって降る暖かな雨が蒸発し、それが冷たい空気に触れて生じる「前線霧」、山の斜面を急速にはい上がった空気が冷えて生じる「滑昇霧」などがあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »