つきしろ(月白)
文字の上で、月のイメージはいつも幻想的である。あるときは煌々と、またあるときは朧げに、その青白い光から発せられるものが、見上げる者の心に対して、清廉でいることを求めている意思さえ持っているような強い印象でありながらも、あくまでも静かであって冷淡である。
このところ、日本の「かぐや」をはじめ、各国で最新の技術を盛りこんだ探査機器が次々と送り込まれていて、にわかに注目を集めている月ではあるが、地上から見上げる姿は、いつも変わらない。
さて、秋の野の草をかき分けて進むと、セイタカアワダチソウとススキの向こうから、ぽっかりと月が浮かび上がってきた。満月ではないのだが、秋の草の色、そして青い空にもぴったりくる。
秋の野と月といえば、脳裏に浮かぶのは、いつのころだったか、一面のススキ野原の向こうから満月が昇り、銀色の穂が風に静かに揺れながら、月の光にさあさらと光っていた光景である。あのような素晴らしい光景を、また何処かで見たいものだと思う。
月の光はそのときも幻想的だった。
満月かそれよりいくぶん暦の進んだ月が昇る直前には、山の端や地平の向こうの東の空が、ぼんやりと明るくなるのを見ることができる。この明かりを「つきしろ」というが、しろには「白」を当てるのか「代」なのかよく知らない。月で空がうっすら白むのだから、「白」でよさそうな気はする。
ともかく、つきしろとは、またまた、幻想的な響きのある名前である。
ただ、そうはいっても、いざ地平から月の本体が昇ってくると、これがまた白ではなくて、夕日のようにおどろおどろしく赤い月が昇ってきたりするから、そこにはまた別のインパクトを覚えるものだ。
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