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カブトムシの角

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~デザインされたかたち~

山の朝、霧の空気に肺が洗われるように思われた。霧の森、天井から朝の光が条となって差し込んでくるのを見上げながら木々の間を歩いていると、一匹のカブト虫に出会った。

ずっと、見慣れてきた形であるからという理由だけなのか、それはよくわからないが、日本のカブトムシの角は、とりわけ均整のとれたものであるように感じられる。

そんなことを思いながら、カブトムシの角をまじまじと見てみる。大きな角は、頭部からすっとまっすぐに伸び、先のほうで2つに分岐し、分岐した先端で更にそれぞれ分岐する。
そして、小さな角が胸部からせりあがるように持ちあがって、これも先端で2つに分岐し、大小の角は、それぞれ互いの方へ向かって反るような形状で、ものを挟み込むこともできる。

これはどのような志向でデザインされたものであるのだろうか、または、どのような必然性があって進化とともに形作られたのだろうか

この形が美しいのかどうかはともかくとして、このような形状を作りだす生命には不思議を感じざるを得ないが、そこには、他の生物のデザイン一般ともどこか共通した、成形における一定の秩序が隠されているように思えてならない。

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ウスバカゲロウ

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~極楽蜻蛉が飛び立つとき~

雨季の湿った空気にまだもうしばらくは付き合わなければならない6月末ころ、宵に帰宅して玄関に入ろうかというとき、忘れかけていたものを思い出させるかのように、ハラリハラリと、目の前を頼りなくウスバカゲロウが飛ぶのを毎年のように見かける。

玄関脇の軒下に砂を撒いてアリジゴクの育成環境を作ってあるので、ウスバカゲロウが羽化すると、すぐ近くにある玄関の外灯周りに引き寄せられてくるようである。

玄関先の外灯というのはそれほど明るいものではないから、その弱い明かりの中でゆらゆらと揺れながら飛ぶ影は、ともすれば視界の隅を幻影が通り過ぎたくらいにしか感じず、通り過ぎてしまいがちであるが、ふと、後から思い出したように振り返りって存在に気付くことが少なくない。極楽トンボという別名もうなずけなくはない気がする。

ウスバカゲロウの飛び方は、見方によってはハラハラと優雅にも見えるし、ヘラヘラとかナヨナヨとか頼りなく儚げにも見える。この昆虫は、以前アリジゴクの項にも書いたように、同じ「かげろう」の名が付き主に川を中心に棲息するカゲロウ類(幼虫が水生)とは、あまり関係がないのであはあるが、おそらく古来より、この手の形、この手のゆらゆらした飛び方の昆虫は、総じて「かげろう」と呼ばれるのだと、そう考えるほかないだろう。

ウスバカゲロウは、幼虫→蛹→成虫と完全変態をする昆虫で、昆虫として本格派である。成虫で生きていられる期間は2週から3週くらいでセミと同じくらいだろうか、この成虫の期間が短いのは、昆虫としてさほど珍しいことではない。昆虫の成虫というものは概して生殖のために特化した姿といっても過言ではないかもしれない。

ともあれ、真夏がまた一つ近付いた気がする。

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