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相対速度

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~真の相対速度をみた~

乗り物の窓からの景色はいつまで眺めていても飽きない。
居ながらにして、次々と現われ流れてゆく風景は、長い旅程もあっという間に感じさせるほどの魅力がある。それは、列車で車窓にへばりつくように景色を見ていた小さな頃から今も変わらない。

飛行機の窓から眺める景色はことさらである。何しろ、空というこの足で立つことのない場所からの風景である。見える景色のすべてが既に非日常の中にある。

先日、八丈島へ小旅行をしたときのこと。搭乗機が羽田を発った後、見慣れた地形を目で追うコースで南下し、ちょうど房総半島の最南端を抜けようかというところで、おそらくは羽田へ向かうであろう、すれ違いの旅客機の姿が見えた。
そして、旅客機は、視界をぎょっとするような速さで過ぎ去って行く。

思い返してみれば、巡航状態の飛行機から、逆方向に飛んでゆく飛行機を見るというのは、それほど多くはないものだ。
もちろん、自身の搭乗機と同じ方向に飛ぶ機と、逆方向に飛ぶ機では、視界にとどまる時間がまったく違うのだから、見過ごす場合があることも含めれば、逆方向に飛ぶ飛行機を見る機会は少なくて当然かもしれない。

それはともかく、この日みた逆行飛行機はとにかく速かった。言葉で表すのはちょっと難しいのだけれども、普段、空に見上げる飛行機で身についた視界内の飛行機の動きの感触からすると、とんでもなく速い。まるでミサイルのようだった。

もちろん、速く見えるのは、すれ違いであるからだけれども、高速道での対向車の見え方とはちょっと違う。新幹線のすれ違いでも、長い16両編成が非常識なほどあっという間に走り抜けて行くのを感じはするが、新幹線の場合には、聴覚的驚きが主なもので、相手車両があまりに至近距離であるせいか視覚に訴えるものは多くない。

思うに、地上の乗り物同士の場合、自身の周囲の風景も目に入るため、自身が前方に走っているという体感が残ることから、人は、逆行する側に対して純粋な相対速度では見ておらず、絶対速度を意識し、やや差し引いて速度を感じているということではないだろうか。

地上の乗り物に比べ、自身についても、また、相手についても、その絶対速度を体感することが少ない巡航中の飛行機同士では、相手の速度に対し、純粋に自身との相対速度を体感し得るということなのかもしれない。

今回の飛行機でのすれ違いは、比較的、低空であったし、東京湾入り口という場所から考えると、飛行機双方が、比較的低速で巡航していたのではないかと思われる。
速度が、せいぜい600km/h程度(これは、まったくのあてずっぽうですが、この場合それはどうでもいいのです。また、対空速度でも、対地速度でもどちらでもよいです。)だったとすると、このすれ違いで、自身の搭乗機から見た相手機の相対速度は、その2倍で1,200km/hくらいということになる。

この日見た相手機の相対速度が、本当にその程度のものだったのか、それ以上だったかはよく分からない。けれども、自身の目が感じた速さはとにかく途方もなく速かった。普段、真の相対速度というものを体感する機会が少ないための新鮮さだったのだろうか。

空はよく晴れ、飛行機の小さな窓の外は、空と海の分かれ目がはっきりしないほどに真っ青であったが、春霞の向こうに白い富士がぽっかりと浮かび、天地の境をかろうじて示していた。平和そのものの風景を背に、旅客機は視界を一閃して飛び去った。

※上画像内の相手飛行機は見難いですが、画像中央やや下で、陸と海の境い目付近です。ちょうど千葉県館山市の洲崎灯台が飛行機のすぐ背後方向になります。また、下画像は、それから即ズームして、1秒もかからず撮影してますが、相手飛行機は、もうここまで移動してます。下画像では、上記の洲崎灯台が白く確認できますね。Nd30020090221110756

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アウトリガー付きの漁船

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~南の島の異形の船~

先月のことであるが、八丈島を訪れた。

島は例年あまり天候の良くない頃である。天気予報の動向を見ながら、足止め覚悟で訪れた島は、幸いにして訪問時に限っては、本当に穏かな天候に恵まれた。

とはいえ、到着時にはまだ前日までの荒れ模様の気配が残っていた。聞けば、前日の飛行機は全便が欠航で、船などはここ数日間というもの来ていないという。自分たちが乗った飛行機も、羽田を出る時点では、まだ、到着できるのか、羽田引き返しとなるのかが、正直なところおぼつかない様子の航空会社側の案内だった。

そんな状況の中で着いた八丈島だが、島に着いて向かった海は、確かにまだまだ荒れていた。この日も本土からの船は港に着けないようである。

人気がなく閑静な漁港へ足を止め、海の様子をうかがった。確かに押し寄せる波は大きいが、地元房総で育った身である。時化の海を知らないわけではない。ただ、その荒れた波の大きさは、「何か変わった漂流物でも落ちてないかなあ」と台風の直後に訪れる時の、最高潮に荒れた地元の海のそれ並のレベルであった。

そして何よりも、見渡す限りの波浪の海は、まるで、この島自体が大海原に漂流する小さな船であるかのように、ゆっくり大きくうねっているようにも感じられた。

ところで、そんな海の迫力をしばらく眺めた後で、漁港内に陸揚げされた漁船を見かけた。しかし、初めに視界に入ったとき、すぐさまそれが漁船とは気付かなかった。なにしろ、その船には南太平洋などで使われて発展したカヌーの一種、アウトリガー・カヌーよろしく、アウトリガーを備えていたのである。

大きなカヌーかと思ってよく見ると、紛れもなく小型の漁船であった。しかも、その場に居並んでいる他の小型漁船を良く見れば、みなアウトリガーが付いているではないか。
こんな漁船風景は見た記憶がなかった。

船の本体の片側に、浮力体を張り出したシングル・アウトリガーの船体は、本船がそちら側へ倒れる方向に力が加わったとき、その浮力で抵抗し、本船がその逆側へ倒れる方向に力が加わったときは、その重量で抵抗するという仕組みにより、巧みに船体全体を安定させる。

私も、湖の静水でほんの遊び程度にカナディアン・カヌーに乗るのだが、その実、水が苦手なので、内心、カヌーにアウトリガーを付けたいくらいに思っている。

見渡す限りの怒涛の海原を見た直後である。風が吹きぬけ波浪に洗われることの多いこの島の風土には、きっと漁船にも船体を制御する上でアウトリガーが必要なのだろう。特殊な形状の漁船を突然目の前にしたが、この島の風土を思えば、すんなりとそう理解するほかなかった。

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