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夢のはなし

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~これはただのカラスウリ~

元旦の夜の夢は「初夢」、しかし、今年はどうも記憶に残っていない。

歳を重ねるごとに夢を見なくなったのか。そう感じるだけで、起床後まで覚えていられなくなったのか。どちらにしても、最近はあまり印象深い夢を見た覚えが少ない。若い頃は夢を映画のように楽しんでさえいたくらいだったのだが。

・・・落葉樹に囲まれつつ少し開けた山中の野原、一陣の風に落ち葉がにわかに舞い、どこからともなく朱色に色づいた、ラグビーボールのような見覚えのない「樹気の実」という名の木の実が、回転し浮遊しながら飛んできた・・・

少し前に見た夢の中の一場面である。私の脳が勝手に創出した夢の話などなんの意味もないが、久しぶりにとても鮮明で強いイメージを残す夢だった。夢というものに、外部から直接リアルタイムのデータが入り込む要素があるとは思えない。だから、見たことも経験したこともないような夢の場面であっても、それは意識の内外を問わず、自分の脳裏のどこかのメモリーに蓄積されたものが引きだされたり、紡ぎ合わされて創られたものと考えざるを得ない。

そうすると、私が見た「樹気の実」とは、今の自分に内在する、どのような意識・記憶が何を表現するために創りだしたものなのだろうか…などと考えてみたりもするが、もちろんそれが何であるのかは解らないし、分かったところでどうなるわけでもない。

けれど、いずれにせよ、人の脳の働きは、いろいろ不可解で面白いものである。

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初日の出と灯台

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~犬吠埼の灯台と初日の出~

元旦といえば初日の出。離島を除く平野部では日本一早いといわれる犬吠埼からの初日の出ならば、千葉に居住しているので、幸いなことにこれまで何度となく見てきた。

冬の関東はよく晴れるのだけれども、日が昇ってくる東の海上の水平線近くの空には、たいてい雲があるのが相場である。北西から山を越えて吹いてきてからからになった風が、平野部を抜け海上へ去った後、再び海から水蒸気を得て雲を発生させるのだろう。

だから、犬吠埼で初日の出を何度も見たといっても、正確な日の出(参照:日の出時刻と・・・)ではなく、ほとんどが水平線近くの雲の上に、最初に太陽が顔を出した「初御来光」といったところだろう。

犬吠埼など、初日の出の見所といわれる場所は、このときばかりは驚くほど人が集まりびっくりする。十数年前、私が犬吠埼燈台の近くに住んでいたときは、穴場の高台を見つけて家族だけで悠々日の出を見たものだが、そこから見下ろした海岸に沿ってびっしり人が連なっていたのには驚いた。

そこまで、たくさん集まらなくてもという気もしてくる。ドライに考えれば「初日の出」と特別な呼称をするけれども、日々の日の出と何も違いはない。日の出時間も、日の出位置も、日々わずかに変化してゆく中で、前日と翌日の差の間の値になるだけのことである。

けれども、日の出というのは、それだけでも見ていて気持ちが入るもの。何か心に沸き立つものを感じるもの。だから、気分が一新する新年最初の日の出ともなれば、重視されるのも無理からないことだろう。したがって、初日の出というのは、特に注視すべき現象という類ではなくても、宗教的意味も含めた人の心の中で、特別に意識される現象であるわけだ。

ところで、「犬吠埼」にも使われる「埼」の字が先般、常用漢字に採用されたらしいが、「埼」と「崎」の使い分けはちょっと難しい。海の突き出た陸の岬は、原則的にはみな「埼」らしく、「崎」のほうは、元来、平野部に突き出た山の地形を示すものだったようだけれども、実際には国土地理院の地図を含め、海の岬に「崎」と「埼」は混在している。

漢字の話題ついでに「犬吠埼燈台」の「燈」の字に触れるが、「燈」の字は常用漢字ではない。だから、1単語としての固有名詞なら「犬吠埼燈台」と「燈」で書くのが本来的となるが、固有名詞が「犬吠埼」という地名の方である場合は、「灯台」の方は普通名詞なので「灯」を使うことになるようだ。

この元旦、初日の出を見るために出かけることはなかったが、新年最初でなくても、日の出はいつも美しい。そのうち朝の海岸へ出てみよう。

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