林道の使用者

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~林道は気持ちよく走りたい~

林道というものは、一義的には林業及び治山に関する作業を円滑に行うための通用路と考える。
副次的に周辺住民の生活用道路としても利用されるし、場合によっては、一般路と変わらない役目として、観光道路や迂回路としても利用されている。

このほかに、多分に趣味的な用途として、
林道を走ること自体を目的とすること、野営をしたり、山々の自然を単純に見聞して楽しむこと、山菜採りや狩猟、渓流での釣りなどのために入山すること、このような様々な用途においても併用されている。

林道は、通常、国であったり地方自治体であったりのレベルの差はあれ、いずれにしても公の下に管理され、ついては、その敷設や維持は、公の費用負担で賄われる純粋な公共設備である。

したがって、この利用にあたっては、絶対的制約は存しないのである。つまり、林道の使用は原則としては万人に対して自由であるということが基本である。

しかしながら、林道は本来の敷設目的、その他公の要請による施策によって、または、安全上の配慮などにより、ときに例外的に、全面的、もしくは特定者以外の立ち入り禁止等、何らかの制限が加えられる場合もある。

例外的に制限される場合の主なものを列挙してみる。

① 国有林等の健全的育成のための一般車閉鎖
② 林業作業の安全、効率化のための一般車閉鎖又は通行制限
③ 災害、工事作業のための一般車閉鎖又は通行制限
④ 自然保護を目的とした一般車閉鎖又は通行制限
⑤ 不法投棄防止のための一般車閉鎖
⑥ 危険走行排除のための一般車又は指定車種の閉鎖又は通行制限
⑦ 獣害予防のためのゲート開閉協力義務付け

よく見かけるのは、このようなところであり、大きく分けると林業の育成保護(①②)、人身の安全(③)、自然環境保護(④⑤)、周辺生活環境等の保全(⑥⑦)。こういった目的による規制に分類されるだろうか。

私ども、主に趣味的な用途で林道に立ち入る者は、林道の恩恵に預かりながら、それに対して、表面上は、ほとんど対価や資する行為を返すでもなく、ただ一方的に利用するに過ぎない※ということもあるのだから、このような規制が実施されているとき、いないときに関わらず、常にこうした問題の存在をより強く意識し、配意を怠らずに利用しなければならないと考える。
不法投棄などはもってのほかであるが、無謀な走行や、不適当な走行により、単独事故も含めた、他者に危険や手間を掛けさせる恐れの高い行為は厳に慎むべきであることは、一般の公共道路と何も変わらないというべきだろう。

(※もちろん租税というものを通じて、万人が林道の保全に投資しているのではあるが)

以上のように考えているところは、いまさら言うまでもないことばかりではあるが、今般、ある筋から意見をいただいたため、確認のためにここにあらためて記したところである。

ついては、別の立場、つまり、各保護等の対象とされる側の者についても、あえて触れる必要があるのだが、この被保護者的立場の者も、原則自由な林道の使用について、状況によっては保護される場合があるに過ぎないものであり、それゆえに特権があるのでもなく、まちがっても排他的権利があるなどと考えてはならず、やはり自身も公共施設を利用させてもらうという謙虚な立場での利用を心がけるということには変わりはないものと考える。

公共設備である林道の使用は、原則としては万人に対して自由であるが、それゆえに、万人がその保全等に努めなければならないと考え、そのうえに、利用者の楽しい林道ライフが成り立つものと思う次第である。


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林道を記す (その2)

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~林道屋的カーナビの理想~

カーナビの進化は著しくはあるが、私個人は、その方向性にあまり好感を持っていない。
そもそも、ナビというシステムは、これに全て任せて、ただ走れば目的地に着くということを志向したものだから、これとは別の部分、いわゆる付加機能の趣向が自分とは合わないといっても、いたしかたないことは分かっている。

端的に自分の希望を言うと、自分が必要と思うデータをもっと蓄積していける方向を望みたいのである。

ナビ単体だけでもいいが、できればパソコンとフル連携で、路線・図形オブジェクト・テキスト等を自在に書きこみ蓄積できる機能を充実させてほしいと思っている。

路線データは、ナビの基本的データではあるが、これも既成のデータでは限界がある。いつまで待っても求めるレベルまでは無理だろう。私が頭に描いているのは、一般路線ではなく林道がメインなのだから。

軌跡をそのまま路線データとして取り込む、又はパソコンからの座標取り込みや手動描き込みで林道やそのアプローチ路線のデータを蓄積し、視認ナビゲーションに生かすとともにパソコン上の電子地図ソフト、データへ還元する。

「そんなオタク趣味の面倒なものを作っても、売れるわけがなかろう」ということに間違いなくなるのだが、望んでいること自体は、どこも斬新な機能ではないのだから、特注でもいいから欲しいものだ。

林道上では、ルート案内のナビゲーションなどは、もちろん不要なのであるから、滅多に走ることのない路線、再び訪れるのがいつになるやら分からない路線のデータや、その沿線のオブジェクトなどを、ただひたすらコレクションのように増やしたところで、それがいったい何になるのかという批判も分かる。

けれども、地図好きとしては、元々、現在地を画面の地図上で随時確認できること自体が、非常に楽しいのであるし、それに加えて、地図にない道を辿りながら、同時に自分の地図に新しい道を描き込んでいくことができるのであれば、それは、とても充実感を覚えるものとなる。

まあ、その先にまで話しを進めると、通常のユーザーとの意識乖離があまりに大きくなってしまうかもしれないのでやめておくが、ともかく、例えば3D表示などは私にはまったく無駄で膨大な不要データであって、できれば排除したいし、渋滞情報や、都市図なども、使いどころがほとんどないのである。

自分勝手にそうは言っても、世の中、ライトなユーザーに支えられていて、個々のコア・ユーザーの欲望を満たすことは難しいものだし、ましてや、賛同者もめったにいなそうな、こんな変な希少趣味になど付き合う気などさらさらないだろう。

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林道を記す (その1)

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~走り書きのメモの山~

ここに厚く積もった汚いメモの束がある。
山々を走って、その経過を後でレポートにするための覚え書きだ。
数にすれば、随分なものだが、それがどれだけ頭に入っているかというと、そこに記された情報の一割も残っていればいいほうだ。いや、実際にはその半分も残ってはいまい。

記録しておく主な情報は、林道路線の図形的な繋がりや大まかな相対位置、区間距離、舗装の有無や路面状況、それに目標物や見どころといったところである。
メモは、半ば走行しながらの、文字どおりの走り書きである。元々字は上手くないとはいえ、さすがに自分で自分の書いた字を後で読めなくなるのはみっともない。しかし、それも、決して稀なことではない。

さて、記録がそっくり頭に入れば申し分ないのだが、人間の能力には限界もあるし、得手不得手もある。私は特に数字の暗記が極めて苦手である。心して掛からねば、たかだか3~4桁の数字を5分間憶えていることもおぼつかない。まあ、程度の差はあれ、誰だって経験したことをみな憶えられるなら世話がいらないというものだ。

もちろん、それを補うためにメモが登場するのであるが、このメモというものも整理して保存しないと意味がない。
必要なときに、引きだす場所が分からなければ、どんなに情報を集めても、なんの役にも立ちはしない。

林道で収集した情報の山も、その一部は林道地図に転記して、保存、公開してはいる。ただ、転記できるのは根幹をなす情報であり、もっと繊細な部分や公開に馴染まないところのほとんどは、相変わらずメモの山の中である。

このまま、落葉樹林に降り積もった木の葉のように、朽ちていくのを待つばかりということにならないよう、整理しなければなるまい。

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スーパー林道2

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~紅葉の奥鬼怒スーパー林道~

奥鬼怒のスーパー林道を現地見学してきた。
本当にりっぱな林道であり、非常に手入れも行き届いていた。日頃、廃道寸前の道を数多く見てきた経験からして、これが一般通行禁止の道とは俄かには信じ難い。

その整備された道を、極めて一部の者しか入ることがかなわないのは、非常に残念だが、だからどうしろと一概にも言えない。
それが行政財務の無駄というべきなのかも難しい。

今回はつまらない自己問答になりそうである。

林道を切り開くことが地球規模のレベルまでいったとき、その中で語るほど影響が大きい問題とは思わないが、だからといって環境にダメージを与えることがないわけでもない。

だが、しかし、少なくとも、アスファルトで地を固めてしまっていないフルダートの林道においては、そのリスクは最低限のものと思えるし、それが活用されているのであれば、その活用の効果との対比で「利益」と出るのか「損失」と出るのかということであれば、より「利益」と出やすいということになるだろうか。

そうであったなら、少なくとも既に作られた林道は極力活用すべきだが、その活用とは我々のような道楽者が走り回って、遊んで楽しむことではないだろう。

では、林道の本来の姿である森林管理への活用について考えるのであろうが、その前に経済的な意味合いでなら林道というものに必要性は認めても、原始林を真の姿とする純粋な自然環境学的側面のみでいったら、林道が必要な局面などありえないような気がする。

結論を導き出そうとするとき、極力自己に有利な結果を求めるのは当然であるが、林道の存在について考えるとき、たいそうな正当性は思い当たらない矛盾を常に背負っている。
しかし、当面は難しい思考に陥らずに、お気楽・身勝手といわれようが、思うがままに自己の探究心の充足に走ることになるだろう。

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スーパー林道

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~スーパー林道を行く(群馬・御荷鉾林道)く~

「スーパー林道」は「特定森林開発林道」とも言われ、極めて程度のよい林道を勝手に俗称したものではなく、森林開発公団が特定森林開発林道開設事業という法定事業により造成したものと理解している。
(昭和31年4月に設立された森林開発公団は、平成11年10月1日緑資源公団に改称された)

昭和40年頃に全国の主な林道46路線のうちから、更に23路線を選定して事業が開始され、昭和60年頃までには、その全23路線の合計で1,180kmが完成したという。
基本幅員は4.6mと広く、中には全面舗装や有料道路となっている場合もあるし、まったく立ち入りが禁止されていたりする場合もあって。現在も全国にほとんどその路線名が残されている。

私がよく走る東日本エリアには、次のようなスーパー林道がある。
【東 北】
田沢スーパー林道・奥岩泉スーパー林道・御大堂スーパー林道・朝日スーパー林道・田代山スーパー林道
【関 東】
奥鬼怒スーパー林道・奥志賀スーパー林道・妙義荒船スーパー林道・御荷鉾スーパー林道
【中 部】
上高地乗鞍スーパー林道・白山スーパー林道・南アルプススーパー林道・天竜スーパー林道

たいそう素晴らしい環境の中を走る道が多く、それだけに、様々な環境問題を生じてきた。
もちろん、それは重要な問題ではあるのだけれども、既にそこに道が存在してしまっている以上は、非常に走りたいのは正直な気持ちであるし、更に、ここは進入禁止とされているルートはなおさらで、特に地図を広げてみた時には、自転車でもいいから走りたい衝動にかられる。


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紅葉を楽しむ秋の林道

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陽光に美しい紅葉も映えて

秋の山といえば紅葉に尽きる。渓谷沿いのドライブで紅葉を目で追って楽しむだけもよし、ハイキングで心地よく汗もかいての紅葉満喫も最高だ。
しかし、自分は「人混みご免」な性格なので、メジャーなところは今ひとつであるのと、ちょっと横着な気持ちもあって、近頃の紅葉は専ら林道で楽しんでいる。

なにしろ、林道ではかなりの深山に入り込むことができるし、人も滅多に入らない。場所を選べば、それこそ「手軽に紅葉一山ひとり占め」ができてしまうのが魅力である。

関東甲信越地方周辺の標高のある地域の紅葉は、平年並みなら10月20日~25日あたりを目安に考えている。今年は9月が暖かかったし、少し平年より遅いだろうか。

房総(地元)などではずっと遅くて11月に入るのだが、紅葉の規模がずっと小さい。これは南関東では一本一本の木の紅葉の質が悪いというよりも、紅葉しない常緑樹が多いことが一番の要因だ。いかんせん通年の気候差による植生の違いであるから、どうしようもない。

関東と甲信越境や東北地方の山々では、麓から山頂まで、高度差のある山では順次に、ちょっとした山なら丸ごと、雄大な紅葉風景を堪能できる。真冬にはほとんどすべての葉が落ちてしまう山である。すべての葉という葉が赤に黄色に染まりゆくさまは、本当に息を呑むほどだ。

そろそろ、来週末あたりから、見ごろになってくるであろう秋の山に出かけてみたい。

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台風の林道への影響

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小さめながら勢力はかなり強い今回の台風

勢力が強く、災害が心配される今回の台風22号。千葉県下でも、既にだいぶ被害が出始めている。
そんな中、何をのんきなと言われそうだが、台風が来ると林道の保全も案じてしまう。
なにしろ、台風のまともな直撃を受けると山の細道である林道はひとたまりもない。

土砂崩れ、路肩崩落に、落石、倒木と、簡単に通行止や通行不能となってしまう。これからの秋の紅葉の時期も心配だし。地元で冬季にお世話になる房総の林道も心配だ。
房総の山では、前面の雨雲だけでも随分雨量が多かったようだし、これからいよいよ、台風本体がやってくる。壊滅的被害にならないよう祈りたい。

まったく関係ないような話だが、房総は雪が少ない。滅多に積もるようなことがない。
このため、少々の積雪があるとかなりの倒木がある。慣れないべとつく雪の重みに耐えられず、ポッキリいってしまう木が多いのだ。

台風にしろ、雪にしろ、そうした自然による自然の倒壊作用は、仕方のないことだと思う。そこで倒れるべき木は倒れ、生き残る木は生き残る。けれども、あの峠のあの木、あの広場から見えるあの木、そうした思い入れのある木々が倒れてしまうのはやはり寂しいことである。

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台風シーズン

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宇宙から見下ろす台風は、地球という星に特徴的な紋様といえる

台風がやって来る季節になってきた
世間知らずの子供の頃は、日常と違う気象というものに喜びを感じたものだが、いい歳をして、そうとばかりは言っていられない。

林道は、急峻な山間部を走り、雨による影響が特に大きい。舗装道では、周囲の影響は別として道路自体は確保されてやすいが、ダートでは路面が沢そのものになる。本当に激しい雨が降る中の林道走行は、それは恐ろしいもので、茶色の濁流がドウドウと流れ落ちる中を、激流下りのように車を運ばなければならなくなる。安全そうな一箇所に止まって避難していたほうが安全な気もするが、路線がいつ途中分断され、取り残されるかも判らないという心配もあって、どちらがいいのかは結論を見ないとわからない。ともかく、そういう天候となることが判っていれば、極力踏み入れるべき所ではないのは確かだ。

台風後の林道へ入ってみると、その想像以上の影響に驚かされることが多い。自分の知っていたまっ平らにならされていたダート道が、深い溝を縦横にめぐらせたようになり、とても道とはいえないものになっていたり、もっとひどければ、上からの土砂に路面が完全に埋まり、又は路面が崖下に崩れ去ってしまい、道自体がなくなっていることでさえ珍しいことでないかもしれない。

舗装の路面というのは、一見よさげに見えるが、道自体が沢となったり、雨水を路面の土が吸水したりしない分、ダート道が豪雨から受けるエネルギーと同等の物を、周囲の環境へパスしてしまうのであるから、山全体の環境を考えれば、いうまでもなく好ましいものではない。

台風のもう一つの顔、風であるが、山ではこれがまた、我々平地に住み慣れたものには見慣れない、聞きなれない恐ろしい状況をもたらす。一本の木でも風がをそれを鞭打って吹き抜ける時の音というのは相当のものであるが、山全体がこれを揺るがすかのような台風に晒されたとき、その姿・その音は恐ろしいばかりである。

さて、このシーズン、台風がどのくらい襲ってくるのだろうか。熱帯の西太平洋上で生まれる強い熱帯性低気圧である台風は、多量の海水を真水に蒸留して雨として再び地に降り注ぎ、国土に豊かさも運びこんでくれるという点で被害ばかりではない面があるにせよ、その被害は極力、少ないものにとどめたいものだ。

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夏の林道

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~爽やかな高原の風~

真夏の林道、正直言って低地の狭い道は敬遠気味だ。
なにしろ、草木が高く生い茂り、ちょっとした探検気分はあるにせよ、おちおち車から降りてゆっくり散歩するような気分でないことが普通だ。
それが本来の山の姿かとも思うが、既にそういう場からまったく離れた生活に親しみきってしまった体にはどうしても抵抗がある。

そういうわけで、真夏はなるべく標高の高い林道へ足が向く。高所の林道となると、冬やその前後には雪で立ち入ることも出来ないのだから、最適シーズンである夏を逃す手はないわけだし、それに、なにより涼しいし景色も良い。

今年は残念ながらあまり長い休みは取れなさそうだが、涼しい風の渡る高原でのんびりしたいものだ。

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林道で星を見る

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~夏といえば、やはりさそり座~

暗い空は極めて少ない

星を見るのは大好きだ。ただ漠然と何も考えず眺めてもよし、あの星は赤色巨星特有の脈動変光星で今夜あたりはやけに暗く見えるなど、まっとうに見るのもまた楽しい。

残念ながら、我々の世代では、子供の頃からもう既に空はさして暗くはなかった。小学生の時分にも光害という言葉が叫ばれていた。

山の一軒屋の温泉に泊まり、夜の散歩をしてみる。少し夜露が落ちかけた草の上に腰を下ろして見上げる先には、しばし息が止まってしまうほどの無数の星が降ってくる。光の束を投げかけられて目が廻ってしまうような感覚に陥る。

それほどの星天井は、ごくたまに好機に恵まれれて見ることがある程度だけれど、あれが本来の夜の宙。

昨年だったか、山梨の大ダル林道を巡っていたとき、その一角にいかにも星の観察に適した広場があった。初夏だったか、まだまだ日の入りまで相当の時間はあった。
それでも2組くらいか、既に望遠鏡・カメラのセッティングを終えて一息入れている姿が目にとまった。

そこで一緒に、いや、その方々と交友を持ちたいと思ったわけではない。同じように望遠鏡を構えて、夜の訪れをただ待ちたいと思ったのだった。

それにしても、自宅から手軽なところにこのような環境があったらどんなにいいかしれない。少々距離があっても、望遠鏡の光軸がずれないよう十分に処置して出かけてみたいものだ。

今夕は、望遠鏡こそ持っていかないが、群馬の林道で降るような星空を楽しむことができそうだ。

世界中の星空
ここの、プラネタリウム・ソフト「Stella Theater Pro 」(シェア・ウエア)はオススメです。愛用してます。

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