マンサク

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~満作がまず咲く?~

今日、日中は春一番が吹き荒れた。3つ玉の発達中の低気圧が前線を伴って通過したからであるが、低気圧は東北方向の海上で一気に発達し、このあと季節風でぐんぐん冷え込んできそうである。
寒冷前線が通過する前の昨日から今日昼までは、本当に春がやってきたようだったけれど、こうやって行ったり来たりしながら進むのが季節というものだろう。

朝の通勤途上、よく皇居北の丸公園をふらりと散策することがある。数日前の天気のいい朝、わずかに春の気配を感じ、気持ちもいいのでまた朝の散歩を楽しんだ。すると、しばらく色の少なかった公園にチラリチラリと黄色い花を付ける木が見える。はて何の木が花を付けたのだろう。

近付いてみるとマンサクの花だった。この花の名は「まず咲く」の訛りだといわれる。たしかに、気温はほとんど冬のままであり、落葉樹で花をつける樹は周辺に見当たらないし、マンサクの木の枝にはまだまだ枯葉さえ残っていて、むしろ秋のようでさえあるくらいなのに、春まで待てずにまず花を咲かせている。

ただ、どうもこの花の名前の由来、それだけではいまひとつピンと来ない。「万年豊作」にちなんだ由来との説もあるようではあるが、何かもっと他になるほどと唸らせる意味があるような気がしてならないのである。たぶん、それは、この花が削りだしたような形というのか、はたまた、硬めの紙を雑に丸めたようにカクカクと巻いているというのか、ともかく、かなり変わった形であるのに、この非常に特徴のある花の形状が、名前に何か関係しないで済むのだろうかという思いがあるからだ。

他の画像

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八重山を歩く(1) ヤエヤマヤシ

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~椰子はどこから来た~

例年どおりなら、既に雨季に入っているはずなのであるが、幸いにして雲一つなく、太陽のまぶしい初夏の石垣島を訪ねた。

椰子の群落へ向かう。群落というよりは、一つの山である。島周回の幹線路を外れると、すぐにそれらしき独特の雰囲気を周辺に漂わせた山が見えてくる。しかし、その、少しの怖れと大きな期待を感じさせる雰囲気を、何と言ったらいいだろうか、そこだけは、いまだ中生代が残されているかのような、ロストワールド的な香りがするのである。

ヤエヤマヤシの群落内を歩いてみた。植生は、いつもの見なれた温帯の落葉樹林とは当然まったく違うものであるし、温暖地の照葉樹林とも違っていて、まるでジャングルである。

ヤエヤマヤシは、この石垣島と西表島に限定分布するヤシで、分類上、一属一種という、この八重山で独自の進化をしてきた希少な種であるという。なんでも、海を隔てながらも比較的近隣にあるフィリピンや台湾に自生するヤシよりも、むしろ、遠く離れたニューギニアのヤシに近縁であるらしい。そうすると、かつて波に揺られて海を渡り、漂着した後に大地に根を下ろした椰子の実は、かのニューギニアの浜辺でこぼれ落ちたそれだったということであろうか。

そういえば、石垣の市街地にある博物館には、南の海の遥か向こうにある、あちらこちらの島々から漂着したという、木をくりぬいて造られた、いつの時代のものとも知れぬ小舟がいくつも展示してあった。

八重山を歩く(2)につづく

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桜を切る

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~秋の陽だまり、坊主の並木~

「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」の諺は多くの方がご存知のことだと思う。

桜は切るとそこから腐り易いので、絶対切るなということではないけれども、剪定などはあまり行わず、切る場合は場合によっては薬を使うほど十分注意すべきであることについて、とても丈夫で、樹形を好みに整えるためにほとんど躊躇がいらない梅の樹をもってきて対比させた言葉である。

少し前の暖かく晴れた休日に、近くの湖の周囲を散歩していると、なんとも見事に、まるで、街路樹のケヤキなどの枝を払うのと同様に、バサッと太い枝ごと剪定された桜が並んでいた。

はて、桜の木は、先の諺があるにせよ、絶対に切ってはいけないというわけでもないとは思うが、それにしても、切り口が腐りやすいのは確かであるから、ここまで切っても大丈夫なのだろうか。少なくとも、花芽の付くのは今頃だろうから、来春の花は見られないように思われる。

園芸の知識などないので真相は知るすべもないが、桜の性質を知り尽くしたプロの庭師が、その性質に従って剪定を施したということなのだろうか。それとも、何か菌性の病気でもあって、枝を落さざる得なかったのだろうかなどと、やけに暖かな秋の陽射しに、ぼんやりと考えながら、昼時も近づいたので家路についた。

それが来春ではないとしても、またここに白い幻想的な並木が見られるといいのだが。

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カラマツ林に立つシラカバ

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~信州の「貴婦人」になる日が来るか~

信州の峠を下る林道で、ふと見上げると、カラマツの林に混じって清楚に見えるシラカバが目を引いた。

そういえば、「貴婦人」という名のシラカバが、日光の小田代ヶ原に立っている。小田代ヶ原に立っているその「貴婦人」は、樹齢70~80年といわれ、平均樹齢が50年前後というシラカバにあっては老木であるという。平坦な湿原の向こうに広がるカラマツ林の見事な黄色をバックに、その秀麗な樹形と白い樹肌を収めようと、魅せられたカメラマンが群がるそうである。

しかも、その樹は年に一度、ちょうど今頃の時期だったはずだが、昇る朝日からの一条に、スポットライトのように照らし出される日などというのがあるらしく、当日は暗いうちから大変な賑わいであるとか。

ところで一方、この信州の名もないシラカバだが、そういった名高い樹というのではなく、一本の大樹というわけでもないにしろ、なかなかに美しい姿で感動した。バックのカラマツというよりは、足元のカラマツとバックの冬枯れに浮かび上がる白のコントラストが美しい。いちばん手前の一本などは、樹形も樹勢もすこぶるよく、まだまだ、これからすくすくと、空に向かって元気に伸びていきそうだ。将来、名のある樹になるかどうかはわからないが、またこの道を下るたび見上げてみたいと思っている。

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権現の大銀杏

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Photo : Nikon D200 / AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm
~冬を告げる樹~

旅先での朝の散歩は楽しい。

この夏に、そんな散歩の先で出会ったのは、秋田県山本郡藤里町田中にある大銀杏。このイチョウ、樹齢は推定500年ともいわれる。幹はもちろん大きいが、数メートルも垂れ下がった何本かの太い気根がイチョウには珍しい。そして、それだけでなく、ちょっと変わった性質を持っているらしい。

この樹の落葉で豊凶を占うということはガイドにも案内があった。ただ、それは落葉の何をどう評価して占われるのかよくわからなかったのだが、代わりに地元で聞いた話は、それとは別の話だった。

この地方は冬には積雪で閉ざされるが、晩秋に降ったその雪が根雪となるのかどうかがこの樹の葉の落葉で分かるというのだった。

晩秋の雪は、降り積もっては一度全て解けたりまた積もったりと繰り返し、最後はいつしか根雪となってゆくが、そんな晩秋のある晩に、この大きなイチョウの樹の色づいた葉が、ごぉーっという大音響とともに一気に全て落ちるというのである。

雪が降り始める頃になっても、この樹の葉はまだ落ちない。まとまった雪があると、他の集落のほうから、大銀杏はどうかと声が掛かる。「今年はまだだね」と答えるときは、「ああ、この雪は解ける雪か」となり、「落ちたよ」と答えれば、「この雪は根雪だね」となるそうである。

落ち葉というのは、一枚、また一枚とはらはら落ちるもの、もちろんこれまでにそういう普通の樹しか見たこともない。一斉の落葉にはどんな仕組みがあるのか気になるが、理屈はともかく、その珍しい現象を直接見聞きしたいものである。

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ブナの実と葉

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Photo : Nikon D200 / AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm
~東北日本のブナの森2~

「ブナ」という名の語源に定説はない。その葉が風に吹かれて「ブーンと鳴る」などともいわれるが、ただの安易なこじつけに聞こえなくもないし、案外それが素朴な真実だったとしてもなんら不思議はない。
しかし、ブナの特徴は、あのぎざぎざな外縁の葉だけでなく、白っぽい斑紋のある樹皮や、殻の中に堅果が2つ入った、かわいらしい実もとても顕著な特徴ではないだろうか。

ブナの実は、同じブナ科のシイ・ドングリの類の中で、ひとつひとつの実の大きさなどをみたら、さほど食べでがありそうなほうともいえないが、母体の樹が、ブナ林という圧倒的大規模な極相林をなすために、絶対量は豊富であって、東北日本の森に住む動物達にとっては、重要な食物となる。
また、実が収穫される秋は、厳しい冬を間近に控え、できるだけ多くの蓄えが欲しい時期ということもあり、特にその重要さは増すだろう。

われわれ人間も、ブナとの関係は深く、特に東日本のほうが栄えていた縄文時代においては、ブナの実は貴重な食物であったし、ブナの森があったからこその縄文文化ともいわれるくらいである。

この実は毎年同じようには実らない。豊作は数年に一度しかなく、森の動物たちにとって重要なブナの実が、特に凶作だった年になると、食料難となってクマやサルなども麓に出没し、獣害の発生数にも影響するようだ。

ブナは、いわずと知れた落葉樹であるから、大きな極相林では、毎年多量のブナの葉が層になって積もってゆく。この落葉が分解するまでに至る過程での微小生物などの営みのことなども考えると、やはり、東北日本の山の森はブナという樹に育まれた森であるといえるし、落葉が、降った雨水をすぐには川に逃がさず、いつも一定量の水を保つ「緑のダム」ともいわれるように、豊かな水の源でもある

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白神のシンボル

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Photo : Nikon D200 / AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm
~東北日本のブナの森1~

白神山地の麓で幾日かを過ごしてきた。
滞在型で夏休みを一地方で過ごすのが好きである。行って来い型やつまみ食い型の旅では、時間に囚われて、そこにある豊かな自然や素朴な人の営みの本質に、じっくり触れる機会を得ることがなかなか難しい。

さて、白神山地といえば、いまや言わずと知れたブナの原生林である。世界遺産登録で著名とはいえ、ブナの原生林なら、南東北の飯豊山や朝日岳周辺なども、なかなかいい森が残っているのではあるが、その全体の規模という点では、白神山地のブナの原生林は抜きん出て広大な森である。

そのブナの森で白神のシンボルともいわれる巨木に出会った。
時折のぞく岩と苔、そして深い落ち葉の層に覆われた、なにか神聖な地のような森の真ん中に根を張り枝を伸ばしたまさにこの森の主。
樹齢は400年で、樹高26m、幹周り4.85mであるという。
400回夏の日差しの恵みを受け、400回雪に埋もれてきた年月の重さをずっしり備えたその樹のそばに立つと、不思議な安心感につつまれる。

ブナの森の画像

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カラマツその後

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Photo:Nikon D200/AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm
(20mm ISO100 1/125" F7.1)

~林道のカラマツの新緑~

我が家の庭に植えたカラマツは、その後順調に育っている。
今は若葉がかなり出揃って、まだまだこれからも、新しい芽が生えてくるのかどうかはよく分からないものの、柔らかな黄緑の細い葉をまとって、一人前の木らしい形になってきていてほほえましい。

先日、信州の林道で見た本場のカラマツは、やはり場所柄か、我が家のカラマツに比べるとそれより一回り遅れ、いまやっと、芽から葉が顔を出し始めているところだった。

いままで、身近に見ていなかったので気づかなかったが、カラマツの芽生えの速度というのは、ずいぶん悠長である。身の回りのたいていの木々は、芽が出たなぁと思っていると、あっという間に葉が茂ってしまうものだが、カラマツは芽から葉が顔を出したと思っても、翌日も、その翌日も、5日たっても、10日たっても、ほとんど姿が変わっていないような気がするほど、ゆっくり成長している。

いつか見上げるような梢になって、夏の日に涼しげな木陰をていきょうしてくれるだろうか。

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スズメの花千切り

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Photo:Nikon D200/SIGMA 70-300mm F4.5-5.6DL(100mm 1/160" F6.3)
~良く知るスズメのかくれた習性~

我が家の周辺も、桜がそろそろ満開になる。
さほど見事とはいえないまでも、この町内に入居したての頃の細く小さな桜の木を思えば、ずいぶん立派に花をつけるようになったものだ。それだけ年数も経ってしまったわけではあるが・・・

さて、桜の木を一本一本めぐってみると、まだ満開前で花びら一枚散ることはないが、ポトリ、ポトリと幾つか花が丸ごと落ちていた。
はは~ん、スズメの仕業かな?

ここにはスズメもヒヨドリもメジロもよくやってくる。これらの鳥だけではないと思うが、ともかく桜の蜜は共通する好物であり、花の頃はにわかに桜の周囲が賑やかになる。

このうちヒヨドリとメジロは、もともと植物食が主体であるので、サクラの花は傷めずにの奥のほうにある蜜を、細いくちばしを使ってうまく吸い取ることができる。まあ、ヒヨドリはやや大きめなその体のせいか、枝の中を移動するのにサクラの花をたまに落としてしまうこともあるが、大抵は花びらだけが落ちる。

しかし、スズメは雑食性でくちばしが太く、サクラの花の奥までは届かないため、蜜を吸うために花の根本から丸ごと食い千切り、蜜だけ吸って残った花はそのまま下に落としてゆく。
そう、私たちが子供の頃に、赤いサルビアの花を千切り取って、蜜だけ吸って残りを捨てたのと似たようなもの。

人に最も馴染みがあって、目新しさを感じないように思われるスズメだけれども、このスズメの花千切りは、まだ、ほんの20年くらい前に、はじめてその行動が知られるようになった習性なのである。

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長い影

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Photo:Nikon D200/AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm
~昼でも樹形を長々地に映す~

冬、日の影が長く伸びるのは朝夕だけではない。正午前後であっても夏の夕方のような長い影を落としている。
なんとも、ますます寒さを感じるものだが、その一面で、影も斜めなら陽射しも斜め、家の中には光がたっぷり差し込んで、窓を閉め切った南向きの部屋には、暖房がなくてもぽかぽかの温もりを与えてくれる。

ところで長く伸びた樹形の影は、冬にしか見ることが出来ない風物詩である。夏には、どんなに陽射しが傾いた朝夕でも見れない。影は長くとも、木が青々と葉をつけているのだから樹形が現われないのは当然である。

長く伸びる冬の影は、自分の影も例外なく長く見せる。しかも特に足ばかりが長く伸びたように見える。ちょっと自分の足が身軽に長く感じるのが楽しい。もちろんそれは、目線の関係であって、本当に足が伸びたのではないのは言われなくても分かっているが・・・

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スズカケの木

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Photo:Nikon D200/AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm/合成
~北風に鈴が揺れる~

冬の公園は、枯れた芝生とプラタナス。そんなイメージが自分の中にはある。
近くの公園を歩いてみたが、やはり、この地の公園は芝生にプラタナスが冬の標準的な景色なのかもしれない。

凧上げをする親子に、ふと手を貸したくもなるが、それは大きなお世話というもの。なかなかうまくは上がらないのだが、それでも走り回ってはしゃぐ母と子は楽しそうである。ベンチに座ってただ黙って眺めていたが、ちょっとこちらが楽しい気分にもなってきた。そういえば、凧上げもずいぶん久しくしていない。

公園を囲むように立ち並ぶプラタナスは、春4月ごろに開花して、種と毛状ものが丸い玉のように集まった実が秋出来る。この実を集合果というようであるが、この実が木にぶら下がる様が鈴を架けているように見えるので「すずかけ」ともよばれる。

この樹は最もよく見る街路樹であるかもしれない。
白と緑のまだら模様がある幹と、大きな楓のような葉、そしてすずかけの実、きっと誰でもそれとすぐ解る。大きくなれば20m以上にもなる高木である。
ちなみに通常知られているのは3種くらいで、「スズカケ」と「アメリカスズカケ」そして、公園や街路樹として普通に見かけるのが、それらの雑種の「モミジバスズカケ」であるという。

北風が吹きぬける公園には、葉を全て落とし無数の鈴をぶら下げたズスカケの樹がよく似合う。走り回る親子、鈴と一緒に凧が引っかからないといいのだが。

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カラマツ

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~明るく真っ直ぐな樹~

庭にカラマツの苗を植えてみた。不得意な温暖地に果たしてうまく育ってくれるかがとても心配だ。

カラマツは、わが国の自生種では唯一の落葉針葉樹であり、また他国に無い固有種でもある(もちろんヨーロッパなどにもカラマツ属の他種は存在する)。
木材としても優秀であって、各地で広く植栽されているが、近年は需要が減少したようである。自生ということで見ると、かなり生育息は限られていて、東北・関東・中部地方の山地にしかない。中心は信州などを中心とした中部山岳地域。
イメージ的にはマッチしても、北海道のカラマツはみな植林ということになる。

漢字では「唐松」と書くが、唐の時代の中国の絵に描かれた松に似るという説明はあまりピンとは来ない。針葉樹であるのに珍しく落葉するという意味で「落葉松」の名は悪くない。

日当たりを好む樹の性格上か、夏であれ冬であれ、四季を問わずに、なにかいつも日差しの下で健康そうに真っ直ぐ伸びている印象の強い樹である。秋の紅葉した山の木々の中でも、イチョウのように白を含む黄でなく、もっとずっとオレンジに近い濃い黄色を呈するカラマツの黄葉は格別だ。離れてみるのもいいし、見上げるもいいし、シルエットもまたいい。

最も印象深いのは、中津川林道の三国峠で見る黄葉。
ここから見渡す信州側の景色は、山また山まさに黄一色。これは是非見ていただきたい景色である。

こんなカラマツを身近で育ててみようと思ったのだが、そういうものは、「見に行くから価値がある」などとも言われそうではある。しかし、人がどう思っても、また、健康な育成はなかなか難しいのかもしれないけれども。やはり、あんな黄葉が、雪も滅多に降らない身近な我が家の庭で見れたら最高だとの思いは強いのである。

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夫婦のイチョウ

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~仲良く寄り添って枝を広げている~

家から程ない距離にある公園にりっぱな枝ぶりのイチョウがある。
まっ黄色な葉をいっぱいに身に付けた秋には、結構そこに銀杏を拾いに行くのだが、落葉した時期にあらためて眺めてみると、仲のよさそうなペアのイチョウだったと今更に気づいた。夫婦いつまでも、こんな感じにいきたいものだ。

もう春もすぐそこまで、とはいえ、まだまだ寒い。今年はたちの悪い風邪に悩まされ続けていることもあって、特に春の訪れを遠く感じている。そんな中にあって、寄り添って枝を張る夫婦イチョウの姿には、ちょっとほのぼのとした気持ちにもなれたし、葉が全て落ちて、枝振りがはっきり見て取れるこの時期の木々は、新緑や紅葉の時期とは、また別の視点で美しさがあると感じる。


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カヤ/榧

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~慈眼寺の大カヤ~

カヤはイチイ科の常緑の針葉樹。かなり大きくなる木で高さ40m近くまで達することもあるようだ。
この慈眼寺のカヤもさほど広くない境内いっぱいに、枝を広げていた。

木材として、堅くも弾性があり、木目が美しいことから、碁盤や将棋盤といえば、カヤ材が珍重されている。
どうも、最近は囲碁とは離れてしまったが、カヤの碁盤の美しさには心惹かれるものがある。さらに、囲碁は、このカヤ(盤)と、貝のハマグリ(白石)と、石材の那知黒(黒石)という絶妙な取り合わせにも魅力がある。

勝浦市植野所在、市天然記念物

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府馬の大クス

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~1500年を生きてなお盛ん~ 巨樹・老木02

茨城経由で一般道を栃木・東北方面に出かけるときは、いつも筑波を通ってゆく。その手前の千葉県内で山田町を抜けるのだが、そこに府馬という古い街並みがある。そして、そこには、ずっと気になっていながら今まで立ち寄ったことのなかった、「府馬の大クス」という巨樹がある。

樹齢1500年の国指定・天然記念物というその「大クス」は楠ではなく、タブの木だった。なんでも、地元ではタブノキをイヌグスと呼んでいたらしいが、大正15年に国が天然記念物指定をする際、これを誤って楠と樹種公告してしまったようである。
直すのはたやすい気もするが、名前はそれで馴染んでいるので、いまさら直さなくともいいだろうということだろうか。

秋雨前線が停滞しはじめて、どんよりと湿りがちの曇り空の下、こんもりとした小高い丘の上にたどり着くと、そこには巨大であって、しかし、木の勢いにまだまだ活力を感じるこの木があった。

根元にあった300年も前の石の祠は、既に幹が懐深く抱え込まれていたし、元禄年間に北に伸ばした枝の先が地に付き根を張って、今では子グスと呼ばれて、別の木のように勢いよく自立していた。
幹周りが8.5mもあるというこの巨樹は、まだ衰えがないようだ。

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日吉神社の杉参道

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~清々しい静寂の道/巨樹・老木-01~

近所の巨木群、日吉神社の杉参道。
子供の頃から親しんでいる神社の参道の杉並木は、みな樹齢200~300年の杉の巨木である。今日も小学生の頃に見上げた姿と変わらぬ姿を見せてくれた。

前記事の画像もこの参道の大杉の一つであるが、樹齢約300年の杉が立ち並ぶ姿は、なんとも心静まる場所である。参道の入口には、右に大杉、左に大銀杏が並んで立っている。この大銀杏ももうすぐ実りの頃、毎年御世話になる木である。この2本の巨樹の間の鳥居を抜けて、苔むした石畳を緩やかに上ってゆくと、約300mほど先の社殿まで真っ直ぐ見通せる清々しい道が続く。そして、その左右には、ずらりと大杉が立ち並んでいる。

全国的に見たら、とりたてて言うほどのものではないかもしれないが、家から数分のところにあるこの杉並木は、その大きさも、一本一本の表情も、子供の頃から何一つ変わっていないかのような安心感がある。

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巨樹・老木

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~近所の大杉~

林道と言わず、あちこちの地方に行くと「○○の△△桜」とか「◇◇大銀杏」など、いわくつきや、純粋に大きい木々の存在を示しているらしい標識を見かける。

これを追ってみると、行き着いたところには、なかなか心揺さぶる巨木があったりするのだが、結構、いつも時間に追われていて、そういった機会もあまり取れないでいる。

近頃、こういう木々の存在を、これまでより少し気をつけて見て廻ってみたいと思っている。
なかには国指定だったり、そこまでではなくても、町を上げて保護しているような有名な巨樹から、林道の脇にひっそりと、それでいてずっしりと根を張り枝を広げた木まで、心に残る木々は様々であるが、あらためて、どんな出会いが待っているか楽しみだ。

それほど多くの出会いはないかもしれないが、これから機会をみては「巨樹・老木」に積極的に出会ってみたいと思う。

なお、「樹木」のカテゴリーを新設し、木についてはそこで扱うこととしたい。

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屋久杉と林道

屋久島といえば屋久杉。世界遺産に登録されてから逆に足が遠のいてしまった感があるが、その自然は確かに優れていた。いや、特徴が顕著であったというほうが正しいのか。

屋久杉とは、まあ、杉なのだが、恐ろしく寿命が長い。その樹齢は2000年とも5000年とも8000年ともはっきり言ってどのあたりが正確な数字か分からぬままにしてしまったが・・・
樹齢1000年以上を「屋久杉」、1000年未満を小杉というらしいが、普通なら1000年だって常識ハズレに長寿の杉である。ちなみに我が家の近所で市内随一といわれる杉は300~400年くらいである。
いずれにしても樹木の寿命は想像を絶する。

残念ながらデジタルな記憶媒体を手にしてから、屋久島は訪れていないので、貼り付け画像はなし。もう10年以上以前の話だから記憶は薄らぎ始めているが、その当時も相変わらず何本か林道を走った。西海岸沿いの原生林を走る西部林道もよかったが、南東部から山中に分け入る安房林道は、素晴らしかった。

林道に沿ったところに、「紀元杉」という宿木をたくさんつけた樹齢3000年と言われる巨木があった。いまでも、そこまで林道で入って行けるのだろうか。
何回でも行ってみたい島である。

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ひのき・・・樹の表情

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立ち枯れも風情あり

林道は、その役割からして当然だが、植林の中を走ることが多い。整然と立ち並ぶ姿がある意味美しいのはヒノキ林だろう。全国で杉に次いで植林の多いヒノキは、東北南部以西の低地から高山まで広く植林が見られる。
日本建築の第一位の材として、その名は高級感漂うが、ヒノキの語源は、おそらくは「火の木」。
古来、火起しのための「キリ」はヒノキで作っていたことによるというのが有力説。

ヒノキを題材にした、何か心温まる雰囲気の絵が目にとまった。木を描いた絵には、どこか心安らぐものがある。静的でいて受容力をもっているからだろうか。
ヒノキは林道で良く見かけるが、みな一様にスクッと真っ直ぐな姿勢で、すまして立っているようなイメージがある。また、杉もそうだが、ともに生物相が少なめの林を形成しているためもあるのか、これまで少しばかり見過ごしがちだったかもしれない。しかし、個々の木には、いろいろな表情があったのだということを思い起こさせてもらった。

木々の表情は豊かである。年老いてなお悠々と枝を伸ばすクスの木、生き生きした新緑が黄緑色のトンネルになって出迎えるブナの木、夏の高原で朝霧の向こうに清廉にたたずむ白樺、秋にその身全体をまっ黄色に染め、ギンナンを実らせるイチョウの木、そして冬、全ての葉を落とし、日増しに芽を膨らませながら春を待つ様々な木々たち。

四季折々に、樹種それぞれに、そうして、山それぞれに、樹はその表情を変えて楽しませてくれる。

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