山の湯宿を守ってゆくということ

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~湯を沸かす蒔が青煙を上げる~

一週間ほど前、とある1軒宿の鉱泉を訪ねた。温泉ホテルや湯治場でもない、いたって質素な宿であり、私の旅にはよく登場するタイプの温泉宿であった。

宿を守るのは老夫婦。先代の宿主が亡くなり存続の危機にあったところを、この宿とその周辺の自然に魅せられていたいまの宿主が引き継いだのだという。

老齢のおかみさんの話を聞いた。若いころは今の私たち夫婦のように、しょっちゅう2人で車で出歩いていたようである。海岸や峠道、都心から全くの田舎まで。私たちと違ったのは、夫婦は山ではなく、海の見えるところに老後の居を構えたいと常々思っていたということと、私のような給与所得者ではなかったということだった。

山のない千葉に生まれ育った私には、かなり意外だったことがある。それは「房総に住みたかった。あそこには山も海もあるからねえ・・・」というおかみさんの言葉。こんな素晴らしい山々に囲まれた自然あふれる土地に住みながら、房総の低い山を「山」として見るのだ。私にとっては、房総の山もりっぱな「山」ではあるが、他県の山がちの地方の方が、家の裏山とさして変わらない房総の山を「山」と見るのだろうかと思っていたが、案外そうでもないのだと力づけられた気もする。

また、私は給与所得者で生活の場がある程度限定されているわけだが、将来そのしがらみが断ち切れたとき、このような環境に身を置くことが出来るだろうかという思いも生まれた。宿を守るということは、生活の場が「ある程度の限定」ではなく、その一箇所に静的に絞られることになるのだから。

宿主の夫婦は、老いてなお、本当に自然を慈しむ気概にあふれていた。宿の周辺を含む一帯の山々は、街からさほど離れたところではないが、すばらしく自然が残されている。
老齢のおかみさんとは、たいていは他愛ない昔話や世間話を交わしていたのだが、私が自分の趣味趣向もあって、蝶の話を切り出した。そのときのおかみさんの目の色の変化と、口調の高まり力強さには、一瞬ぎくっとしたし、真の心中を垣間見た気がした。

ともあれ、かつて、全国あちこちを飛び回り、いわば「積極的な動」的なライフワークスタイルを持っていた夫婦が、この宿を引継いで以来、日々欠かすことなくこの宿を守ってきたということ。それだけにとどまらず、この地の自然を心底守ろうという姿勢を貫いて、地域で行政にも強く働きかけるなど精力的に活動されたこと。いうなれば「積極的な静」的なライフワークスタイルに切り替えて、これまで充実した日々を積み重ねてきたことに、様々な思いを抱かさせられた。

老夫婦には、大変に失礼な話だが、2人は見たところ既に身体的には労務がつらい年齢と見受けた。いつまでも健康で宿を守っていってもらいたいという思いとともに、この夫婦が宿を維持できなくなったとき、それを引き継ぎ守っていける者が現れてくれることを願いたいと思った。
温泉宿を守るということは、宿とともに、湯も守っていかなければならない。まして、この宿は、自然との調和も守っていかなければならない重荷も背負うのだろうか。


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温泉の入湯時間

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誰もいない風呂はのんびりできる

皆さんが、温泉に入るのに最も気持ちよい時間帯とはいつだろうか。

まあ、宿に泊まって入湯するとすれば、たいてい入湯時間は決まってくる。宿に到着してまず一風呂。お茶でも飲んでいっぷくしたところで一風呂。夕食後に酒も入っていい気分で一風呂。寝る前の一風呂。そして、早朝に目覚めの一風呂、出掛けの一風呂といったところだろう。連泊ならば、これに昼の静かな時間帯の一風呂と昼下がりの一風呂が加わる。
意味もなくだらだらと並べただけでも、それぞれにその情景は浮かんでくる。

私はお茶でも飲んでのいっぷく後かな。寝起きの一風呂も天気がよければ最高。

高い山の温泉の露天風呂は、早朝がやはりいい。

最も印象深かったのは、北アルプスの白馬鑓ヶ岳中腹にある白馬鑓温泉。ここでは、露天の直下からそのまま下界の山並みへと景観が続くのだが、幾谷かを隔てて見えた妙高方面の山々の景色が特に素晴らしかった。
この温泉は、まったくの山歩きをしなければ入れないが、登り片道が4時間程度だったろうか、その労もまったく吹き飛ぶ爽快な風呂だった。

那須連山の合間を登ってたどり着く三斗小屋温泉も気持ちが良かった。ここはそれほどの高山ではないが、相当の山奥であって、夜のランプもいいし、周囲の自然も非常に豊か。

森林の中の温泉は昼もいい。

会津の二股温泉や秋田の泥湯など、数え出したらきりはないが、明るく静かな環境で、一人湯に浸かり、野鳥の声や沢のせせらぎを耳にしながらというのも、たいへんにくつろげるもの。普段時間がなく動き回っている生活を一時でも忘れられるからだろう。透明な泉質の温泉では、日差しが湯を通して湯船の底でキラキラと、まるで小川の川底のように映し出されているのをみるのも心や安まる。

一日の疲れを癒す夕~夜の温泉はいずこであっても心地よい。
露天でも内風呂でも、街の夜景が遠く望める風呂は極上である。それだけに本当に綺麗な夜景を望める風呂はなかなか少ないけれども、飽きるほど湯に浸かってしまう。
なにも外の景色ばかりではなく、内湯のつくりというのもとても楽しめる。高価な質でなくとも、歴史を感じる様々な趣向の風呂があるものだ。

一軒の宿ながら、長年にわたって何棟もの建物を増築し、いくつもの階段や渡りでそれぞれを繋いでいる東北の湯治場の雰囲気は特別のものがある。廊下と部屋の仕切りは障子戸ひとつだったりと、セキュリティがどうたら言っている向きではとても楽しめるところではないのかもしれないが、赤いトタン屋根と木枠の窓には古びた木の手すり、そしてタオル干しの針金が張られ、各部屋から白タオルがぶら下がっている。また、自炊客のためにある食材などの販売所や炊事場の雰囲気など、どれひとつとっても「温泉」という文字から私が想像する映像そのものがそこにはある。
こういう宿に数日泊まり、朝・昼・晩と各様の温泉の一日を楽しむ余裕が最近はなくなった。

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温泉水の起源

温泉の水・湯というものは、どこから来るものだろうか?
ごく若い頃は、地中にしみ込んだ雨水が、火山性の熱源に触れ、暖められたもの程度に漠然と考えていたのだが・・・

温泉そのものに興味を持つようになって、温泉の成因については、熱源と水そのものの起源は別個に考える必要もあると感じてきた。
温泉の成因として、地殻のプレート運動が非常に大きな要因であることは、世界中の温泉地の分布を見れば明らかだけれども、そのプレート運動を要因とする火山活動が、直接、温泉にどれだけ影響しているのかは、よくわからない。
いや、火山周辺の硫化水素を多く含有する温泉は、少なくとも熱源については火山活動の影響をまともに受けているだろうことはわかるのだが、火山から遠く離れた地でありながら、高温の湯を産する温泉(古くからの有名どころで言えば、南紀の温泉や常磐の温泉などはその例)などは、なぜそんな高温なのか?
そして、その水はどこに由来するのか?また、温泉は水温にかかわらず、内包する成分量によっても定義されているわけであるが、その成分は地中の岩石などから流れ出して供給されるものであるのか?

一説に、温泉の水は地球の形成とともに、地球内部で生成された水分子を主起源とする考えがある。つまり、温泉の水が地表で空気に触れるとき、それがその水の大気と初めての出会いであるということで、いわゆる「処女水」というわけである。
ロマン溢れる話ではあるが、各地での詳細な起源研究の結果は、残念ながらそのような結論を示していない。

現在考えられている最も有力な説は、循環水説といわれ、あまりに意外でなくてさみしいが、降水が地中に染み入って、地中で火山性の熱源を吸収するとともに、火山性のガス・周囲の岩石の成分を溶解して、何らかの理由により地表に再度湧出するという、たいてい誰しもがそう思うのではないかという説である。
もう一つ、岩漿水説といわれるもので、温泉水はマグマの揮発成分を主体とし地表で、湧出するまでの間に、これに多少なりとも地下水が混入すると考える説である。
ほかにもマグマ起源で諸説あるのだけれども、近年の酸素・水素の同位体研究によっては、マグマ起源の水はほとんど入っていないとされ、結局循環水であるという結論に行き着いてしまうのかもしれない。

温泉の熱源についてはここで触れないけれども、ともかく、温泉一つ考えてもなかなか、地中の出来事を簡単に理解するのは難しく、地球のシステムの複雑さを思い知らされて、逆にうれしく感じる。

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温泉事情3

温泉宿の食事

日本人の大多数は宿での楽しみに食事を上げるのではないか?テレビ番組の宿の紹介でも風呂や建物などとどちらに比重があるのか分からないほど、食事の良否は一大関心事らしい。
これは、私?いや我が家にとっては複雑な部分。家族揃って少食?なのである。個々の品についてみれば、美味しいもの、珍しいもの、特有のもの・・・いろいろと楽しみにしていないというわけでもない。
しかし、食事全体としてみたとき、とても全部食べ切れそうもない。もったいないとかではなく、せっかく出してもらったものを、残すわけにも行かず、なんとか口に押し込むのだけれども、一食分が1日分の量だったりする。あの分量は何とかならないものか?
家族全員そうなのである。みんなで、好きな物や得意なものを、嫌いなものや苦手なものと交換し合いなんとか食べ尽くそうとする。部屋食ではなく、食堂で食べるときなどに隣りの食卓など覗くと、ずっと後からきた家族が、あっというまにペロリと全部平らげ、ついでにご飯を何杯もお代わりし、気がつくと「お先に失礼ごちそう様」のご挨拶。中には足りないとか言う声まで・・・
これでは、宿としても、たくさん出さざるを得ないことはわかった。
まあ、そういっては何だが、みんな食いすぎだぞい。わたしゃ、成人以来何十年、標準体重のままだが、同年輩は10kg、20kgの増量は当たり前。ほとんど「まあるい」オヤジになっている。必要摂取カロリーがどうのと言う気はないのだけれど、少なくとも自分は少食でなく標準だと断言させていただく。
今後、宿を予約する際に、値切りが目的みたいに思われたくないから、「値段そのまま、食事は3分の2」と言いたいのだけれど、もう何年も言うべきか否か迷っていて言っていない。

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温泉事情2

温泉宿

温泉の「宿」を、実質を見て分類すると
1 ホテル、2 旅館、3 湯治場、4 素朴な宿
といったところになる。
もちろん各分類間に明確な線引きはないし、そのような分類が大した意味を持つわけではないけれど。
「宿」なので、宿泊施設のない日帰り湯や、天然の露天風呂など温泉はここに含まない。
1は自分としては積極的に行くことはない。料金もさることながら、興味がない。まあ、他に適当な宿がない場合か団体旅行などに利用しようとするときくらいか・・・以前は、日帰り湯としても利用していたが、最近は専用の日帰り湯が、より低料金でたくさん出来てきたので、そういう存在意義も既にない。
2は、大変よろしいが、お値段がきつい。夫婦2人のときはまだ良かったが、バブルで設備投資して値上がった上に、子供が既に大人料金を要する年齢になってしまったことから、家族で1泊すると、安いPCなら1台買えてしまうほどで、それなら、モノが残ったほうがとなりがち。
3は近年少ないが、建物の雰囲気がすばらしい。かなり低料金な場合が多い。たいてい環境がよい。こんな感じで3拍子といったところ。それでも料金高騰の波はここにも現れてきてしまっている。
4は、その他諸々、「旅館」といいながらも、それとは随分趣が異なって、ずっと質素な造りの宿や、温泉民宿など。これは、今でもかなり低料金。環境などは、ピンからキリまである。
しかし、温泉がはやりになって以来、どういうタイプの宿にしろ、なかなか、手軽に(安く)くつろげる宿に出会いずらくなってきた。

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尾瀬檜枝岐

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雪の燧ケ岳

年末である。寒い。千葉でも。
寒いときは抵抗せず。雪国に行くのが一番だ。とは、スキー三昧だった若い頃。最近はあまり派手に遊ぶと、翌日あたり体もきしんでくるので、軽くしかやらなくなってしまった。
ともあれ、寒いときには、雪を見ながら温泉に入るのがなんとも心地よい。コタツに入って雪を眺めるのも心地よい。そんな思いで急に檜枝岐まで行くことにした。
檜枝岐温泉は、福島県南会津郡檜枝岐村、アルカリ性単純温泉。65℃程度の泉温である。夏には林道めぐり、自然探索で、冬にはスキーなどでよくお世話になる。旅館が6~7軒、民宿は40~50軒くらいか?冬には、集落内の中通りにある有名な6地蔵が雪をかぶって、一層、お地蔵様らしい姿を見せてくれるだろう。
雪がちの天候が予想される。いつもなら雪国へ行ってスキーなしはありえないが、今回はあえてスキーをやらないことにした。あまり、野外活動は出来ないかもしれないな・・・

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温泉序章

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「天然温泉表示」
広く認識されている、”あの”温泉マークは、一部で悪イメージなどいろいろ乱用されてしまったため、天然の温泉であることを証する表示として制定された表示

近年、温泉へ足を運ぶことがとんと減ってしまった。
いや、正確には温泉宿に宿泊することが激減した。
子供の成長とともにホリデーライフの形態が変化したことと、宿泊料金の高騰が要因である。

その替わりに躍進しているのが、日帰り湯というやつ。
Woodland Trailのツーリングレポートなどでは、必ずと言っていいほど、締めくくりにこの日帰り湯のお世話になっている。
正直言って、かつて足繁く訪れた湯治宿や一軒宿の温泉と比ベてしまえば、独特の味わいというものはなく、ワンランク下がってしまうのは明らか。
前記事の舗装林道とダート林道のような感覚に通じるところがなきにしもあらず。

それでも、入湯時間が幅広くて、気軽に利用できるシステム、交通上の立地条件、数の多さなどから、一日の締めくくりに便利なスポットとして利用させてもらっている。

温泉には、いろいろな効能がいわれてはいるが、実際には1回こっきり、ちょろっと寄り道して浸かったくらいで、多大な効果があるような代物ではない。まあ、その場合でも、精神的な効果や、風呂で体を温めるということによる単純な効果は十分期待できる。日本人としては、特に精神的な効果は大と言うほかない。

で、とりあえず、このカテゴリーの初稿は温泉の定義づけあたりから・・・

まず、温泉の法的定義(温泉法)は
「地中から湧き出る温泉、鉱水及び水蒸気、その他のガスで、一定の温度、あるいは物質を有するもの」とされていて、一定の温度とは湧出時に摂氏25度以上、一定の物質というのは、溶存固形物質、遊離炭酸、臭素イオン、ストロンチウムイオン、マンガンイオンなど、たくさんあって、それぞれ定められた成分量を1つでも超えていればよいというわけである。
25度以下の湯をかつて鉱泉としていたけれども、現在では以上の定義から、成分さえ満たせば低温でも温泉ということで構わないわけだ。

もう一つ、泉質の分類
温泉法ではいろいろ整理をしてしまったが、
大別して11になるだろうか、単純泉、食塩泉、硫黄泉、重曹泉、炭酸泉、重炭酸土類泉、明礬泉、硫酸塩線、鉄泉、酸性泉、放射能泉というかつての分類が分かりやすく、イメージも沸くので気に入っている。

よく、湯に浸かっていると、ご一緒となる他のお客さん同士の会話で「ああ、硫黄だねぇ、これは・・・」というのを耳にする。しかし、その匂いの素は重曹だったり石膏だったり全然違うことが多いのは事実。だいたい、「硫黄」以外の成分名はあまり語られないほど、硫黄のイメージがなぜか強い。
実際に一番多い泉質は単純泉で、まあ、これは成分の薄いものをいうので、硫黄系の単純泉も少なくはないけれども、あまり温泉に馴染みのない向きには、温泉=硫黄のイメージはぬぐえないようである。

つづく

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