シュレーゲルアオガエルの抱接

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~地中の儀式~

谷津田に響くシュレーゲルアオガエルの大合唱。春の風物詩に欠かせない1つである。
今年も桜の咲き誇る小路で、また、スミレの咲く斜面で、うららかな陽気に心地よく響くその美声を聞かせてもらった。

姿も声もアマガエルよりちょっと上品な感じのアオガエルたちは、繁殖のため、この季節には本拠である森から水田へとやってくるが、水辺の畦道の裂け目など、土の中に潜り込んでいるため、姿はなかなか見つけられない(→シュレーゲルアオガエル)。

カエルの繁殖活動はオスがメスの背に抱きついて行なう「抱接」が多く、土の中の穴に産卵するシュレーゲルアオガエルも、土の中に作られた穴蔵から美声を放って待つオスの下に、メスがやってきてめでたく抱接となる。

陽射しも暖かく風爽やかな日に畦を歩くと、いつものように田のあちらこちらから「コロロロ、コロロロ」という声が聞こえる。注意して他の穴や、畦の水辺を見て回ると、シュレーゲルアオガエルの卵のう(泡に包まれた卵)がたくさん見つかった。

さらに念入りに畦の様子を伺いながら歩くと、それらしい穴が目に付いたので、そっとのぞくとそこにアオガエルのつがいが一組よろしくやっていた。2匹で一緒にいるのを見ると、雌雄の大きさにはずいぶん違いがあるものだ。自分の二倍はあろうかというメスの背にオスがしっかり捕まっている。

ツボカビなどの病原や適合環境の縮小で、小さなカエルたちはいまや絶滅も危惧されるほどの受難のときを迎えている。けれども、今のところ、ここではこうして一つ一つの個体がりっぱに営みを繰り返し、この種も安泰に生きながらえているんだなあと、感慨深く様子を見守らせてもらった。

Fs5pro2009_0419_124341_2穴の中でメスを待つオス

Fs5pro2009_0419_123808地中の卵のう 

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アオサギが泳ぐ

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~見たところかなり自然です~

家から出てすぐのところ池があり、水辺にはたくさんの鳥たちが集まってきて楽しませてくれる。きれいでかわいらしいカワセミが一番の楽しみではあるが、カワウやダイサギなどの大型のものもなかなか楽しい。

常時この池で陣取っているアオサギが一羽いる。アオサギは、とても大きなサギで、この池にくる鳥では多分最大で、とても風格があるが、結構警戒心も強く、あまり近くまで寄って観察することはできない。

アオサギの「アオ」は灰色を指すらしく、体の背面はやや青味がかった灰色。体長が首を伸ばすと90cmくらいもあり、翼を開ろげると1.8mほどにもなる。ちょっとツルっぽい感じもあるが、首を折り曲げて飛ぶ姿はまさしくサギそのものであり、日本にいるサギ類の中ではもちろん最大である。

先日、カワセミを観察していると、アオサギのいつも陣取っている場所の近くで、ダイサギが景気よく餌を摂っていた。この真冬に小魚がいるのか。それとも泥の中から小虫をつついているのか定かではないが、こごんで水辺をつついてはゴクリ、つついてはゴクリと、なかなか採取の確率はいいようだ。

アオサギには、これが面白くないらしく、翼を大きく広げて近寄づいては威嚇し、ダイサギを追い払おうとする。ダイサギもアオサギよりは少し小さいものの、白鷺の中では最大級。いったん逃げてはいくが、すぐちゃっかりと戻ってくる。互いにバタバタと翼を拡げあっての大物同士の争奪戦は、見ごたえもあった。

そうこうしているうち、なにかの音に驚いたか、それとも私の姿を悟られたのか、ふいにアオサギが池の中心方向へと真っ直ぐ飛び立った。いつもはこのまま、対岸の樹の中ほどの枝に止まるのが常であるが、この日はちょっと経路が違う気がした。そして、あらら・・・あまりに思わぬことだったので呆然と見ていたが、池の中心付近に、水鳥たちのように降りてしまった。

アオサギは水辺というものなしには存在しないものの、シラサギ同様に水を泳ぐことはしない。水かきのない足を見ればそういう鳥でないことは明らかである。しかし、目の前で悠然と、ぷかぷかと泳がれてしまうと唖然とするほかない。

超望遠レンズ装着でカメラを構えていたし、飛んでいる姿をファインダーで追ってさえいたのに、水に落ちそうなのにびっくりして裸眼になり、問題の着水シーンでは、既に目が点になっていて撮れずじまいである。

アオサギが泳ぐらしいことは、ネット上などでも、目撃が取りざたされているようである。ひょっとすると長い足で、比較的浅瀬を蹴って動いているのではないかともいわれるようだが、どうも、今回目撃した着水地点あたりが、それほど浅いとも思えないし、すぐ近くをカワウが泳ぎ、潜水を繰り返していたくらいである。

だいたい水上での動きがあまりにスムーズであり、少なくとも、体重は完全に水に任せていて、かろうじて足の先が推進力を与える程度だけ水底まで届いている可能性を残すくらいで、むしろ、自力で水をかいて泳いでいるといった方が自然に見えた。

それにしても、当たり前に見える自然風景も、こんな風に、たまに驚かせてくれるものである。アオサギは暫しの遊泳を楽しんだ後、驚いたことに水から直接飛び上がり、再び飛んでいつもの陣地に戻ってきた。

「カワウといっしょに泳ぐアオサギ」「ダイサギを追い回すアオサギ」→四季の扉、九色の窓(アオサギって泳ぐんですね)

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ツマグロヒョウモン

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~以前は迷蝶だったのだが~

昨日の朝、アザミの花を眺めていると、ふわふわとやって来たツマグロヒョウモンの雌に出会った。珍しい蝶に出会ったものだと思ったが、その日のうちに、別の場所で2回見かけた。また、今日も2回見た。

ツマグロヒョウモンは、雌雄で翅の模様が大きく異なる蝶で、特に雌の色模様は素晴らしい。そして、本来は南方系の蝶であって、私の住む千葉県には、少し前までいなかった蝶である。

鮮やかな雌の色模様は、やはり南方系の蝶で毒をもつカバマダラに擬態しているとされているが、私の感想としては、カバマダラの毒による捕食防御効果さえ怪しいと感じている(→八重山を歩く(4) 八重山の蝶)のに、それに擬態する必要性となると、かなり怪しいような気もするのだがどうだろうか。

まあ、それはともかくとして、雌の翅のオレンジ~スミレ~白の地に黒紋の色模様は文句なく美しいと思う。なお、前記事のメスグロヒョウモンもそうだったが、このヒョウモンチョウも性的二形を示し、雄の翅は、オレンジ地と黒紋だけの典型的な豹柄である。ただ「褄黒豹紋」の和名が示すように、後翅の外縁に黒い縁取りがやや特徴となる。

さて、この蝶の分布域はかなり広く、アフリカ北東部から東南アジア、オーストラリア、そして日本など東アジアにまでというふうに熱帯から温帯域にかけてである。ヒョウモンチョウの仲間は比較的涼しい地方に分布するほうが多いと思うが、このような南方系の分布もこの蝶の大きな特徴だろう。

そして、日本では、南西諸島に多く分布し、九州、四国のほか、本州では紀伊半島あたりまでというふうに図鑑などでは記載されていて、稀に関東で見ても迷蝶という扱いだった。しかし、どうもこの20~30年くらいの間に急速に生息域を北上させ、ごく最近では栃木県など北関東でもほとんど定着してきているようなのだ。

北上の原因などは、そう簡単に判るものではないと思うけれども、一般には、幼虫がスミレ類を食草とし、園芸種のパンジーなどでもよく食べることから、こうした園芸植物の出荷によって分布を拡げたのか、又は、単純に地球温暖化の影響などという憶測がよく見られる。

私は、そうした人間の影響よりも、この美しい蝶が、主体的に勢力圏を広げ、自らやってきたんだと信じたいのだが。

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メスグロヒョウモン

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~蝶の中では際立った性的二形~

すっかり秋が深まって、朝夕にはほどほどの冷え込みが感じられるようになった。あたたかなこの地方だから、日が射してくれば、たちまち暑いもといえるほどになるので、まだ冬の気配というには遠いのだが、休日朝の林の散歩が気持ちいい。

散歩の帰り道を辿る頃、日も十分に高く昇って気温は上がり、赤トンボやシジミ蝶やアブも飛び始めた。
すると、茶色というのか暗褐色というのか、ともかく暗い背景にくっきりと白い条を浮かび上がらせたやや大きめの蝶が、ふわりと目の前を飛んでいった。

その姿に、すぐにオオイチモンジの名前が浮かんだ。しかし、このあたりにオオイチモンジがいるということは多分ないし、時期も違う。

直後、その蝶はふわりと近くのアザミに止まった。けっこうな大きさがあるので、動作も翅の文様もとても優雅なものに見える。

蝶の翅をよくみると、イチモンジ、フタスジ、ミスジといった暗褐色に白条の蝶のグループとは、スジの形がどうも違うことがわかる。この蝶はヒョウモンチョウの仲間なのである。

ヒョウモンチョウといえば、もちろんオレンジ色に黒い点の「豹紋」がトレードマークなのであるが、この蝶は、オスが普通のヒョウモンチョウの仲間らしい姿であるのに対し、雌はイチモンジチョウのような色模様をしているのである。

それにしても、この優雅な姿の蝶に、あまりにダイレクトな名前は、やや興ざめる気もするが、「メス黒」であるのは確かである。いわゆる「性的二形」というやつだ。

「性的二形」というのは、一般に雌雄の第二次性徴の差がはっきりしていることをいう。つまり生殖器以外の部分での雌雄差が大きいことである。

カブトムシや鹿などのような角を持った生物などが一番分かりやすいだろうか。
様々な生物に見られるものではあるが、蝶としてはメスグロヒョウモンはかなりはっきりしている方といえるだろう。

じっと見ているうちに、やがて蝶はふわりと舞い上がって、林の樹木の上のほうへと姿を消していった、あたりは光が消えたようにまた静かな林に戻る。10月も下旬に入り、こうして蝶を頻繁にみることのできる季節も終わろうとしている。しばらくは、林の散歩道も静かな道となるだろう。

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カマキリの偽瞳孔

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~小さな黒目はかわいいけれど~

カマキリの目は、なかなかいかしている。
カマキリを間近で見慣れている方はよくご存知だと思うが、大きな目の中に人の目の黒目と似たように小さな黒い点があって、その点がこちらを向いて、注意深く様子を窺っているように見えるのである。

しかし、昆虫であるカマキリの目は、人とは違い複眼であり、小さな目が球状に集まっているその全部が目であって、人の黒目(瞳孔)と同じようにそこだけが見えている場所ということではない。

実はこのカマキリの目の中の黒い点は、それ自身の構造的なものなのではなく、カマキリの目を観察しているこちら側が、球状に集まった数ある複眼の中でそのあたりだけ奥まで見通せるという角度の部分であり、その結果として、光が返ってこないから黒っぽく見えるというわけで、単に観察者側にだけ見える見かけ上のものに過ぎないのである。

そして、この黒点を偽瞳孔といい、その他の部分は、観察者の目からは奥まで見えないので、個々の目の内部の反射光で明るく見えているに過ぎないのである。

試しに、こちらを向いているカマキリの偽瞳孔を観察しつつ、同時に手に持った鏡で違う角度からカマキリを覗き込めば、そこにもまた、鏡を通してこちらを窺っていると感じる位置、つまりは実像とは別の場所に偽瞳孔を見つけられるだろう。

ただし、カマキリの目には、これとは別に、夜になると複眼全体が黒っぽくなり、これによって総合的な集光力を上げられるという面白い能力も持っているから、なかなか侮れないところもある。

偽瞳孔は、トンボやバッタなどにも見られるのであるが、カマキリのものとは若干状態は違う。カマキリの偽瞳孔は、本当の瞳孔を見慣れている人間にとって、人の目の瞳孔とかなり似ているから、それがいつもこちらを見ているように感じる分、ちょっとした親しみなど感じてしまうものである。仕組みがどうであっても、この偽瞳孔のために、カマキリの表情を豊かに見せていることは間違いない。

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次世代のアリジゴク

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~何匹かの成虫が巣立った後に~

我が家の軒下に住むアリジゴクが、6月から7月に次々と巣立っていった。
巣立っていった彼らの余命は僅かな日数であったとはいえ、これまで見守ってきた幼生たちが、美しい翅を持ったウスバカゲロウとして、長い地下の生活から空へと旅立ったことは、やはりうれしく思われた。

一方、今シーズン中には変態を遂げなかった何匹かのアリジゴクが構えるすり鉢も残ったが、8月に入ると、そのすり鉢の合間にいつのまにやら小さな小さなすり鉢がぽつぽつと目に付くようになった。可愛らしいその小さなすり鉢が日増しに増えて、これもまたうれしく感じたのだが…

もう何回となく書いたことではあるけれども、繰り返して書くと、ウスバカゲロウは短命であると儚まれがちであるのだが、実際に短いといえるのは成虫の期間に限った話であって、一生の長さがさほどに短いわけでもない。また、昆虫の成虫というのは必ずしもその生物の完成型といっていいものだろうか。土の中で過す幼生期の姿こそが、この昆虫たちの本質であって、成虫は生殖活動のためだけの特殊形態だとしたって、決しておかしなことではないだろう。そうだとすれば、土の中とはいえ本質である幼生期の期間の長さを考えれば、1年以内の一生しかないことなどザラにある昆虫の中にあっては、むしろその命は長い方というべきである。

しかしである、ふだんはそうやってドライに即物的に考えているのだが、夕暮れに小さなすり鉢をじっと見ていたら、少し違う思いに陥った。

この新しく出現したアリジゴクの小さなすり鉢は、6月に巣立ったウスバカゲロウが直後に生殖活動をした結果なのであろうか。仮にそうだとしたら、ちょっとうれしくなりはしたが、その一面で生命の無常のようなものを感じたのである。

アリジゴクの活動は本当に辛抱強くエサとなる小虫の落下を待つばかりの受動的な生き方である。それをほとんど一生かけて継続し、最終的にはほんのひと時だけ子孫の存続のために成虫となって生殖する。そして子孫は再び親とまったく同じように、その一生を辛抱強い地中生活で過ごすわけである。さらにその繰り返しが何百何千世代と続いてゆく。

この生き物が生命活動を持っていることに、果たしてどんな意味があるのだろうか。いや、地球では最も高等な活動を成し得る生物であるはずの人間だって、その点、たいした変わりはない。違うとすれば、プラスアルファとして、子孫に対し、記録と造作という身体以外のものごとを伝え残す術を種々持っていることくらいである。それが大きな違いだといえば大きいともいえるが、例えば宇宙全体としてというような、より大きな意味を考えたら、それがいかほどの価値を持つものなのだろうか。

そうはいったところで、私は生命に悲観しているわけではない、果たして生命という不思議なものは、どのような意味を持つものか、なにか目的というものがあって存在しているのではなかろうか、それとも、偶然発生してしまい漫然とそこに存在して、環境の影響を受けてたまたま変化(進化)しているだけなのだろうか、不思議がより一層不思議に感じられる思いに陥ったというまでのことである。

アリジゴクの新しく小さなすり鉢の数を数えてみると15ほどはあるようだ。これらの子アリジゴクがウスバカゲロウとして巣立ってゆく日までまた見守ってみようと思う。

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カブトムシの角

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~デザインされたかたち~

山の朝、霧の空気に肺が洗われるように思われた。霧の森、天井から朝の光が条となって差し込んでくるのを見上げながら木々の間を歩いていると、一匹のカブト虫に出会った。

ずっと、見慣れてきた形であるからという理由だけなのか、それはよくわからないが、日本のカブトムシの角は、とりわけ均整のとれたものであるように感じられる。

そんなことを思いながら、カブトムシの角をまじまじと見てみる。大きな角は、頭部からすっとまっすぐに伸び、先のほうで2つに分岐し、分岐した先端で更にそれぞれ分岐する。
そして、小さな角が胸部からせりあがるように持ちあがって、これも先端で2つに分岐し、大小の角は、それぞれ互いの方へ向かって反るような形状で、ものを挟み込むこともできる。

これはどのような志向でデザインされたものであるのだろうか、または、どのような必然性があって進化とともに形作られたのだろうか

この形が美しいのかどうかはともかくとして、このような形状を作りだす生命には不思議を感じざるを得ないが、そこには、他の生物のデザイン一般ともどこか共通した、成形における一定の秩序が隠されているように思えてならない。

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ウスバカゲロウ

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~極楽蜻蛉が飛び立つとき~

雨季の湿った空気にまだもうしばらくは付き合わなければならない6月末ころ、宵に帰宅して玄関に入ろうかというとき、忘れかけていたものを思い出させるかのように、ハラリハラリと、目の前を頼りなくウスバカゲロウが飛ぶのを毎年のように見かける。

玄関脇の軒下に砂を撒いてアリジゴクの育成環境を作ってあるので、ウスバカゲロウが羽化すると、すぐ近くにある玄関の外灯周りに引き寄せられてくるようである。

玄関先の外灯というのはそれほど明るいものではないから、その弱い明かりの中でゆらゆらと揺れながら飛ぶ影は、ともすれば視界の隅を幻影が通り過ぎたくらいにしか感じず、通り過ぎてしまいがちであるが、ふと、後から思い出したように振り返りって存在に気付くことが少なくない。極楽トンボという別名もうなずけなくはない気がする。

ウスバカゲロウの飛び方は、見方によってはハラハラと優雅にも見えるし、ヘラヘラとかナヨナヨとか頼りなく儚げにも見える。この昆虫は、以前アリジゴクの項にも書いたように、同じ「かげろう」の名が付き主に川を中心に棲息するカゲロウ類(幼虫が水生)とは、あまり関係がないのであはあるが、おそらく古来より、この手の形、この手のゆらゆらした飛び方の昆虫は、総じて「かげろう」と呼ばれるのだと、そう考えるほかないだろう。

ウスバカゲロウは、幼虫→蛹→成虫と完全変態をする昆虫で、昆虫として本格派である。成虫で生きていられる期間は2週から3週くらいでセミと同じくらいだろうか、この成虫の期間が短いのは、昆虫としてさほど珍しいことではない。昆虫の成虫というものは概して生殖のために特化した姿といっても過言ではないかもしれない。

ともあれ、真夏がまた一つ近付いた気がする。

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ジョウカイボン

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~林道脇の草に平清盛がしがみつく?~

なんともほのぼのした名前の昆虫である。普通に見かける昆虫であるとはいえ、あまり世間に知れた昆虫ではないのだが、昆虫の名前によくありがちな「○○モドキ」とか「ニセ○○」といった、二次的である上に偽者よばわりされているみたいな名前ではなく、また、他の動植物でも広く使われている一般名詞等に「トリ」や「ウオ」や「クサ」などをくっつけた名前「○○ムシ」でもない、りっぱな固有名詞が与えられている。

ジョウカイボンは、見てのとおり、一見カミキリムシタイプの細身の甲虫であるが、他の昆虫を捕食する昆虫であるということで、完全な植物食であるカミキリムシの仲間とは明らかに違う。近縁ということでは、ホタルに近い仲間であるとされるが、それこそ完全な肉食のホタルとも違い、植物性のモノをまったく食さないわけでもない。

林道脇にも、家屋周辺の野原にも、わりと普通に見られ、甲虫の割にはよく飛び回る。特によくみかけるところというのは、葉の上や花の上であり、何をしているかというと、こうしたところにやってくる他の昆虫を捕獲するために待ち伏せているのである。

ところが、待ち伏せしているだけかと思いきや、そのまま花の花粉を食してしまうこともあり、これを雑食といっていいのか、肉食又は草食のどちらかから、他の一方へ移行しつつある種といっていいのかも分からないが、なんにせよ、あまりぱっとしない昆虫という印象はぬぐえず、それが知名度の低さにも現われているのだろう。

「ジョウカイボン」とはなにかというと、漢字で書くと「浄海坊」になるようで、これは平清盛の法名でもあるらしく、平清盛が熱病で転げまわって死んだということと何とか繋げて、名前の由来が説明されているのをいくつか見るが、どれをとっても、なるほどとうならせるものは見当たらない。

近縁種のホタルに平家と源氏があることとも、多少は関係あるのだろうかという気も起きるが、もともと和名にゲンジやヘイケは付き物だから、まったく関係ない気もしてくるし、結局、名前の由来はよく分からない(諸説は検索ででも探してみてください。もし、おお!っというのがあったら教えてくださいね。)。

昨日走った林道でも、路面脇の草にしがみついているジョウカイボンに出会ったが、名前の由来はともかく、林道で昆虫の観察をしている身には、とても馴染み深くて、かわいらしい昆虫である。

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ニホントカゲの巣穴

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~土の中の子育ての家~

日当たりのよい日、自分が歩を進める度に「カサコソッ」という枯れ草をすばやく這うような足音が聴こえる。ニホントカゲの足音だろう。

ニホントカゲは、特に春など日向にもよく出ているが、かなり警戒心が強い。人の足音を聞くと、さっと石の間や穴に入ってしまう。もともと土の下が生活の場でもあるようで、そこで大半の時間を過ごしているのは当然なのかもしれない。

4月晩春から5月初夏のちょうど今頃の時期、ニホントカゲは繁殖期に入る。出歩くトカゲを見かけるよく見ると、喉のあたりが血でも流したようにオレンジ色をしていることもある。喉に色が出るのは繁殖期のオスの特徴で、オスは特にこの時期は闘争的で、他のオスと激しく噛みつきあって戦っているのをみることもある。

いつもニホントカゲが出入りしているのを見かける斜面に、ニホントカゲの巣穴らしきものが掘ってあるのを見つけた。はたして自ら穴を掘るのか、なんらかの穴や隙間を利用しているのかよく分からないが、入口の形はなんとなくニホントカゲの体型にあっているように見えなくもない。

この穴をずっと見ていたら、ちょうど家主が出入りするところに出くわした。周辺にもいくつか同様の穴があって、出てきた主は、あちらこちらの穴を確かめては出てくる動作を繰り返したりしていた。その時点ではそれらの穴同士が地中で繋がっているようには感じられない。

ニホントカゲの雌は、これらの巣穴に10個前後の卵を生み、ひと月あまりかかる孵化までの間、ずっと卵を守るという。出たり入ったりの動作は、長期戦となる子育てのために、巣穴の品定めでもしていたのだろうか。

しばらくしてから、この穴を探すと、どうやってそうしたものか、巣穴の入口は埋められているか、またはコケの塊を被せられていて、どこにその穴があったのか、容易には分からなくなっていた。
(画像はかなりの手ぶれですがご勘弁を)

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クロヤマアリとナナホシテントウ

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~相手を見るなりアリが襲い掛かった~

春の野は、いろいろな植物が次々と芽を出しては花開き、昆虫や小動物も姿を現わし始めるから、その変化からなかなか目が離せない。

目覚めの季節、野の草を観察していたら、暖かな陽射しに元気になったナナホシテントウが、あちらこちらのカラスノエンドウの上で活発に動き始めている。

早速カメラを構える。テントウムシの飛び立つ写真、結構見かけるものだが、いつも狙っていてもなかなか撮れないものだ。と、ふとすぐ手前に生えているヒメオドリコソウの花の上にクロヤマアリがいるのを見つけた。

クロヤマアリは、アブラムシの排泄物の甘露を餌にするため、飼育するように保護しているから、アブラムシを餌にしているナナホシテントウとは利益相反関係にあり、ここで何かが起きるだろうか?

そう思っている間もなく、クロヤマアリはスルスルっとヒメオドリコソウを降りて、隣のナナホシテントウがいる草に上りはじめた。そして真っ直ぐナナホシテントウに掴みかかって、あっと言う間に弾き飛ばしてしまった。

勝負は約1秒。これには、ちょっと驚いた。クロヤマアリは、サムライアリに奴隷にされたり、他のアリとの攻防をみても、それほど好戦的なアリとは思えないのだが、本能的な行動なのだろうか?

もっとも、不意の攻撃にあったナナホシテントウは、例によって手足を丸めて亀の子状態。応戦することもなかったのだが。

(戦い前の両者の姿→四季の扉)

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V字編隊

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~鴨がV字で東へ飛んでゆく~

冬の空の高いところを、時折、大きな編隊が横切ってゆくのが見える。朝、明けたばかりで白んできた空、夕暮れの茜色の空、数羽から何十羽の鳥が列を成して飛びゆく姿は季節感もあってたいへん絵になるが、それなりに大きな意味を持っている。

ハクチョウやガンなど渡りをする大きな鳥が群れで飛ぶときは、例えばスズメが飛ぶときなどのように混然一群で飛ぶのではなく、V字型や斜め一列に列を成した編隊飛行を形成している。

この編隊飛行は、彼らの単なる嗜好によってなされているのではなく、より楽に飛べる進路を選ぶために生じるもので、結果的には運動の効率をよく考慮したものになっている。

もう少し具体的にいうと、大型の鳥が羽ばたいて飛ぶとき、その大きな翼の先端から後方へ向かって渦状の乱気流が生じることがなんとなく想像できると思う。そして、その乱気流は、横倒しの渦状であるから、渦の片側、つまりは鳥の斜め後方には上向きの気流が生じることになるのである。そこで、後ろをついて飛ぶ鳥は、その上向きの気流のあたりを飛ぶと楽になり、その気流に乗って飛行を続ければ、エネルギーの消耗は、単独で飛ぶよりもずっと少なくてすむわけである。
 
理窟はなんだかすごそうだが、鳥たちはそんな理窟まで理解して飛んでいるというはずはなく、楽なところを飛べば結果的にそれがV字型や、斜め一列の編隊飛行という形になって現れるということになるのだろう。

ただ、列の最先端を飛ぶ鳥が、一見、何十もの鳥を束ねるリーダーのようにもみえて実はそうではなく、上記のような、気流のアシストが得られずエネルギーの消耗が大きい先頭の係を、順次後方の鳥と交代して、疲労をみなで分けて負担するようにしているらしく、そのあたりには、やや高度な生態も感じるところである。

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トリバガ

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~なんとも奇怪でいけてる蛾~

魔界の昆虫が現世に紛れ込んでしまったかのような、トリバガ科の蛾はそんな容姿のなかなかいかした蛾である。

なんといっても、とうてい蛾とは思えないような細い翅が変わっている。体つきや足だって、細く長くてこれではガガンボとほとんど区別もつかないのではないか。個人的には足元に生えた棘と翅に少し生えているふさふさが、トゲトゲブーツとマントに見え、いかにも悪者っぽいところがお気に入りだ。

画像は10月に撮影したもので、この仲間は種の見極めが難しいが、おそらくは「ブドウトリバ」だと思われる。あまり見かけないようにも思えるが実はそうでもなく、ブドウの栽培上では特に幼虫の食害が問題となり、非常に敵視されるわけであるが、それはそれとして、単に生き物の多様性の視点でみたら、やはり、これはいかした昆虫としか言いようがない。

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昆虫病原糸状菌

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~一見りっぱなショウリョウバッタであるが~

この夏は、国内最高気温の記録が更新されるなど、ひところに限っていえば大変に暑かったのであるが、夏といえる期間そのものは少々短かった。9月に入ったが、8月の終わりから早くも秋霖ともいえるぐずついた天候が続いている。

さて、この時期に野を歩くと、まず目に付くのが赤く染まった赤とんぼ達、そして、足元からぱっと飛び立ってゆくバッタ達の姿である。トノサマバッタやクルマバッタの飛翔はよく目立つ。

カメラを持ってそっと彼らに近付くが、そこは個体によって千差万別、ドアップで撮らせてくれるサービス満点の被写体もいれば、近寄る隙もなくぱっと飛び去ってしまうものもいる。こちらとしては捕獲の意思など毛頭ないからじっとしていてもらいたいが、彼らにはそんなことはお構いなしで、逃げてしまうのが一番リスクがないのだろう。まあ、これは一般にはそうだということであって、今日などは、クルマバッタが目の前から飛び立ったばかりに、すぐに蜘蛛の巣に引っかかり、あっという間にぐるぐる巻きにされてしまったなんてこともあり、ちょっと気の毒であったが、自然界、どこで死と隣り合わせているかは判らないものであるということを、改めて感じた。

ところで、草むらをよく観察しながら歩いていると、たまに草のてっぺんの方にとまっていて、なかなか撮影しやすそうなバッタが目にとまる。そして、そのバッタにそっと近付きカメラを構えるが、どうも様子がおかしいことに気がつく。

草にしっかりつかまっている割には、なんだか生気がない。いや、よく見ると、生気がないのではなくて既に死んでいるのである。通常に考えたら、生き物はこういう死に方はしないものであるが、実はこのように死してなお草にしがみつくバッタの死骸は少なくない。どうやら、昆虫病原糸状菌に侵された個体であると思われる。

バッタにこのような死に様をもたらす原因の菌は、エントモファガ・グリリという糸状菌であり、この菌に侵されると、バッタは草に登り高い位置でしっかり草の茎につかまったままの形で息絶えるようである。そして、その高い位置からは、また、その糸状菌の胞子が、他のバッタを求めてばら撒かれるということになるらしい。

この菌が宿主のバッタにどんな作用を与えることによって、そのバッタが力尽きて地に落ち朽ちるのではなく、草を登りしっかりそこにしがみつくように仕向けるのだろうか、たいへんに不思議なことではあるが、だいぶ涼しい風も吹くようになってきた初秋の野では、あまり人目に触れることもなく、そんなことも起こっているのである。

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アリの土盛り(その2)

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~不思議な行動の意味は?~

前回の続き、アリの土盛りの話である。アリが少し大きめの食物を発見し、これを搬出する際に、食物に覆いかぶせるような土盛りをしているようにみえるが、これはいったいどういう意味があるのかということだった。

子供の頃から不思議には思っていたのだが、一方で、あまりに普通に見かけていたためか、当たり前の習性のようにも感じていて、調べたこともなかった。
そこで、まず手許のいくつかの書籍をあたってみるが、それらしい記述はまったく見当たらなかった。
アリの生態といえば、まず、社会性のある営巣システムが大テーマであって、ほとんどの紙面がこれに割かれている。

やむなく、ネット上を検索してみるが、探し方が悪いのかソースに信頼性のないものまで含めても、この点に触れたものは多くは見当たらない。数少ない記述の中から、要点だけ拾ってみると。

①多数のアリが食物の周囲を取り囲むように活動する際に、土が外周に寄せられる跡である。

②アリは、清潔を保とうとする本能的志向が強く、活動範囲内に腐敗物と認知されるものがあると砂を掛けて封じてしまう。死臭を放つ死骸は、彼らにとって腐敗物に過ぎない。

というような趣旨の記述が少数ながら見つかったくらいである。いずれも各筆者が質問に答えるような形で受動的に書かれたもので、主体的に記載したものではないにしても、実観察した状況とはあまりにかけはなれていて、失礼ながらおよそ満足のいく回答とはいえない。

①説は、そもそも、今回のセミの幼虫の亡骸解体はコンクリートの上で始まったのであるから、これほど多量の土は偶発的結果によっては集まりようもなく、アリがわざわざ運び込んだものであることは明白であるので肯定できない。おそらくは、下地が土の場合でもまったく同じであると思われる。

②説は、実例では、最終的にセミの幼虫の肉質部分がすべて持ち去られていることだけからしても、アリたちは対象物を、あくまで食物とみていると思われ、食物でないとしても利用できる有用なモノであるはずで、腐敗物と認知する前提に明らかな誤りが認められてしまう(清潔志向を持っているという前提自体は正しいと思う。)。

そういうわけで、人の知識を借りようとしたのであるが、思いのほか難問であったのであるが、私は、次いで、長男に意見を求めてみた。
すると、当然のような顔で即答が返ってきた。

彼がいうには、アリは自らの巣まで直ちに搬送できないサイズの食物を発見すると、これを確保するために、自分達を識別し得る特定成分のフェロモンを付着させた土を掛け、他の採食者を排斥しようとするのだという。いわゆる「つばを付ける」ということか。

なるほど、アリの社会行動の根幹は、このフェロモンの交換による情報伝達によっているのであるから、あり得そうな話ではある。ようやく、一理ありそうな説を得たが、はたしてこれは、どこから仕入れたものであるのか。

ところで、例のアリの土盛りには、その後雨が掛かってしまったが、数日して、これが乾いたころ、残った土盛りの跡を調べてみると、中には既にセミの抜けがらさえ残っていなかった。あのセミの外皮さえも食す又は利用し得るというのだろうか。

アリも種類が少なくはないから、種によって違いもあるのだろうと思う。結局、今回は疑問を呈しただけで終わってしまったが、今度、機会をみつけ、この「つば付け説」を一応の目安として、その検証をしてみたいものである。

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アリの土盛り(その1)

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~格好の餌食に黒山となるアリたち~

夏の夕刻、セミの幼虫が羽化のために地上へ現われる。羽化が始まったまではよかったが、運悪く木から転落してしまったりすると、アリがいち早くこれを発見し、たちまち黒山のように集まってきて餌にして、セミはそこで息絶える。子供のころ、大変に切ない思いで見てきた光景であった。今となって見ても気の毒ではあるが、セミだけを特別視することもなく、淡々と自然の摂理であると整理しているが、ここに子供のころから変わらない不思議が残っていた。

セミの幼虫がころがり落ちた場所は、建物の軒下にあるコンクリートの土間の上だった。そこで、セミの幼虫の亡骸に黒ゴマをまぶしたかのごとくアリたちが取り付いて、解体作業が始まる。

さて、しばらく哀れな思いでその様子を観察してから数時間後、再びその進行具合を見に行くと、現場はちょっと様子に変化がみられた。

セミの幼虫の亡骸は、既に内部の肉質部分はある程度持ちだされているのかもしれないが、半透明の堅い外皮の中まではよく見えない。とりあえず外観では先ほどとあまり変わったようにはみえない。しかし、周囲の様子が一変している。

アリは、相変わらずおびただしい黒山をなしているのであるが、セミの幼虫の亡骸の周囲には、いつしか土盛りがされている。はて、この土盛りはいったいなんであるのか。

今回、観察したアリは、トビイロケアリである。どこの住宅地でもごく普通に見られるアリのうち、やや小さめで茶色いアリである。もう少し大きめで黒灰色のクロヤマアリとともに、最も普通種の一種だといえる。

ここでアリの食料となったのはセミの幼虫の亡骸であるが、過去に幾度となく見てきた同様の観察例を考えれば、対象が他の昆虫であろうと、ミミズであろうと、子供が落としたアメ玉であろうと、アリにとって、ある程度大きさのある食料ならば、この状況は、みな共通している。

また、さらに数時間後、土盛りは、セミの幼虫の亡骸をすっぽり覆ってしまい、外からみると、ただの小さな砂山になってしまった。

そして、2日後、そっと土盛りを崩し、中の様子を伺ってみると、案の定、セミの幼虫の亡骸は、外皮だけを残して、文字どおりセミの抜けがら状態になり、中身は運び去られている。崩した土盛りの中にはアリがほんの数匹、残務整理でもしているかのように散らばって見つかる程度で、もはやあの活況はなくなっている。

この、アリが食物に土を盛る現象?、習性?、はたまた行程は、いったいどういう意味があるというのだろうか。
(つづく)

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構造色

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~微小構造が生む不思議な色~

沢沿いを歩いていると、キラキラとまぶしい水面の反射のなかにひらひらと翔ぶ昆虫のシルエットが目に映った。

ひらひらとした翅の動きはまるで蝶のようであるが、飛翔軌跡は蝶とは違い線形的であり、そのシルエットがトンボのものであるとわかる。翅の大部分は黒っぽく色が付き、後翅だけが、トンボとしてはやけに幅広く、対して、胴は短い。
比較的、自然の保存度が高い川に住むチョウトンボである。

子供の頃の私の家は、平地の住宅地の真ん中にあり、多様な生き物との触れあいの場としては、せいぜい住宅地周辺の、遠からず埋め立てられてしまうであろう田んぼが残っていた程度で、チョウトンボを見ることはなかったから、たまに山際にあった父の生家に遊びにいった時には、よく、裏手の小川でこのトンボの姿を追ったものであった。

チョウトンボの翅の色はといえば黒なのだが、同様に黒い翅をもつカラスアゲハなどとも共通する美しい翅の輝きを持っている。見る角度によって青や緑の金属光沢を放つこの色彩は、構造色といって翅そのものの色ではない。

昆虫には、ほかにもタマムシやコムラサキなどのように、見る角度で美しい光沢を見せるものたちがいる。CDやDVDなどの、オプティカル・ディスクに見られるあの虹のような色彩もこれと同種であるのだが、翅がもつ微小な構造が起こす光の回折と干渉によって生みだされた色彩である。

光は、波の性格と粒子の性格を併せ持ったような進み方をする。一般的には直進的で理解しやすい粒子っぽい性格が現れているように見えるが、ときに回折や干渉といった波動ならではの進み方も見せる。

小さな穴を光が通りぬけると、粒子の性格だけならば、穴を抜けた粒子だけが、そのまままっすぐ進むところであるのに、ここで、波の性格が出て、穴を抜けたあとの光は、そこから広がるように進む。小さな構造物からの反射でも同じ事が起こり、これらを「回折」という。また、波でもある複数の光が、互いに重なって強めあうことや、逆に打ち消しあうこともあって、それを「干渉」という。

それらの光の性質をここで詳しく述べるつもりはないのであるが、ともかく、チョウトンボの翅にある無数の微小な凹凸の構造によって、反射光が回折と干渉によって、一定の方向から見ると、特定の波長の光だけが集まって強められ、あの青い光沢を見せるのである。

では、はたしてそのような微小な構造をなして、こういった色彩を発することの意味はなんであるのか。なぜ、このような構造を形作るに至ったのか。このへんが、生物の最も不思議な部分であるのだが、もちろんその答えは用意できない。

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八重山を歩く(5) カラスアゲハとカラス

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~青さが引き立つ~

前回、八重山の蝶としながらマダラチョウの話だけで終わってしまったが、もちろんマダラチョウのほかにも様々な蝶がいる、一つ一つよくみるとみな目新しい。そもそも、蝶だけでなく、生き物全般にわたって、普段、本土で見かけている種とまったく同じ種の生き物を捜す方が難しいくらいで、動植物の構成が総入替えとなっている感じである。
とはいっても、まったく違う種ばかりではなく、本土の種の亜種も多い。

山の入口の木陰にオレンジの目立つ花が咲いていた。この花を眺めていると、大きなカラスアゲハがやってきた。それまでの短時間のうちにも、カラスアゲハは各所で見掛けたが、それはやや遠目からであった。

しかし、間近で見ると、どうもいつも見なれたカラスアゲハとは違う。また林道でよく見る、より美しさの増したミヤマカラスアゲハとも違う。本土のカラスアゲハよりやや小ぶりで派手ではない感じだが、後翅には、まるでこの島の珊瑚の海以上に青いコバルトブルーの光を放ち、全体にエメラルドグリーンの星を散りばめたような輝きを持った美しいカラスアゲハである。

この蝶はカラスアゲハの亜種のヤエヤマカラスアゲハで、八重山特産のようである。沖縄本島周辺のカラスアゲハもオキナワカラスアゲハという別の亜種とされるようである。

ところで、少々話がはずれるのだが、同じくカラスでも鳥のほうの烏。もちろん、これがまた同じようで違う。本土と同じようなところに、同じように出没するのではあるが、近くで見ると、どうもやけに小さいことに気づく。

小さめなハシボソガラスかと思ったが、これはオサハシブトガラスという別亜種である。こちらは、蝶のように、エメラルドの光沢がどうのこうのというようなことはなく、大きさが違う程度ではあるが、一見、同じに見えるあたりまえのような鳥であるのに、よく見たら違うのでびっくりした。

八重山では、このように様々な生き物が微妙に違っている。
やはり、小笠原や八重山は、同じ日本でも動植物の相でみると、本土と同一エリアではないのだなあとはっきり感じる。
(つづく)

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八重山を歩く(4) 八重山の蝶

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~最も目についたスジグロカバマダラ~

石垣島には、いたるところで蝶が舞っていた。大きめで、かつ、活発に飛んでいる

日本の生物の地理的な分類上において、鹿児島と屋久島の間又は屋久島の南のトカラ海峡とには重要な境界がある。前者を三宅線、後者を渡瀬線と呼び、ここを境に南北では生息する生物の種の構成に大きな差があって、昆虫では主に三宅線を境界とし、他の多くの生物では渡瀬線が適用されることが多い。

爬虫類や両生類などは、移動能力がかなり乏しいので、海という地理的な障害が持つ意味は計り知れないことは言うに及ばないが、飛翔力を持ち、移動能力と繁殖力に優れた昆虫や鳥類の仲間にして、そのような境界が認められるのだからなかなか興味深い。

さて、その三宅線又渡瀬線より南の琉球列島(南西諸島)は、世界的な視野で生物をみたときの地理的分類区としては東洋区と呼ばれ、熱帯系の生物層が顕著であるが、そこに住む蝶もまた、ふだん関東周辺にいたのでは、まず見かけることはない熱帯系の蝶たちで、色彩や姿の優雅さと珍しさを楽しませてくれる。

石垣島に訪れたのは5月初旬で、特に目だったのは、マダラチョウの仲間だった。マダラチョウといえば、いつも出かける林道でも、アサギマダラの姿は見ることができるが、本土でみられるマダラチョウはそれくらいであり、八重山には定着しているものだけでも6種のマダラチョウの仲間がいるようである。

マダラチョウの仲間は、ふわふわと綿のように軽く、とても優雅な翔び方をしていて、見ているこちらをおおらかな気持ちにさせてくれる。翅の形状がすっきりと整ったものであるためか、それほど大型の蝶という印象はないが、実際にはアゲハの仲間と同じくらい大きい種が多く、軽やかに林間を翔んでいる様はよく目立つ。

ところが、マダラチョウの仲間が目立つ上にゆったりのんびりと翔んでいても、鳥などの捕食者に襲われることはあまりない。それは、この蝶の仲間は植物から採り込んだ毒の成分だけを体内に蓄積させていて、食べるとひどくマズイという記憶を鳥たちに植えつけることに成功したからだという。

なるほどと思うかもしれないが、絶対的な正解と、簡単には決めつけない方が無難かもしれない。体内の毒の蓄積までは実証できるが、一方の捕食者の方となると、一個体がそのマズイという記憶を生涯持つことも確実とはいえないが、それ以上に、このような体験から獲得した記憶が、文化のない生物において次世代へ伝えられる仕組みがあるのかないのか不明である。現在のところ、こういった後天的に獲得された事項は遺伝には馴染まないのであるから。

生物の不思議な部分はあまりに多くて、そのほとんどには、推定的な正解しかまだ用意されていない。
(つづく)

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八重山を歩く(3) キシノウエトカゲ

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~日本最大のトカゲ~

さて、石垣島のヤシの群落をより奥へと進んでいくと、ヤエヤマヤシは一層深くなり、それ以外の樹種がほとんど見当たらずに周囲の視界がヤシで埋め尽くされてしまうほどの群落の中枢部とも思えるところに出た。
頭上を見上げると、ヤシの葉のあい間からのぞけるまっ青な空とまっ白い雲がまぶしい。

ガサッという音、今度は、先ほどのイシガキトカゲとは明らかに違う重量感のある音がした。すぐさまそちらを振り向くと、やや大きめのヘビ類程度の頭を持った爬虫類が倒木の隙間に消えていくのが一瞬だが見えた。ほんとうに一瞬であったので、目に映った姿は、頭と胸部までは150cm以上はありそうな立派なヘビのような体格であるのに、それにしては、胴長は40cmくらいと極端に太く短いヘビに見えた。

まあ、絵にしてみれば、いわゆるツチノコというやつになってしまうが、目に映ったのは一瞬のことであったし、また、動きがかなり早かったため、足が見えなかったのであって、常識的にはこれはトカゲなのだろう。しかし、そうだとすれば異常に大きい。一体何者?

なにしろ、ここは動物園や水族館の爬虫類コーナーではなく、まったくの自然環境の中である。そんなに大きいトカゲにはお目に掛かったことはない。再度、姿を確かめようと、一緒に歩いている妻にも声を掛け、その爬虫類が消えていった倒木の隙間のほうを見守った。

しばらくすると、ゴソッと音がして、運よくそいつは再び表に現れて来てくれた。いやはや、びっくりするほど太くて大きいトカゲである。
もちろん、世界中にいるトカゲの仲間には、コモドオオトカゲのような真に巨大なやつもいて、飼育下ならば、そういう大トカゲも何度もみてはいる。

しかし、いくら南西のはずれに位置するとはいえ、石垣島も国内の島には違いない。緑色の細長いトカゲなら、目新しさはあってもさほど驚かなかったと思うが、これにはかなり驚いた。

八重山、宮古の両諸島に固有の種にして、全長40cm超という日本最大のトカゲ。日本にいく種もいるスジトカゲ属の盟主のようなこのキシノウエトカゲは、準絶滅危惧種で天然記念物でもある。イシガキトカゲと色形は似ているし、ほぼ同じところに住むが、とにかくその大きさや重量感が圧倒的に違う(上の画像では残念ながら比較対象物がなく判りずらいかもしれません)。

地元の方に聞いてみたところによれば、かつては家屋周辺にもよく現われ、「オカノウエトカゲ」と呼んで親しまれていたが、近年さっぱり見られなくなってきたので、見られたのは幸運だったということだった。

これほどの存在感。うっすらと図鑑の写真が脳裏にあったくらいで、ノーマークだった。こんな主要種の存在を軽視していたとは、国内の生き物にはかなり自信のあるつもりだったのに、琉球方面にはやや手抜きがあったのだろう。八重山の自然の奥深さに恐れ入った次第である。

(つづく)

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八重山を歩く(2) イシガキトカゲ

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~ちいさなニホントカゲのなかま~

しっとりとした空気に包まれているヤシの繁る山の中を歩いていく。大きめの蝶も気持ちよさそうにふわふわと舞い、ヤシ群落の中は必ずしも暗い森ではない。

ふと、足元のすぐ近くから小さくカサコソっと、枯れ枝や落ち葉を分けて、明らかに何かが歩く音がするのに気が付いた。

強く興味を持つものに対しては、誰しも五感がよく働くものである。私も普段の視力・聴力自体に自信はないのだが、生き物の動きや気配となるととたんに過敏になる。

いま、音が聴えてきたあたりを注意深く観察すると、地に積もった枯れ葉の一部が時折揺れ、その揺れる位置が少しづつ動いてゆく。どうやら、枯れ葉の下を断続的に歩いて移動していくトカゲのような生き物がそこにいるらしい。

この八重山のヤシ群落に住むトカゲ、はたして、どのような姿を見せてくれるだろうかと期待して、さらに観察を続けた。

そして、しばらくじっとしていると、ようやく枯れ葉の間から頭をひょこっと上げたトカゲの姿を確認できた。

ただ、それは、なにか目新しさを感じるようなトカゲではなく、普段我が家の庭でも見かけるニホントカゲと、色合いもあまり変わらず、違うとすれば、成体にしては少々小さめかなという程度のトカゲだった。

おそらくイシガキトカゲだろう。ニホントカゲを代表とする日本産のスジトカゲ属の仲間のなかでは最も小ぶりな種である。

「成体にしては」といったのは、そのトカゲは、体全体は褐色であり、そこに薄い黒スジがあるという外見であって、スジトカゲ属の仲間に共通した幼体の特徴といえる尾部を中心としたきれいな青色は見られなかったからである。

幼体の青色が残るうちは、このトカゲは小さめなこともあって、「宝石」の称号があるくらい綺麗であり、また、成長しても結構いつまでも青色が残るようであるが、すっかり成熟した親になると地味な色で、まあ、こうした生き物に興味がなければ、この八重山の地で見掛けたとしても、ああ、トカゲか・・・でおしまいなのかもしれない。

ところどころに午後の太陽の木もれ日が落ちるヤシ群落では、相変わらず、ふわふわと時折蝶が舞い、のどかな時が流れていた。そんな中で、しばらくはこのトカゲの仕草を見守った。

八重山を歩く(3)につづく
八重山を歩く(1)にもどる

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シュレーゲルアオガエル

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~土の中から出てきた土色のアオガエル~

4月~5月の春の宵、水が満々と張られた水田は、なにもかもみずみずしく、わたる風も爽やかで、その風に乗ってコロコロコロと聞こえてくるカエルの声と、まさに日本の原風景ともいえるような景色と音に包まれる。

特にまだ田の土が起こされてそう間もない桜の咲く頃の月の晩、「月」「夜」「カエル」そうした情景を歌った童謡が、心の中でオーバーラップするのだろう。なんともいえない安らぎを覚える。幼いときに見た童謡の絵本の挿絵が、脳裏に焼きついているのかもしれない。自分の無意識の中に浮かぶイメージは、おそらくその頃に見た挿絵そのものなのだろう。そういった意味では、絵本の挿絵というものが心に落すの影響というのは、思いのほか大きいものだと感じる。

さて、この「コロコロ」の声の主であるシュレーゲルアオガエル、声は超有名なはずなのだが、非常に知名度は低く、その姿も一般にはあまり知られず、存在をよく知っており図鑑で何度も見たことがある人でも、自然の中で見ることはそれほど多くはない。実際、興味を持って探しても簡単には見つからず、アマガエルやアカガエルを見つけるようにはいかないのだ。

このカエル、普通は緑色をしている。一見したところアマガエルにそっくりであるが、アマガエルならば目の前後に黒線が走るが、シュレーゲルにはそれがない。そして緑色の質はややエメラルドに近い。もう1種、近縁で同系色の種にモリアオガエルがいて、こちらのほうが名前のとおりアマガエルよりもずっと近縁であるのだが、モリアオガエルはやや大きめのカエルであり、目も赤いので判別はたやすい。

シュレーゲルアオガエルは、通常の季節には森に住むが、春の繁殖期には、主に谷あいの田などに出てきて暮らしている。そして、あの素晴らしい鳴き声を聞かせてくれるのではあるが、いくら探しても簡単には姿は見えない。それは、このカエルが、水田では土の中に潜って繁殖行動をしているからで、しかも非常に足音に敏感であり、鳴き声を頼りに近づこうとしても、10mほどまで近寄ったかと思うとピタリと鳴き止んでしまうのである。

今日は、たまたま農家のおじさんがトラクターで田を起こしていて、その音で私の足音が聞き取りづらかったのかもしれない。すぐそばから鳴き声が聞こえてきたので、見当をつけて土をひっくり返してみると、はたして、そこに土色に体色を変色させたシュレーゲルが潜んでいた。

通常時の緑の体色(四季の扉)

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ムクドリ

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~仲良く散歩する椋鳥のつがい~

ムクドリは、そのへんに当たり前にいる鳥だというふうに感じられるだろうし、実際、人家の周辺には、多くのムクドリが棲息している。

ところが、林道のような自然豊かなところでは、いざ、ムクドリの写真を撮ろうとしてみると、これがまったく撮れないのである。

姿を見かけないわけではない。いや、むしろ、最も見かける鳥の一種かもしれないが、その姿に気づく時というと、決まってバサバサっと羽音のしたほうに目をやったとき、目立つ腰のあたりの白羽だけを強く印象に残して飛び去ってゆくムクドリの後姿ばかりである。
いまでは林道で、ムクドリのことを私は「腰白」と呼んでいるほどである。

一方、ムクドリは、平地の人里に多く、街中の公園や庭園などにも、多くの姿を見かける鳥である。都会での観察にはまったく苦がなく(※)、地面を歩き回って昆虫などの小生物を食べる姿をよく観察できる。なお、秋~冬には、木の実を好んで食し「ムクドリ」という名前は、椋の木の実を好んで食べるため「椋鳥」と呼ばれるようになったとも言われるくらいである。

群れで生活する時期(繁殖期の後)があり、かなりの広範囲から、街路樹などに数百、数千ものムクドリ集団で集まってきて、ねぐらとすることがあり、これが、騒音や糞害として問題になる場合さえある。

ところ変わると、生き物の生き様も大きく変わるものである。

※都会に棲息する野鳥は、みな、自然豊かな場所よりも、都会での観察のほうがはるかに簡単である。カワセミなどもまさしくその好例である。人間の気配というものに馴れていて、相当に近づいてもなかなか逃げないので、撮影チャンスが多い。上の画像も都内の公園で目の前にいたつがいである。私の自宅周りでは、とてもではないがこの間合い(APS-Cの200mm)には入り込めないのである。このあたり、なにか、ちょっとすっきりした気持ちにはなれない。

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イタドリハムシ

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~派手模様のかわいい小虫~

林や野原の周辺にイタドリが育ってくる4月ごろを中心に、よく目立つこのイタドリハムシは、この時期の甲虫のなかではお気に入りの昆虫である。

光沢ある黒色の体色に鮮やかなオレンジや濃黄色のコントラストの強い模様が鮮やかである。

一見、大き目のテントウムシのようでもあり、確かにチョンと体に触ったりすると、手足を丸めてコロリと死んだ振りをするところなどもよく似ているが、葉を主食とするハムシの仲間にあって、ヒゲナガハムシのグループに属しており、その特徴である長い触覚が、テントウムシとの違いをはっきりアピールしているように立派であり、どうもご本人もそれがとっても自慢であるかのように威張っているように見える。

食性はまったくの雑草であるイタドリやスイバの葉が専門であるようなので、農作物を荒らすウリハムシなどのように人に嫌われることはないだろうが、イタドリやスイバ自体が以前のようにそれほど多くはなくなったので、近年、以前ほどは見かけなかった気がするが、出足の早い今年の春は、2月から既に出没し、この頃はずいぶんよく見かけるようになって、ちょっとうれしい。

ただ、不思議なことにこの虫は、イタドリやスイバの葉についていることよりも、そのへんの路上をノコノコ歩いているところを見かけるほうがずっと多いような気がする。見た目がかわいいから、家や田畑周辺の道で歩き回っているのを見かけると、立ち止まって踏まれちゃうよと話しかけてみるが、もちろん何ら反応はない。

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ヒヨドリ

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~畑のかわいい嫌われ者~

この秋から冬にかけては、果実などの実りが悪かったのだろうか。

ナンテンやマンリョウなどの庭の赤い実が、ヒヨドリにことごとく食べられてしまう。確かに玄関脇のピラカンサの赤い実は、毎年実るはしから食べられてしまうのだけれど、ナンテンまではそれほど食べなかったと思うのだが。

そういえば、この秋には、近隣の銀杏は皆無に等しかった。よく注意していなかったけれど、そうした野山の果実の凶作は野生の生き物には死活問題。どうもこの冬の人家周辺への野鳥の出没頻度が多いような気がするのも、そういう理由があって単に気のせいだけではないのかもしれない。

ヒヨドリは、日本の各地に普通に分布している鳥で、本州以南では留鳥、北海道だけは夏鳥で本州に渡る。
生活範囲は低地や低山帯の樹林で、人家周辺や公園などでも樹木が豊富なら繁殖する。

食性は夏は昆虫などの肉食中心であるが、冬は果実や種子などの植物食が中心となり、春にはサクラの花の蜜を吸ったりもする。スズメのように花ごと落してしまうことはなく上手に嘴を差し込んで蜜を吸う。しかし果実は大好物であるから、庭の果樹や果樹園には、かなりの悪さをやってくれる。まあ、彼らの立場で見ればいたしかたないのも事実ではある。

そうしたわけで、人に敵意が感じられるからなのか、比較的注意深く、あまり傍には近寄れないが、ギャアギャアと喧しく鳴くこの鳥も、よくよく見ると、黄色い口元に赤い頬と、なかなか可愛いものである。

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ジョウビタキ2

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~振り返る目線が可愛い~

冬になって、野鳥たちを見たり撮影する時間が大きな楽しみになっている。

ジョウビタキについては、以前にも書いた。派手ないでたちで縄張り意識も強く気丈なオスの画像を貼って、それに比べてメスはもっと優しく可愛いイメージと書いたが、今回はそのメスの画像を貼ってみた。

どうだろうか、小さな野鳥で、ここまではっきり雌雄の性格の差を感じるものは少ないかもしれない。おとなしめの地味な色でありながらも、ホワッとした柔らかそうで温かみのある羽毛の色も、クリッとしたつぶらな目許も、まさに可愛いというほかない器量ではないだろうか。

チッチッっと鳴くオスと比べて、小さくクックッと低く鳴くメスは、地味な羽色であることもあって目に付きづらく、野鳥探しをしていても、気づいたときには、自分のすぐ傍にいて驚かされるということも多い。

それにしても、こんなに小さく可愛らしいのに、春になるとまたサハリンや中国へと渡って行くというのだから、野生の生き物たちの力は底知れない。

前回ジョウビタキについて書いた1年近く前には、機敏で正確なAFを備えた超望遠レンズが欲しいと書いたが、なんとかそれらしきものを手に入れることが出来たので、この冬は、幾度となく撮影の機会があってうれしい。

関連記事>ジョウビタキ(1)
画像>四季の扉「ジョウビタキのメス」

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カマキリの産卵

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~これが最後の産卵になるだろうか~

我が家の庭で、初冬となってもときおり姿をみせ、活動を続けていたオオカマキリのメスが、今日はヤツデの樹上に産卵していた。何回目の産卵になるのか、季節から見て、おそらくこれが最後になるのではなかろうかと思われる。

カマキリは一度卵を産んでも、餌をとって栄養を蓄えれば、また産卵を繰り返すことができる。カマキリの産卵方法であるふかふかの卵の入った塊のようなものを「卵のう」(※注)というが、カマキリは生涯にその卵のうを3、4回形成して産卵をするようである。

メスの卵巣にはかなりの数の卵があるらしく、卵のうには200個くらいの卵が入っているようであるが、その卵のうを20個ほどつくれるくらいの卵が卵巣に保存されているともいう。

そして、実際にどれだけ卵のうを残せるかというのは、産卵の間に摂れる餌の量で決まるようであり、卵のうの大きさも栄養や、また産卵回数によっても変わってくる。

そういう要素もあってか、冬になってから今日産んでいた卵のうはちょっと小さめのものに感じられた。

※注:両生類(モリアオガエルやサンショウウオ)やクモの仲間には卵のうを産むものが多い

【カマキリの関連記事】
カマキリのたまご (卵、幼虫について)
カマキリの幼虫(幼虫、卵を産む高さと積雪の関係)
3匹のカマキリ(オオカマキリ、コカマキリ、ハラビロカマキリ)
カマキリの共食い(オスはメスに食われないこと)

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モズの高鳴き

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~高鳴きをしているオス(左)とメス(右)~

秋も深まり、空は抜けるように蒼くなってきた。雲はベールのようにたなびいて、いっそう秋らしさを増す。

その抜けるような秋の空にそそり立つ樹の先端「キィーキィーキィー」というよく通る鳥の声が聞こえてくる。
モズの高鳴きである。

小さな姿ながら、攻撃力のある体を持ったモズが、自分のなわばりへの侵入者に対して発する威嚇の声であるり、秋から冬の風物詩でもある。

モズは繁殖期には一夫一妻で仲良く子育てするが(注)、秋から冬にかけては、オスは単独のなわばりを持ち、メスを排除する。メスはメスで、あまり良い環境とはいえないところに追いやられるが、それでもそこでなわばりを構え、雌雄ともに高鳴きでなわばりを主張する。

モズは狩をする鳥であって、繁殖時以外は自分のなわばりの中で孤高なハンターとして過ごすということになる。体は小さいが、クチバシは猛禽類のように肉を引き裂くのに適した形であり、獲物の急所である頭や首などに噛み付いて、確実にしとめる。カエルやトカゲなどを捕らえることは、はやにえ(木の枝に獲物を刺す行動)などでよく知られるが、時には自分より大きな鳥さえも一撃でしとめてしまう。

ところで、ここで使った2枚の雌雄のモズの写真。あまりいい写りではないのだが、これを使ったのは、この2枚が実はほとんど同じ場所にある樹のてっぺんを写したものだからである。メスの画像は昨年の秋、オスの画像はこの秋撮影したものだ。オスがなわばりからメスを追い出すから、メスは少し悪い環境でなわばりを作ると上に書いたが、同じ場所でも年によって環境価値が変わる又は環境がランクアップしたのだろうか、それとも単なる好みや偶然か。

(注)モズはつがいで仲良く子育てをするものの、調査によると子をDNA鑑定すると、約10%はつがいのオスの子ではないらしい。

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カマキリの共食い

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~カマキリのオスは本当に子孫繁栄を願って死んでゆくのか~

朝の散歩から帰ってくると、玄関先でお腹の大きなオオカマキリのメスが、カマキリの残骸らしきものをくわえているのに出会った。「おいおい、やっちまったね」とオオカマキリに声をかけ、その真下の地面を探してみると、そこには確かに紫色のオオカマキリの後翅が落ちていた。
落ちている翅はかなり大きい・・・もはや、確かめるすべはなくなっているが、おそらくこれはメスの翅であることに間違いない。

よく「カマキリは産卵するために、交尾したあとメスがオスを食う」と言われる。そしてさらに、産卵前のメスが栄養をたっぷり取ることでいい卵が産み落せそうだからであるのか、「いい子孫を残すためにオスは犠牲になるのだ」とまでもいわれる。しかしながら、実はそれは正しくはない。

カマキリは、「共食い」という行為自体は確かにする。それは、朝、私が見たとおりである。けれども、カマキリにとっては、共食いもへったくれもないようで、「動くものなら何でも喰らい付く」のが真相である。

飼育下で、繁殖させる目的で雌雄をいっしょに飼うと、どうしても狭い環境下にあって逃げ場のないオスは、体の大きなメスに食われてしまう。それが先の迷信的な誤認の原因であると思われるが、実際のところ、自然界においては、カマキリのメスがオスを食べてしまうことは、メスがメスを食べてしまうことよりかえって少ないようである。メスのほうが丸々太っているから、動きは鈍いのは確かだろう。

オスは、交尾するときにも、メスに食べられないようにうまく近づく方法を知っているようであるし、普段の生活時には、カマキリはそれぞれの場で活動し、なかなかカマキリ同士が近づくということはないうえ、広い自然の中においては、たまたま出会っても、それなりにうまく逃げているようだから、共食いはそうそう頻繁にあるということでもないようである。

カマキリのオスが子孫のため、わが身を糧にするという話は、なかなか興味深そうな話ではあるけれども、自然界はそんなに人情深くはないようだ。

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3匹のカマキリ

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~樹上で構えるオオカマキリ~

我が家の庭に、3匹の種類の違うカマキリがいて、それぞれがいつもだいたい決まったところでじっと身構えている。全部で3匹だけではないと思うが、今年はこの3匹がやけに目だって目に入る。

3匹は、オオカマキリ、コカマキリそしてハラビロカマキリの3種。それぞれテリトリーが違っていて、狭い庭でも競合することなく棲み分けているようだ。

気の荒いカマキリではあるけれども、よくよく見れば、その仕草もちょっと可愛らしく見えるものだ。とくに比較的小型のコカマキリやハラビロカマキリなどは、威圧感もさほどないだけに、鎌を振り上げてこちらを威嚇してみても、なんだかたかが知れててむしろ撫でてやりたくなってしまう。

オオカマキリは、かなり強力。様々な昆虫ばかりでなく、時には小さなカエルやトカゲまでも鎌で捕らえて食べているのを見ることもあるほどだ。
よく似たカマキリ(チョウセンカマキリ)に比べると、体がすこし大きくて、後の翅が濃い紫色をしているのと、鎌の付け根の間に黄色い部分のあるのが特徴である。

ハラビロカマキリは、明るい緑色の体色で、その名のとおり腹はちょっと太めである。鎌の付け根に、黄色いイボ状の突起がいくつかあるのが特徴で、樹木にいることが多い

コカマキリは、たいてい体が茶色系で小さく細めである。鎌付け根の内側に黒白の班があるのが特徴で、地表を歩き回っていることが多い。

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~コカマキリ~            ~ハラビロカマキリ~

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ミヤマカラスアゲハの光沢地域差

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Photo : Nikon E5700
~目を奪われる美しい翅~

先月下旬に栃木の林道で主に蝶・トンボを見てきた。
走って来た見通沢林道ほかの様子は本サイトのツーリングレポートを参照いただきたいが、ここでは、同レポにも書いたが、ミヤマカラスアゲハの光沢について書きたい。

ミヤマカラスアゲハは、黒地の翅に美しい青緑系の光沢があるカラスアゲハによく似ており、更にそれに輪をかけて鮮やかな光沢がある大型のアゲハである。夏の林道では、比較的よく見かけ、水場でオスが大集団で給水しているところなども、よく見ることができる。

このミヤマカラスアゲハの、ときにブルー系、ときにグリーン系の反射光沢色は、経験上、どうも地方によって違いがあるのではないだろうかというのが、レポで投げかけた疑問であったが、いろいろ調べてみようと思ったものの、どうも、その答えにすぐには行きつけそうではない。

ミヤマカラスアゲハの給水は、オスが生殖に必要なミネラルを採るための行動ではないかというのが有力説である(給水行動はオスにしかみられない)。
その給水や幼虫の時に摂取する植物から、その地方の地質が含む、特有の金属元素を体内に採りこむこととなり、それが世代に渡って蓄積し、金属の特長によって発色の作用が出るのではないかというのが、はじめに想像したところであったのだが、よく考えると、蝶の翅が金属光沢に見えるのは、細かい凹凸からの反射によって生じる光の干渉であって、そこに実際に金属があるからというのではないのだから、ここで仮説はいきなり怪しくなる。

そうなると、なんとなくの経験上で決めつけていた地域による光沢色の差異という現象自体が、そもそも本当に存在するのかどうかというところからもう一度見なおす必要がある気がしてきた。
話は降り出しに戻ってしまったわけだ。

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ナナフシ

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Photo : Nikon D200 / AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm
~小枝のような体と節~

先週末、雨の早朝、林道大名栗線(埼玉県)を走ってきた。

天気のほうは生憎でも、車で走る林道は、それなりの楽しみがある。特に春から夏にかけてのこの時期は、とにかく草木の緑が生き生きとして見える。

道にややかぶさり気味の木々の枝を掻き分けながら走り、ときおり気になるところで車を停めては、野外を歩いて回る。いつもながらのわがままな自然探索だが、車のボンネット上になにやら緑の木の枝が落ちている。いや、木の枝ではなく、そのように見える昆虫、ナナフシだった。

どうも、木々を分けて走るときに、ボンネットの上に振り落としてしまうらしい。一回でなく何回も同じようにナナフシを見つけることが出来た。ずいぶんたくさんいるものだ。

せっかく木の枝でのんびりしていたものを、ごっつい車で振り落としてしまってかわいそうなので、つまんで木の枝に乗せてやると、その場であっという間に擬態モードに入ってしまった。
まあ、見事に木の枝のように振舞ってはいるのだが、なにぶん自分がつまんで放った場所なのだから、いくらなんでも木の枝はでなく、ナナフシそのものに見えるから滑稽なばかりである。

ナナフシがこうして木の枝に擬態していることは、よく知られているところだが、ナナフシの卵というのが、また著しく木の実に似ているということはあまり知られていないだろうし、見たことがある方も少ないのではないだろうか。

ナナフシは不完全変態の昆虫で、カマキリのように、幼虫も成虫とほぼ同じ形態をしていて木の枝に擬態する。つまり、卵から成虫まで、一生通して擬態して暮らしている昆虫なのである。
そこまでしなくても、あまり美味しそうな体つきには見えないのであるが。

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ホタル・房総のゲンジボタル

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Nikon D200 / SIGMA 24mm F1.8EX DG
~左が源氏、右は平家、光の周期が違う~

昨年、ヒメボタルとヘイケボタルのことをここで書いたが、読み返して見たら、なぜかゲンジボタルの題名では何も書かなかった。

そこでというわけではないのだが、昨晩、房総の山中にゲンジボタルを見に行ってみた。林道仲間から生息地の情報をいただいたので赴いて見たが、あいにく時間や天候が良くなかったか、大群生は見られなかった。それでも、数匹のゲンジボタルの力強い光は見ることができた。

房総の各地には、人為的に保護されているところも含めて、まだまだ、ゲンジボタルを観察できる所は残っている。房総のゲンジボタルは、もともと長いゲンジボタルの発光周期にもまして、長々と光りっぱなしが続き、5秒~6秒くらい光っているものも少なくない。

ゲンジボタルは、ヘイケボタルと並んで人に馴染み深いホタルである。旧来に比べてやはりその数を減らしたとはいえ、まさに日本のホタルの代表種であって、その大きさ、明るさからみても、ヘイケボタルやヒメボタルに比べて、堂々として見える。

代表的な3種のホタルの見分け方だが、簡単にまとめると次のようになるだろう。

(1)生息地、見ごろ
ゲンジボタル:流れのあるやや清流。5月終わりごろ~7月初めごろ、関東では7月2日ごろが最盛期になるらしい。19~20時くらいがピーク。
ヘイケボタル:流れの少ない、又は止水、谷津田など。6月~9月と少し遅め。時間はやはり20時くらいか。
ヒメボタル:他の2種と違い、幼虫が陸生なので水は必須ではなく、森の中にいる。時期は5~6月で、21時以降の夜更けでかつ、光がまったくといっていいほど届かないところに出る。

(2)光り方について
ゲンジボタル:明るくゆっくり明滅する。明滅周期は2秒(西日本)~4秒(東日本)。なお、房総のゲンジボタルは、明滅周期がかなり長く、6秒くらい光っていることもある。
ヘイケボタル:やや弱く、明滅の周期は1秒くらいであるが、ひと周期の間にも明るさに揺らぎがあることが多い。
ヒメボタル:フラッシュ状に明滅するので特徴的で分かりやすい。

(3)形状について
ゲンジボタル:15~30mmくらいと大きい。特に大きいのはメスのほうである。背中(胸部)の赤い部分にプラス(+)のような黒い文様があることが多い。
ヘイケボタル:10~12mmと小さい。背中の赤い部分に一本の黒い筋が入る。これを「ゲンジはプラス、ヘイケはマイナス」というらしい。
ヒメボタル:10mmに満たず、かなり小さい。背中の赤い部分の黒い模様は、縦方向に伸びない。

いまキーボードを叩いているパソコンの無線LANカードが、ホタルとそっくりな黄緑色の光を点滅させている。長く安定したこの光り方は、さしずめゲンジボタル系といったところである。

※画像は、左のゲンジボタルは房総山中、右のヘイケボタルは、我が家の近くの谷津田での撮影)

※過去の関連記事
ホタル・房総のヒメボタル
ホタル・近場のヘイケボタル

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ゾウムシ・葉上の競演

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Photo : Nikon D200 / Tokina AT-X M100 PRO D F2.8
~よくよく見るとなかなか楽しい虫~

ゾウムシの仲間の特別に種が多い
世界中で7万種以上の種を抱え、おそらくは生物界にあって最大の分類群なのではないだろうか。

熱帯雨林の詳細な調査をすれば、この種の数もどこまで伸びるかわからないというのは、他の昆虫群でもよくある話だが、そんな彼の地でなくとも、われわれの身近な山の周りにも、まだまだ新たな種が簡単に潜んでいるというような、ある意味ではとても興味を引きやすい昆虫群である。
ところが、実際にはあまり知れ渡った昆虫とはいえない。みたところ、クワガタやカミキリのような派手さはないからだろうと思うが、普段見過ごしがちな、この小さな甲虫をよくよく見ると、なかなか楽しい昆虫であることに気が付く。

家をちょっと出て、沿道の低木の植樹にからんだクズの葉を注意深く見て見ると、もうそこには、何種ものゾウムシが、それぞれの生活史を築いているのを目にすることが出来た。そこで目に付いた、ゾウムシたちを紹介してみる。
ここに紹介したゾウムシたちは、本当にごくごく普通種で、たいていのところで誰でも見られるものばかりなので、機会があったら、ちょっと葉の上に視線を移してみてはどうだろう。

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Photo : Nikon D200 / SIGMA 15mm F2.8EX DG Fisheye
シロコブゾウムシ(13-17mm扉画像も本種である

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Photo : Nikon D200 / Tokina AT-X M100 PRO D F2.8
オジロアシナガゾウムシ(9mm)

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Photo : Nikon D200 / Tokina AT-X M100 PRO D F2.8
コフキゾウムシ(5mm)

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Photo : Nikon D200 / Tokina AT-X M100 PRO D F2.8
ハスジカツオゾウムシ(11mm)

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テントウムシのさなぎ

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Photo : Nikon D200 / Tokina AT-X M100 PRO D 100mm F2.8
~太陽熱を利用する蛹~

テントウムシは、葉の先端までたどり着くと、翅を広げて空に向かって飛んでゆく、太陽に向かって飛ぶから「天道虫」と書くのだろうか。その辺はよく知らないが、太陽の位置をはっきり認識した行動があるのは事実のようである。

上の画像は、よく見慣れた、テントウムシの成虫の姿ではなく、その「さなぎ」の姿。テントウムシは、春から秋まで羽化の時期はさまざまだが、蛹を詳しく観察してみるとおもしろい特性を持っていることがわかる。

蛹は太陽の放射熱を育成に利用しているのである。
具体的には、蛹の背面が、その場所での太陽の南中時(ほぼ正午の位置と考えて差し支えない)における高度に対し、直角に、つまりは最も陽の当たりやすい角度に付着することが多い。

もちろん、個体差があって、たくさんある蛹(ナミテントウやナナホシテントウの蛹は、餌となるアブラムシのいる木の近くに集中する傾向がある)は、少なからず、あちらこちらを向いているものはあるが、全体には上記の太陽の方向を向き、また、季節によって変わる太陽の南中高度に合わせて角度も変わってゆくのも面白い。

また、上の画像もそうだが、このようなコンクリートをわざわざ選んで付着する傾向もある。これも、実は同じ理由で、暖まりやすいコンクリートの輻射熱をも利用しているのだと思われる。

ただ、蛹の期間をこのようにして短縮することに、はたしてどのような利点があるのだろうか。日当たりのよい場所に目立った色で付着しているから、鳥などの大きな生き物による捕食を防ぐためではないと思われるが、共食いを減らすためなのだろうか(テントウムシは共食いをする)。

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カワトンボの繁殖の謎

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Photo : Nikon D200 / Tokina AT-X M100mm F2.8
(L/ ISO100 1/350" F3.8) (R/ISO100 1/125" F4)
~色つき翅のオスと透明翅のオス~

我が家の近くの身近な小川にも幸いカワトンボ(※注)が生息している。ちょうど今時分がカワトンボの繁殖期にあたり、そっと川沿いの草を分けて歩くと、何匹もの雌雄のトンボを目にすることができる。

さて、このカワトンボの繁殖には、なかなか不思議な生態が潜んでいる。

少し話が長いので、簡単に書くと次のようになる。
・オスには2種の翅の色がある
・その色の違いで繁殖行動に優劣がある
・にもかかわらず繁殖率にあまり差がない

まず、カワトンボの容姿であるが、オスに2つのタイプがあり、上の画像に示したように、オレンジ色のグラディーションが掛かった美しい翅を持つタイプのオス(有色翅タイプ)と、メスと同様に控えめな透明の翅を持つタイプ(透明翅タイプ)のオスが同じ川で同時に見られる。
この色の違いは、単なる個体差や成熟度の違いではなく、それぞれのタイプによって、繁殖行動にもはっきりとした違いが現われるというのである。

次に、カワトンボのメスは、小川の水生植物や流木周りを産卵場所として昼の間活動するが、夜は木の上へ移り、昼夜で移動を繰り返す。オスは産卵場所で交尾の機を伺い、産卵の適地では、なわばりを持つようになる。

そして、このなわばりをもつオスはきまって有色翅タイプであるようで、なわばりを持ったオスは、なわばりの中にやってきたメスと独占的に交尾し、他のオスがなわばり内でメスに近づくのを排除しようとする。
一方、透明翅タイプのほうは、なわばりを持ったオスの近くに潜んで、気づかれないよう交尾するか、木の上にメスを連れ去って交尾する型と、初めから木の上にいて、休息に戻ったメスと交尾する型があるようだ(前者をスニーカー、後者をオポチュニストと呼ぶようである)。

さらに、メスは、精子を貯蔵する器官を持っていて、交尾で受け取った精子を産卵までそこに保管する。ところが、オスは交尾するときに、まず、そのメスがそれ以前に交尾して蓄えた他のオスの精子を掻き出してから、自身の精子を送り込む。

ここまでの話から普通に考えられる推論としては、メスの産卵場所では、なわばりを持った有色翅タイプのオスが待ち構え、他のオスの交尾を排除するとともに、メスが他の場所で交尾していたとしても、産卵直前にメスの腹部から他のオスの精子を排斥して入れ替えてしまうのであるから、結局、産卵直前に交尾した有色翅タイプのオスの精子が受精する確率が相当に高くなり、残される子孫は、有色翅のものばかりになってゆくのではないかということである。

ところが実際の結果としては、無色翅タイプもそれなりに子孫の数がいて、いつまで経っても同じような割合で共存しているというのは、遺伝の確率からみても不思議である。
ただ、この謎は、メスの産卵パターンが、良く調べると一定でなく、なわばりのないところで、オスに知られずに産卵する場合や、なわばり内で多くのメスにまぎれて、なわばりを持つオスとは交尾しないまま、以前に受け取った精子を使って産卵してしまうメスが少なくないことが解ってきたようで、必ずしもなわばりを持ったオスだけが一方的に有利でもないシステムであるらしいようだ(個人的には、有色翅タイプのオスの子は本当に全て有色翅になるのかということが検証済みなのかも知りたい)。

それでも、なお、2種の翅のタイプが生じる成因や意味、それに各翅のタイプにより生殖行動にもはっきりした違いをとらせるシステムなど、興味は尽きない。

(※注)カワトンボの種名について
低地の谷間にある我が家の近隣の小川で見られる「カワトンボ」といえば、少し以前なら、だいたいヒガシカワトンボだろうかというところであった。しかし、もともとカワトンボの分類は諸説乱れていて、ヒガシカワトンボ、ニシカワトンボ、オオカワトンボという3種(他にもヒウラカワトンボなどの分類も存在)が同一種なのか、全部別なのか、はたまた、どれとどれは同じであるとか良く解らないところがあった。

まだまだ、確定的に定まったとは思えないが、2004年12月に分類体系の見直しがあって、今のところは、ヒガシカワトンボとオオカワトンボは、「オオカワトンボ」に種が統合され、ニシカワトンボが、「カワトンボ」に種名変更されている。

種の体系まで含め、まだまだ解明されていない部分の多く残ったトンボである。

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トンボのハート

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Photo : Casio QV-2800UX
~ハート形には意味がある~

今回はカワトンボの繁殖の不思議のことを書こうとしたのだが、まず、その話に入る前に、トンボの交尾の特徴を述べておきたいと思うので、この項では、カワトンボだけに限った話ではないが、「トンボのハート」について簡単に触れておきたい。

よくトンボを目にされている方ならば、きっと見覚えがあると思う、あのハート型の交尾の話であるが、実は、これはトンボ類に共通して見られ、他の昆虫には見られない顕著な特徴なのである。

他の昆虫が、オスとメスのそれぞれの腹端にある交尾器を接して交尾するのと違って、トンボ類の場合には、オスの交尾器だけが腹(尾)の付け根近くにあるために、メスの交尾器がある腹端は、そこに接合される。また、交尾のときにオスがメスを支えるため、オスの腹端にはメスを掴まえておく器官があって、これでメスの頭部などを掴む。

その結果、トンボ類の細長い腹部は、メスの頭部付近を掴もうとするオス側と、オスの交尾器に接しようとするメス側でかわいいハート型を形成するのである。

ペアのトンボが体を使ってハートを描いている図は、誰が見てもほほえましい図であると思うが、あのハート形は、こんな理由でつくられている。まして、これは、トンボ類と他の昆虫との数ある違いの中でも、最も大きな相違点とされながら、それほど知られたことではないと思う。

これだけでも、もしトンボの繁殖に大変興味深いものを感じていただけたなら、次のカワトンボの話にも入りやすい。

※本文では書かなかったが、もうひとつ、トンボのオスの生殖器、交尾器のことを補足したい。トンボのオスの交尾器が腹端ではなく、腹の付け根にあると書いたが、これは「交尾器」だけであって、「生殖器」は他の昆虫と同様に腹端にある。通常、精子・卵子を作る生殖器とそれを受け渡す交尾器は、まとまった位置に存在するが、トンボのオスの場合は別々の離れた場所にあり、この間に自らの精子を移動させる管などの器官がない。トンボのオスは、自ら腹部を曲げて腹端の生殖器から腹の付け根の交尾器へと精子を移動させている。

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カルガモ

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Photo:Nikon D200/AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm
~夏にもいる身近なカモ~

渡りをする冬鳥、夏鳥の入れ替え期はとうに過ぎて、空には青空を切り裂くように飛ぶツバメの姿が目立つようになってもう久しい。冬の水鳥たちであれだけ賑やかだった近所の池も、だいぶ静かになったのだが、まだ、幾らかの地味なカモの一群が居残っている。

この地味な羽色のカモはカルガモで、外観での特徴といえばオレンジのくちばしと、目のラインに沿った黒毛くらい。雄の羽が鮮やかなことの多いカモの仲間にあって、カルガモは雌雄ほぼ同色である。

ところでカルガモは、漢字で「軽鴨」と書くようだけれども、決して体重が軽いカモではなく、むしろカモの仲間としては十分に重たい方である。また、そのついでというわけではないけれども、腰のほうも重たいようであり、夏になっても渡ることなく日本に一年中留まって繁殖をする珍しいカモということができる。まあ、それだからこそ、テレビのニュースなどでもよく取り上げられるように、親鳥の後をチョコチョコとついてゆく可愛らしいヒナ鳥の姿を身近に見ることができるわけである。

とまあ、そういうわけで、「カルガモ」とは、どうやら漢字で古くは「夏留鴨」と書かれていたようにも言われている。

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スズメの花千切り

N20060401090520
Photo:Nikon D200/SIGMA 70-300mm F4.5-5.6DL(100mm 1/160" F6.3)
~良く知るスズメのかくれた習性~

我が家の周辺も、桜がそろそろ満開になる。
さほど見事とはいえないまでも、この町内に入居したての頃の細く小さな桜の木を思えば、ずいぶん立派に花をつけるようになったものだ。それだけ年数も経ってしまったわけではあるが・・・

さて、桜の木を一本一本めぐってみると、まだ満開前で花びら一枚散ることはないが、ポトリ、ポトリと幾つか花が丸ごと落ちていた。
はは~ん、スズメの仕業かな?

ここにはスズメもヒヨドリもメジロもよくやってくる。これらの鳥だけではないと思うが、ともかく桜の蜜は共通する好物であり、花の頃はにわかに桜の周囲が賑やかになる。

このうちヒヨドリとメジロは、もともと植物食が主体であるので、サクラの花は傷めずにの奥のほうにある蜜を、細いくちばしを使ってうまく吸い取ることができる。まあ、ヒヨドリはやや大きめなその体のせいか、枝の中を移動するのにサクラの花をたまに落としてしまうこともあるが、大抵は花びらだけが落ちる。

しかし、スズメは雑食性でくちばしが太く、サクラの花の奥までは届かないため、蜜を吸うために花の根本から丸ごと食い千切り、蜜だけ吸って残った花はそのまま下に落としてゆく。
そう、私たちが子供の頃に、赤いサルビアの花を千切り取って、蜜だけ吸って残りを捨てたのと似たようなもの。

人に最も馴染みがあって、目新しさを感じないように思われるスズメだけれども、このスズメの花千切りは、まだ、ほんの20年くらい前に、はじめてその行動が知られるようになった習性なのである。

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キタテハとルリタテハ

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[L]Nikon D200/Tokina AT-X M100mm F2.8(1/250" F5.6)
[R]Nikon D200/SIGMA 70-300mm F4.5-5.6D(300mm 1/320" F5.6)

~琥珀と瑠璃の対極色~

春の声と共に、ことしも草木が一斉に芽を吹き始め、昆虫たちも眼を覚まし始めた。これから野山は次第に活力が満ちてくる。

一週前に、いつものように田の畦を歩いていると、目の前をさっと影が通り過ぎた。はて、鳥の影だったのか、なんだったのか。
まだ自分の頭も春になりきっていなかったらしい、それが蝶の影だと気づくのに少し時間がかかってしまった。

影の行ったほうへ近づいてみると、それはキタテハだった。アカタテハのようにオレンジに近い黄色。キタテハという名前のとおり、夏にはもう少し黄色い蝶なのだが、冬を越す「秋型」という一群はこのようにややオレンジを呈しているようだ。

少しして同じ場所また通りかかった。すると再びさっと影が通り過ぎた。まだキタテハが飛んでいたのか・・・と思ったが違う。今度はキタテハの琥珀色とは補色関係ともいえるような瑠璃色の蝶だった。そう、よく林道でも出会うルリタテハ。

琥珀と瑠璃の2匹の蝶。まだ色の少ない早春には目に鮮やかだった。

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みのむし健在

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Photo:Nikon D200/Tokina AT-X M100mm F2.8
(1/160" F5.6)

~待っていた春~

昨日、我が家に比較的近い山間の池周りを散歩していると、池のほとりの一角に梅の植樹があるのだが、その梅の木は、春の日差しを受けて既にたくさんの花を開いていた
そして、その枝の一つを見ると、かわいらしく2匹のミノムシがぶら下がっていた。

枯葉を集めて作られた姿が冬の北風の厳しさを思い起こすミノムシと、対称的に春の訪れを象徴するようにふっくらつぼみを膨らませた梅の小枝。
それだけでも、なんともフォトジェニックな取り合わせの光景であったのだが、おまけにカップル※のように2匹が仲良くぶら下がっているともなれば、ここは、バックのボケまでカラフルに楽しそうに演出しようなどと、効果的角度を探ってその場で梅の小枝の周りをぐるぐると回り、しばしの間、写真作りに力が入ってしまったほどだ。

ここで使った画像は、バックのボケをカラフルにすることで「厳しさを乗り越えて訪れた暖かく楽しそうな雰囲気」は演出できたのだが、線状の小枝のボケがややうるさくなりすぎてしまった(他の作例はこちら)。

と、まあ、写真の話はさておき、その可愛らしく並んだミノムシを見て、更におやっと思ったことがあった。ミノは枯葉を固めた大きめのものであり、何ら変哲もないようだが、このミノの作りはおそらくオオミノガではなかろうか。

日本で普通見られる代表的なミノムシは、チャミノガとオオミノガの2種であったが、そのうちのオオミノガのほうは、近年極めて数を減らしていて、かなりの地方で絶滅危惧が話題になっていたはずである。

その話題については、かなり前に「みのむしが絶滅?」で取り上げたことがある。その項で掲載した口絵画像は、チャミノガのミノであるので、参考までにそれと比べてみると分かりやすいだろう。

一応特徴をまとめておくと・・・
チャミノガのミノは、細くて小枝メインで作られていて、ミノの枝などへの付き方が密着していてブラブラしていないのが特徴である。
それに対して、オオミノガのミノは太めでずんぐりしていて、葉を主な材料に作られ、本体は細いくびれ部の先で枝などに付いているのでブラブラしている。

オオミノガの絶滅騒ぎの元凶は、オオミノガ専門に寄生するヤドリバエが、国外から紛れ込んで繁殖したことによるとのことだった。
しかし、国外から来て天敵がいないために大繁殖し、それとともにオオミノガは絶滅して、結局、オオミノガ専門の寄生虫であるそのヤドリバエも絶滅するという、共倒れのシナリオ(自然の寄生関係ではありえない)にはならず、そのヤドリバエにも、自然環境の豊かな地域では、これに更に2次的に寄生するコバチの類が現われ、オオミノガの絶滅前に個体数の自然バランスが保たれたようにも聞く。

ともかく、我が家の近くで、まだ元気にぶらさがったオオミノガのミノを見て一安心したところである。

※実際にはこの画像の2匹のミノガは、カップルではなく、ミノの大きさから両方メスだと思われる。

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カワセミの大きさ

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Photo:Nikon D200/Reflex Nikkor 500mm F8 (画像クリックしてください)
~池一番の大物と出合った~

ちかごろ休日の朝の散歩では、すっかりカワセミ・パトロールが日課になった感がある。
つい最近のこの林道百拾号線の記事でも「カワセミ」「カワセミのつがい」に続いて3項目を数えてしまう。

決まった時間に決まったところに現れて、姿ばかりはちらつかされるのと、カメラに収めるのに、池を一周囲む網の柵が邪魔で、その上からレンズを覗かせるには、こちらの体がすっかり向こうから丸見えで、どうにも簡単には近寄せてもらえず、ビシッと撮れそうで撮れない対象になってしまっている。
(前回の「カワセミのつがい」の画像で100m、今回の画像など150mも距離がある。一番よくてもこのくらいだ)

ところで、カワセミの大きさというのは、イメージとしてはやや大めな小鳥というくらいの気がするのだが、実は小さな鳥である。数値で約17cmくらいということなので、スズメをほんの少し大きくした程度で、かなり小さいことがわかる。もう少し大きく感じさせるのは、色や存在の鮮烈さであるとか、頭、嘴の大きさが体に比べて大きめであることなどによるのだろうか。

さて、池の反対側で、近づくことの出来ない湖岸を、少しづつ移動するカワセミの姿を超望遠レンズで追いかけていたのだが、カワセミの行く手の視界に突然、大きなアオサギが現われた。なるほど、カワセミは小さい。むろんアオサギはサギの中でも国内最大種(全長93cm)ではあるが、それにしても、アオサギの頭一つ分しかない。画像でも互いを意識して見ている風な感じが分かると思うが、しばしこの態勢で対峙したまま動かない。

カワセミから見たら、アオサギの大きさに圧倒されるだろうが、アオサギもカワセミの特異な色に注意がいっているようにも見えた。
ひと時の対峙のあと、カワセミのほうは、例によって「チー」っと一声発し、あのエメラルドブルーの羽根を広げ、スカイブルーメタリックの背を見せて、アオサギのすぐ横を一直線の光芒を残して通り抜けてゆく。
そのときレンズを通して見たアオサギの表情は、声に出して笑えるほど唖然としているように私には見えた。

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Photo:Nikon D200/Reflex Nikkor 500mm F8
~続いてカルガモとチュウサギ~

カワセミが、そのひと翔びで次に着地したのは、またも、大型の鳥、チュウサギ(白鷺)とカルガモの目の前だった。再び繰り返された大小野鳥の競演に、気分も湿りがちになっていた暗い曇天の休日の朝が、思わぬ楽しいひと時になった。

理科大好き人間の科学の工房「野鳥の大きさ比較(16)」にTB

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カワセミのつがい

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Photo:Nikon D200/Reflex Nikkor 500mm F8
~今日も仲良く~

家から見える池へやってくるカワセミがいて、つがい揃っての姿もよく見ることが出来る。

カワセミは、通常は単独生活が多いようだが、繁殖期には一夫一妻のつがいとなり、1つの谷に一つがいが縄張りをもっていると言われる。3月ごろ生まれるらしいヒナも一人前になると、親の縄張りから出て行くようだ。

我が家周辺のこの地は住宅地とはいえ、私が中学生だったころまでは、ただの野山のようなものだった。もちろん、何十年後にはこうして自分の住まいになっているなどとは夢にも思わず、よく友達と自転車に乗って探索したものだったのだが。
そういう地であるから、家の立つところを少しでも外れれば、すぐに以前の姿に近い環境がそこにあるのは幸いだ。

我が家の周辺の地形は台地とそこに複雑に入りこむ谷津田(この地方の谷の地形で、ほとんど水田として利用されている。)によりなっている。カワセミは、水生の小動物、主に小魚を主食として、沢沿いに生息する鳥であるから、この2つの地形のうち谷津田に活動する。

実際にカワセミが頻繁に現れるのは、住宅地に降った雨水を一時貯めておく人工の調整池であるのだが、この池はもともと谷津田であったところを、堰き止めるダムのような形で作ってある。

さて、つがいのカワセミだが、よく観察していると面白い。オスが小魚を捕獲してメスに渡そうとする。これを「求愛給餌」というが、そんなやりとりもあっていつも一緒に仲良くいるのに、たまにメスの機嫌が悪いときがあるようだ。 一緒にいることはいるが、オスがすぐ隣まできてちょっかいを出そうとすると、メスはすぐ逃げてしまう。

オスにしたら、「何をいまさら」かもしれないが、これは人にもよく見られる現象ではなかろうか。

※ちなみに雌雄は下の嘴の色で見分ける。黒いのがオスで赤いのがメスで画像では上がメス、下がオス(「カワセミ」を参照ください)

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コゲラ・小さなキツツキ

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Photo:Nikon D200/BORG 500mm 1/125"-F6.6
~可愛いサイズの身近なキツツキ~

奥山を行く林道に行くと、時折、アカゲラなどのキツツキに出会う。コココココンっとキツツキ特有のドラミングだけが聞えたり、木々の間に赤い帽子のような頭も見えたりすると、ちょっとうれしい気分になる。

キツツキの仲間といえば、多くはそういう山の中に住処があるが、我々の住む街の周りの山や、ときには街中の公園などにも姿を見せるキツツキがコゲラである。

コゲラは、大きさはスズメくらいで、国内のキツツキでは最小の種。ちょっと見た目にはキツツキという感じが薄いが、木々の枝を時に垂直に、時に裏側にピタッと足で張り付いている姿や、キコココココッというドラミングなど立派にキツツキの特徴が見られる。

キツツキの仲間は、主に木の幹にいる虫を長い舌でなめ取るように採食するが、このコゲラは、虫だけでなく木の実も食べる。画像のように実をつつく姿は、キツツキというより、他の野鳥に近い感じもするが、尾をよく見ると、ピタッと枝に貼り付けるようにして、足による体の支えを補助するというキツツキの尾の特徴もちゃんと見せてくれる。

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イラガの繭

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Photo:Nikon D200/SIGMA 70-300mm F4.5-5.6D
(300mm 1/200" F5.6)

~これも冬の象徴~

散歩をしていて、1枚も葉の残っていない桜の木を見上げた。
あったあった。あるべきものが目の前に。不思議な縞模様をまとったカプセルは、小枝で木枯しに揺れていた。

イラガという蛾は羽根を開いて3cm余りのさほど目立つ蛾ではない。成虫は6~10月の夏季に全国で出現し、ちょっと分厚く毛が生えた感じはあまり好まないのだが、冬越しするためのこの繭は、子供の図鑑などにも必ずのように載っているし、昆虫たちの冬の過ごし方の代表として知られているのではないだろうか。

イラガの幼虫は全体に黄緑色だが、ニョキニョキと生えた何本かの角には、いかにも気味悪げにトゲがたくさんあって、触ったことはないのだが、うっかり触るとひどく痛むということだ。
繭の中では前蛹になって冬越し、5~6月頃蛹になった後、羽化して繭からでてくる。この繭は、ともすれば小鳥の卵かな?と思うような形をしていて、思った以上にこの繭は堅い。

ところで、表面の特徴ある褐色縞模様はとても不思議で怪しそうな模様であるが、なんのためにあって、どのようして色をつけるのだろうか・・・

模様の出来方は、どうも幼虫が繭を作るときの動きで決まるようである。繭は例によって絹糸で作られるが、外側は白く固まる液が流されていて、最後は白く固まる。ただその前に、中で幼虫が動くのに伴って、あのトゲの生えていた角や腹が繭にあたった部分では、中層にある褐色の液が外側へ染み出して褐色の縞模様に塗られるらしい。

しかし、なにか目的があるのか?となると、生物の不思議一般に通じるが、よく分からない。そこに何らかの効果があったとして、では初めからその生物が、その効果を期待・意図して行動しているのだと考えるのは、人間ならそのとおりあっても他の生物では難しい。

イラガの幼虫はカキやナシ、サクラ、ヤナギなどの葉を食べるので、この縞模様の繭は、これらの木の枝を冬に見て回ると比較的簡単に見つかる。

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ジョウビタキ

N20060108-1425240002pp
Photo:Nikon D200/AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm
(200mm 1/180" F5.6
 トリミング)
~低い小枝で縄張りを見渡す~

最近、頭に白いものが急に増えてきた気がする。
自分の同年代を考えれば、かなり少ないほうだと思っていたが、それだって相対的な話であって、日々確実に増殖しているのは否めない。
まあ、最終的に真っ白になったとしても、それはそれで世の定めであって当たり前の話だし、積極に歳をとりたいなどとは考えるはずはないのだが、かといって、とってしまった歳に相応であるならば、真っ白な頭もまったく嫌なわけではない。

さて、ジョウビタキは、ヒタキ科の冬鳥で、夏季の繁殖は大陸であるようだが、冬になると日本全国に渡ってきて、比較的身近なところでも目にすることができる。この画像はオスであるが、オスは縄張り意識が強くて見た目も気丈な感じで活力がある。これに比べてメスはもっとずっと薄い配色で優しく可愛いイメージである。

漠然とこの鳥の名前を知ったとき、第一印象として「ジョウビ」の部分に誤って「常日」と当ててしまった。明るい森の中で、常に木もれ日の差す枝にとまって、楽しげにさえずっているような姿を勝手に想像したからだと思う。

しかし、実際には「ジョウビタキ」とは「尉鶲」と書く。「尉」は、官職の名前でもあるが、ここでは白髪の老人を指すようで、確かにそう言われてみれば、この鳥の頭部はちょうど白髪のような明るいグレーで、さっきまで若々しく気取って見えていたこの鳥の顔が、なんだか急に威厳のあるように感じるから不思議なもの。

「ヒタキ」のほうの語源は、「火焚き」が有力なようである。この鳥の地鳴きは「チッチッ」と鳴くが、嘴を「カチッ」っと鳴らす小さな音も出す。この音を火打石の音と聞いたものなのか、真偽は定かではないが。

デジタル一眼カメラにより、最近になって野鳥がまあまあの状態で撮影できるようになった。この画像くらいの距離(数m)ならば高倍率のズームでもUP可能だし、もっと遠いところでも手元の小型望遠鏡筒に直付けで、超望遠レンズ代わりになる。しかし、操作性のよくないこの望遠鏡のMFでは、てこずっている間にフォーカス外に鳥が移動してしまったり、悪くするとどこかへ飛んでいってしまうことも多い。機敏で正確なAFを備えた超望遠レンズが欲しいもの。しかし、おいそれと手を出せる金額の代物ではない。

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カワセミ

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Photo:Nikon D200/AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm
~冬の湖水に飛び込む~

家から出て1分も歩かないところにカワセミが収穫に来る水場がある。年中いる鳥だが、どうも他の野鳥同様に、冬のほうが何かと目に付く。生き物が少ないせいか、木の葉がなく視界が良いせいなのか。

カワセミの住む場所は、一般的には自然が豊かだといえる。確かに我が家の周辺の自然も、例えば夏には蛍も見られるなど、かなり豊かなほうではある。
ただ最近は、都内の公園などにもカワセミはいる。意外にも、カワセミに限らず、そうした人の多いところにすむ野鳥などのほうが、観察はずっと楽である。そもそも観察すべき場所が限定されていて捜しやすいし、もともと人があちこちにいる環境に住んでいるため、警戒心がないわけではないが、人の程々の接近には慣れてもいる。
しかし、そこそこ田舎の我が家の辺りでは、カワセミもかなり警戒心が強く、30m以内へはまず近づけない。

カワセミは、「宝石」のように言われるが、実際に地味な鳥の多い日本の鳥の中でもひときわ美しい、体は18cm程度の大きさで、鳥としては頭がやけに大きく口ばしも長い。その独特のディフォルメ調のフォルムも、一般の小鳥たちのかわいらしい姿とはまた違う意味でかわいらしい。

橙色の腹部と青緑の背部からきたものか、赤い羽根を「翡」、青の羽を「翠」として合わせてカワセミを「翡翠」と書く(昔アカショウビンとカワセミは同じ鳥のオス(アカショウビン)とメス(カワセミ)と思われていて、オスを「翡」、メスを「翠」とし、あわせて翡翠と言ったという説もおもしろい)。もちろんあの鉱物のヒスイ=翡翠と同じ字であるが、もともと「翡翠」は、このカワセミからきている文字であるという(「翡」「翠」共に「羽」の部首が付くことからもカワセミが元であると考えるのは自然だろう。)

美しくかわいらしいだけでなく、その行動も特徴が強い。
水にダイビングして小魚などを捕らえる姿。また、それを狙うため時に空中にホバリングする姿。どれもとても魅力的な姿である。

我が家の近くにすむこのカワセミはつがいであり、たまに2羽で揃って姿を見せる(「カワセミのつがい」)。ちなみに雌雄の別は嘴で見分ける。嘴が全部黒なのは雄、下の嘴の元が赤いのが雌である。この2羽のカワセミがどこに巣を持っているのかは分からないし、カワセミは、縄張りを持つ性格があるので、一つの谷に一つがいしか見られないとも聞くが、なんにせよ、順調に繁殖を続けていって欲しいものだと願いたい。

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アカタテハとヒメアカタテハ

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Photo:Nikon D200/Tokina AT-X M100mm F2.8
~冬の陽だまりにやってきたヒメアカタテハ~

冬を成虫で越す蝶にアカタテハの仲間がいる。暖かな日にはどこからともなく現われて、昆虫の姿をほとんど見かけない冬に彩を添えてくれることがある。

先日も、寒いこのシーズンの冬にはめずらしい暖かな日、庭で草木をいじっていると、その小さな影が横切ってゆくのが目に入った。影の方向を追ってみると、ヒメアカタテハが花をつけたサザンカの木にとまっているのを見つけた。

同じように、アカタテハ(画像はこちら)も冬に目にすることができる蝶で、ヒメアカタテハとアカタテハは、ほとんど一年中の間通して見ることが出来る蝶なのである。
特にヒメアカタテハは、世界中に分布が広いというが、かといって、しょっちゅう見かけるというわけでもない。

一見、見分けがつきづらいこの2種の蝶であるが、外見上では大きな違いが2つ見つかる。
まず、大きさ。その名の通り、ヒメアカタテハのほうが一回り小さい。もっとも、これでは相対的なはなしなので、片方を知らなければ、大きいのか小さいのか判らない。
そこで、より判りやすい違いは、後ろ羽の模様である。
アカタテハの後ろ羽は、広げたときの背面に扇形の灰褐色の部分が広く占め、赤と黒の模様が尾端に少ししかないが、ヒメアカタテハの後ろ羽は、ほとんど全体にわたって赤と黒の模様が広がっている。

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カワウ

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Photo:Nikon D200/ BORG 500mm F6.6
~さすがにディスプレイすると、大きく立派に見える~

近隣ではあまり見かけたことのなかったカワウが、この年末になって家の前の池でよく2~3羽休んでいるのを見かけるようになった。

もともと、海に近い河口周辺に生息していた鳥のようであるが、いまは結構内陸までその姿を見せるようだ。

鵜というと、ほとんど全身黒ぽいイメージだけれども、最初に見たときオヤっと思うほど頭が白く(画像の個体はそうでもない)、喉の黄色と相まって派手な色の鳥に見えた。
これは婚姻色のようで、それならば繁殖期ということで、この周辺、又はそう遠くないところで繁殖地があるのだろうか。鵜は集団でコロニーを作って繁殖する鳥である。まあ、繁殖期といってもカワウの繁殖期は11月くらいから7月くらいまでと長いものであるようだ。

盛んにディスプレイして見せる姿は、比較的近い仲間のペリカンのようでもあったし、歩いている姿はペンギンのようでもある。

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アリジゴク

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~新居の軒下で見つけたアリジゴクのすり鉢~

居宅を引越して1週間が経つ。家の中はまだ落ち着かないのだが、ようやく庭に目が行く余裕も出て来たので、しばし、ゆっくりとわが庭を見て回った。

すると、ほとんど雨が降り込むことがなさそうな軒下の砂地に、ちょっとうれしいものがあるではないか。そう、そこにアリジゴク特有のあの円錐すり鉢が掘ってあった。子供の頃は、神社やお寺の縁の下によく観察に行ったものだが、これが自分のものとなった庭に生息しているとなると、特別に珍しいわけではなくても、小さな昆虫の些細な営みでも、身近な自然に愛しさが高まる。

さて、アリジゴクは、ご存知のようにウスバカゲロウの幼虫である。ウスバカゲロウは、名前は有名でも、姿を見たことのある方は少ないかもしれない。短命として有名であるのだろうが、幼虫から数えて2~3年は生きるので、昆虫として、特に短命な部類ではない。同じ短命を儚まれるセミもそうなのだが、成虫の姿というものが、生殖のためにあるのであって、セミもウスバカゲロウも地面の中の昆虫なのだと思えば、印象はまた変わる。

もっとも、成虫期が短くて短命といわれるのは、実はウスバカゲロウではなく、川にいるカゲロウの仲間のほうで、これは名前は同じ「カゲロウ」だし、形は、同じくトンボ型に見えるので、近縁と思われがちだが、ウスバカゲロウは、トンボやカゲロウとは違って、完全変態(サナギになる)をする昆虫である。

アリジゴクの戦略は、罠と待ち伏せ。罠のすり鉢に落ちたところを、砂を掛けて底まで落とし、体液を吸ってしまうのは、みなさんご存知のとおりであるが、特にアリでなくても構わない。同様に肉食のナナホシテントウ(アブラムシを捕食する)などでも、すり鉢に落ちてくれば、アリジゴクは容赦なく食べてしまう。

あのすり鉢を作るところを観察した方も、少なくないと思うが、後ろ向きに螺旋を描きながら見事に掘ってゆくのは芸術的。砂の質が崩れやすいかそうでないかで、すり鉢の穴の角度や大きさなどが変わってくる。

ひとつ、驚くことがある。アリジゴクは、やがて砂を糸で固めた繭の中でサナギになり、その後に羽化するのだが、幼虫期~蛹期を通して、ずっと排泄をしないのである。つまり、ウスバカゲロウは、生まれてから成虫になるまで排泄がない。そもそも腸に排泄口がないようだが、これは、あまりにヒット数の少ないすり鉢の罠からの少ない供給ということを考慮しての飢餓持久策なのであろうか。
おかげで、アリジゴクのお腹は丸々と太っている。

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スズメバチの巣

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~林道脇に見かけた立派な家~

いま、家の住替えの作業をしている。住替えといっても、新居は従前の居宅の隣と言おうか、同一敷地内と言おうか、とにかく現在の3世代での居住形態を、世代により世帯を分けたわけである。
しかし、隣でも転居は転居、なかなか大変な作業で、体のあちこちが痛くなってしまった。

さて、世代と新居といえば、ハチの巣、アリの巣を思い起こす。社会生活を形成するこれらの昆虫の家というより城のようなものではあるが、世代を交代していくたびに新たな家が形成されてゆく。

ところでこの時期(8~10月ごろ)はスズメバチの被害が多い月である。つい最近も、男性が50箇所も刺されて死亡した事故がニュースで伝えられていた。ときには、数回刺されただけでも、人の命にかかわる毒をもつスズメバチは、毎年3桁もの人命を奪うほどの、脅威ではある。エネルギーはともかく、ちょっとした地震や台風より、実害は大きいと言えるかもしれない。

山で、カブトムシなどの甲虫を追って、蜜の出る木にたどり着いたものの、このスズメバチに邪魔されて、なかなか近づけないなどのカワイイ被害もあるが、自分の家などに巣を作られたことにはたまらない。私は昆虫好きだし、ハチやアブなどを特に怖がりはしないが、やはり、自宅にスズメバチに巣を作られては、いかにもたまらない。

山間部の開発が進んだことによるのか、年々、スズメバチ被害の社会問題化も大きくなってきている。気候が高温少雨化傾向にあるようにみえることも、クマゼミなどでもそうだが、スズメバチでも適性を向上させているという風に疑う余地もある(私は、こういったことの因果関係は、常に断定した結論を出すことは、かなり難しいというスタンスです)。

スズメバチは、春、5月あたりから巣を作り始め、夏から秋、8~11月ごろにかけて、巣の大きさが最も大きくなる。このころになると、1つの巣のスズメバチの個体数も増大し、巣の防衛体制も強化されて、かつ、攻撃性が高まるため、人が刺される被害も、この時期に集中する。

自宅などに作られた巣が大きくなってしまったら、もはや駆除業者などに依頼するのが安全である。噴射式の駆除剤も売られているが、万全の知識と防備を身に着けていないと、なにせ相手は人命にかかわる危険生物である。実害に対するリスクは最小限にとどめたい。
せいぜい、自宅の軒先や屋根裏などを、スズメバチに新居の地として選ばれないよう、事前に気をつけたい気もするが、効果の大きな予防方法も知らないし、そんなタラレバのリスクに資金や手間をかける気がない自分である。

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エゾゼミの声を聞き分ける(3)

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~エゾゼミのアルビノみたいなアカエゾゼミ~

「エゾゼミ類3種の鳴き声判定法開発」という新聞記事に興味をもち、もちろんすぐに目を通してみた。開発したのは独立行政法人森林総合研究所東北支所の研究官であるという。

なるほど、記事によれば、エゾゼミ・アカエゾゼミ・コエゾゼミの鳴き声について、パルス数と平均周波数で分析したようだ。数値はそれぞれ、エゾゼミ45回/秒・約5400Hz、アカエゾゼミ75回/秒・約4900Hz、コエゾゼミ100回/秒・約6200Hzとのこと。録音してきた声をこれに照合すると3種がうまく判定できるということだ。
(詳しくはこちら参照)

人の耳でも一段高い音と聞えるコエゾゼミの声は、やはり、周波数が、ちょっと高いのだなぁということは分かった。ただ、パルスの数というものが、人の耳にどういう効果で聞えて来るのかはよく分からない。
それでも、具体的数値がある程度確定できたことで、少なくとも機械的には、判別ができるというわけだ。

これまで、書いてきたほかに、エゾゼミの仲間の標高と樹種での棲み分けというものがある。
標高の低いところから順に、まずエゾゼミがマツやスギに、次いでアカエゾゼミが広葉樹林に、そしてコエゾゼミはブナ・シラカバにという具合である。

これは、山にどんどん登っていくような林道を走ると体験できる。アカエゾゼミは、少々、生息地が限られているようで、ちょっと別だが、例えば、少し前に走った長野県の入笠山に登る金沢林道。ここで林道入口の標高500mあたりでは、エゾゼミがけたたましく鳴いていた。しかし、標高が上がるにつれて、徐々に聞えなくなり、しばらく、セミの声なしの区間があった後、山頂近いあたりのシラカバ林になると、コエゾゼミが鳴きだすといった具合である。

まもなく、これらのセミの季節も終わりに近いが、今回は、こんな細かな話題でも、そこには一歩踏み込んだ世界があって、これを研究していたりする方もいるものだと感心した次第であった。(おわり)

エゾゼミの声を聞き分ける(1)
エゾゼミの声を聞き分ける(2)

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エゾゼミの声を聞き分ける(2)

N20040808_0039
~朝は低位置で休憩するコエゾゼミ~

エゾゼミの仲間は、概して木の高い位置で細枝にとまっていることが多い。非常にたくさんの個体が鳴いているところでも、声は聞こえど姿はあまり目に付かない。
ついでに言うと、木にとまるとき、頭を下に向けて逆さまの姿勢で鳴くことが多いのも、エゾゼミの仲間の特徴である。
しかし、まあ、それはともかくとして、前回、姿の相違は書いたものの、その姿自体があまり見れないのであれば、鳴き声ばかりは聞こえても、何ゼミだか分からないということになってしまう。

では、そのエゾゼミの仲間たちの鳴き声なのだが、まあこれは、同時に聞き比べれば分かるけれど、それぞれ別々に聞いたのでは、正直、耳が慣れないと難しい。
どのセミも特筆するようないい声で鳴くわけではない。
「ギョー」とも「ギー」とも「ジー」とも聞こえるもので、アブラゼミより湿って連続した声である。

よくよく聞くと、まず、コエゾゼミの声は、他の2種と比べて少し音程が高い。つまり周波数が高い。対して、エゾゼミとアカエゾゼミは、周波数が低いわけだが、2種に周波数の違いはほとんど感じない。ただし、エゾゼミのほうは、メインの声のほかに、何か耳の奥が共鳴するような低い音の響きを伴う。
まあ、音を文章で表すのは難しいが、鳴き声をデジタルのレコーダーで収録し、これを音量/周波数のグラフで表示させると、コエゾゼミとアカエゾゼミの声は周波数のピーク1つの大きな山型を描くが、エゾゼミでは、大きな山のほかに、もっと周波数の低いところに、もう一つ小さな山が現れる。

こうは書いたが、こうやって文章で表しても、やはりピンとこないだろうとは思う。まずは、実物と肉声を山で聞いてもらえれば、それが一番いい。

この夏、信州や北海道で、たくさんのエゾゼミ属の声を聴いたので、エゾゼミの声について、少々考えていたところに、数日前、「エゾゼミ類3種鳴き声判定法開発」という興味ある新聞記事を見た。(つづく)

エゾゼミの声を聞き分ける(1)
エゾゼミの声を聞き分ける(3)

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エゾゼミの声を聞き分ける(1)

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~エゾゼミ~

夏の林道といえば、エゾゼミやその仲間のセミたちの声がつきものである。道すがらに車を降りると、時にしばらく耳鳴りが残るほどにエゾゼミの声が降り注ぐ。

このセミたちは、北海道などでは平地でも鳴いているが、私の主な活動域の関東甲信越や南東北では、少々山に入らないと出会うことはできない。
もっとも、甲信地方などは、そもそも全県的に標高が高いところが多いので、地元の方には最も身近なセミである場合も多いだろう。
また、逆に山のない千葉県、正確に言えば県内最高地点でも408mしかない私の地元では、お目にかかることはちょっとない。確かな資料を調べたこともないので、うかつなことは言えないが、おそらく生息していないと認識している。

エゾゼミの仲間は、東日本においては、エゾゼミ、アカエゾゼミ、コエゾゼミの3種が知られている。
見た目の区別なら、それぞれ大きな特徴があって、さほど難しくはない。

まず、大きさは、エゾゼミ、アカエゾゼミが大きく、各地でもっとも普通に見るあのアブラゼミより一回り大きく、よりスマートに長い。コエゾゼミは同じくアブラゼミと比べると一回り小さい。

次に体色や模様を見るとエゾゼミを基本とすれば、アカエゾゼミは、体色の黒以外の部分がみな明らかなオレンジっぽい色を呈している。また、コエゾゼミは、一見よく似ているが、最大の相違点として、頭部と胸部の境目の黄色いラインが、左右で黒く寸断されていることがあげられる。

しかし、エゾゼミの仲間は、声は大きくてよく聞くものの姿は見ることが少ないのが普通である。そこでエゾゼミの声について触れなければならない。(つづく)

エゾゼミの声を聞き分ける(2)
エゾゼミの声を聞き分ける(3)

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ビオトープ

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~移入した水草に上陸する~

家の目の前にある池に、ちょっと広めの放水施設がある。
この放水施設は、池から放水されて下流へ流れる水を、二次的にストックし調整するための小さなダム状のものである。もともとは、全面コンクリートであったのだが、いまや、そこにたまる水とその周辺に、程よく水草や水辺の草が生え、貝類や小魚なども住みついて、ちょっとしたビオトープになってしまった。
それこそ、我が家がこの地に移り住んできた頃は、白いコンクリートだけの乾いた施設であったのに、時の流れとは早いものだ、もう15年以上の月日が流れている。

ところで、近時、各所でビオトープ作りが盛んであるようである。自宅の庭の片隅に作るささやかな大きさのものから、休耕田などを利用した大きなものまで様々であるが、いずれも、個人や管理する団体の想定する自然環境に模されて、豊かな生物環境を形成しているようだ。
このビオトープという言葉は、もともとバイオ=生き物、トープ=場所ということで、「生物群の繁殖環境」みたいな感じの意味であるが、現在においては、通常、「人の手による自然復元環境」というような感じに使われている。

この生物群の繁殖環境を創出するにおいて、自然のままに放置することも1つの方法であるのだが、そこに積極的に人が関わって、生物的に多様性のある環境へ導いていこうとするのが、ビオトープの考え方である。

しかし、このビオトープというものは、本来的な意味合いや、環境保全の観点からみると、必ずしも理想的環境ではないことが通例であり、自然環境、生態について純粋に取り組む方々にとっては、ビオトープというものは、歓迎されるものでもないのである。

それは、そのビオトープをプランするとき、プランナーの意思としては、より「豊かな自然」というものを意識しているのだとは思うが、それがいつしか、より「自然っぽく見栄えするもの」になってしまい、見た目によって、気に入った花を付ける植物を優先し、いかにも、ただの雑草らしいものは抜き取ってしまったりという園芸的なものになりかねないからである。また、水には熱帯産で花の綺麗なスイレンとかホテイアオイのような、本来は、その地になかった外来帰化種を浮かべたりといった具合に、結局出来上がるものがその地にあった環境ではなく、「独自にイメージした世界の擬似自然」となる傾向も低くないように思える。

さて、冒頭に書いた、我が家の近所の放水施設に成り立ったビオトープの話だが、実は、そこに繁茂した水草は、10年以上前に、私が近くの他の小川から採取して、それを、室内の水槽で小魚とともに飼育していたのだが、これをときおり剪定するときに、捨てて枯らしてしまうのも、少々かわいそうな気がして、その放水施設に植えた小枝が、その後にすっかり根付いてしまったものなのである。
まったく、違う地方の水草ではないが、本来そこになかった植物が繁殖したことになるわけであるし、目には見えずとも、おそらくは水草に付いていた微小な生物にまで目を向ければ、同様の事態になっていることが想像できる。

大げさに聞こえるかもしれないが、自然を維持しながら、人為で生態に手を加えることは、相当な慎重さが求められるということを強く感じた。
また、人が積極的に関わって創る自然環境の限界というものがある。いったん壊れた自然を取り戻す際も、その作業を人為で行う以上は同様であって、本当に元の姿を取り戻すということには、相当の困難があるだろう。だからこそ、壊さないことが最も重要ということが当たり前のことながら思い知らされるところだ。

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ツバメ巣立つ

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~一人前にはあと一息か、ヒナツバメたち~
仕事の平日は、恨めしくもカラリと晴れ渡っていたが、せっかくの休みとなると、なにやら浮かない空模様ではないか。やれやれ、またかと思いつつ、朝の空気を吸いにベランダに出ると、いつになくあたりが騒々しいのに気が付いた。

羽虫の大群でも発生して、餌取りのツバメが大騒ぎなのかしらとか思いながら、何だろうと家の周辺を見渡すと、電線に6羽の小ぶりのツバメがちょこんと揃って並んでいるのが目に留まった。
けれど、彼らは特に騒がしいわけでもなく、各々が、あたりを見渡したり、毛づくろいしたりとくつろいでいる様子だった。

はて、さっきの騒がしいのは彼らではなかったのか?そう思っている間もなく、くつろいでいたかのように見えた6羽のツバメたちがいっせいに「チーチーチー」と尋常でなく騒ぎ立てながら、その場で羽をばたつかせている。
スーっと黒い一筋が目の前を横切って、6羽の元に近づくと、騒ぎは一層けたたましくなった。

冷静な目を取り戻して、よく見れば、親ツバメが餌の小虫を運び巣を出たばかりのヒナたちに与えているのだった。ヒナツバメたちには、今日は初めての外遊日だったのだろう。ずっと電線の一箇所で動かずに親の帰りを待ち、かわるがわるに帰ってくる両親が餌を持って近づくと、我によこせとばかりに体全体でアピールしている。

その電線にとまっているのであれば、自らも飛べるのだろうに、まだ、餌を捉える術を知らないのだろう。ひたすら、他力本願で、かつ、堂々と餌を要求している。

それでも、数ヶ月前に孵ったヒナたちは、いまや自分で飛べるまでになって、今、巣を一歩出たところだ。それもまもなく、自分で採餌することも覚え、親からも離れて巣立ってゆく日が遠くはないのだろう。

比べてしまうのは、人の成長の遅さ。これはなんとも長いものだ。20年、下手をすれば30年以上たっても、まだ、子供と変わらないつもりでいる、抜け出せずにいる人間達が実際にいる。
生物学的には進化と幼形成熟化の問題というのもある。また、社会的には、ひとり立ちできない成人の増加の問題。
様々な人の成熟に関する問題が頭の中で錯綜した朝だった。

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雨季から夏季へ

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~雨季は元気だったが・・・~
アマガエルは、比較的乾いたところでも、じっと我慢して雨を待つ。昼の間は、葉の上などで体を小さく丸めている。
そう、これは表面積を最小限に抑えて乾燥を防いでいるのだけれど、それにしても、日が当たったりするところでは、少々暑すぎやしないだろうか。こっちが心配になる。
何日もカンカン照りが続いたりすれば、命を落とす仲間もいるだろう。もっと水辺に暮らせばいいのにと思いはするけれども、都市部で働く身であるのに、何時間も掛けて田舎から電車で通い体力を消耗する我が身に置き換えれば、それなり彼らもやむなき事情があるのだろう。
まだ、ハッキリした天気でもないが、陽射しの具合、空気の流れ、セミの声、ここ数日、本格的な夏の訪れが近いことを予感させる。

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スジグロシロチョウが林道を翔ぶ

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~モンシロチョウとはちょっと違う~

平地の野原、家の周りで見られる蝶で、最も普通に見られるモンシロチョウ。明るいキャベツ畑では、いつもモンシロチョウが飛んでいる。
しかし、山道など少しだけ陰の多いところに一歩入ると様相は変わり、モンシロチョウに代わってスジグロシロチョウがあたりまえに飛んでいる。これも同属の棲み分けというのだろう。

スジグロシロチョウは、一見したところではモンシロチョウとあまり変わらなく見えるかもしれないが、その名のとおり白い羽のスジが薄黒く、近寄ってよく見ると印象はかなり違う。
春から秋まで普通に見られる蝶で、必ずしも山や林だけでなく、家の周りや公園などでも見られ、よくモンシロチョウと一緒にされているようだが、少し暗めのところに飛ぶ白蝶は、実はスジグロシロチョウであることのほうが多いかもしれない。

明るい林間や渓流沿いの林道で出会う白蝶は、圧倒的にこのスジグロシロチョウであることが多い。林道ではとても馴染みの深い蝶なのである。
モンシロチョウの幼虫は、キャベツだったり、ブロッコリーだったりと、畑の栽培種を好んで食べるが、スジグロシロチョウの幼虫は、同じアブラナ科の植物でもイヌガラシやタネツケバナなど野生種のほうを好む。

それでも、近年は市街地が山林に入りこんできたこともあってか、生息地の競合もあると聞く。同じ植物周辺に両種が混在して飛んでいることも少なくない。スジグロシロチョウは、雄が独特のにおいを出すことで、雌に同種であることを認識させているようであるが、蝶の目から見て、モンシロチョウとの識別は簡単なのだろうか。それとも、匂いでの識別を図らねば難しいのだろうか。そのへんは、蝶になってみないとよくわからない。

この画像のスジグロシロチョウも林道でフワフワと飛んでいたが、こういう普通の蝶もじっくり見ると、興味深い行動をいろいろ発見できるかもしれない。

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ホタル・近場のヘイケボタル

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~静かな光の出会い~

我が家のすぐ近くの水田まわりで見られるヘイケボタルを、少しじっくりと観察してみた。

ヘイケボタルの活動開始時間は、先日見学に行ったヒメボタルよりずっと早い。
日が落ちてから、さほど時間も経っていない19:30頃に水田へ降りてみると、まだ、空はうっすらと僅かな残照が残るのに、既にいくつかの光の粒が行き交っていた。

光はゆっくり点滅しながら、草地からフワリと舞い上がり、水路に沿って左から右へ一定の方向へ流れてゆくように見えた。だからといって、右方向へみな光が滞留してしまっているわけではないのだが、右から戻ってくる光はあまり目に付かない。

私はしばらく、そこで固まってしまったように見入っていたが、そのうち、草にとまっていた一匹の光の強さが増したような気がして、おやっ?と、そちらへ視線を移した。すると、近くの宙を舞うもう一匹のホタルが同じように光を増したかと思うと、草の葉の上にとまっているもう一方のホタルのところへふわりと近寄り、すぐに2つの光は1つ明るいの光となって、きらめきくようにそのまま瞬き続けた。

ホタルの光の交信と出会い、そして結ばれるひとこまは、一瞬の間の出来事ではあったが、ほほえましくも羨ましいような印象深いシーンであり、その映像は頭の中に深く刻まれた。

この近場のヘイケボタルの光、毎年絶やすことなく、ずっと残したいものだが、残念ながら、どうも少しずつ確実に減ってきているようにみえる。

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ホタル・房総のヒメボタル

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~房総のヒメボタルを見てきた~

梅雨もなかば、蛍の季節である。
家の近くでも、ヘイケボタルが舞う季節となった。

蛍にも国内で30あまりの種があるそうだが、そのうち夜行性で、目だった光を放つ種類となると、それほど多いわけではなく、広く知られるゲンジボタルとヘイケボタルは、なかでも際立った存在なのである。また、この2種は、幼虫が水中で生活し、カワニナなどを食していることもよく知られているが、他のほとんどの蛍では、幼虫が陸生であり、枯れた木の葉の下などに住んでいる陸生のキセルガイ貝などを食している。

蛍の光りかたは各種様々で、成虫では(幼虫も光る)繁殖期の雌雄の交信に使われるのであるが、ゲンジボタルでは、雄は明滅を同期させ、同期しないものを雌と認識。ヘイケボタルは、明滅パターンを雌雄で変えてそれぞれ相手を認識するものと聞く。また、ゲンジボタルは特に明るい光を放つ蛍だが、西日本と東日本ではかなり明滅間隔に違いがあり、西日本のゲンジボタルが2秒程度で明滅するのに対して、東日本のものは4秒くらいで明滅する違いがあるらしい。

もう一種、よく光る蛍に、ヒメボタルが挙げられる。この蛍は、幼虫は陸生で、比較的高地に住み、その光はゲンジボタルやヘイケボタルのゆったりした明滅と違い、フラッシュのように鋭く瞬くという。そして、雄の光に雌が応答して交信するらしい。

さて、房総のヒメボタルであるが、知人から、房総の内浦山県民の森でヒメボタル観察会があるという耳寄りな話をいただき、昨晩のことであるが、それに早速参加してきた。

まず、ゲンジボタルやヘイケボタルが宵闇のころから飛び始めるのに対して、ヒメボタルは、真の夜の闇が訪れる21:00ごろにならないと光りださないようであり、観察会も本番はその時間からの行動となった。また、わずかな光も嫌うようで、外灯など人工光の届くところや、月の明るい晩などには現れることはないとのことであった。

房総のヒメボタルの特殊性は、その生息地の標高にあるようだ。ヒメボタルは元来、概ね500~1000mを越えるような比較的高地に生息し、その観察も容易とはいえないということであるが、房総にはそのような高地自体が存在しないし、まして、今回の観察地である林道奥谷線などは、せいぜい標高100~150mほどしかない土地柄である。

確かにこの、清澄山周辺は、他県の地域であれば、本来ずっと標高の高いところにしかない植生や生息地が、やけに低いところに見られることが少なくない不思議な地域ではある。氷河期や寒冷期からの残存種であろうという説明がされていると思うが、このヒメボタルの特殊性も同様なのかもしれない。

さらに、この房総の地でのヒメボタルについては、わずかに昭和30年代の高校の生物部の記録に残っていたという以外には、標本もなく、長くヒメボタルの生息は否定的に考えられてきたのである。ところが、昨年6月に生息が明らかにされ、これを調査してみると、東日本では最大級の生息地なのではないかというのである。

昨日は、21:00を時計が回るころ、団体行動で林道を歩いた。普段走りなれた林道とはいえ、初めは目が暗闇に慣れなかったが、しだいにわずかな光でも足元が分かりかけてくるころ、これまでに見たこともないような光りかた、ほのかな光を閃光のように放つ蛍を見ることが出来た。
確かに、ゲンジボタルやヘイケボタルとは、光り方が明らかに違う。光る間隔が極めて短く、パッパッパと瞬くように光るのである。何十、何百匹と多量の個体を見られたわけではないが、ヒメボタルは房総に確かに生息していたのだということを目の当たりにし、大きな満足を持ち帰ることが出来た。

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アマガエルの雨鳴き

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~身近にいて楽しませてくれる~

雨季となった。
毎日のように続くじめじめした気候に辟易し、たまに顔を覗かせる太陽の光が待ち遠しい。
しかし、雨を待っている連中もちゃんといる。

田んぼを歩くと、いっせいにアマガエルが合唱するのをよく聞くだろう。一匹が鳴くと、それを契機にあちらでも、こちらでも。
合唱の始めの合図は、気まぐれに始まる。いや、そう聞える。ひょっとすると、風の流れか、気圧の変化か、はたまた日光の翳りどきに合わせてなのか、何か因果があるのかもしれないけれど、とりあえずは、彼らの合唱に聞き入ってしまう。

雨の前に鳴くから「アマガエル」とはよく聞くと思うが、これを雨鳴き(あまなき)という。とくに繁殖期でなくとも頻繁に鳴くカエルである。

今日は昨日から続いて雨のない空模様。庭を歩いてみると、絵に描いたようにアジサイの葉の上で若いアマガエルがかわいらしく鳴いていた。
そのとき、スーっと涼しげな風が吹いてきたような気もするし、そうではなかったのかもしれない。

空を自由に往来する野鳥はともかく、こんな身近にいながら、愛らしい姿を頻繁に見せてくれる野生の小動物も珍しい。
子供の頃は、よく捕まえて遊んだものが、アマガエルも皮膚から出す粘液上の液体に毒性があるという。けれども部屋で飼っているイモリと同様に、毒の存在を知っている今でも、ほとんど気にすることがない。

この週末は天気がなんとかもったので、いろいろ予定も遊びもこなせたが、庭で鳴いていたアマガエルにしてみれば、梅雨時にしては、雨が少ないのではないかと不満を謡っていたに違いない。


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アオスジアゲハを追って

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~身軽で素早いアゲハ~

このアゲハ、特別な蝶ではないのだけれど、とても気になる存在だった。
確かに、黒い基調にエメラルド・グリーン気味のスカイブルーの紋一筋は、とても目立って綺麗ではあるのだけれども、外を歩いていれば毎日でも目に付く蝶ではあるし、とくに幼虫が食する楠の木の周りでは多く見られる。

ただし、特徴は非常に飛ぶのが早くて落ち着かない。他のアゲハの仲間と比べて2倍は早く飛んでいるイメージだ。思えば本気になって捕獲を試みたことはなかった気もするが、子供の頃には捕まえた記憶もないし、取り逃がした記憶は結構残っている。

この画像を撮るのに、特に苦労もなかったが、ひとたび、驚かせて上空に舞い上がると、向こうの家の屋根のあちら側まで、あっという間に飛んでいってしまった。

空の濃いブルーをバックにして翔んでいったのだけれども、その青は空のブルーより、この目に強く焼きついて残っていた。

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ベニカミキリ

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~竹に育って花につく~

散歩の途中、目の前をふ~っと赤っぽいモノが通り過ぎて、近くの小枝の葉にとまった。はて、と、そちらへ歩み寄ってみると、その葉の上にとまっていたのはベニカミキリだった。

いつみても紅色の体色をもったこの虫は、綺麗だしよく目立つ。決して珍しい昆虫ではなく、むしろ普通に見られるが、気に入っている虫のひとつ。

ベニカミキリは、成虫は他の小型のカミキリムシ同様に花に集まる。4月あたりから出てきて、クリやカエデ、ナシなど、この季節にカミキリムシがよく来そうな木の花を捜してみれば、その中にこの紅色の虫がいるのが見られるだろう。

しかし、こんな小さな虫でも、卵から親になって表に出てくるのは3年かかる。カミキリムシの幼虫というのは、たいてい害虫の汚名を持つが、このベニカミキリも例外ではなく、幼虫はモウソウタケを食料にしていて、やはり害虫とされている。
モウソウタケは食害や病気の少ない強い竹といわれるが、このベニカミキリには弱いようで、それなりに食害は問題らしい。

竹の裂け目などに生みつけられた卵から孵化した幼虫は、まず1年目の冬を越す。そしてじっくり時間をかけて、翌年竹の内部をたっぷり食べてさなぎになるが、やがて竹の材中で成虫になって、次の冬も越す。

最終的に、成虫の姿で竹から出てくるわけだが、出てくる前の冬の時期に竹を割って調べてみると、その食材からは、およそ想像もつかないような、この鮮やかな紅色が姿を現すことに、ちょっと感動するかもしれない。

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カジカガエル

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~いい石をめぐって~

過日、清流に沿った林道で、今年最初のカジカガエルの美声を楽しませてもらった。
透明な水が、白い飛まつを上げながら流れ落ちてゆく清流で、その清流より、もっと澄んだ。もっと涼しげな声が流れる。

カジカガエルの声を聞いたことがあるだろうか。初めて聞くならば、およそカエルの声とは思えないだろう。おそらく、その声から想像する姿は、青鮮やかな野鳥の姿とか、たいてい、そういったものになるのではなかろうか。

音を字で表すのは難しいけれど、あえて文字にすれば、「ふぃりりりり~」そんな透き通った文字になる。

カジカガエルは、アオガエルの仲間だが、体色に青いところは一切なく、茶から白っぽい褐色の沢の石と変わらない色をしている。いわば保護色の体色は、やはりそれゆえこのカエルの姿を見つけづらくし、鳴いているところでもないと、この小さめのカエルの姿はなかなか見られない。

さて、カジカガエルには少し興味深い習性というか、特徴がある。
美しい声で鳴く雄は、その美声を発するために乗る石を競って選ぶのだ。まあ、美声は繁殖につながる行動であるのだろうから、雄同士は初めからライバルではあるのだが、石をめぐって相撲を取る。ひらたく言ってしまえば、縄張り争いということか。

しかし、この場合の「いい石」とは何だろうか。選ばれる石は、どこがどういいのであろう。水流に対する位置?声のとおり易さ?雌との位置関係?
その答えは知らないが、小さな目立たないカエルが、相撲を取って勝ち得た場所で、うっとりするほどの美しい声でまた競って鳴く。

たとえ彼らにとっては、それが必死の行動なのだとしても、ただ眺めて聞くだけの勝手な人間にとってみれば、なんとも風流を楽しませてくれる愛らしいカエルではないだろうか。

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ツバメ帰る

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~今年もツバメがやってきた~

朝の扉を開いたとき、す~っと横一線、私の目に一筋の残像を映していくものがあった。
若葉の香りも漂い始める季節となり、南方からツバメが帰ってきた。我が家の周辺では一週間ほど前からツバメが帰ってきているようだ。

子供の頃には、ツバメといえば、南の国が本拠地であって、「夏だけやってくる」という印象で捉えていた。けれど、暖かい時期を日本で過ごすことは同じでも、夏に卵を産みヒナを育てる繁殖地であるのだから、「夏に帰ってくる」日本を本拠地にした鳥と言っても悪くないのではなかろうか。

ツバメは、目が大きくて足の小さい鳥であり、更に風切羽根の長いことも含め飛翔環境に特に適応している。また、小さな口は大きく開くのだが、これは空中で昆虫を捕食するのに適応している。ツバメの描く飛翔は本当に美しいと思う。

特筆したいのは、ツバメという鳥は(ここではツバメ科ツバメ属のツバメという種を言っている。イワツバメや)、人工の建造物にしか巣を掛けないことである。
元々から、そんな習性だったはずはないので、本来はどこか岩場や大木にでも巣をかけていたのだろうが、いまやそういう自然環境において巣を掛けることが、ほぼ皆無なのが不思議でならない。そういった例を見た方はおられるだろうか?

人工物に営巣するのは、外敵からの保護を人に託した結果と理解しているが、そういう関係がどうやって出来上がってきたかも興味があるし、他国においてもツバメの営巣は同様なのだろうか。

季節は、若葉がまぶしく、風爽やかな頃を迎える。

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昆虫標本

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~金属質の光沢の魅力~

季節はまったくもって昆虫などの季節ではないけれど、ふと本棚から飛び出して来たアトラス・オオカブトの標本に、子供の頃、特に夏になると熱中した昆虫標本づくりを思い出した。

標本は若年齢の頃の稚出なものから、次第に昆虫種の質や量、そして作製技術ともに高度になっていった。けれども、様々なことがらに好奇心をくすぐられて意識も移り、いつしかその熱も冷めて、すっかり忘れ去ってしまっていた。

小学校の夏休みの宿題作品用の標本には、やはり、蝶から甲虫まで入り混じった、まさに「夏の昆虫代表種ミックス」で仕上げたものだ。これに欠かすことのできないカブトムシをはじめ、ノコギリクワガタ、カラスアゲハ、シロスジカミキリなどを欠くことはなかったが、自分としては最も満足した作品は、タマムシをメインに入れたものだろう。

タマムシは、子供の頃でも比較的希少な存在だった。金属質の鮮やかな緑の光沢を持つ上翅は、古の時代に奈良、法隆寺にある玉虫厨子に装飾として張りめぐらされただけのことはある美しさを持つ。この虫は、飛んでいる姿で発見することが多かった。姿を見かけるとカクレンボや缶蹴りの最中でも追いかけた。垣根やブロック塀があっても、ところかまわず乗り越えて、どこまでも追いかけた。

小学校の何年生のときだったろうか、どうした訳でか、あの標本は作品展に出品されたまま、手許に戻って来ることはなかった。


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NewTypeへの進化の態様

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~変わるべきとき、進化は羽化のごとく進むのか~

生物には多種多様に拡散、進化した種というものがある。
生物の進化というのは、この種に変異が起きる、種が変わる、分化するなどということであるが、種が変わっていくというときには、一体どんな風に、どういう変わり方が起きるだろうか。

まず、進化の態様について想定するときに考えるべきことは、進化のシステムだろう。次いで、その結果としての進化による変異は急進的か漸進的に現れるかということになってゆく。そして、最終的に、具体的には目に見える形としてどのように進化がはじまるかということ。

進化のシステムについては、広く一般には、既に決着の着いた問題のように思われているところもあるが、現実にはそのようなことはなく、まったく諸説入り乱れていて、結論を見るには程遠いと言わざるを得ない。
私なりに支持する進化論もあるのだが、今回ここでは言及しないこととする。
更に、変異が急進的か漸進的かということも、進化のシステムに大きく左右されるわけだが、これも、しばらく言及しない。

さて、いきなり本来話の根底となるベき部分を飛び越すのもどうかとは思うけれども、空想の遊びとしてでもいいので、この進化というものは、それが起きるとき具体的にどう発現するのかを想像したい。

昔から言われる「ニワトリが先かタマゴが先か」という問いかけ。その問いの解答だけなら、私はさほどの問題ではないように感じていた。
タマゴが先ではないと考える理屈が解らなかった。

ニワトリAとニワトリAが生んだタマゴは個体が違う。しかし、そのタマゴとそこから生まれるニワトリBは同一の個体であり、同一の世代である。
そのタマゴはニワトリBと同一であるのだから、進化のときには「プレ・ニワトリ種」のAが「ニワトリ」であるBを生んだというのが正解で、タマゴとして生み落されたとき、既にそれはニワトリだったことに何か疑いがあるのだろうかと考えていたからである。

一個体が同一の世代中に個体変革を起こして別の種となるモデル(後天的進化)は、常識的には少し考えづらい。ごく普通には世代の変わる時に種が変わる(先天的進化)のではないだろうか。

そうだとすると、進化のときには、親から、その親とは違う種の子供が生まれてくるということになる。まあ、それも、進化が連続漸進的でなく、断続急進的であるとした場合の話ではあるが・・・

人間の場合で考えてみると、あるとき、それまで見られなかった特長をもつNewTypeの人間が突然現れる。ところが、それは単発的ではなく、世界各国において散発的に、しかし、確実にあちこちで次々とNewTypeが生まれる。
その世界新記録が生まれるまでは、信じられなかったような記録が、一度出ると当たり前に出始めるように・・・
そんな、突発的な断続急進的進化が私には一番自然に受け入れられるような気がする。


今回の話はまったくの机上想定です。
何の実証もなく、私の感覚のみで話している部分ばかりを多く含みますので、その点、承知の上でのみお読みください。

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雪迎え

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~蜘蛛と風…~

晩秋・・・初夏にもたぶんあると思う。あまり知られてはいないが、透けるような糸が風に乗って舞う「雪迎え」という現象がある。
たしか、主に山形方面で使われることばと聞いているが、「雪送り」ともいわれる。これが見られる時期、雪が降る前ぶれや後の風に乗って現れることから、そう呼ばれるらしい。

この現象は、英語でも「ゴサマー」(gossamer=goose summer=ガチョウの夏)と呼ばれ、「エンジェル・ヘアー」というもっとロマンある言葉もある。

この「雪迎え」という幻想的な想像を掻き立てられる現象、実は、生まれて間もない幼蜘蛛の繁殖方法であり、小さな蜘蛛が長い糸を出して風に乗り、これをなびかせて繁殖地を広げてゆく生態である。
誰もが知っているタンポポの種のように、蜘蛛が広い範囲にその生息域を広げてゆく手段として、風というものを利用しているのである。

他にも呼び名があり、「遊糸(ゆうし)」というのは中国語源であり、”かげろう”ともいう(「かげろう」については、次の機会にでも話したい)。
また、伊豆地方で「白ばんば」といえば、井上靖の「しろばんば」※が有名で、一義には雪虫(トドノオオワタムシというアブラムシ科の昆虫のこと)を指すようだが、この蜘蛛の糸のことも「白ばんば」というらしい。

かなり多くの種類のクモにこの生態があるようには聞いているが、実際には滅多に見られるものではない。日中の小春日和から、夕方に風が吹き始めるような11~12月ごろにそのチャンスがあるようだが、今年、まだ一度もその光景を目にすることはなかった。現象の実体だけ捉えれば他愛ないことではあるかもしれないけれど、なんとも夢多い現象であり、心引かれる名前ではないだろうか。

※文学に詳しくない私には、それが雪虫のことか、蜘蛛の糸のことかわからない。

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特定外来生物被害防止

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~オオサマオオツノハナムグリ~

特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律(「特定外来生物被害防止法」と略称される)が6月に公布され、10月には基本方針が示されて、来春に施行となるようだ。

この法律は、生態系の被害を防止することで、①生物の多様性の確保、②人身の安全、③農林水産業の健全な発展を目的としていて、そのために「指定した外来生物」について、育成や運搬などの扱いを規制し、防除措置も講ずるというものである。

これを受けて、主管庁である環境省が指定生物の選定に着手したが、ここで以前に取り上げたオオヒラタクワガタやブラックバスのような外来生物がその対象となってくるものと思われる。

しかし、例えば、オオヒラタクワガタなら、こうした昆虫飼育の愛好家やペットハウスは指定に反対するだろう。適正な飼育下なら何も問題がないはずだと。また、ブラックバスなら、フィッシング愛好家や釣り関連業者から、生態系への影響は実証されていない。いまさら駆除は困難。およそ、そうした反対があるだろう。

現実問題を離れて、生物の多様性を大命題として据えるのなら、すべての外来種の意識的移動はするべきではない。そのなかで、この種は可、この種は不可とする意味はないはずだけれども、現実社会ではなかなかそうもいかない。人が経済活動を行なう上で利害に関することがらであり、白か黒かは彼らにとって重要であるし、法令的な手法として列挙明文化するのが最も明確な定義の仕方でもあるわけだから。

「法律」というのは、人の健全な生活を主軸とするのであるから、こうした法律も実際には①生物の多様性の確保よりも②や③の方へシフトしがちなことは容易に想像できるし、それも、やむなきこととは思う。
けれども、「人の経済活動」と「自然維持」を同時にバランスすることは難しい。しかも、「人の経済活動」のほうは、禁じられても制止できない影の部分があり、一方、「自然維持」のほうは、一片の破綻から簡単に大崩壊もありうるという脆さがある。

この法律は、実はこの法律内で、①対②③の競合を調整することが本命になってしまうことにはならないか。

「人の経済活動」と「自然維持」、私個人は、この経済社会で現実問題を見据えて相対するとき、少なくとも「経済利益のために自然を揺るがすことは許さない」ことを大命題として、「適正に扱えば・・・」などのような日和見レベルでなく、生態系への影響がすこしでも懸念される・・・つまりは、指定でなくすべての外来種を規制すべきではないかなと感じる。
ここでは詳細は書かないが、例えばある農業手法に外来生物を利用したものがあり、規制があると大きなダメージを受けるが、その経済的ダメージ
は、私が思うには人の贅沢部分(効率追求)であって、それがないと、生計には大ダメージはあるだろうが、残念ながら人が直接に命を落とすほどでないならば保護する気になれない。


~特定外来生物被害防止法(冒頭条項抜粋)~

(目的)
第一条 この法律は、特定外来生物の飼養、栽培、保管又は運搬(以下「飼養等」という。)、輸入その他の取扱いを規制するとともに、国等による特定外来生物の防除等の措置を講ずることにより、特定外来生物による生態系等に係る被害を防止し、もって生物の多様性の確保、人の生命及び身体の保護並びに農林水産業の健全な発展に寄与することを通じて、国民生活の安定向上に資することを目的とする。
(定義等)
第二条 この法律において「特定外来生物」とは、海外から我が国に導入されることによりその本来の生息地又は生育地の外に存することとなる生物(以下「外来生物」という。)であって、我が国にその本来の生息地又は生育地を有する生物(以下「在来生物」という。)とその性質が異なることにより生態系等に係る被害を及ぼし、又は及ぼすおそれがあるものとして政令で定めるものの個体(卵、種子その他政令で定めるものを含み、生きているものに限る。)及びその器官(飼養等に係る規制等のこの法律に基づく生態系等に係る被害を防止するための措置を講ずる必要があるものであって、政令で定めるもの(生きているものに限る。)に限る。)をいう。
2 この法律において「生態系等に係る被害」とは、生態系、人の生命若しくは身体又は農林水産業に係る被害をいう。
3 主務大臣は、第一項の政令の制定又は改廃に当たってその立案をするときは、生物の性質に関し専門の学識経験を有する者の意見を聴かなければならない。

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ツクツクボウシ

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~そろそろ夏もピークを過ぎる~

季節がら、セミのはなしが続く。

夏はいま、盛りを極めているようではあるけれども、季節は密かに移り行くもの。1、2週間前から、このセミが、鳴きだした。
いまは、まだ、あちらこちらでパラパラと声が聞こえる程度だが、8月終り~9月あたりになると、ツクツクボウシの声ばかりが目立つようになる。夏の虫には違いないが、夏好きとしてはこの声を聞くと、どことなく寂しい印象を拭えない。

このセミが単独ではなく、集団で鳴くときは面白い。鳴き声をよく聴いていると、誰でも知っているあの「オーシンツクツク・・・」の主旋律に合わせて、近くの個体が「ジー」という音で合いの手を入れていることに気づくと思う。
セミの発音というのは、ごく普通に考えて雄が雌を獲得するための手段であって、種の繁殖を目的としたものにほかならないと考えるが、他の個体の鳴き声にコーラスを付けるというのは、どういう意味を持つのだろうか。
主従関係のある生物なら、理屈ある行動であるわけだけれども、そういうわけではない。全体として、雌を引きつける効果を得られれば、目的に合致すると考えるのか。それにしても、他の雄はライバルなのであって、そのアピールとしての鳴き声に、彩りを添えるというのはちよっと意外に思える。
まあ、よく考えれば、他種のセミでも主従にはならないものの、一匹が鳴きだすと他の周囲のセミが一斉に鳴き出すといった牽引性は見られるわけだから、とりたてて不思議はないのかもしれない。
ただ単純に、鳴くことを楽しんでいるのだと理解してしまうのが、一番解りやすくて情緒もあるといったところだろうか。

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昆虫の惑星

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~この星で最も繁栄するもの~

昆虫の顔は工芸品のように精巧だ。
とりわけ、甲虫など、拡大して見てみると、ソリッドなその顔は見方によっては、少し恐ろしげではあるけれども、そういう感情抜きで、メカニカルな観点だけで眺めたならば、きっと、その完成度の高いデザインに感心せずにはいられないだろう。

それにしても、数ある生物の種のなかにあって、昆虫の繁栄ぶりには舌を巻かざるを得ない。
およそ、地上のあらゆるところへ進出し、それぞれに適合した生活力、繁殖力を身につけ、他の生物群とは比較にならない個体数を維持している。

この地球上では、個体数だけでいったら、人類や哺乳類などとはは比べ物にならない桁違いの生命数を維持しているのだ。地球を「昆虫の星」と称してもおかしくないとも言われるが、まさに、地球が我が物であるかのような錯覚は捨てなければならないだろう。

映画などの影響が多分にあるかもしれないが、我々とは似ても似つかぬ昆虫たちの顔つきを眺めていると、昆虫のことを、他の生物の進化系統とは別個発展したものだとし、その起源を他の天体からやって来た異星生命に求める仮説も、あながちありえない話ではないような気まで起きてしまう。

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アブラゼミの季節2

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~神秘的な白い羽を伸ばす~

夕方、日が落ちて涼しくなった頃を見計らって娘と散歩してみた。セミの幼虫が、ポツリポツリと這い出てくる時間だ。

つい先日に記事に書いたけれども、出てくる穴を前もって捜してはおかなかったので、桜の根元など幼虫のいそうなところを覗いて廻った。すると案の定、1匹可愛いやつが地面から木に登りかけていたが、よく見ると、周りにうるさそうな蟻が集まり始めている。

セミの羽化時は、かなり危険が伴う。地中にいてもモグラなどに捕食される危険はあるし、羽化後も鳥やカマキリに捕食されるが、非常に体の不安定なこのひとときに様々な危険が集中している。

穴から出て、のこのこ地上を歩いていると、蟻に襲われるし、よく気候を確かめずに羽化を決行すると、風に揺すられた木の枝から、羽化の途中で落ちてしまう。最近は、地面にあるコンクリートの建造物にも邪魔されて、羽化の場所と機会を失ってしまうものも見かける。そうなったセミは憐れだが、背中が割れて、中味が出かかったようなままの状態で死に到ってしまうことになる。

蟻に襲われかけていたアブラゼミの幼虫は、幸いにも娘の手に拾われて、我が家の網戸に放たれ、そこで立派な成虫になり翌朝飛び立っていった。

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蝶の道2

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あのアゲハの道での儀式

台風が遠のいてまた暑い日ざしがやってきた。
真っ青に突き抜けた空を足早に流れて行くわた雲を眺めながら、あのアゲハ蝶の道を辿ってみた。今日もいつものアゲハの雄がやってくるだろうか。アゲハ蝶の仲間の雄が、「蝶道」という決まった飛翔コースを周遊していることを前回お話したが、そのロマンチック街道をまた歩いてみたのである。

はたして、いつものアゲハの雄が翔んできた。いや、必ずしもいつもの雄なのかどうか、確固とした自信があるわけではないけれども、そう思うのが自然の思い入れというものだろう。
アゲハはせわしく羽ばたきながら、花にいったり地上スレスレを飛んだりしていたが、ふと椿の葉に止まった。アゲハとはあまり関係のなさそうな椿だが、どうしたものかと思って更に眺めていると、なんとすぐそこに雌が飛んで来ていたのだ。

アゲハの雄は、このときとばかりに雌にスクランブル。
どうやら運良くこの雌は未婚の雌であったようだ。雄のスクランブルに雌はすぐ下のピンクの花をつけた草に舞い降りた。一生に交尾は一度きり、二度とは受け入れないというアゲハ蝶の雌と、これをうまく見つけた雄がやがて重なり一つになった。

思いがけないところに出くわした幸運に、少々気は引けたけれども、結局、彼らの気持ちにおかまいなく、傍で時おりカメラを構えては、じっと待たせてもらった。しかし、その儀式の時間たるや延々70分の大事業だった。

・・・すべてを終えた雄と雌は、ツガイとなって翔んでゆくでもなく、何もなかったように、右に左にとまた翔び去ってゆくあたりは、やはり微塵も無駄のない種保存のメカニズムにほかならなかったことを思い知らされるところだ。

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アブラゼミの季節

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~じりじりと汗がにじむような鳴声~

いよいよ、夏の鳴声の本命が騒ぎ出した。
夏を彩る虫たちの声で最も耳に馴染みあるのがこのアブラゼミ。御世辞にも美声ではないが、なんとも暑苦しい夏を象徴するかのようなこのセミの声は、逆に聞こえなかったら寂しい気がする。

アブラゼミは、全国で最も普通のセミで、まあ、知らない人もないと思われる。セミというと、夏の間の短命を象徴することが多いが、実は7年も生きる長生きなほうの昆虫である。まあ、そうはいっても、一生のほとんどは地中で過ごすのではあるけれども。

初秋に産み付けられた卵は、すぐに孵ることはなく、実に10ヶ月後の翌年の梅雨時に孵化することはあまり知られていないかもしれない。木のささくれの中のようなところに産み付けられた卵は、梅雨時の木が湿気を帯びて柔らかくなった頃を選んで孵化して、幼虫の脱出には都合がいい。そのためだけに10ヶ月の時が必要なのかは解らないが、そういうところも自然の驚くべき部分である。

幼虫は以降、長い年月をずっと地中に過ごして、7年目にはじめて地上に顔を出す。
これからの季節、夕方から宵に幼虫の這い出す姿を見るのも楽しみの一つである。幼虫は地面から這い出して、羽化の場所を探して歩き回る。これを観察するには、昼間のうちに、幼虫の抜け出てきそうな場所を探しておくのがいい。よく幼虫の抜け殻が集中しているところがある。その近辺で幼虫が既に抜け出したまん丸な穴が空いた出口をまず見つける。そして、その周辺に小さなまん丸でない穴を捜すのである。これは桜の木の根元あたりが一番有望かもしれない。
出てくる幼虫は可愛らしいけれども、これは、もうその晩のうちに羽化してしまうから、そっと見守って観察するか、確実に羽化の場所を確保できるところに置いてやらなければ可愛そうだ。

特定の場所でジッと静止して体が硬直したら、そこで昆虫図鑑でよくみられる、あの真っ白なセミの誕生を見ることが出来るわけだ。

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ウグイ

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~房総の林道で見かけたウグイたち~

房総の山は低山で、山奥の沢は清流には違いないが、高山のそれとは異なってもうすこし土の匂いがする。
林道脇で綺麗な沢を見つけると、車を止めて沢の脇を歩いてみるが、房総の沢で覗き込んだ水の中の住人で、一番目立っているのがこのウグイである。

つい先日も房総の林道を走っていて、脇を流れる沢をふと覗き込むと、腹部にややオレンジ色をにじませたウグイの群れが目にとまった。産卵期である春~初夏には腹部が強い朱色、併せて背部に黒いラインも現れて、アカハラなどとも呼ばれることがある。
ウグイは日本全国たいていのところに住んでいて馴染み深い魚だと思う。私が子供の頃は、周辺ではハヤと呼ばれて親しまれていた。さして大きくはならず、20~30cmもあればかなりの大物だ。

しかし、以前の「ヤマメ(山女魚)」の記事で書いたような、サケの仲間の魚とも似たところがあり、コイの仲間であるウグイにも海を回遊するものと、一生川を出ないものとがいるのは案外知られていない。普通に知れているのは海に出ない20cmくらいの個体で、どんなに大きくても30cm~35cmどまりであるが、海に出る仲間・・・正確には普段海にいて、産卵期に川を遡上する仲間は、50cmを越えるというから、ウグイのイメージとは随分異なるだろう。

いつも車に竿を積んでいるので、うき釣りを試してみることもあるが、竿が短くてまったく警戒されてしまい糸に反応がない。かなり、臆病な性格の魚なのである。

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蝶の道

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同じ花にいつもやってくるアゲハ

暑い日ざしに眩しいばかりの羽を拡げたアゲハ蝶が、庭の花壇に時おりやって来る。
注意して見ていると、まったく同じ蝶が定期的にとは言わないが、何度も同じ場所にやってくることに気付くはずだ。キアゲハやクロアゲハなど、アゲハ蝶の仲間の雄は、たいていは決まった飛翔コースを持っていて、そのコースを何度も周遊するように飛んでいる。

その飛翔コースのことを「蝶道」という。何を基準に道筋を決めるのかは解らないが、名前といい、なんともロマンチックな道である。

アゲハチョウの雄は、そのコース内の花を巡回しては時おり蜜を吸っているのだが、途中で雌に出会うと追いかけて、雌の周りを廻るように飛んで、雌が着地するようにする。着地した雌と交尾するための行動であるのだけれど、このコースを巡回する行動自体が子孫繁栄のためのプログラムなのだろうか。

もうひとつ、ちょっと意外なことがある。雌の蝶は雄が着地を求めると着地する場合と飛び去ってしまう場合がある。それが相性とかいうものでなく、既に交尾の経験のある雌は二度と交尾を受け入れずに飛び去ってしまい、未経験の雌のみが交尾を受け入れるのである。

実は、雌が交尾を受けるための腹端は、交尾中に雄が出した分泌物で塞がれる。そして、やがてそれが乾いて固まり、栓になってしまうのだ。つまり、アゲハ蝶の雌は、一度交尾をすると貞操帯をつけられてしまうというわけである。

ただ、雌は雌で、その栓があるなしに関わらず交尾を拒否するらしい。蝶の仲間はアゲハ以外はこのような詮をしないが、それでも同様に交尾経験のある雌は再び交尾をしないという。「花から花へ」とか「夜の蝶」など、浮気性なイメージがある「蝶」であるけれども、実際にはおどろくほど貞淑な昆虫なのである。
ちなみに、雄はというと、交尾後2~3日もすると回復して、また元気に雌を追いかける。

軽く流して考えればちょっと笑える話でもあるし、深く考えると、まったく無駄のない種保存のメカニズムに驚かされるばかりである。

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ニイニイゼミ・真夏の訪れ

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~真夏の到来を告げてくれる~

ニイニイゼミの声が盛んになってきた。関東の一般的平地では、梅雨明けにニイニイゼミ、盛夏に入るとアブラゼミ、残暑にツクツクホウシという順に、時節の流れと共にセミの声の主体が移り変わってゆく。

チィーーイーーというニイニイゼミの声、好んで付く桜の木が集まる林などで数匹が幾重にも重なって鳴く中にずっといると、頭の中味がセミの声に共鳴し始めて麻痺してしまったかのような感覚に陥る。よく頭の中に入り込んでくる音である。元々自分は、耳鳴りがいつもしているようなところがあるが、耳鳴りとセミの声がいつしか区別できなくなってしまう。そんな感じだ。

そうはいっても、セミの声が嫌いだったりするわけではなく、これ以上なく夏らしいこの音声がある環境は好きである。

ニイニイゼミの姿は、羽が不透明のマダラ模様、小ぶりで幅広という、日本の他のセミと見比べて一目でわかる形であるが、背中の文様に2通りの色があるのが、子供の頃から不思議だった。すなわち、薄緑の彩色とオレンジの彩色だ。雌雄の別ではなく地域性でもなく、色分けの明確な理由が解らない。

家の近くに桜の木があるので、自宅からもよく声が聞こえる。先日も都内居住の知人が来宅した際、「もうセミですか」と言っていた。自分としては早くもなく遅くもなく、いつも通りの夏の訪れと感じているが、人により感じるところ様々というところなのだろう。
しょっちゅう林道を出歩いているので、セミの声は既に相当早い季節から聞いている。山では、ハルゼミ、エゾハルゼミが5月から鳴き始める。とくにエゾハルゼミの声は特徴があって、一度聞くと忘れられない。鳥の声かキリギリスの仲間などの声のような、「ミョ~~キッ・ミョ~~キッ」という声に続き、「ケケケケケ」というヒグラシの声。始めてこの声を聴いた時は2種の別の生き物の声と思ったが、これが、あの有名な(その筋では)「ミョーキンミョーキンケケケケ」というエゾハルゼミの声と解ったときは、なんだかとても嬉しい気分だったことを思い起こす。
エゾハルゼミの声、今年は御荷鉾林道、甲子林道などで聞かせてもらった。

深夜になったが、自宅の前の桜の木では、いまだにニイニイゼミの声がやまずに聴こえる。日中のセミの声は季節感に溢れて心地よいが、この時間のセミの声は不自然で愉快な気持ちにはなれない。原因は木の傍にある防犯灯の影響に他ならない。防犯という、悪意ある人間さえ存在しなければ、本来必要のない行為をなさなければならないという不合理が非常に腹立たしく感じられる。

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グリーンアノール

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~実は脱皮するところなのです~

帰化生物の繁殖規模の増大については、あらためて言うまでもないが、林道で分け入った山の奥地においても、そうした帰化由来の動植物に出会うことが、あたりまえのようになっている現実を目の当たりにしていると、楽天傾向の私といえども、少々心配にはなってくる。

生物はもともと棲息域の移動、拡大を繰り返して繁殖してきたものではあるのだけれども、何の脈略もなく、突然そこに放たれた生物は、その生物には都合の悪い敵対生物(いわゆる天敵)との縁を断ち切った繁殖を手にするため、比較的多くの場合において、競合する他の在来生物に対して優位である。

ある地域に新たな種が単純に加わるだけならば、生物層が多様化するのみであって、それほど深刻なことではないのかもしれないが、その環境が支えることのできる生物数には限度があって、競合ということが起きるから、帰化生物というものが、上記の優位性から、在来種を駆逐していってしまうところに問題が付きまとうわけである。

我が家にグリーン・アノールという帰化種のトカゲがいる。北米原産イグアナ科のこのトカゲは、1960年代の後半に小笠原に移入されて、現在では定着繁殖して在来のト力ゲに悪影響が出てしまっている。我が家のものは、その小笠原からとある経路でやってきたのだが、なかなか食欲旺盛で、動きも活発で愛嬌があり、緑から茶への色の変化なども見ていて楽しく、なんといっても姿が可愛いが、やはり、日本に定着している生物としては、なにか違和感もある。

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ベニシジミ

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~馴染み深い蝶も傍で見ると~

里山や田のあぜ道などを歩いているとき、足元をせわしなく逃げては止まるこの蝶が目にとまる。
目にはよくとまるが、小さい蝶であまり気にも留めていなかった。
しかし、カメラ、それも何でもどんどん撮るようになったデジカメのおかげで随分印象が変わった。手軽にマクロな画像を映すことのできるデジカメでこの蝶を撮影したとき、驚くほどこの蝶の色彩が素晴らしいことに気がついた。

もっともっと傍に寄って、この蝶を画像一杯に撮影したら、また、さらに違う世界が見えてくるかもしれない。
マクロ撮影を目的に野を歩くと、小さな野原のほんの一角が物凄く広い世界に感じる。自宅の花壇でさえ一つ一つの植物がそれぞれ小さな世界であり、その世界が無限に続いているような印象さえ感じることがある。まるで、自分が昆虫の世界に入ったかのようだ。

このベニシジミは、春も早いうちから現れて、10月くらいまでは見られるとても馴染みの深い蝶だ。人家の周辺でもいくらでも見られる。けれども、傍によって、じっとその深いオレンジ色を目に焼き付けると、どこにでもいるこの蝶が、とても高貴で希少な蝶にさえ感じてくる。

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カマキリの幼虫

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~アジサイの花の上で獲物を待つおチビさん~

カマキリの卵」の記事への自己トラックバックになる。
あのカマキリの卵から出てきた、おびただしい数の幼虫たちの中の一匹の今の姿。
もはや、羽がない他は親とまったく変わらない。物を近づければ、前肢を振り上げ、身を乗り出して威嚇してくる。なんとも非力なはずの小虫が、せいいっぱいの虚勢を張っている姿がとてもほほえましい。
そうはいっても、一緒にあの卵のうから這い出してきた兄弟たちのうち、今もこうしてがんばっているのは何パーセントくらいになるのだろうか。

カマキリの仲間は強い肉食性を示し、このような小さなうちも完全な肉食性は変わらないはずなので、この小さなカマを振りかざして果たしてどんな獲物を捕らえるのかも気になるところだ。想像するには、小さな羽虫などが考え付くところだけれども、飼育外で実際にカマキリの幼虫が捕食しているシーンを見たことはない。

ところで、カマキリは秋に卵を生み、卵は冬を越して春に孵化することをタマゴの時に書いたのだが、そのとき書き忘れたことがあった。
カマキリは、その年に雪が積る高さよりも高いところに卵のうを産み付けるというのだ。いや、この話は間違いない事実なのか、そういう傾向も見られる程度の話なのか、それとも、まったくのガセネタなのかはここで白黒はつけない。
しかし、積雪のある地方の方が、その年の積雪量を事前に知る手段として、その秋にカマキリが生みつけた卵のうの位置をみて量るという話は、真偽は別にしてとても興味深い話である。

あいにく積雪のまったくないに等しいわが住まいの周辺では、これは検証できない事実なので、積雪のある林道へ出向いた時には、機会あるごとにカマキリの卵を捜すが、これを検証するには到っていない。

深く降り積もった雪の上に、埋もれずに残ったカマキリの卵を見た方はおられないだろうか。

【カマキリの関連記事】
カマキリのたまご (卵、幼虫について)
3匹のカマキリ(オオカマキリ、コカマキリ、ハラビロカマキリ)
カマキリの産卵(メスは繰り返し卵を産むこと)
カマキリの共食い(オスはメスに食われないこと)

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アサギマダラ

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~渡る蝶~

林道で、アサギマダラをよく見掛ける季節になった。
アサギマダラは、中サイズの蝶で夏季に標高のある林道では比較的よく目にすることができる。このシーズンでは静岡の林道(智者山林道)と群馬の林道(御荷鉾林道)でお目にかかっている。

この蝶の渡りは有名で、識別票を付けて調査される、その調査によると、たしか3,000Kmくらいは渡るらしい。それも渡るときは、何千匹もの大群をなして渡るらしく、その光景を見ることができたなら、さぞかし素晴らしいことだろう。
林道で見掛けるときは、いつもふわふわと、ゆっくりと軽く優雅に、まるで夢の楽園を飛ぶ蝶のように飛んでいる。

このアサギマダラは、オスに固有の匂いがあり、まあ、それはあまり好ましい匂いではない。そして、屋久島や南九州などでは、その大群を実際にみることができるらしいが、大群の中では、確かに見た目は優雅で夢の中のようであるものの、その特有の匂いのために夢破れるというのが現実らしい。

それでも、こうした優雅な生き物には、匂いなどつき物であり、鼻の感覚を止めてでも、その大群の姿を見てみたいものだ。

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ヤマメ(山女魚)

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~澄んだ水の住人~

沢沿いを走るとき、渓流釣りを楽しむ方に出くわすことは少なくない。それが彼らのフィールドなのだから当たり前だけれども、林道では、人に出会うこと自体が少ないのである。

さて、渓流の魚といえば、私は東日本に住むこともあって、まずはヤマメを思い浮かべる。
漢字で山女魚と書き渓流の女王とも形容されるが、とくに夏季の美しさはその名にふさわしい。
ヤマメの住む川は北海道と本州では太平洋側で酒匂川(神奈川)以北と、日本海側、九州にも少々というところで、神奈川以西の太平洋側と瀬戸内沿い周辺のアマゴとは種も近く、共に渓流釣りの好対象になる。食べても美味いのがより釣り人の層を拡げている。

ヤマメはサケ科の魚であるが、この仲間の生態を知るうえで、欠かせないのが降海型と陸封型というもの。

ヤマメは本来は海に降りる魚であったものが、環境の変化などでそうできなくなり、一生を淡水で生きるようになった陸封魚である。そして、ヤマメが海まで降りた場合にはサクラマスになるということは、この魚に馴染んだ方には当然かもしれないが、とても一般に広く知れ渡ったこととはいえない。

ヤマメだけでなく、本来は淡水と海とを往復する生涯をもつサケ・マスの仲間は、同じ魚でありながら、海に降りるものと降りないものといて、それが、まるで別種のような扱いを受けているものが多い。いや、見た目も随分違っているのでそうなって当然なのだが。
よく知られたところでは、アマゴが海に降りたらサツキマス、ヒメマスがベニザケ。北アメリカから移入されたニジマスも本来的には降海する。降海したものはスティールヘッド・トラウトと呼ばれると聞く。

このように、サクラマスの子はヤマメだが、ヤマメの子はみなサクラマスにならず、川に残ってヤマメの成体になる。非常に不思議で興味深い生態であるが、幼生形態のまま成体となるといえば、両生類のアホロートル※にも幼形成熟いう幼生の形態のまま親になる生態が知られることを思い出す。サケ科の魚たちのそれを幼形成熟という言葉では聞いたことがないが、こうした生態のメカニズムは別のものなのだろうか。

※ウーパールーパーとも俗称されるメキシコ産のサンショウウオ。体が真っ白なアルビノを呈していて、エラが付いたまま成体になり、一生水から出ない。

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鳥の眼

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山へ入ると野鳥には多く出会う。多く出会うが、写真は多く撮れない。
目隠しの板でも置いて、そこで、じっとしていれば、あるいはたくさん撮れるのかもしれない。

鳥の目はすこぶる良い。そして、感覚も鋭敏である。それまで、こちらの様子など、まるで気にしていないかのように振舞っていても、レンズを向けた途端、フォー力スを当てた瞬間に、ちらり、とこちらを一瞥してから飛び去って行く。

それが、視力によるものなのか、気配を感じとっているのか、実際のところは何とも言えないが、カメラのレンズの先から鳥までの間には、相当の距離が開いている。

近頃、目の疲労が激しい。自然の中で木々の緑ばかりを見ているような、そんな生活を送れればとも思うのだが、では、本当にそんな生活をしてみなさいとなったとき、はたしてどうかは判らない。
テレビは見ずとも何ともないが、PC環境は、今は少々切り難いかもしれない。

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トカゲとカナヘビ

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こちらはカナヘビ

ニホントカゲとニホンカナヘビの話。
どちらも林道で日向ぼっこをしている姿を良く見かける。車で走って踏みつけてしまわないよう注意している。
しかし、そんな山奥に入らなくても、家の庭先でもちょくちょく見かけるとても身近な存在の小爬虫類ではある。日本のトカゲ類の代表で、もっとも普通に見かける爬虫類と言えるだろう。
2種は、どこが違うのかといっても、生息域や生態などに特に大きな違いは見当たらず、見た目の違いがもっとも顕著。

その見た目の違いだが、体の大きさにはたいした違いがない。カナヘビは尾の割合が全長の2/3くらいと長い。一番の違いをひとことで言うなら、ツヤツヤ肌がトカゲで、カサカサ肌がカナヘビ。成体では、トカゲには体側に一本の黒い條、カナヘビには特に模様はない。
幼体のうちは違いが顕著で、トカゲの幼体は尾があまりに美しいコバルトブルー。これは見紛うことはない。誰が見ても一目瞭然の目印だ。
ニホントカゲの尾のブルーは成長と共に消えていく、雌のほうが消えるのは遅いらしくて、成体でもブルーを呈する尾をもったトカゲがいるようだ。

ニホントカゲのほうは、ニホンカナヘビよりも、都市部で見かけることがやや少ない。この辺、なにか事情があるのかどうかわからないが、ニホントカゲは産んだ卵を雌が孵化まで世話をする。このために卵は巣穴に産み落し、転がしたり舐めてやったりしているようで、ひと月ちょっとで孵化する。

対して、ニホンカナヘビは、爬虫類らしく産みっぱなしだ。クサの根元に産み落とされた卵は、孵化するのに2ヶ月程度を要する。
私も子供の頃、カナヘビの卵を見つけては、孵化するまで飼育箱で観察したものだ。とても可愛い幼体が卵から孵化する様は一見してもらいたい。そう、たぶんちょうど今ごろが、産卵の時期だったと思う。

有名なシッポ切りはどちらの種も変わらないが、やはり、あのコバルトブルー。ニホントカゲの幼体のシッポがピコピコと動き回るのが特に目立つ。

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アオバズク飛来

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青葉の季節はカエルの合唱と・・・

つい先日、家の周辺に今年もアオバズクがやってきた。
「ホーホー」と2声鳴いては一区切り、しばらくするとまた「ホーホー」と鳴く特徴のある鳴声の梟の仲間。
青葉の茂りはじめたこの時期に渡ってくることが、名前の由来なのは間違いないだろう。

頭が丸くて、梟の仲間としては小さめのアオバズク、声は毎晩のように聞けても、ふつう姿はほとんど見ることもない。カナブンなどの甲虫が好物らしいが、毎年初夏が近づくと、飛んできてくれるということは、我が家の回りもまだ少しは自然が残っているということか。
林道を走って山奥に入って行くと、いろいろな梟の仲間が住んでいるが、人家近くの里山ではこの梟が最も身近な存在だ。

「姿はほとんど見ることもない」とは言ったが、実は、だまって捜そうとしたのではだめだけれども、案外簡単に目にする方法がないわけではない。

みなさん、子供の頃によく吹き鳴らしたことがあるかもしれない、手のはと笛。
右手と左手とも第2~5指をそろえて、軽く丸める。親指は立てて。
左右の手をそのまま合わせて、中になるべく大きな密閉空間ができるように組み合わせる。
最後に親指を間に少し隙間が空く程度に揃えて、上から塞ぐように密閉空間を完成させる。
これで出来上がった手のはと笛。
両親指の第一関節を90度近くに曲げて間の隙間を上から細く吹く。

文字で伝えるのは少し難しい。けれど、やってみれば簡単だ。

このはと笛を使い、アオバズクが夜中になって、「ホーホー」とやりだしたらタイミングをみて真似をする。なるべく本物と同じ音程で、なるべく同じ間隔で、「ホーホー」・・・・「ホーホー」・・・・「ホーホー」

なんとなく、こちらの笛音に反応しているような、そんな鳴き方で応答があったら、さらに根気よく。
段々、声が近づいてきたらしめたもの。間もなくすぐ近までやってきたアオバズクを見ることができるはず。よく、失敗するのは、家のベランダで呼び寄せたときなど。自分の家の屋根にきてしまうと、いくら近くても姿が見えずに終わってしまう。

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カワゲラが一斉に飛翔

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~陽気に誘われ~

昨日は八溝山を遊んできた。
春の山は様々な季節感を纏っていた。
道端に敷かれたカーペットのように黄色いタンポポが咲き。同じ黄色でも、少し暗い山道で山吹の花が彩りを添えていた。タテハチョウがせわしなく羽ばたいては止まり、ヤマメの若魚だろうか、小魚が温んだ水に踊っていた。

水辺の昆虫と言えば、トンボのほかにカゲロウやカワゲラの仲間である。昨日の八溝山麓ではカワゲラが目立っていた。

カワゲラの仲間は、両生類のように幼虫はみな水生である。1~3年程度を幼虫で過ごし、主に他の小さな水生昆虫を食す(小型種では雑食もある)。
春から夏にかけて脱皮して成虫になるが、成虫は食物摂取の術をほとんど持たず、生殖活動の役目を全うする。このあたりの生態は昆虫には珍しいことではないが、あまり知られている話でもない。
人間の一生などと比較してみるのは、あまり意味のないこと。ただ、文学的には、セミやカゲロウなどのように「短い夏」などとして引用される。実際には幼虫の期間とあわせた一生が、その体の大きさに対して短いということはないと思うが、それはそれで、いいのかもしれない。

カワゲラの成虫の体は、みるからに原始的に見える。バッタの仲間(直翅目)の原型となるのだろうか。左右2対の羽をぴたっと平らに重ねて背中に乗せて畳む姿は、とても特徴的だけれども、同じカワゲラの仲間の詳しい種名は、なかなか難しい。

このカワゲラが、暖かな陽気でいっせいに羽化したのだろう。昨夕、八溝山麓では、走る車にカワゲラが群がるほどの飛翔が見られた。

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川遊び

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~爽やかな水を感じる季節~

沢沿いの林道が美しい季節となった。
前記事のように緑のトンネルが目にまぶしい。

紅葉の時期も、もちろん美しいと思うのだが、個人的な比較としては、どちらかというと、哀愁感があって陰の方向へ向かうような印象がある紅葉の時期よりも、眠っていた草木が一斉に芽吹き、魚が跳ね、昆虫が飛翔するというような生命の躍動を感じる新緑の時期の方により強い感動を持っている。

沢沿いの林道はたくさんある。それは、当然といえば当然で、道は、目的の地点同士をできる限り短距離で結ぼうとするものだが、途中に何らかの障害があれば、なるべく容易に、また、工費を掛けずに造ることになる。そうすると山間にあっては、沢に沿ってか、尾根伝いというのがもっとも都合が良いわけで、実際の道も尾根筋か沢筋という2種に大別される。

この新緑時に沢沿いを走るときは、場所を見計らい沢に下りてみることを是非おすすめしたい。

ここでよく見られるのは、カワゲラやカゲロウの幼虫。水の中にある中程度の石をそっと裏返してみよう。きっと、2~3mmから1cm程度の小虫が何匹か石を這って歩くのがみられるだろう。
よくみれば、それらが、みなさんがよく知っているトンボの幼虫であるヤゴなどと似通った体型をしていることや、沢の水に流されにくいように、やや平たい形状であることもわかるだろう。

また、カワトンボもなどもぼちぼち姿を見せる頃で、秋のアカネ類とは違う、どちらかというと繊細で、ヒラヒラと飛ぶさまを見ることができる。

このほかにも、活動を始める生き物たちのことは、挙げだしたらきりがないので、そのへんは、また今後の記事に機会を譲りたい。

こうした生き物の観察は、とにかく楽しいのだが、もう一つ好きなのは、子供のころと変わらぬまさに川遊び。
水に入って、石を積んでダムを作ったり、そこに魚を追い込んだり、作った小さな川を大河に見立てて、箱庭的な遊びを楽しんだりと。
いったい子供の心がいくつになるまで抜けないのだろうか。

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イモリのいる部屋

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飼育は容易

イモリ、それもアカハラのニホンイモリは非常に無頓着に飼育することができる。
これ以上手を抜いても勝手に育つものといったら、おそらくは植物のサボテンくらいしかないのではなかろうか。

1、2匹で広い水槽で飼育すると、慣れるまで少々は時間も必要だが、数匹がいっしょにいると、もうどんなものでも口に入れて、餌に困ることもなし、その回数を少々おろそかにしたとしても(イモリにはかわいそうだが)、よほどの長期間でなければ、なにか問題がおきることもない。

このあたり、生餌が不可欠なカエルやトカゲなどとは大きな違いで、熱帯魚用などの乾燥餌で食事を賄えるのは本当に楽なところ。

そして、水質管理も見た目は別だが、相当に悪くさえならなければ、えら呼吸している魚類などとは違って、健康を損なうことも少ない。また、水槽に植物をふんだんに入れて、自浄作用を持たせれば、より一層に水のもちは長くなる。

温度管理などは、むろん日本の野生動物だから、熱くなり過ぎないように、普通の注意さえ払えば良いし、音や振動でどうこう反応する彼らではない。
また、イモリはあの体の大きさに似合わず、20年以上も生きるなど、思いのほか長生きである。

こんな感じで、それなりに繁殖させつつ飼育しようとすれば、また少々違ってくるが、単に飼育するとなると、ほんとうに楽に飼育できる生き物である。
そうは言っても、生き物を飼うということは、それなりの責任感を持って、また、愛情を持って欲しいと願うが、そういった心がけさえあれば、低負担で長年飼育できるイモリを部屋の住人に迎え入れるのも悪くないのではなかろうか。

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トビ・鳶・とび

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青い空に円を描く

ワシ・タカやフクロウなどの猛禽類にはあこがれがある。
日夜の違いはあるが、いずれも精巧かつ俊敏な狩の姿が、餌食となる悲運な生き物のことは頭からはずして、素直にかっこよく思う。

ワシ・タカの類、特に大型の種が大空に円を描いて偵察する様は優雅でいい。関東外縁の山地やそれ以遠の山地へ足を伸ばせば、そう機会はないとしても、優雅な姿を遠く望むこともあろう。

しかし、通常この目にするのはトビの姿である。房総の山にもいたるところで見ることができるし、まれに自宅から目にすることもある。
このように、ありふれているとはいっても、トビは立派なワシ・タカの仲間であり、ハヤブサやオオタカのような高度な狩はしないにしても、この仲間特有の飛翔形態はなにも変わらない。

トビは、比較的水辺に多く、主に小動物の死体を食べている。全長が60cm前後、翼を広げた全幅は160~170cmもある。大空にあってはさほどでなくても、真近で見ると恐ろしく大きく感じるはずだ。他のワシ・タカの仲間とは見分けるまでもなく、ごく普通に見かけるのだが、ワシ・タカの仲間を見分けるときに注目される尾の形はバチ又はMの形。下から見ていると広げた翼に左右一対の白斑がある。

林道を走っていて、常にチャンスがあれば様々な生き物の姿をカメラに捉えるべくスタンバイしてはいるが、ワシ・タカの仲間はトビくらいしか捉えられない。じっくり撮影を目的に構えてやらなければ、そうそう幸運はやってこないのかもしれない。

逆に空から見下ろす彼等たちの視界は、また素晴らしいものがあるだろう。
一面の緑の中、一筋の地肌をみせる路面。そして、そこから見上げる人間が一人・・・

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ヒキガエルも始動

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林道でもよく会うヒキガエル

それにしても、今年の春は訪れが早い。桜が咲くのももはや時間の問題だ。

仕事帰りの道すがら、ヒキガエルに出会った。
それも、商店・住宅の混在する幹線国道のアスファルトの歩道。もちろんビッチリ舗装していてどこにも砂地は見当たらない。
既に日が落ちて小1時間、空は真っ暗だが、国道はひっきりなしに車が走り、街灯も十分な明かりを路面に落としていて、足元は明るい。
急ぎ早に家路を急ぐ私の足元を、そのヒキガエルはひたすらノソノソと歩いていた。

いったい、どこから出てきて、どこへ向かおうというのか。
よくよく周囲を見渡すと、一箇所だけそこそこの広さのある街路用の花壇がある。その土の中で冬を越したのだろうか。
花壇から落差があるので落ちたのかもしれない。ヒキガエルはジャンプは苦手なのでまず上がれまい。

私の勝手な思い込みで、カエルにとっては迷惑だったかもしれないが、そのぼってりした体をひとつかみ、花壇の中へ放しておいた。
どう考えても、アスファルトとコンクリートにきっちり囲まれた歩道をそのまま歩いていては、よほど運が良くなければ干からびてしまうか、その前に自転車に轢かれるか車道に出てペチャンコだろう。

ヒキガエル。俗にガマとも呼ばれる。関東に住むヒキガエルはすべてアズマヒキガエルという種だ。
西日本にはニホンヒキガエルがすむ。
大きさは成体で4cm程しかないものから、15cmを越えるものまで様々だが、概ね国内では大型のカエルである。
しかし、このヒキガエル、オタマジャクシの尾がなくなって上陸するときにはたった8mm程しかなくて、ひどく可愛らしい。雨の日に集団で移動したりする。

林道でもヒキガエルは良く見かける。WOODLAND TRAILの林道レポートでもたまに画像を載せているが、例によって路面をノソノソと歩いている。ジャンプせずに移動は専ら歩くのが特徴である。

それにしても、あんな市街地でどう繁殖し、ここまで生き延びたのか、これからどう生活して行くのか。なにか非常に切ない感覚に襲われた。

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カマキリのたまご

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林道脇の草に付着して春を待つカマキリの卵

発泡スチロールのように弾力を持ちながらも、カリカリと乾いた質感。
このカマキリの卵というもの、正確には卵を収めた卵のうという一種の保護室であるが、誰しも幼い頃には、幾度か採ったことがあるのではないだろうか。

冬枯れの草むらで遊ぶうち、目の前に現れたこの奇妙な形の塊に目が止まり、気づいたときにはポケットに。家に帰って適当な入れ物に納めておいておくうちに忘れてしまったりする。やる気があるときは透明ケースや虫かごに。虫かごなどの目の粗い入れ物に入れておくと・・・・

ある春の朝、虫かごの前で恍惚とする時が訪れる。
カマキリは不完全変態で、生まれたときから親そっくりな体つきを持っている。羽はなくとも小さなカマはしっかり持っていて、チマチマした動きはなんとも可愛らしい。

しかし、卵のうから次々と生まれ出で立つその数には圧倒される。
生意気な顔つきで、小さな戦士を気取ってでもいるかのような彼らは、同じ顔をして後からあとから止めどなく現れる。
どうも、地球征服の使命を帯びて派遣された宇宙生物かなにかが、シェルの中から続々と登場する姿をイメージしてしまうのだけれども、私だけの突飛なイメージだろうか、それとも自分の世代のなせる技だろうか

まもなく、彼らがカリカリの塊を次々と打ち破ってやってくる季節だ。

【カマキリの関連記事】
カマキリの幼虫(幼虫、卵を産む高さと積雪の関係)
3匹のカマキリ(オオカマキリ、コカマキリ、ハラビロカマキリ)
カマキリの産卵(メスは繰り返し卵を産むこと)
カマキリの共食い(オスはメスに食われないこと)

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ヒラタクワガタの交雑

季節がら、昆虫たちとはややご無沙汰で寂しいが、ミノムシの話を出したあと、ふとクワガタムシのことを思い出した。昨年に比較的話題になったかと思うが、ヒラタクワガタの外来種が帰化して、在来の日本固有種が危機に瀕しかねないという。

環境問題をあまり取り沙汰する気ではないのだが、いかんせん、この時代、こうした話ばかり目に付いてならないのは悲しいことだ。

日本のヒラタクワガタは、体長40~60mm程度(雄)と国内種としては大型のほうで、オオクワガタ・ミヤマクワガタ・ノコギリクワガタなどと比べると、一般的にはやや華々しくない。しかし、なかなか立派な体格をしていて、対馬産のものなどは70mmを越える体長があり、あのオオクワガタに勝るとも劣らないサイズのものもいて、なかなか魅力的。
なお、対馬ほか離島のものは、多様化し現在いくつかの亜種に分類されている。

外国種のヒラタクワガタの仲間では、南方に行くとかなり大型化し、スマトラオオヒラタなどは、110mmくらい(雄)にはなるだろうか、とにかく、国内種より断然大きくて気が荒い。
私たちが子供の頃は、こうした外国産のクワガタなど、図鑑の上か、博物館の標本でしかお目にかかったことはなかったが、近頃では、すぐそのへんのホームセンターなどで平気で売っている。しかも、たいした値段ではない。

しかし、爬虫類や鳥類がそうであるように、こうしたペットの一般普及があれば、必ずそれが故意や過失で外界に進出し、あたりまえのように帰化してしまったりする。
スマトラやタイ産の大型のヒラタクワガタの仲間も、既に国内種と交雑が起きており、昨年の夏ごろだったか、国内でサンプル採取したヒラタクワガタのうち、3%近い個体から外国産のもののDNAパターンが見つかったというような発表が、国立環境研究所からあって驚かされた。

生物は拡散・放散的に分化してゆく例が通常で、自然環境下では多様化の方向への一方通行ともいえるかもしれない。ヒラタクワガタもおそらく数十万・数百万年の単位で分化し、また、分化しつつあったのだろうが、人が介在してほんの数年程度で、まったく方向性を変え、すべての国内種が雑種となって行く将来もあり得るという可能性を考えると、少々恐ろしい気がしてくる。

※昆虫についてお気に入りのサイトを「関連サイト」に追加しておきたい

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みのむしが絶滅?

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冬の風物詩

冬の景色によく似合うものの1つとして、ミノムシがあげられる、これは、ミノガという比較的小型の蛾なかまの幼虫が作るポータブルケース、いわゆる蓑であることはよく知られている。成虫になると、みな羽化して飛んでいってしまうかというとそうでもなく、このミノガの仲間のメスは羽化せずに、一生この蓑の中で幼虫と同様の姿で生活を続けている種が結構ある事は余り知られていないかもしれない。

ミノムシは何も林道など自然豊富なところにわざわざ行かずとも、家の周りでいくらでも見られる・・・と、思っていたが、そうとばかりも言えない事情らしい。

少しばかり前の話題になってしまうのだが、日本に生息する代表的なミノガの一種「オオミノガ」が、外来種のヤドリバエに寄生されて絶滅しかかっていた。この情報自体を私が耳にするのはかなり遅かったのだが、なんとなく最近ミノムシがいなくなったなあ・・・と感じてはいた。
しかし、絶滅が危惧されるほどであったとは驚いたものだ。

もう一種の代表種チャミノガなどは、茶の葉を荒らすので害虫とされているが、どういう種であっても、やはり、種が途絶えるということは、自然界ならあってはならないことではないものの、人間の活動を介して起きる絶滅(この場合は外来種の持込など)は、好ましいこととはいえないだろう。

最近では、その外来種のヤドリバエに寄生するハチが現れて、ミノガが徐々に数を回復し始めたようにも聞いている。なんとも因果な世界。

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ニホンイモリの腹はなぜ赤い?

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イモリって、案外長生きです

大好きなイモリの話。
林道には、イモリがつきもので、道の脇の水場をちょっと覗くと、カワイイ姿を見ることが少なくない。かつては、あちこちの池や田んぼに、うじゃうじゃと住んでいたらしいけれど、今では、ひらけた場所では、そうそう目に付く生き物ではなくなっている。

上から見ると、やけに地味な褐色で、小さめの手足を生やした胴は、ぽちゃっとしていて、オタマジャクシのような尾に続いている。目がつぶらで、本当に可愛らしいが、嫌う人もいるのには私は驚きだ。
イモリの形態というのは、四足脊椎動物として極めて基本型で、どこにも無理が感じられず、あくまでナチュラルな生体デザインだと思う。

さて、このイモリ、正式にはニホンイモリといって、日本固有種である(北海道には自然には生息しない)。一番顕著な特徴は、腹部の赤い斑模様で、そのためにア力ハライモリとか、単にア力ハラなどとも呼ばれる。漢字で書くと「井守」。
背中から見ると、やけに地味だとさっき言ったが、この赤い斑は、全体に地味な色づかいの多い日本の野生動物の中にあって、異例と言っていいほど目立つ赤である。
多くの個体は赤というより、「朱」という感じに近いが、いずれにしても色味、模様とも、人の指紋のように、個体ごとにみな違う。

我が家の水槽にも二十数匹のイモリが棲息中であるけれど、やはり、この模様で個体の区別をしている。主に喉から胸にかけての模様から連想して名前を付けている。いや、あんな小さな生き物に名前を付けて飼っていると聞くと、私が、やけにはまり込んだ人間と思われるかもしれないが、イモリというのは、おそらく大抵の方の想像以上に長生きで、あんなにナリは小さくても(全長70~130mm)、二十年以上は生きられるようで、今、我が家にいるイモリも古いものは12才程度を数えているが、まったく衰えを感じさせない。情も移ろうというものだ。
また、その上に、単に飼育するということでいえば、イモリの飼育は著しく簡単で、病死などは皆無に等しく、注意すベきは水槽からの逃亡のみと言っても過言でない。

まあ、いかんせん、両生類は水がないとそうそう生きられない。しかし、これまでに何回か水槽から逃亡したイモリを救出したが、これがまたスゴイのだ。
逃亡後、時間がたってしまうと、イモリの体は水分を失って、かなり早くミイラ状態になってしまう。そうなってしまうと、普通の動物の常識なら、どう見ても助かりっこない状態なのだが、救出後にミズゴケの上などの十分な水分があるところに置いておくと、それだけで、1、2時間もすると、水分を吸収して元の体に戻っている。

どうも話が逸れがちだが、このイモリの腹の赤いのはなぜだろうか?はっきり言うと、この表題には答えを用意していない。
赤や黄色のやけに目立った体色と言うのは、往々にして警戒色であることが多いが、イモリもこれに当てはまるのかもしれない。一応、毒をもっていることはもっている。
魚のフグと同じテトロドトキシンを皮膚から出すというのだが、今までに飼育下や自然のイモリで毒を感じたことはない(そうはいっても、さわったら手を洗うようにしたほうが無難でしょう)。実際、まったく頓着なく触っているのだが、あまり毒があるというイメージはぴんとこない。

いずれにしても、自然の作り出した生物の色や文様というものは、非常に多彩であって、その意味があって存在するのか、必ずしも意味はないのか、はっきり言って分かりかねる。生物が自らの意思で形質を獲得するということは今のところ否認されている。
しかし、こうした生物の多様性というものは、今の進化論の本流(総合説=ネオ・ダーウィニズム)で説明できるとはどうも考えづらく、私自身は、ほとんど信用していない。

・・・まあ、進化論のはなしは、また、別稿でといたしましょう。

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猿害

サルが山野の食物不足のため、農作物を荒らす『猿害』。ほかにも、熊、鹿、猪など、人の経済活動に対する害を及ぼすものが知られる。
林道を走っていてこうした事例で一番よく目に付くのは、鹿の害に対処する諸施設だろう。
山一つを丸ごと囲んでしまったような柵や、その柵を道が横切るところに作られた、所謂「鹿ゲート」
私としては、見るからに、人と鹿との、まさしく争いといったイメージを受ける。
「人間と自然」と大きく構えると、人間が悪者のようだが、実際に、これらと対峙直面している方々にとっては、我々の想像を遥かに越えたものがあるのだとは思う。

人間中心的な見方をしないで、極めて客観的に考えると、どちらが善悪というよりも生物間の争いなのかもしれない。ただし、それにしては、やはり人の力は不公平に強大すぎる。また、一方が「生きるため」であるのに対し、一方は「豊かな生活のため」と、何ランクか上を追及する行為という違いもある。

今ひとつ判然とはしないが、人間の行動というものは、はたして自然なのか別の次元なのか、人間だけは生物のなかで、ある意味、特別なのかということ。
あくまで、人間もこれまで現れた生物となんら変わりなく、単なる自然の中の生物であるとする立場をとるならば、人と獣たちの関係は加害・被害の関係ではなく、競争・闘争の関係になるのかもしれない。
けれども、そうではなく、人はある意味で一線を超えた生物と認めるならば、それなりの自覚を持った行動が必要だろう。

思うに人間は、自己や種の保存・繁栄のため以上の行動を積極的に起し、身体の変化=進化によらず器具によって身体的不足を補って動的能力を高めることをする初めての生物といえる。※1
つまり、結論として人間はある意味特別といってもよい※2

ならばこそ、私たちは自然をおおらかに見据える目をもち続けなければならないだろうし、自らの行動の大多数は自然と相反するということを、どう乗り越えて行くか深く考えなければならない。

※1:このため、人間は今後、身体についてはほとんど進化しないかもしれないと思っている。

※2:宗教的、思想的な意味合いの人間特別視ではない。

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ニホンザル

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ニホンザル/福島県南会津郡檜枝岐村
新年です。申年ですね。
林道では、比較的よくお目にかかるニホンザルです。
霊長目オナガザル科、体長は50~70cmくらい。よく知られるように、生息北限の青森県下北半島は世界のサルの中でも最北限の生息地。順位・血縁によってなされる群れをなして行動しています。
昼食時などに車のドアを開けっ放しでいようものなら、大変なことになるので注意が必要。カワイイ見た目と裏腹に、とんでもなく凶暴・悪辣な仕業をいただいてしまいますよ。

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